TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

キスから始まる物語1

「ねぇ、土浦。僕とキスしない?」
 アンサンブルの練習中、本当に何の前触れもなく、加地はそう言って俺に笑顔を向けてきた。

「はあ?」
 そんな、まぬけな返事を返してしまってもしょうがない。だって、意味がわからない。
「最近、土浦のことが少し気になるんだよね」
 対する加地はいつもの笑顔で、更に続けて訳のわからないことを言ってくる。
「気になるって…」
 その続きは聞きたくないというか、聞いてはいけない気がするのに、口は勝手に促すような言葉を発していた。
「土浦のピアノの音色がね、いつにも増して切ないんだもの」
 告げられたその言葉に、心臓がドキリと嫌な音を立てた。
「そんなこと…」
 自覚があることを人に言われるのは嫌なもので、だからごまかすように口に出した否定の言葉は、最後まできちんと音になってくれない。
「まるで、叶わない恋をしているみたいだ」
 そんな俺に、加地は容赦なく事実を突き付ける。
「恋なんて、してない…」
 今度はちゃんと否定出来たが、心臓が痛い位に苦しい。それは、俺が嘘をついているからだ。
「そう? それなら好都合かな。僕は君に惹かれてしまっているのだから」
 そう言って距離を詰めるように近付いてきた加地から俺は咄嗟に後退ったが、それはすぐ、壁に阻まれた。
「だから、僕とキスしない?」
 別に拘束されているわけでもないのに、何故か動けない。心臓が、痛い。
「土浦…」
 名前を呼ばれ、加地から顔を逸らす。近付く気配に、警鐘が鳴り響く。違う、こんなのは間違っている。
「違うだろ」
 逸らした顔をどうにか加地へと戻せば、加地は軽く首を傾けながら歩みを止めた。
「お前が気になってるのは俺じゃないだろう。俺は身代わりか? それとも自分と重ねて憐れんでるふりか?」
 俺の言葉に、今度は加地が驚き顔で黙り込んだが、すぐに苦笑いを俺に向けてきた。
「でもね、土浦の音色が気になって、土浦のことが気になっているのも嘘ではないんだ」
 そう言って、また加地は俺に近付いてくる。
「勘違いだろ」
 その言葉を否定してみても、加地はお構い無しに俺へと手を伸ばして触れてきた。
「そんなこと、ないよ」
 近付く顔に、逃げなくてはと思うのに動けない。激しくなる心臓の音に、俺のほうが勘違いしてしまう。
「逃げないの?」
 加地の言葉に、俺は思わずぎゅっと目をつむった。
「同情?」
 本当に一瞬だけ触れて離れた加地の唇から、少し悲しげなつぶやきがもれる。
「いや…」
 何故、目をつむってしまったのか、どうして逃げなかったのか、それは俺にもわからない。
「けど、もうしない」
 後悔とはまた違う、もっと根本的なところでダメなんだと思う。
「えぇ。僕のこと、嫌い?」
 途端、加地はさっきみたいな悲しげな声ではなく、冗談を言うような軽さでそんなことを聞いてくる。
「嫌いじゃないけど、そういう好きじゃない」
 お互い、他に好きな人がいることがわかっているのに、こんなことをこれ以上、続けていいわけがない。
「だから、もうしない」
 してはいけない、これ以上は、ダメだ。そうじゃないと、いつか後悔と共に加地のことを嫌いになってしまうかもしれない。
「そっか、残念」
 ちっとも残念そうではない声と表情でそう言うと、加地は一歩下がっていつもの距離に戻る。
「僕はもっとしたかったのにな」
 そしていたずらを思い付いた子供みたいな顔をしたと思った瞬間、間を詰められてまたキスをされていた。
「っ、加地!」
 押し返す前に加地は素早く離れていて、俺は声だけで文句を言うしかなかった。
「いいじゃない。減るものでもないでしょ?」
 悪びれもせず笑顔を見せる加地に、なんだか怒る気が失せていく。
「減るものだ」
 だが、ここで許してしまうと付け上がりそうで、俺は加地をにらみ付けた。
「あれ、もしかしてファーストキスだったりした?」
 それも加地相手には意味がなかったらしく、更にそんなことを聞いてくる。
「そんなわけあるか」
 そうだったら、たぶん最初から許していない。あれはやっぱり、同情だったのだろうか。
「ふ~ん、そうだったんだ。残念」
 今度は本当に残念そうに言われ、ほんの少しドキッとさせられてしまうことがなんだか悔しい。
「じゃあ、今のは二人だけの秘密ってことにしておいて」
 加地はずるい。何がなのかはよくわからないが、ずるいと思う。
「言えるわけないだろう…」
 誰にも言えるわけがない。誰にも知られたくない。
「じゃあ、練習再開しようか」
 そう言ったタイミングでドアがノックされ、月森が入ってくる。
「遅れてすまない」
 第三者の登場で場の空気が一気に変わったことに、ほっとするのと同時に胸がざわざわと騒ぎ出す。
「大丈夫。僕たちも話をしていたからあまり進んでないんだ」
 交わされる二人の会話を聞きながら、俺はざわつく心臓の鼓動を抑えるように、ぎゅっと制服の裾を握り締めた。