TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

はじめてのバレンタインデー2

 月森が移動先に選んだのは月森の家だった。
 放課後とはいえ生徒はあちこちに残っているから練習室にでも行くのだろうと思っていたが、それよりも更に二人きりになる場所を月森は選んできた。
 その部屋に入るのは初めてではなかったが、防音が施されて外と遮断された静かなその空間が今日はやけに落ち着かない。
 俺を部屋へと誘い、了承を得るための会話以降、月森は必要以上の言葉をしゃべっていない。
 いつだって月森はそれほどしゃべる方ではなかったが、ただ今は、この沈黙の空間に心が耐えられそうになく、だからといって自分から話を切り出す勇気もなかった。
「土浦…」
 ドアの傍で立ち尽くしていた俺に、荷物を置いてコートを脱いだ月森が声を掛けてきた。そこに音が生じたことにホッとしたのと同時に、心のざわつきもまた戻ってくる。
 だから呼ばれたのに上げ損なったその視界に、こちらへと不意に近付いてくる月森の足が映り、その距離が文字通り目の前に迫ってきたのを感じて、俺は思わず一歩下がってしまった。
「土浦…」
 もう一度名前を呼ばれ、その距離がまた一歩近付く。俺は壁に阻まれ、もう下がることが出来ない。
 とっさに目をぎゅっと閉じれば、月森の手に俺の両頬をはさむようにして顔を上げさせられ、キスをされていた。
 それは覚えのある月森とのキスのどれよりも激しく、思わず押し返そうと伸ばした手は、けれど逆に月森に縋るようにその服を握り締めてしまった。
「っん…」
 舌を絡めとられ、自分でも信じられないような甘い声が上がる。
 緊張に強張っていた身体から力が抜け、そのキスの心地好さに立っているのもやっとの状態で更に月森にしがみつけば、それをわかっていてなお、月森はキスを深くしてくる。
 もうダメだと思った瞬間に膝から完全に力が抜け、俺は壁伝いにズルズルとその場へとしゃがみこんでしまった。
「つき、もり…」
 舌が痺れてうまくしゃべれないながらも見上げて月森の名を呼べば、月森もまた俺を追うように床へと座ってまたキスを仕掛けてくる。
 嫌なわけじゃない。そうではないがなんだか怖くて思わず首を振ってその唇から逃げれば、月森の唇はマフラーの隙間を縫うようにして首筋に触れてきた。
「んあっ」
 不意の刺激に高い声が上がり、それが恥ずかしくて唇を噛み締めようとしたところを月森の指がそれを阻む。その指が楽器を扱うことをわかっているから歯など立てることは絶対に出来ない。
 唇に触れているのとは反対の手が器用に俺のマフラーを外し、あらわになった俺の首筋に顔を埋めるようにして月森は触れてくる。
 閉じることの出来なくなった口から、それでも声を上げまいと我慢をすれば、喉に変な力が入って痛みが走った。
「っ」
 突然の痛みに息を詰めた俺の様子に気付いた月森が、ハッとしたように顔を上げてその指をそこから離してくれた。
「すまない…。大丈夫だっただろうか…」
 軽くむせながら息を整えていると、まるで背をさするようにしながら月森はそっと抱き締めてくる。
 月森の行動の、その理由がどれもわからない。ただ、あたたかな気持ちは伝わってきて、俺はその背へと腕を回した。
「昨日から…、いや、少し前から君の様子が違っていて、だから…」
 月森にしては珍しくあまりはっきりしない口調でそう告げられ、更に月森の気持ちが伝わってくる。
 不安に思っていたのは俺だけじゃないんだと気付いて、抱き締める腕に力を込めた。
「今日、何の日か知ってるだろ…。だから…その…」
 俺の言葉もはっきりとした単語と気持ちを伝えられなくて途切れ途切れになり、抱き締められているその体勢を利用して肩口へと顔を隠した。
 改めて気持ちを伝えようと思っていたはずなのに、思いがけない状況に言葉が上手く出てこない。
「誰か気になる相手でもいたのか…?」
 言葉を探してもぞもぞしていれば、そんな俺の態度に誤解したらしい月森の声が聞こえて咄嗟に顔を上げた。
「違う! いや、違わないけどそうじゃなくて、だから…」
 真剣で、どこか悲しそうな顔が目の前にあって、その視線が真っ直ぐ過ぎてまた、言葉に詰まる。
「だから、お前が好きだから、誰かから渡されるんだろうなって思ったら…」
 それでも誤解を解きたくて本心を声にすればなんだか恥ずかしくなってきて、同時に不安な気持ちも戻ってきて、月森の視線を受け止められなくて俯いてしまった。
「思ったら?」
 月森は止めてしまった俺の言葉を繰り返し、続く言葉を促してくる。
「嫉妬したんだよ。不安になったんだ。悪いかっ」
 まるで逆切れのように叫べば、月森はさっきより強く俺を抱き締めてきた。
「嫉妬は嬉しいな…。だが不安になる必要はない。…いや、俺も不安に思ったから君を責められないな」
 腰の辺りに回された腕に引き寄せられ、心臓が早鐘を打ち始める。コート越しなことがなんだかもどかしい。
「月森…」
 直接触れられる月森の頬に手を伸ばせば、引き寄せる前に月森の唇が顔中へと落とされ、最後にそっと唇へと落ちてきたそれを、俺は目を閉じて受け入れた。
 チョコレートを渡すなら今かもしれないとふと思い付いたが、月森のキスに思考は霧散してしまった。

 たぶん俺たちは言葉が足りな過ぎるのだろう。
 好きだなんて言葉にするのはお互い柄じゃないのかもしれないが、言葉にしなければ伝わらないことだってある。
 最初から仲が良かったのならまだしも、出会った頃の俺たちは自他共に認める犬猿の仲だったのだから、すぐに以心伝心なんてなるわけがない。
「月森…、お前が好きだ。だからこのチョコを、俺の気持ちを貰ってくれ」
 そう言ってチョコレートを差し出せば、月森は嬉しそうにそれを受け取ってくれた。
「ありがとう。君から貰えたらどんなに嬉しいだろうと思っていたが、実際に貰えると想像以上に嬉しいものだな」
 めったに見ることのない月森のやわらかい笑顔に俺も嬉しくなって、そして少し恥ずかしくなった。
「チョコレートと気持ち以外も、貰っても構わないだろうか…?」
 そう聞いてくるくせに、返事をする前に抱き締めてキスを仕掛けてくる月森をズルいと思う。
 でもそれを嬉しいと思う気持ちのほうがきっと本心だ。
「全部、お前にやるよ。だから、残すなよ…」
 まさかこんな風に思う日が、こんな台詞を口にする日がくるとは思ってもみなかった。
 そして少し前まで不安に思っていたのが嘘のように幸せだと思う。
「君が欲しい。君を独占したい。君が、好きだ」
 真っ直ぐに、そして真剣に伝えられるその言葉に身体が甘く痺れる。
「俺も…」
 同じなのだと伝えたくて口にした言葉は、俺から触れた月森の唇の中に甘く溶けていった。


 今年初の甘いイベントは、俺たちにとっても初めての甘いイベントになった。



はじめてのバレンタインデー
2013.2.16
コルダ話78作目。
バレンタイン当日には間に合わず^^;
書いているときはもう少し甘い話を書けばいいのにと思っていたけれど
書き上がったらけっこう甘い話になっていたという不思議。
相変わらず土浦君の乙女っぷりが激しくてごめんなさい…。