『音色のお茶会』
混沌たる心情の果てに1
俺は夜の街を一人歩いていた。別に目的なんかない。ただ、俺は一人でその街を歩いていた。
右手に持ったヴァイオリンケースを左手に持ち替える。さっきからこの動作を何度も繰り返している。
慣れ親しんだはずのヴァイオリンが、今日はやけに重たい。
ヴァイオリンを弾くことが当たり前の毎日。欠かすことのない練習と舞台での演奏。
未だ見ることの出来ない最上は、目指せば目指すほど遠ざかっていく。
いくら拍手を貰っても、いくら称賛されても、そこにはいつまで経っても辿り着けない。
店の明かりが点々としか灯っていない路地裏はひっそりとしている。
いわゆる繁華街からたった一本道を外れただけなのに、こうも雰囲気が変わるものなのかと思う。
にぎやか過ぎるのは苦手だが、静か過ぎるのも今の俺には精神的によくない。
何も考えたくないと思っているのに、静か過ぎて何かを考えずにはいられない。
昼間、演奏会で舞台に立った。
客席は満員で、拍手喝采の大成功を収めた舞台だったにも拘らず、俺は満足していなかった。
いつでも足りないと思っている。心の中にある虚空は、いつになっても埋まることがない。
とにかく心が飢えている。飢えて餓えて闇雲に手を伸ばしても、何も掴むことは出来ない。
何も聞きたくない。何も見たくない。何も聴きたくない。何も視たくない。
それなのに俺は、足りない何かを求めるかのように彷徨っていた。
夜の街を一人歩く。
今はただ、何も考えずにそうして歩いていたかった。