TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

花に嵐2 *

 しばらくすると県境である川に掛かる大きな橋に差し掛かり、どこまで続くのだろうと少し不安になりかけていた東京からやっと出ることが出来た。
 それはまるで出口の見えない迷路に射し込んだ光のようで、疲れて重くなり始めていた歩みが少し軽くなる。
 あと少し。あともう少し。
 この一歩が月森に近付いているのだと思えば、疲れなど吹き飛んでしまうように思えた。

 確かこの辺りに駅があったはずだと思いながら歩いていれば、道路の向こうに走る電車の姿を捉えた。
 いつの間に運転を再開していたのだろうと思いつつ、そんなことはどうでもいいように思えた。
 いつかなんてもう関係ない。動いていればそれだけでいい。
 帰れるのだと思えば足取りは更に軽くなり、俺は鞄を持ち直して駅への道を急いだ。
 一瞬、濡れた状態で電車に乗るのはどうかと思ったが、雨に濡れていたはずの服はすっかり乾ききっていた。
 まだ風はそれなりに強く、この風の中をずっと歩いていたのだから当たり前だと気付けばなんだか可笑しく、思わず小さく笑ってしまった。

『電車に乗れた』
 無事に電車に乗った俺は、そんな短いメールを月森に送った。もう少し何か書こうかとも思ったが、まぁいいだろう。
 混んでいるのだろうと覚悟して乗った車内は思ったより混雑はしていなかった。足止めされ、時間潰しついでにそのまま寄り道してしまった人も多いのかもしれないし、運転を再開したのが結構前だったのかもしれない。
 やっと座れた座席に深く腰掛ければ、知らず知らずにため息が落ちる。思った以上に疲労は溜まっているようだ。
 これで明日が休みならいいのだが、そんな都合のいい予定にはなっていない。だからこそ、少しでも早く帰りたくて無理をしてしまったのかもしれない。

 早く、逢いたいな…。
 そんな風に思った瞬間、握り締めたままだったケータイが震え、俺の手にメールの着信を知らせた。
『気を付けて。待っている。』
 その短いメールが俺の心を温かくすると同時に逢いたい気持ちに拍車をかけ、心を落ち着かなくさせた。
 けっこう色々ヤバイかも…。
 上がる心拍数をなんとか落ち着かせようと目を閉じて大きく息を吸ってみたが、視界を遮断してしまったことで脳裏に浮かぶ月森の映像が鮮明になってしまう。
 急いで目を開け、上がってしまったその熱を散らそうと顔を扇いでみるがあまり効果はない。
 例え逢うのが久し振りだとしても、こんな風になってしまうのは初めてのことで少し困惑してしまう。
 そしてこれが俺の本心なのだと気付かされる。早く月森に逢いたくて、早く月森に触れて欲しくて堪らない。
 きっと疲れているからこんな風に思うのだと、そう自分を誤魔化しながら電車に揺られていた。

 着いた駅の改札を出ると、そこに月森の姿があった。
「月森っ!」
 同じく俺の姿を見付けた月森がこちらへと向かってきて、俺は駆け寄るようにしてその名を呼んでいた。
「お帰り。お疲れ様」
 あともう少しと、そう思っていたよりも早くにその声を間近で聞いてしまい、誤魔化して抑えていた気持ちが溢れそうになるのをぐっと堪えることで精一杯になってしまい声が出てこない。
「土浦?」
 そんな俺を訝しむように顔を覗き込まれ、俺は反射的に目を瞑ってしまった。
 見つめられたら、触れられたら、理性を保ってなどいられなくなってしまう。
「帰ろう…」
 そんな俺の状況をわかっているのかいないのか、月森はそう言って俺の手を引くようにして歩き始めた。

 駅から家までの道程はあまり覚えていない。
 ただ、ずっと握られたままの手が熱くて、離して欲しいと思うのに振りほどけなくて、月森の熱が俺の理性を溶かしてしまわないようにと、ずっとそれだけを考えていた。
 だから、その手を引かれるままに寝室へと連れて行かれ、ベッドへと押し倒されて初めて家に着いたことを認識したくらいだった。
 ずっと歩いていて疲れ切った身体に、ベッドのスプリングと月森の体温がものすごく心地いい。

「土浦…」
 繰り返し呼ばれる名前と、その合間に啄ばむように触れてくる月森のキスを夢見心地に受け止めていたが、月森の手が頬伝いに髪へと伸ばされて不意に意識がハッキリした。
「まっ…」
 雨に濡れ、強風によって乾かされた髪は、見た目以上にとんでもないことになっている。それにいくら乾いたとはいえ、身体も服もこのままではやっぱり気持ち悪い。
「雨に濡れて帰ってきたんだ。シャワーくらい浴びさせてくれ…」
 もっと触れて欲しいと思う気持ちと、このままでは嫌だと思う気持ちの狭間で月森を押し戻せば、月森は思ったよりもあっさりと身を引いた。
 それはそれで淋しい気がしながらも疲れた身体を柔らかな布団からなんとか起こせば、差し伸べられた手によって引っ張られた。
「な、何…」
「一緒に入ろう」
 驚いて口から出た声は、不意に耳元で囁かれた言葉によって続く音を失った。

 当たるシャワーのお湯は温かく、俺は知らず知らずほっとためいきを落とした。
 寒いとは思っていなかったが、それでも雨と風にさらされ続けた肌はだいぶ冷えていたらしい。
「何でこのまま…っていうか、お前まで濡れることないだろう…」
 有無を言わせぬ勢いでバスルームへと連れ込まれたため、俺たちはまだ服を脱いでいない。
 服が濡れるのは今更で、もうどうでもいいような気もしてしまうが、だからといってわざわざ月森まで一緒に濡れることはないだろうと思う。
「君はこの雨の中を濡れてまで帰ってきてくれたんだ。これくらいなんでもない」
 だが、真っ直ぐなまなざしでそう告げられれば、それ以上の言葉は何も出てこない。
 どうしてわからないのだろうと、そんな風に思った俺の行動を月森に見抜かれていたことが嬉しくて恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しい。
 逢いたくて逢いたくて、その一心で歩いてきた。早く月森に触れたかったし、早く月森に触れて欲しかった。
「おかえり…」
 そう言いながら触れてきた月森の唇は熱く、俺の理性がギリギリのところにあったことを思い出させられた。

 水滴が肌の上を滑るように滴り落ちて濡れる感触も、それが月森からもたらされるものならば全く不快などとは思わない。
 むしろ、同じ状況と時間を共有しているのだという実感となり、心が満たされた。
 与えられる月森の熱に俺は翻弄され、雨でも風でもない嵐の中に放り出されたような気がして無意識に手を伸ばせば月森に優しく握られた。
 その手に縋りつくように強く握り返してみたがそれでは足りず、引き寄せるように月森の背へと腕を回せば、今度は優しく抱き締められた。
 貪るようなキスも律動も激しいのに、抱き締めてくるその腕はどこまでも優しい。
 俺は泣きたくなるような気持ちのまま、果てしない高みへと意識を飛ばしていた。