TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

魔法の余韻1

「もう少し、家で一緒に合わせないか」
 下校時間で練習室を追い出された帰り道、どこか名残惜しさを感じさせる分かれ道の交差点で蓮からそう誘われた。
 少し遠慮がちな蓮のその言葉と絡めるように触れてきた指に気恥ずかしさを感じずにはいられなかったが、その誘いを断る理由も気持ちもどこにもなく、指を絡め返すことと小さく頷くことで了承の意思を伝えた。
 ある日、人とは少し違う特異体質のせいで、夜にだけ猫になる魔法を掛けられた。魔法を解く方法は『名前を付けてもらった者に愛される』こと。そしてエーデルシュタインという名前をつけてくれたのが、この月森蓮だった。
 普通に出会っていただけではどう考えても仲良くなれるようなタイプではなかった蓮の傍で猫として過ごすにつれ、その音色にも蓮自身にも次第に惹かれていった。
 想いが叶うことも魔法が解けることもないと思っていたが、蓮は一生、変わらない愛を示してくれた。そして魔法は無事に解け、二人は恋人同士になった。
 付き合い始めてからは、お互い、学内で開催されているコンクールの出場者であることもあり、放課後によく一緒に練習をするようになった。共に過ごす時間が長くなれば長くなるほど離れ難い想いは募っていたが、会うのは学校がほとんどで家へと誘われたのは初めてのことだ。
 実のところ蓮の家を訪れるのは初めてのことではないのだが、それ以上に色々な思い出があり過ぎる場所なため、並んで歩くその道程で少しだけ緊張してしまうのは仕方がないことだと思う。
「ただいま、エーデルシュタイン」
 玄関の扉を開ければそこには黒いトラ猫が待っていて、蓮は当たり前のようにその猫へと声を掛けた。
 自分の記憶の中にあるそのやり取りを懐かしいような気恥ずかしいような、ほんの少し妙な気分で見ていれば、蓮は軽く屈んでその手をエーデルシュタインへと伸ばした。そんなやり取りも記憶にあったが、エーデルシュタインは蓮の手をすり抜けるようにその身を翻し、何故かこちらへと向かって歩いてきた。
 記憶とは違う行動を不思議に思って見下ろせば、その視線は逆にこちらをじっと見上げていた。それが何を訴えているのかを考えるよりも先に心が理解していて、蓮がしたのと同じように手を伸ばせば、今度は逃げることなくすんなりと腕の中に納まった。
 エーデルシュタインと直接会うのはこれが3度目だ。1度目はこの玄関でほんの一瞬、目が合っただけで、2度目は意識ではなく体ごと入れ変わってしまったエーデルシュタインを蓮の家まで抱き抱えて行くという、たぶんお互いになんとなく気まずい状態だった。だが今は不思議と違和感や気まずさはお互いに感じられず、むしろ妙に落ち着くような気もした。
「どうして梁太郎のところに…」
 だが、蓮は腑に落ちないのだろう。エーデルシュタインに対し不思議そうな視線を向けているが、当の本人は蓮に背を向け、よじ登るように肩に手を掛けて背後を眺め始めた。
(そういえば、高いところに上るのも眺めるのも好きだったな…)
 単純に少しでも高いところから眺めてみたいという理由もあったが、蓮と同じ高さでものを見てみたいと思っていた。だが、抱えられた体勢は不安定であるため、蓮を相手にそれを実行したことはなかった。
(その点、俺相手なら出来ると思ったわけか…)
 たぶんエーデルシュタインはやってみたかったことを叶えたのだろう。そしてその意図を無意識に察していたようで、左手は不安定な身体がずり落ちないようにと抱えるように支えていた。
「どうしてだろうな」
 たぶん答えをわかっていながら、わからないふりでそう答える。エーデルシュタインの心理を言葉にするのはやっぱり気恥ずかしく、魔法をかけられていた頃のことを聞かれるかもしれない状況を作ることは極力、避けておきたかった。
「まぁ、構わないが…」
 どこかまだ腑に落ちない様子だったが、とりあえず蓮は納得したように先に歩き出した。
「お邪魔します」
 そう声をかけ、肩越しに眺める体勢のまま降りる気配を見せないエーデルシュタインを抱えて蓮の後を着いて行く。
 蓮の後ろ姿を見ていると、この家でエーデルシュタインとして過ごした日々を思い出す。まだこの家に貰われてきたばかりのころ、蓮は抱き上げるような態度はまったく見せず、この後ろ姿を追うように歩いていた。
 やっと触れるようになってもその手はどこかぎこちなかったはずなのに、今はなんでもなく手を伸ばすのかと思えば、それを知っているはずなのになんだか少しだけ面白くないような気分になった。
 エーデルシュタインが蓮の傍にいることを嫌だと思ったことはない。だが、蓮のエーデルシュタインに対する態度を目の前で見せられそうになって、それは見たくないと思ってしまった。
(俺がエーデルシュタインの立場なら、たぶん見せたくないって思うだろうし…)
 そう考えて、果たして本当にそうだろうかと考えた。
 意識が入れ替わるたびに猫と人間の記憶が更新されていくような生活をしていたから、エーデルシュタインとして過ごした記憶は、最後に自分へと意識が戻った瞬間までしか残っていない。
 考えてみればエーデルシュタインにはエーデルシュタインの意識があったはずで、それならば魔法がかかっていた間のエーデルシュタインの意識は一体どこにあったのだろう。もし今、元々のエーデルシュタインの意識が戻っているのならば、考えていることがわかるとか、そんな風に考えるのはすごく傲慢なことだ。
「梁太郎?」
 思わず考え事に意識を奪われ立ち止まっていたらしく、振り向いた蓮に心配そうに声を掛けられた。そして同じタイミングでエーデルシュタインのしっぽが振られ、まるで顔を叩くように何度も頬を掠めていった。
「痛っ」
 そのしっぽを避けるように手を伸ばし、そしてまたふと思い出す。
(俺はこうやって、蓮にしっぽで触れてたっけ…)
 どこか落ち込んでいる様子の蓮が気になって、だが近くに居たって何が出来るわけでもなく、だから声を掛けることも手を伸ばすこともせず、顔さえ見ないでただ掠めるようにしっぽで触れていた。
 そのときよりだいぶ強く振られているが、伝えようとする意志の表れだという気がする。
(それで俺の気持ちが伝わるなんて思ってたわけじゃないけど…)
 けれど今、伸ばした手に触れるしっぽからエーデルシュタインの気持ちは確かに伝わってくる。
(触れるだけで伝わる気持ちだってあるだろう?)
 それは伝わるというよりも心に浮かんでくるようなもので、それが一体どちらの気持ちなのかわからなかったが、ただどちらの気持ちなのだとしても同じなんだとそう思った瞬間、何かが落ちたように気持ちが軽くなった。
「いや、まさかこうやってエーデルシュタインに触ることがあるとは思わなかったから…、ちょっと変な気もするけどやっぱり嬉しいっていうか、さ」
 エーデルシュタインを支えていない右手をそっと蓮に伸ばし、そっと指を絡めるように触れてみる。
 伝えたかった気持ちも、言葉にしたかった想いも、今は遠回りな方法をとらなくても伝えられる。エーデルシュタインに触れられて、それを思い出した。
 絡めた指に引き寄せられ蓮との距離が急に縮まり、まだ少し慣れることのないその距離感に心臓が跳ねる。
「少し妬けるが…今はこれで我慢しておこう」
 その言葉とともに右頬を蓮の唇が軽く掠め、それだけで離れていくと油断した瞬間、掠めるわけではなく完全に唇を塞がれてしまった。
「んっっ」
 思わず身体を引きかけて、けれどいつの間にか腰へと廻されていた蓮の手にそれは阻まれてしまう。
 そして二人の間に挟まれたエーデルシュタインが逃げるように飛び降りたのと同時に、何事もなかったように蓮も離れていった。
「なんだよ、急に…」
 満足そうな笑みを目の前で見せられて文句の言葉が口から出たが、顔へと熱が上がっていくのを自覚していたから、あまり効果はなかったかもしれない。
「急じゃなければ…?」
 いいのかと言外に含ませて見つめてくる蓮に、そうじゃないとは言えずにいれば、もう一度引き寄せられてゆっくりと顔が近付いてくる。
 そんな蓮の行動に抗えるはずなどなく、そっと瞼を落とせばキスが降りてきた。
 足元からエーデルシュタインの気配を感じ、背後から回されたしっぽが触れる感触がものすごく恥ずかしかったが、それは一瞬で掻き消えてしまった。