TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法20

「俺は、ずっと聴いていた。月森の演奏を、ここで…」
 ピアノの椅子へと座り、真剣な眼差しを向けてきたと思えば、土浦は突然そう切り出した。
 土浦の言葉が示す『ここ』とはピアノの椅子のことだろう。その場所でいつも演奏を聴いてくれていたのはエーデルシュタインで、土浦がそこで聴いていたとはどういう意味になるのだろうか。
「エーデルシュタインは俺なんだ」
 疑問に対する答えは続く土浦の言葉ですぐに返ってきた。だが、その言葉自体は理解出来ても、意味が理解出来なかった。
「え…?」
 だから間抜けな返事を返してしまったが、土浦の視線は真っ直ぐで嘘を言っているようには思えなかった。
 土浦とエーデルシュタインが似ているとは何度か思ったことがあり、それはこの真っ直ぐな眼差しが理由だった。つまりそれは似ていたのではなく、本人そのもので当たり前のことだったということなのだろうか。
「猫になる魔法をかけられた…、なんて言っても信じてはもらえないかもしれないけどな」
 真っ直ぐに見上げる視線のまま、土浦は淡々と言葉を続けていた。
 土浦の言うとおり俄には信じられなかったが、エーデルシュタインという名前の猫を飼っていることは土浦に限らず誰にも話したことがない。調べればわかることなのかもしれないが、こんな突拍子もない作り話をするために調べたとは考えにくいだろう。
「いや…」
 信じられないという気持ちはまだ勝っていたが、心のどこかではすでに土浦の言葉を信じていた。
 魔法という言葉を普通に使われたことに違和感はあるものの、学院内で見かけるファータの存在もあり、頑なに否定することでもないと思う。
「俺の演奏を、ずっと聴いていたということか?」
 ふと、気付いた疑問を口に出せば土浦の表情が微かに曇り、小さく頷くような返事が返ってきた。
「聴いてくれと、そう言った俺の言葉に返事をしてくれたのも、それを守って聴いてくれていたのも、土浦だったということか?」
「コンクールで競い合う相手の演奏を傍で聴いているのはフェアじゃないってことはわかってたんだけどな…」
 思い付くそのことを確認するように声にすれば、土浦は表情を更に曇らせ、そして痛みに耐えるような表情を向けてきた。
「最初は約束をしたからって、そう思いながら聴いていた。でもいつからか、俺自身が聴きたいと、ずっと聴いていたいと、そう思っていたんだ…」
 土浦のその、言葉に隠された本心を推し量る。
 何故、演奏を聴いていたいと思ってくれたのだろうか。何故、ずっと傍にいてくれたのだろうか。
 心が沈んでいるときに、納得のいく演奏が出来なくて悩んでいるときに、付かず離れず、傍にいてぬくもりを与えてくれたのはエーデルシュタインだ。それが土浦だというのならば一体、どんな思いだったというのだろうか。
 疑問に対する答えは自分に都合のいいものしか浮かんでこない。それを事実なのかと確かめたら、土浦はイエスと答えてくれるのだろうか。
 いや、それならば土浦が拒否の態度を示したその理由がわからない。どこか土浦らしからぬ表情で、こんな風に告白してくる土浦の本心がわからない。
(俺は、土浦の本心が聞きたい)
 それは願いでも望みでもなく、土浦を求める本心からそう思った。



「何故、ヴァイオリンを弾いていないときもずっと傍にいてくれたんだ?」
 何かを確かめるような言葉を続けていた蓮から、演奏以外のことを尋ねられて焦った。
「どうしてって…」
 演奏を聴いていたかったという本心は口に出したが、その理由をすぐに言葉にすることが出来なかった。心のどこかにある不安な気持ちはどうしても拭えず、自分の気持ちを蓮に伝える決心はまだついていなかった。
 蓮の傍にいたかったからだと、そう言ってしまっていいのだろうか。この気持ちを声に出して、伝えてもいいものなのだろうか。
 魔法を解く方法はまだ話していないが、魔法にかけられたのだと蓮に話してしまってからの告白は、魔法を解くためだったのと誤解されないだろうか。
「俺が月森蓮だと知っていたんだろう。君の言動はいつだって俺とは正反対で、そんなことが原因で言い合いをした日でもエーデルシュタインは変わらず俺の傍で俺の演奏を聴いていた」
 蓮の口からエーデルシュタインの名前が出て一瞬ヒヤッとしたが、意識は猫へと変わることはなかった。今この場にエーデルシュタインはおらず、名前を呼ばれたことにはならないからだろうか。
 内心ホッとしながら、蓮に言われた言葉を改めて考えた。
 人間の姿で蓮と言い合ったこと、猫になって聴いた蓮の演奏、そしてその日の自分が弾いたピアノの演奏を思い出す。
 言い合って悔しくて、それでも自分の弾き方は変えられるわけでも変えたいわけでもなかった。そして認めざるを得ない演奏を目の前に叩きつけられて、その演奏へと惹かれて止まない自分の気持ちを自覚した。その気持ちのままにピアノを弾けば、思ってもみない音色を奏でる自分の演奏に、驚きとともにどこか嬉しさも感じていた。
「自分とは正反対過ぎて反発すれば反発するほど、その音色を聴くたびにどうしても心が惹き付けられた。だから傍で聴いていたかった。ずっと傍に、蓮の傍にいたいって思った」
 そして、蓮の音色を独り占め出来る時間を、手放したくなかった。
 真っ直ぐに伝えることが出来なくて俯いた視界に、蓮の足が一歩近付いたのを捉えた瞬間、視界は蓮が着ている制服の淡い白さで埋め尽くされた。またその腕の中に抱き締められたのだと気付いて身体を強張らせると、蓮の腕はいっそう強く抱き締めてくる。
「俺は土浦が好きだ。だから君の気持ちを聞かせてほしい。もしも同じ気持ちなら、もしも俺の気持ちに応えてくれるのなら、どうかこの腕を振り解かないでくれ」
 強張ったまま無意識に押し返そうとしていた腕が、蓮の言葉によって止まる。
 今ここで蓮を押し返したら、二度とその気持ちを向けてはくれないだろう。けれどこのまま大人しくしていたら、蓮の気持ちに応えると、言葉ではなく態度で答えてしまうことになる。
 気持ちを聞きたいと言いながら、態度で答えさせるのはずるい。
(いや、想いを声に出さない俺のほうがずるいか…)
 押し返すために伸ばしかけて止まっていた腕に力を込め、蓮を見上げることが出来るだけの隙間を作る。
 たぶん誤解したであろう蓮の腕が離れいくのを引き止めるように握り締めてゆっくりと顔を上げれば、蓮は思い詰めたような顔でこちらを見下ろしていた。
 その瞳から、蓮の気持ちが痛いほどに伝わってくる。好きだと伝えてくれた蓮の気持ちが素直に心へと、そして身体中へと染み渡っていく。
「俺も、蓮が好きだ…」
 真っ直ぐで曇りのない眼差しを受け止めたとき、その言葉は自然と湧き上がるように音になっていた。



2011.10.22up