『音色のお茶会』
はじめてのバレンタインデー1
今年初の、甘いイベントがやってくる。冬休みを引きずって浮かれ気分だった1月も終わり、少し落ち着いた2月にもまた誰かの陰謀めいたイベントがやってくる。
自分には関係ないと思っていた去年までとは違い、今年は俺もその陰謀の中に巻き込まれている。
俺、土浦梁太郎は、月森蓮を好きになった。
片思いのまま終わると思っていたその恋が、叶って両想いになったのは去年のクリスマス…の2日後。
クリスマスというイベントを逃した俺たちにとって、最初に迎える大きなイベントが、2月14日のバレンタインデーというわけだ。
わけなのだか、そこにはひとつ問題がある。
一般的にバレンタインデーといえばチョコレートというアイテムを使って女子から男子に想いを伝える日だ。
俺も相手も男とくればそれこそが問題で、どちらも貰う立場ではこのイベントが成り立たない。
それならばバレンタインなど無視してしまえばいいのだが、そうも出来ない事情が俺にはあるのだ。
紆余曲折、本当に色々あって両想いになれた俺たちだったが、その相手である月森は、本人がどう思うかを別にして、こういったイベント事ではいわゆる勝ち組の部類に入る。
それとなく聞き出した去年のチョコレートの数は0個だと言っていたが、それは全て断って貰わなかっただけで、実際に渡された数は想像よりも多かったのだと思う。
受け取らなかったことに心のどこかでホッとしつつも、それだけ想いを寄せている人がいるのだと考えただけで気分が落ち着かない。
常識的に考えて叶うはずなどなかったこの関係だからこそ、いつどんな理由で壊れてしまうかわからないし、疑うわけではないが、やっぱり女の方がいいと言われる心変わりが怖い。
だからこそバレンタインデーというイベントにかこつけて改めて気持ちを伝えようと思うものの、去年まで誰からも貰わなかったチョコレートを、俺が渡したら貰ってくれるのだろうかと心配にもなるし、そもそもこういったイベントに興味はなさそうだから、嫌がられる可能性も考えられて渡す決心が鈍ってしまう。
毎日、毎日、カウントダウンしながら悩み続け、こんなのは自分らしくないと思いながらも考えることは止められず、とうとうバレンタインデーは明日に迫ってしまった。
放課後、久し振りに月森と一緒に練習し、途中まで一緒に帰った。
本人を目の前にすると悩みは倍増し、なんだかずっと落ち着かない気分だったから、普段はしないミスを何度か繰り返してしまった。
月森の反応が気になってずっと気を張っていた所為か、いつもの交差点で別れたときは思わずホッとして大きなため息を落としてしまった。
だがまだ問題は何も解決していない。
俺は意を決して、駅前の通りへと足を向けた。
チョコレートを扱っている店舗はどこも女性客で混雑していて、こんなことならもっと早くに決心していればと後悔しても今更なのだが、やっぱり男の俺が入っていくにはどうにも敷居が高過ぎる。
既製品がダメなら手作りをと考えて少し離れたスーパーへと移動し、料理の隠し味にチョコレートを使う雰囲気に見せかけて材料を揃えて買い物を済ませた。
一応、なんとなく事前に調べておいた材料が頭に入っていたおかげで買い物に時間をかけずに済んだことは良かったと思うのだが、これから家で作ることを考えるとまた気が重くなる。
菓子作りもしないわけではないが、バレンタインデーの前日にチョコレート菓子を作っていたら、その目的は一目瞭然でバレバレだ。
何とか誤魔化しつつ出来上がったそれを過剰でいかにもな感じにならないようにラッピングして、ふと月森を思い浮かべる。
喜んでくれたら俺も嬉しい。でもやはり喜んでもらえるのだろうかと不安になる気持ちはどうしても拭えない。
世の中の女子は毎年、こんな思いをしながらチョコレートを用意しているのだろうか。
そして、どれだけの女子がこんな風に月森へと思いを寄せてチョコレートを用意しているのだろうと考えて、心がチリチリと痛くなった。
そしてバレンタインデー当日。
チョコレートを忍ばせているのだと考えるだけで、その鞄を持つ手が緊張で汗ばんでいくのが自分でもよくわかる。
通学途中も教室の中も、雰囲気がなんとなくみんな浮き足立っている。
たぶん去年までも同じ雰囲気だったんだろうが、俺はずっと気付いていなかった。そして浮き足立っているのは自分も同じなのだと、俺はその雰囲気の中に入って初めて気が付いた。
いつ渡そう。いつ切り出そう。それよりもまず月森と逢う約束をしなくては。
貰ってくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。他の誰かから渡されたチョコレートを受け取ってはいないだろうか。
心は昨日まで以上に浮き沈みを繰り返し、ポケットに入れた携帯電話を握ったり放したりをずっと繰り返していた。
授業が全て終わった放課後、結局ずっと連絡出来なかった月森へ連絡しなくてはと思いながら席を立ったところで、少し離れたところから俺を呼ぶ声が聞こえた。
「土浦」
その声に振り返ると、教室のドアからこちらへと向かってくる月森の姿が目に映った。
まだ教室に残っていたクラスメートの視線が、なんとなくこちらへと集まる。
俺たちが付き合っていることはもちろん誰も知らない。音楽科の生徒が普通科の教室に来ることは滅多にない。そして俺と月森が、犬猿の仲と呼ばれていた頃しか知らない生徒も多数いる。
「話があるんだが、いいだろうか」
いつになく真剣な顔でそう尋ねられ、心臓が大きく鳴った。何か、聞きたくない言葉を聞かされるような気がして心がざわつく。
「いいけど…とりあえず場所、変えようぜ」
ざわつく心を抑えるように平静を装って返事をすれば、月森は小さく「そうだな」と返して先に歩き出した。
「じゃあな、土浦」
声を掛けてきたクラスメートに返事を返しながら、俺は月森を追うようにして教室を出た。