TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

花に嵐1

『本日は台風の影響で、当駅の電車は全て運転を見合わせております』
 俺は今までに体験したことのない人混みの中で、繰り返されるアナウンスを聞いていた。

 今日は普段の活動範囲である横浜ではなく東京で打ち合わせをしていた。
 台風が近付いていることも、それが夕方にはこの辺りにも上陸することももちろん知っていたし、周りでは台風に巻き込まれないようにと対策を講じていて、女性スタッフは早めに帰宅させたらしい。
 俺も帰れるものならば早く帰りたいと思っていたが、現実はそんなに甘いものではない。そもそも東京に来ているのはどうしても外せない打ち合わせだからであって、それが終わらない限り帰れるわけなどなかった。

 こんな天気ということもあり予定より早めに打ち合わせは終わり、俺は足早に駅へと向かった。
 強い雨が降っていたが風はまだそんなに強くなく、普通に傘をさして歩くことが出来たし、駅も混雑した様子はなく、まだ電車は動いていて安心した。
 たぶん、この時間にしては普段より少し混んだ車内でケータイを開くと画面には幾つかの着信とメールを知らせる表示があり、俺はまずメールの確認をすることにした。
 そのメールの中に月森からのものを見付け、自然と弛んでしまいそうになる表情をグッと堪えた。
『日本に着いた。連絡を待っている』
 月森からのメールは相変わらず用件のみの短いものだったが、俺が打つ返事も『おかえり。仕事終わった』の一言ずつなのだからお互い様なのかもしれない。

 早く帰りたいと思ったのは台風の所為だけではなかった。
 今日は半年振りに月森がウィーンから帰国する日で、それはつまり半年振りに月森に逢える日ということだった。
 お互いの活動拠点が異なるし自由になる時間は少なく、そう簡単に逢えるわけではないのだから逢えるときには少しでも長く逢いたいと思ってしまう。

 簡単に打ち終わった返信メールを送ろうと送信ボタンへと指を向けたが、電波表示には圏外の文字が出ていた。
 動く電車内の所為なのか近付く台風の影響なのか、圏外表示は駅に着いてもなかなか解除されない。
 仕方なく他のメールを確認してからケータイを閉じて窓の外へと目を向ければ、雨も風もさっきよりだいぶ強さを増しているようで、このままでは電車が止まってしまうのではないかとそんな予感が心を過った。
 そして嫌な予感ほど当たるもので、俺の乗った電車は都内すら出ていない駅で止まったまま先へと進まなくなってしまった。

 繰り返されるアナウンスから察するに、混んだ車内やホームで待っていたところで、台風が通り過ぎて風が止まない限り電車は動いてくれなさそうだ。
 同じ待つならどこか店に入って運転再開を待つ方が楽ではあるが、結局それだっていつまで待たされるかわからず、状況が変わらないのならば得策にはなり得なかった。
 相変わらずケータイは圏外表示のままで月森に連絡することすら出来ない。
 このままじっとしているのは耐えられず、俺は人混みをかき分けるようにして外を目指した。

 駅前は雨宿りとタクシー、バス待ちの人で溢れていた。
 他の交通機関を使えばという淡い期待もあったがどれにも頼れそうになく、俺は意を決して雨の中へと足を踏み出した。
 さっきよりも吹く風は強くなっていて、傘を差しても煽られて危ないだけで役に立たない。仕方なく傘をたたみ、雨の中をそのまま歩いた。
 鞄の中の楽譜が濡れやしないかと気になったが、サッカー部にいた頃は雨の中でも練習をしていたし、自分が濡れることはあまり気にならなかった。
 ただ、少し伸びてきた髪が顔に張り付いてくるのが、どうしようもなくうっとうしく感じた。

 何度か車で行き来したこともあり、家までの道程は頭の中にあったおかげで歩くことに不安はなかった。
 そしてこの雨の中でも同じように歩いている人はけっこういて、自分だけではないのだという驚きと共に、どこか安心感のようなものも感じた。
 ただ、一体どこまで歩けばいいのか見当がつかず、途中で運転を再開した電車の駅に辿り着くか、空のタクシーでも捕まえられればいいと、そんな希望めいたことを考えながら歩いていた。

 途中、屋根のあるところで月森へと電話を入れてみたが、回線が混み合っているというメッセージが流れるだけで繋がらなかった。
 とりあえず圏外表示は出ていなかったため、さっき送れなかった一言に『電車が止まったから歩いている』と更に一言を追加してメールを送っておいた。
 その後も何度か電話を掛けてみたが、メッセージすら流れずに回線が切れてしまうばかりで一向に繋がる気配がなかった。

 しばらく歩いていると雨はだいぶ小降りになり、風が強いだけになった。
 そろそろ電話も繋がるだろうとケータイを鞄から取り出したタイミングで着信を知らせる青いライトが点滅を始め、俺は急いで通話ボタンを押した。
『土浦か? よかった、やっと繋がった』
 電話越しに聞こえる月森の声は少し慌てているように感じられた。
「いや、俺も何回か掛けてみたけど繋がらなかったんだよ」
 まるで言い訳のような言葉だったが、事実なのだから仕方がない。
『歩いているとメールに書いてあったが…その様子だとまさかまだ歩いているのか?』
「あぁ。まだ電車は動いてなさそうだしな」
 歩いている途中、いくつかの駅を通り過ぎたが、どこも電車は止まったままだった。
『どうしてそんな無理をするんだ。電車が動くまでどこかで待っていればいいだろう』
 少し呆れたような月森の声を聞きながら、なんで月森にはその理由がわからないのだろうと思う。
 俺が無理をしてでも早く帰りたい理由なんてただひとつだ。
「早く月森に逢いたいからに決まっているだろう」
 直接、顔を見ているわけではないからこそ口に出せたその言葉は、けれどそれまで以上に強く吹いた風に掻き消されて月森には届かなかった。
『すまない、風の音で土浦の声がよく聞こえない』
 聞いて欲しかったような、聞こえなくてよかったような、どちらとも言えない気分になりながら、俺は強い風が通り過ぎるのを待った。
 だが強い風はなかなか治まらず、その風音が月森との会話の邪魔をする。
「また後で連絡する」
 こんなときに限って風を凌げそうな場所がなく、俺は仕方なく叫ぶようにそう告げ、月森の了承の返事を待って電話を切った。

 歩くより、もしかしたら電車が動くのを待ったほうがよかったのかもしれない。それでも俺は、月森を待たせたままでじっとなんてしていられなかった。
 月森に会えるなら、少しでも長く一緒にいたい。
 こんなこと口に出して言うことは出来ないから、態度でも素直には表せないから、だから今の俺に出来ることはやろうとそう思っていた。
 だからもう少し待っていてくれと心の中で思いながら歩く速度を速め、俺はまた家路へと急いだ。