TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

キスから始まる物語2

「君は、加地と付き合っているのか」
 アンサンブルの練習中、ずっと物言いたげだった月森から発せられたのは、衝撃過ぎる言葉だった。

「は?」
 つい最近、同じような間抜けな返事をしたことがあるよなと思いながら、そのときよりも若干、険しい返事になってしまったのは相手が月森だったからかもしれない。
「何言ってんだよ、お前」
 発した言葉の温度とは裏腹に、心臓はかつてないほどの早鐘を打ち始め、冷静に返事をすることが出来た自分が不思議だった。
「この間、見てしまったんだ。君たちが、その…」
 言い淀んだその言葉の続きを察した瞬間、心臓がヒヤリとして押し潰されそうな気がした。
「ここでキスしているのを」
 そして、予想を違えず続いた言葉に、頭の中が真っ白になる。
「だから、君たちは付き合っているのかと思って…」
 あれを見られていたなんて。よりによって、月森に見られていたなんて最悪だ。
「別に、付き合ってないけど」
 頭の中が混乱しているわりに、まるで用意されていたセリフのように、言葉は不思議なくらいするりと口を吐いて出ていた。
「付き合ってなくたって出来るだろ、キスくらい」
 言葉を発すれば発するほど、さっきよりもずっと心臓が押し潰されているようにズキズキと痛み出す。その理由を、俺は知っている。
「本気で言っているのか」
 月森の声がいつにも増して険しくなり、その眉間に皺が刻まれ、視線も鋭くなった。
「君にとっては、そんなに簡単なことだというのか」
 正論で責める月森の言葉に、心の中では否定の言葉を叫ぶのに、それが声にはならない。いや、声にしてはいけないのだ、俺は。
「簡単だろ」
 言いながら、月森に一歩近付く。真っ直ぐな月森の視線にすくみそうになる心には気付かないふりで、俺も月森を真っ直ぐに見返しながら更に距離を詰めていく。
「キスなんてさ…」
 近過ぎて視線が合わなくなるほどの、吐息さえも触れそうな距離で声を出したのは賭けだったのかもしれない。
「土浦っ」
 ほんの少しだけ、本当に掠める程度だけ唇が触れた瞬間、強い衝撃で突き飛ばされた。
「残念」
 思わずこぼれたその一言は紛れもない俺の本心で、だが口に出すつもりなどなかった言葉だった。
「君は誰にでもそんな風にするのか」
 月森からは俺がしたことに対しての反応はあっても俺の言葉に対する反応は何もなく、ホッとするのと同じくらい、心が沈んでいくことを自覚する。
「誰彼構わずってことはさすがにないが…」
 月森に、簡単な気持ちでキスしようなんて思ったわけじゃない。この状況でキス出来るなんて思っていたわけでもない。月森だからこそしたかったのだと、そう言ったらどんな反応が返ってくるのだろうか。
「月森ならいいんじゃないかってな」
 それでも本心など決して声に出すことは出来ず、いつものように月森が好まなさそうな言葉を口にすれば、返ってくるだろうと予想した通りの、さっきよりもずっと強い視線が俺に向けられた。
「最低だな」
 温度を全く感じさせないような月森の声に、そう言われるであろうことがわかっていても心臓が冷水を浴びせられたようにすくみ上がる。
「加地とも同じだと言うのか。そんな簡単な気持ちで加地とキスしたというのか」
 言いながら、月森の声がだんだんと熱を帯びてくるような気がした。淡々とした文句に近い怒りをぶつけられることはよくあることで、だが、今の月森は本気で怒ってるような、そんな気がする。
「加地とのことは、お前には関係ないだろう」
 何が月森を本気にさせているのだろうと思いながら月森の言葉を頭の中で反芻させれば、そこに『加地』という一つのキーワードが出てくる。そう気付いた瞬間、心臓の痛みは身体中の痛みへと変わった。
「何? もしかして嫉妬とか?」
 痛みをこらえながら口にした一言に月森はあからさまに嫌な顔をしたが、それはつまり図星だったと、その表情で物語っているようなものだ。
「そうだと、言ったら?」
 言葉でも肯定され、落胆と諦めと、痛みと淋しさで思わず目を逸らすように俯けば、一歩近付いてきた月森の靴が視界を掠めた。
「っ!」
 瞬間、月森の顔が本当に目の前にあって、何の反応も出来ないうちにその顔は更に距離を詰め、気付けば月森にキスを、それも触れるだけではない、噛みつくような激しいものをされていた。
「ぅん……」
 とっさのことに、何の反応も返せない。突き飛ばすことも抵抗することも、ましてや目をつぶることも受け入れることも出来ないのに、触れる角度が変わったときに震えるように緩んだ唇から、自分のものとは思えない声がもれた。
「本当に、簡単にするんだな、君は」
 途端、月森は俺を突き飛ばすようにして離れ、踵を返してそのまま歩き出したと思えば、苦々しく、まるで吐き捨てるようなセリフを背中越しに残し、らしくない乱暴さでドアを閉めて出て行ってしまった。
「違う」
 月森を目の前にしているときは口から出ることのなかった否定の言葉が、聞く相手のいなくなった静かな練習室にむなしく響く。
「違うんだ、月森。そうじゃない」
 口から出る言葉はまるで言い訳のようで自己嫌悪に陥るのに、言葉が止められない。何かしゃべっていないと、触れた唇の感触を、舌の熱さを思い出してしまいそうで怖い。
「遅れてごめん」
 うわ言のような言葉を繰り返していればドアがノックされ、口を閉じた瞬間に不思議そうな顔をした加地が練習室に入ってきた。
「そこで怖い顔をした月森とすれ違ったけど、またケンカしたの、君たち」
 なんでもなく話しかけてくる加地に、いつものように言い合うだけのケンカで終わっていたらお前のせいだと笑って言えたかもしれないが、今はそんな風に軽口をたたけるような気分ではなかった。それは相手が加地だからこそ尚更で、イライラとした気持ちが身体中に広がっていくような気がした。
「悪い。今日は帰る」
 広げた楽譜を乱暴にまとめ、カバンを持ってドアへと向かう。
「え? どうしたの、土浦?」
 ドアを閉める直前、驚いたような、心配するような、そんな加地の声が聞こえたような気がするが、今は加地のどんな声も言葉も聞きたくなくて、足早にその場を離れた。