TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

混沌たる心情の果てに4

「この話はもう終わりだ。用件がそれだけなら、俺は帰るぜ」
 しばらくの沈黙の後、土浦はそう言い残して先へと歩いていってしまった。
 けれど俺はその後ろ姿を素直に見送ることが出来ずに土浦を追いかけた。
 それは俺の意思というよりは突き動かされるような感覚で、あの店へと歩を進めずにはいられなかった衝動と、どこかしら似ているような気がする。
「待ってくれ」
 だが、声をかけても土浦は止まらず、振り返ることもしなかった。

「土浦。待ってくれと言っている」
 走り去ることはしなかった土浦を追いかけ、俺は土浦の腕を掴むことでその歩みを止めさせた。
「俺がお前を待つ理由なんてないだろう」
「話はまだ終わっていない」
「これ以上、何を話すっていうんだよ。いい加減、離せっ」
 そんな押し問答の間も土浦が振り返ることはなく、腕を振り解かれそうになったが俺は力を込めて放さなかった。
 土浦は諦めたようにため息を落として抵抗を止めたが、こちらには振り向こうともしない。
 たぶん俺が何を言いたいのかはわかっていて、それに対して答える気がないという意思表示なのだろう。

「君に音楽を諦めさせたものは一体、何なんだ」
 答えは返ってこないだろうと思いはするものの、俺はそれを聞かずにはいられなかった。
 あの店でピアノを弾いているのは、音楽を、ピアノを続けたいからなのではないか。それなのにどうして諦めてしまったのか、諦める他に方法はなかったのか。俺はその答えを土浦の言葉で聞きたかった。
「お前にはわからない」
 こちらには振り向かず、そして俯いたまま土浦は一言、そう答えた。
 その言葉に俺を責めるような強さは感じられず、表情が見えないから余計に感情が読み取れないことが歯がゆかった。

「わからないから聞いているんだ」
 腕を掴む手に、自然と力がこもった。
 俺の知っている土浦とは何かが違う気がして、けれどそれがなんだかわからない。だからせめて何か答えて欲しくて俺は土浦を追い詰める。
 土浦は言いたくないのだろうとわかっていた。もしかしたら俺が踏み込んではいけないような事情があるのかもしれないとも思った。
「どうして君が、音楽を諦めなければいけなかったんだ」
 それでも、どうしても、土浦と音楽との関わりが変わってしまった原因を知りたいと思わずにはいられなかった。

「聞いてどうするっていうんだよ」
 しばらく沈黙が続いた後、土浦は俯いたままつぶやくようにしゃべり始めた。
「お前がどうにかしてくれるとでも言うつもりかよ。あぁ、お前なら難しくないだろうな、簡単だろうな」
 そう言って振り返った瞬間に腕を振り払われ、逆に強い力で掴み返された。
「俺に才能があるって言うなら、俺を買ってくれよ」
「何の冗談だ…」
 ほんの少しだけ見上げる位置にある土浦の瞳が、まるでからかうように俺を見下ろしている。
 その視線を受け止めて睨み返せば、掴む腕が静かに俺を引き寄せる。
「音楽を続けていくためには金がかかるってことぐらい、お前だって知ってるだろう」
 全く感情のこもっていない言葉が、耳元に直接、届いた。

「なんてな、冗だ…」
「わかった」
 不意に腕を放し、笑顔さえも見せて冗談だと言おうとした土浦の言葉を俺は遮った。
 買ってくれと言ったのは確かに冗談だったのかもしれない。けれどその言葉の全てが冗談ではないことくらい俺にもわかった。
 音楽に限らず、何かを本格的に続けていくことにはお金がかかる。それで苦労しているという話も聞いたことがある。
 だから俺は、土浦が口にしたその言葉を、冗談という一言でなかったものにしたくないと思った。
「わかったって、どういうことだよ」
 作られた笑顔を消し、土浦はまた俺のことを睨むように見下ろしてきた。
 その目には、俺に対する怒りに似た感情がありありと浮かび、苦労したことなどないのだろうと、そう言われているような気がした。
 確かに俺は、金銭的苦労を知っていても実感したことはない。
 だからお前にはわからないと言われたことも納得できるし、例え自分がそう思っていなくても、選ばれた者と言われてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。

「俺に、買って欲しいのだろう」
 真っ直ぐに土浦の目を見ながらはっきりと言葉にすれば、驚きに見開かれた目で見返された。
「お前、冗談を真に受けるなよ」
「冗談だというのなら本当の理由を答えてくれ。もし冗談ではなく金銭的な理由で音楽を続けられないというのなら、俺が君を買う」
「それは…」
 言葉を濁して目を逸らした土浦の行動は、それが事実なのだと肯定しているようなものだった。
「決まりだな」
 俺は土浦の腕を軽く掴み、歩き出した。
「お、おい、何を勝手に…」
「言い出したのは君だ。文句があるなら聞くが」
 歩みは止めずに真っ直ぐに土浦を見れば驚きと困惑の表情をしていたが、不意に目を眇めたと思えば不敵な笑みを向けてきた。
「ございません」
 有無を言わせぬ俺の行動に諦めたのか、それとも何か思うところがあったのかわからなかったが、俺はそれを了承の言葉と受け取って更に歩みを進めた。

 大通りでタクシーを拾い、自宅へと向かう。
 車内では会話が交わされることはなく、ただ静かな時間だけが流れていた。



2012.8.4up