TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

キスから始まる物語3

「加地は土浦のことが好きなのか」
「もちろん、好きだよ」
 ちょうど窓から中の様子を窺おうとした瞬間、そこからとんでもない会話が聞こえてきた。

 帰ると言って練習室を飛び出したものの、そこには月森のカバンもヴァイオリンも置きっぱなしで、取りに戻ったら加地と二人きりになるのだと気付けばやっぱりどうしても気になり、それでも正面からは戻れなかった練習室の裏庭に面した窓の下で、俺は膝を抱えるようにして座り込んだ。
 月森と二人きりというその状況に緊張して窓を開けておいたことは幸いしたが、着くなりそんな会話を聞かされることなど想像出来るはずもなく、心の準備が出来ていなかった心臓は痛いくらいの早鐘を鳴らし始めた。
「だから、土浦にキスしたのか」
「え……見ていたの?」
 月森の口調はやけに淡々としていて、さっき、俺を問い詰めるように聞いてきたものとは少し違う。加地はといえば、驚きをその言葉から感じられるものの、どこか楽しんでいるような、そんな響きも感じられて困惑する。
 まさか、見られていることがわかっていてキスを仕掛けてきたんだろうかと疑いたくなるが、あのときの加地はドアに背を向けていたはずだから月森の姿は見ていないはずだ。そしてドアが見える場所にいたはずの自分が月森の姿を確認出来ていなかったことは不覚だったとしか言いようがない。
「見たくて見たわけじゃない」
「まぁ、そうだよね。でもそこはスルーしてくれたほうがありがたかったかな」
「それよりもまだ答えを聞いていない」
「あぁ、土浦にキスした理由? ホント、スルーしてくれないんだ。そんなに知りたいの?」
 加地の声音は楽しんでいそうな感じなのに、月森の感情のなさそうな、あるいは心底嫌そうなその言葉よりももっと、ずっと冷たい響きにも聞こえるのはどうしてだろうか。
「何で知りたいの? 知ってどうするの? 僕と土浦のことなんだから、月森には関係ないよね」
「それは……」
 加地の畳みかけるような、そして突き放すようなその言葉に、月森は答えられないでいる。でも俺は月森の答えを聞きたくないとも思う。聞きたくない言葉が聞こえてしまったら、そう考えるだけで身体中が締め付けられたように痛い。
「でも、三人で組んでいるアンサンブルの練習中だもの、自制すべきだったかもね。さっきも言ったけど、好きだよ、土浦が。だからキスしたんだ、僕のものにしたくてね」
 聞こえた加地の声はなぜか人を挑発するような響きを持っていた。言葉だけを聞けば俺は直接ではなくとも加地に告白されたことになるのに、実際はそういった意味ではないと俺が知っているからだとしても、少しも心に響かない。気になると、そう言われたときは、冗談だろうと思いながらもキスを許してしまうくらいには加地の想いを感じていたはずなのに。
 対する月森はどう答えるのだろうと、聞きたくないと思いながらも耳を澄ましてしまうが、練習室からは声も物音も聞こえてこない。
「ちゃんと答えたのに、満足してないって顔だね。何が不満なの?」
「土浦にも、関係ないと言われた。嫉妬しているのか、とも」
「嫉妬、しているの? 誰に?」
「……言いたくない」
 思わずぎゅっと目をつぶり耳も塞いだが月森の声は俺の指をすり抜けて届き、だが、そこに思い浮かべた自分の名前は上がらず、でもいつその名前が出るのかと思うともう、身体中が痛くて痛くてたまらなくて動けなくなる。
「土浦には言ったの?」
「誰かは、言ってない」
「あぁ、それなら、嫉妬はしているんだね。僕か…、土浦か、…に」
 月森から答えを聞きだすかのような加地の聞き方に、叫んででもその答えを遮りたい気分だったが、ここでもまた月森は沈黙を通した。だが、やっぱり嫉妬されていたんだと、俺にとっては真実を突き付けられたも同然だった。
「ねぇ、月森。言葉にしないと気持ちは伝わらないよ。察してほしいなんて無理な話だと思わない?」
「だが……」
「僕は、土浦にはちゃんと伝えたよ」
「土浦は……付き合ってはいないと……」
「うん、僕は振られたからね。だからキスは、土浦に付け込んだってところかな」
「付き合っていなくても、出来るものか」
「月森は付き合ってないと出来ない? それでもしたいとか、思わない?」
「それは……」
 ここでまた、沈黙が訪れる。俺が加地とキスしたことを月森はあんなにも怒っていたというのに、加地に対しては怒っている気配が感じられない。
 加地と俺では違うんだと、そう気付いてしまえばやっぱり悲しい。胸が痛くて痛くて、そうなることがわかっているのに、どうして俺はこんなところで盗み聞ぎなんかしているんだろうか。
「僕は、したいって思うよ」
「だが、もう土浦とキスはしないでくれ」
 月森のはっきりとした言葉を聞いた瞬間、まるで心臓を握りつぶされたのではないかと思った。たぶんもう、これ以上はないというくらいに心が痛い。
 真っ直ぐに、揺るぎない視線を加地に向けているのであろう月森の表情が、見てもいないのに脳裏に浮かんでくる。
「どうして?」
「君は土浦に振られたんだろう」
「まぁ、確かにそうだね」
「それなら」
「でも僕はまだ好きだよ。それに、土浦は誰とも付き合っていないでしょう」
「それなら、土浦が誰かと付き合ったらしないのか」
「まぁ、そうだね。そうなったらさすがに相手に悪いからね。邪魔はしないよ」
 今でも邪魔するなと心の中で思う。加地が本当に好きなのは俺じゃない。それなのに俺にキスしようなんて気まぐれを起こすから、月森に見られることになるんだと文句を言いたくなる。
 だが、加地の邪魔があってもなくっても俺の想いが叶うことはなく、月森の気持ちを知ってしまうことも時間の問題だったような気がする。
「でも、誰と付き合っていたって、誰を好きでいたって、僕が好きだっていう気持ちは変わらないよ」
 加地の言葉を聞いて、俺もそうだと思った。月森が誰を好きでも、もし誰かと付き合ったとしても、俺が月森を好きだと思う気持ちは変わらない。俺の想いが叶わなくとも、俺は月森が好きだ。
 俺は窓から頭を出さないようにそっと立ち上がった。これ以上、ここで二人の会話を聞いていたって仕方がない。
 いくら俺の気持ちは変わらないと言ったって、月森がここで想いを口に出すところなんて聞きたくはない。ましてや、加地に振られるところなんてもっと聞きたくないし、あり得ないことはわかっているが万が一、想いが叶う瞬間を聞いてしまったりしたら最悪で、俺はこの先、この三人でアンサンブルをやっていく自信がない。
 知らなければ、まだ耐えられる。この胸の痛みにも、耐えてみせる。