TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

はじまりは、チョコレート2

 放課後、練習室に向かえば珍しく月森はまだ来ていなかった。携帯に連絡は入っていないからただ単に遅れているだけだろうと、俺は先に練習を始めておくことにする。
 解釈の違いでなかなか噛み合わなかった二人の演奏も、言い合いを繰り返し、お互いの意見をすり合わせてやっとまとまってきたところで、そうなると相手が月森でさえ、一緒に弾くことが楽しくなってくるから不思議だ。
「すまない、遅くなった」
 そんなことを考えながらちょうど一曲弾き終わったところで、慌てたように月森が練習室に入ってきた。
 その手にはいつものカバンとヴァイオリンケース、そしていつもは持っていない紙袋が握られていて、紙袋の中身は貰ったチョコレートなんだろうなと想像出来る。
「ずいぶん音が浮かれていたが、何かいいことでもあったのか」
 その紙袋を無造作に置きながら、月森は思ってもみないことを聞いてきた。
 浮かれていた? 俺の音が?
 身に覚えのないことを急に言われたせいか、無意識に月森を睨んでいた。
「違っていたか。そう聴こえたんだが」
 だが、俺のそんな表情はいつものことなので、月森は気にしていなさそうに言葉を続けてきた。
「俺じゃなくてお前が浮かれてるんじゃないのか」
 それが妙に気に触って、昼間、天羽から聞いたことを思い出し、俺はそんな風に返していた。
「どういうことだ」
 さっきの俺が無意識に返していたであろう顔を、今度は月森が俺に向けてくる。
「それ」
 俺は月森が置いた紙袋を指さした。貰ったチョコレートを持って来るなんて、人の好意に対して辛辣だった月森しか知らない俺には信じられないし、どうしたんだと思う。
「噂になってたぜ、今日の月森はいつもと違うってさ」
 興味はないと思っていたが、ほんの少しだけ気になった。誰かを好きになったことで、それまでとは全く違う態度をとっているらしい月森の、その心境の変化がどういうものなのか、本当に何となく気になった。
「それは…。いや、確かに態度が今までと違っていたことは認める。だが、別に浮かれてはいない。ただ…」
 はっきりと否定はするのに、月森にしてはめずらしく言い淀むように言葉が止まった。
「ただ?」
 だからその先を促してみたが、答えはすぐに返ってこない。それでも答える気はありそうだったから、俺は月森が口を開くまで待つことにした。
「俺はずっと、誰かに何かを渡そうと思ったことがなかったから渡す側の気持ちを考えたことがなかったし、だから言葉も態度も選ぶ必要はないと思っていた。だが、それは違うと気付いたんだ」
 しばらく続いた沈黙の後のその言葉に、二重の意味でやっとかよ、と心の中で思いはしたが、まぁ、こういうのは人に言われたってわからないものだし、月森にとっては一方的に寄せられる好意は本当に、迷惑以外の何物でもなかったのだろう。
 そんな月森が一体、誰を好きになったのだろうとやっぱりちょっと気にはなったが、聞いたところで答えてはくれないだろうし、わざわざ聞いてまで知りたいとかといえばそうでもなく、そこには触れないでおこうと思った。
「勘ぐって、悪かったな」
 ただ、些細な行き違いはいつものことだったが、今のは俺に非があるなと思ったからそこは謝っておく。
「いや、俺こそ、浮かれているという言い方が悪かった。だが、とても楽しそうに聴こえたのは確かだ」
 そう言われ、最初に浮かれていると言い出したのは月森だったと思い出した。
「別に浮かれても楽しんでも…」
 だからもう一度、否定するつもりでなかったと続くはずだった言葉は、不意に違うと気付いてそこで止まる。
「いや、楽しんでたっていうか、楽しみだとは思ってた、かも」
 一人で弾いていることの方が長かったから、誰かと一緒にひとつの音を作り上げることを楽しんでいたことは確かだ。そして、その相手が月森でも、なんて思いながら弾いていたことも事実だ。
「そうか」
 一言そう返ってきただけで何が楽しみだったのかとは聞いてこなかったから、中途半端なところで会話が途切れる。いつものことと言えばいつものことだが、会話が続かなくて訪れる沈黙はなんとなく気詰まりだ。
「じゃあ、練習、始めるか」
 そのまま黙っていたところで時間がもったいないだけだからと沈黙を破った俺の言葉に、ここでも月森は「そうだな」と短い返事だけでヴァイオリンの準備を始め、いつもの言い合いとはまた違う、もやもやとした気持ちが拭いきれないままの練習開始となった。