TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法18

「優勝は日野香穂子さん、準優勝は同点で月森蓮くんと土浦梁太郎くんという結果になりました」
 司会者が繰り返し告げたその結果を頭の中で繰り返しながら舞台を降りた。
 2位というその結果が不本意なものであることには間違いなかったが、2位だったという事実があるだけでそれに対する感情は何故か一切浮かんでこなかった。
 控え室へと向かうために廊下へと出れば、少し前にここで見た土浦の後ろ姿と女生徒の笑顔を嫌でも思い出す。
(あれは、誰だったのだろう)
 そう思いながら視線を上げれば、あのときと同じように土浦の後ろ姿が目に入った。
 舞台では隣に立っていたし、着替えるために控え室へと向かうのだからそれは当たり前のことで、だがこんな近くにいたことを認識していなかったことに今更ながらに気付かされた。
(あのとき何を話していたのだろうか。彼女は誰なのだろうか。土浦と彼女は一体どんな関係なのだろうか)
 疑問が次々と浮かんでは蓄積され、心の中が重く淀んだものでいっぱいになる。
 演奏を終えて舞台袖へと引き上げたとき、そこに土浦の姿はなかった。
 気持ちが伝わればいいと、そんな風に思っていた演奏を聴いてもらえなかったのだと気付けば気分が落ち込んでいくのを自覚した。思わず土浦の姿を探しに廊下へと出てしまったが、あのとき踏み止まっていればと思わずにはいられない。
 彼女が土浦へと向ける笑顔はとても嬉しそうで、その声は聞こえなかったが楽しげな会話が交わされているのであろう予想はついた。
 思わずその場に立ち尽くしていれば気配に気付いたらしい土浦が振り返り、そのときに見せられたのは驚きの表情だった。
 一気に、体温が下がったような錯覚を覚えた。
「土浦」
 頭で考えるよりも先に前を歩く土浦へと早足で歩み寄り、その後ろ姿に声を掛けていた。
「話があるんだ。今日、一緒に帰れないだろうか」
 急な誘いに土浦は驚き顔を見せ、考えるように揺れた視線はそのまま微妙に逸らされた。それが、少し前に見せられた土浦の表情と重なる。
(彼女と一緒にいたところを俺に見られたくなかった、ということなのだろうか)
 明らかに動揺を示す土浦のその態度に、錯覚ではなく心が冷えていくのを自覚する。
「な、なんだよ、急に…」
 逸らされた視線をこちらに向けたくて腕を掴めば、まるであとずさるように距離をとられた。
「さっきの彼女と約束でもあるのか」
 今ここで口に出さなくてもいいであろう言葉が、止められずに口から出て行く。彼女との関係を疑う気持ちがあるからこそ、それを確かめたくてこんな言い方をしてしまう。
「違う。あいつは違う!」
 逸らされていた視線が真っ直ぐに合わされて真剣な顔で否定されたが、その必死さがどこか不自然にも映る。土浦の対応はいつでも感情的とはいえ、本当に違うのならただ一言、違うと言えば済む話だろう。
 だが今、どんな表情で違うと否定されてもその言葉を信じることが出来そうにない。否定してほしいとそう思うのに、そうであってほしくないのに、どうしても疑う気持ちが勝ってしまう。
(違う。本当は疑いたいわけではないんだ)
 ただ、土浦と彼女の関係がどうあれ、自覚した想いが叶わないであろうことはわかり切っている。だからこそ諦める理由を無理やり探しているのかもしれない。
「それなら彼女は…」
 誰だと問い詰めてしまいたい。その答えが知りたい。だが本当は、知りたくない。
 脳裏には、彼女が見せた表情が焼き付いている。
 最初からこちらを向いていた彼女は真っ直ぐな視線を寄越し、そして微笑みかけてきた。
(あの、俺に向けられた微笑みは何だったのだろうか)
 それは土浦に見せていた笑顔とは異なり、何か意味か含みでもあるように思えた。それとも、嫉妬心がそう思わせただけだろうか。
(あぁ、そうか。俺は彼女に嫉妬したんだ)
 好きだと自覚し、だがその想いが叶わないであろうことも理解していたから伝えるつもりはなかった。それでも土浦の演奏を聴きながら自分の想いを再認識したとき、初めてこの想いを伝えたいと思った。
 だから彼女の存在に嫉妬した。土浦の傍で笑えることに嫉妬した。そこにいるのが自分ではなかったことを悔しいと思った。
 目をつぶり、焼き付いたその表情を頭から追い払う。そして目を開けると同時に、掴んでいた土浦の腕から手を離した。
「いや…。土浦に話したいことがあるんだ。校門の前で待っている」
 こんな一方的な約束を、土浦は無視するかもしれない。それでも構わないと思う。
 だがもしも土浦が来てくれたら…。
(俺はこの気持ちを土浦に伝えよう)
 控え室の扉を開けながら、そう決心した。



「待っていてくれたのか…」
 校門前に立っていれば、驚き顔の蓮が小走りにこちらへと向かってきた。
 掛けられた声に初めて気が付いた振りで振り返ったが、ヴァイオリンを弾くときと同じ真っ直ぐな姿勢で歩いてくる蓮の姿を遠目に確認していた。
「話、あるんだろう」
 そっけなくそう答えたが、蓮が一体何を話そうとしているのか気になって気になって仕方なかった。だから先に着替え終わってしまったのだと気付いたときに、先にここで待つことにした。
 控え室では、少し離れたところにいる蓮のことをずっと気にしていた。いや、黒猫と話しているところを蓮に見られてからずっと、蓮の動向を気にしていたのかもしれない。
 だから蓮に声を掛けられたときはひどく驚いたし、なんとなく後ろめたいような気がして目を合わせてはいられなかった。その態度が蓮に誤解を与えてしまったのだと気付いたときには、思わず慌てて否定してしまった。
(逆に不振がられたっぽいけどな…)
 後ろめたく思ったのは、別に彼女と間違われるかもしれないと思ったからじゃない。黒猫の魔法で猫として傍にいることを、そして蓮に惹かれている気持ちを知られたくなかったからだ。
 彼女はと、言いかけた蓮の言葉を思い出す。もしも誰だと聞かれていても、あのときはきっと答えることは出来なかっただろう。
「待たせてすまない…」
 何を聞かれるのだろうと身構えている状態で、普通に交わされる会話はなんとなく居心地が悪い。
「いや、俺も今来たところだし。なんだよ、話って」
 だからさっさと話を先に進めてしまいたくて直球で話を振る。仲良く一緒に帰るような間柄ではないし、どうせいい話ではないのだろうから嫌なことは早くに終わらせてしまいたいと思った。
「とりあえず歩こう」
 そう言って蓮は先に歩き出したが話し始める様子はなかった。続く沈黙を破る言葉は見付からず、蓮が話し出すのをただずっと待ちながら並んで歩いた。
 そういえば、第1セレクションの帰りも蓮と途中まで一緒だったのだと思い出す。
 あのとき声を掛けたのはこちらが先だったが、一緒に弾こうと誘ってきたのは蓮だった。
(蓮の行動って、突拍子もないっていうか、読めないよな…)
 沈黙はしばらく続いたが、答えをはぐらかされたようには感じなかった。それどころか、この沈黙を何故か心地よくも感じていた。
(そうか、俺が猫のときと一緒なんだ)
 名前を呼ばれることはあっても、話し掛けてくるようなことはほとんどない。ただ同じ空間にいて、気まぐれに撫でられ、蓮がヴァイオリンを弾き、それを黙って聴いている。
 いつの間にか傍にいることが当たり前になって、それが生活の一部になっている。
(蓮は、傍にいたのが俺だと知ったらどう思うだろう)
 蓮の奏でる音色に惹かれたからこそ聴いていたのだと、蓮に惹かれたからこそずっと傍にいたのだと知ったら蓮は…。
「土浦」
 まるで握り締められたかのように心臓が痛み、思わず俯きかけたタイミングで蓮に声を掛けられて顔を上げたが、一瞬、表情を作り損ねたかもしれない。
「な、何…」
 真っ直ぐ向けられた視線に、心臓が大きな音を立てる。まるで捕らえられたかのように、動けなくなる。
「俺は、土浦が好きだ」
 そして何の前触れもなく告げられたその言葉に思考までもが停止し、その意味を頭が理解したのは少し経ってからのことだった。



2011.8.12up