TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法22

『おまえはどちらを選ぶ?』
 突然、聞いたことのない声に選択を迫られた。
 どちらと聞かれても何を選択肢に出されたのかわからなかったが、それでも心に浮かぶ答えはひとつしか見付からない。
「俺が選ぶのは、土浦梁太郎、ただ一人だ」
 瞬間、目を開けることも出来ないほどのまぶしい光の中に身体が溶けていく錯覚を覚え、必死に手を伸ばした。
 その手をしっかりと握り締められた感覚にゆっくりと目を開ければ、一瞬だけ視界がぐにゃりと揺れたような気がした。
「大丈夫か?」
 そう声を掛けられ、歪んだと思っていた視界が元に戻る。そして掴んでくる腕をたどっていけば、いるはずのない土浦が目の前にいた。
「いや、大丈夫だ、が、土浦?」
 大丈夫だと答えてみたものの、今この状況を頭が把握し切れていない。
 見慣れた自分の部屋で立っていることは確かで、けれどついさっきまでいなかったはずの土浦がここにいるその理由がわからない。
「…いや、俺にもよくわかんないんだけど…」
 困惑した表情の土浦はゆらゆらと視線を泳がせ、掴んでいた手をそっと離して俯くように視線を逸らした。
 視線を逸らされたことよりも手を離されたことが妙に淋しくて、気付けば離れていく手を追って手を伸ばしていた。
「月森…?」
 顔を上げた土浦はその表情を更に困惑したものへと変えたが、無意識に掴んでいた腕を振り解かれることはなかった。
 呼ばれた名前が月森だったことを少し淋しく思いながら一歩近付いてじっとその顔を見つめていれば、土浦は視線を彷徨わせながら一歩引こうとする。だがその表情は、困惑とは少し違う気もする。
「な、なんだよ…」
 更に一歩近付けば、焦ったように声を上げる土浦の頬が目の前で赤く染まっていく。
(土浦は俺との距離に照れているのだろうか…)
 本当に目の前で赤く染まっていく様を見せられ、ふとそう考えた瞬間に、自分の顔にも熱が集まったことを自覚した。
 好きだと、そう告白したときには思わずと言っていいくらいの勢いで抱き締めてしまったが、こんな近くに土浦を感じたのはあの日以来だ。
 土浦が傍にいるのだと思えば、緊張にも似た感覚で心臓は早鐘を打った。けれどこの鼓動はどこか心地いい。
「梁太郎…」
 そっと抱き締めれば、同じ速さの鼓動が土浦から伝わってくる。
 梁太郎と、そう呼びたくて思い浮かべていた土浦が目の前にいて、どうして抱き締めずにいられようか。
「な、なに…、なんで…っ」
 驚いた声を耳元で聞きながら、抱き締める腕に力を込める。
「先に俺のことを蓮と呼んだのは君だろう。だから俺にも、梁太郎と呼ばせてくれないだろうか」
 耳元でそう囁けば、緊張なのか驚きなのか土浦の身体が小さく跳ね、伝わる鼓動が更に早くなった。
 そんな反応を愛しいと思う。たぶん初めて感じたその愛おしさに、心があたたかくなった。
「梁太郎?」
 もう一度そっと呼びかければ肩口にある土浦の顔が更に俯くように埋められてしまったが、同時に了承の言葉が小さく聞こえてきた。そして服が後ろへと引っ張られるような感覚に、土浦の手が背中に回り服の裾を掴んだのだと悟った。
「蓮…。好き、だ…」
 そして小さく消え入りそうな、それでも心を振るわせる言葉が耳へと届いたとき、その表情を見たいと思う衝動を止められなかった。



「君のことを想っていたときに、君が目の前に現れたから少し驚いた」
 二度目の告白をして、そして俯いていた顔を上げさせられたとき、掠めるように唇が触れてきた。
 触れただけの唇がそっと離れて無意識に閉じていた目を開ければ、今まで見たことのない優しい笑みとそんな言葉が向けられた。
 色々と恥ずかしくなって思わずもう一度俯いてしまったが、それを気にする風でもなく蓮はまた抱き締めてくる。
(確かに、今すぐ蓮に伝えたいって思ったけど…)
 その腕の中で、少し前の黒猫とのやり取りを思い出した。
 黒猫は、魔法を解いてくれたお礼にその願いを叶えてやろうと、見覚えのある嬉しそうな顔を向けてきた。そしてこれまた聞き覚えのある鈴の音がチリリと鳴った瞬間、目の前の風景が突然変わった。
 それは意識が猫へと変わったときと少し似たような感覚だったが、こちらへと伸ばされた手を咄嗟に掴んだことで猫に変わったわけではないのだとすぐにわかった。
 道を歩いていたはずなのに、どういうわけか蓮の部屋へと移動していた。黒猫の言葉がいつだってこちらの予想を遥かに超えた行動へと繋がることはわかっていたはずなのに、まさかあの場で蓮の元へと飛ばされてしまうとは思ってもみなかった。
「たぶん、また魔法を使われたんだと思う」
 よくわからないとか、たぶんとか、そんな曖昧な答え方をしてしまうのは、黒猫の指す『その願い』を含めた経緯を話すことは恥ずかしくて出来ないからだ。
「そういえば、エーデルシュタインがいないな」
 頭上で部屋を見渡している気配を感じてそっと顔を上げれば、確かに部屋の中に猫の気配は感じられない。
 もう猫に変わることはないとわかっていてもこんな状況を見られたくないと思い、どこかほっとしたような気分になった。
「いないって…俺が来たからか…?」
 だが、蓮の言葉から察するにエーデルシュタインはここにいたはずで、急にいなくなってしまったその理由を考えると落ち着かない気分になった。
 エーデルシュタインの存在は今まで猫としてとってきた行動を考えるとどこか気恥ずかしい気分にさせられたが、魔法が解けても変わらず蓮の家に居るようだし、ずっとそのままなのだろうと思っていた。それに、もう自分が猫として蓮の演奏を聴くことはないのだとしても、エーデルシュタインにはこれからもずっと傍で聴いていてほしいと、そんな風に思っていた。
「そういえば、どちらを選ぶと聞かれて俺は梁太郎を選んだんだ。だからエーデルシュタインがいなくなってしまったのかもしれない」
 少し淋しそうな表情を見せながらも、蓮は既にその現実を受け止めているようだった。そんな簡単に割り切られても、と思ったが、ふいに黒猫の言葉を思い出した。 
(唯一人を選ばないと解けない魔法…。蓮は、本当に俺だけを選んだんだ…)
 その言葉が実感となって心へと届いたとき、今日、何度目になるかわからない熱を顔に感じた。
「いいのかよ、それで…」
 思わずぶっきらぼうにそう聞いてしまったのは照れ隠し以外の何物でもなかったが、自分の顔が赤くなっているであろうことは自覚しているから蓮にもきっとばれてしまっているだろう。
「俺は梁太郎がいてくれればそれでいい。ずっと傍で聴いていてもらえなくても、また一緒に音を合わせられればそれでいいんだ」
 臆面もなく告げられた言葉に、こんなに恥ずかしくなるなら聞かなければよかったと思いながらも嬉しくなった。
(だけど、それは俺も同じ気持ちだ)
 そう思えば、恥ずかしさや嬉しさ以上に、幸せな気分になる。
「俺も、土浦梁太郎として蓮の傍にいたいよ」
 だからそれは、自然に口から出てきた、心からの言葉だった。



2011.12.18up