TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法13

「で、どうする?」
 放課後、授業が終わったあとで練習室を訪れ、とりあえずピアノの椅子へと座って蓮に声を掛けた。
「合わせるって言ったって、ヴァイオリンとの二重奏も伴奏曲もレパートリーにないぜ」
 一緒にと、そうは言っていたものの、ヴァイオリン曲の伴奏をやったことがあるわけでもなく、弾ける曲といえばピアノ曲ばかりだということに今更ながらに気付いた。
 蓮もそのことは考えていなかったらしい。今気が付きましたと言わんばかりの表情がこちらに向けられていた。
「他の楽器と合わせたことは?」
「ほとんどないな。日野の練習に付き合った程度と、あとは合唱の伴奏ってところだ」
 そう答えれば、蓮は少し考えるような素振りを見せる。
 蓮はどうなんだろうかとも思い、答えたタイミングで聞けばよかったかもしれないと思った。
「まぁ、楽譜さえ見せてもらえれば弾けるから、選曲はまかせるけど」
 ある程度の曲は弾いたことはなくても知ってはいるし、完璧さを求められると初見ではさすがに無理だが、弾けないということはない。
「そうだな。いや、その前に、昨日の曲をもう一度聴かせてはもらえないだろうか。出来れば、編曲したものではなく通しで」
 まだ何かを考えるような顔で、それでもはっきりとそう言われて少し驚いた。確かに演奏を聴きたいとも言われていたから別に驚くことでもないのかもしれないが、この曲を昨日、蓮が弾いていたという事実があるから驚かずにはいられなかった。
「…わかった。とりあえず、軽く指慣らししてからでいいか?」
「あぁ、もちろん」
 軽く音を出しながら、昨日の蓮の演奏を思い出していた。
 蓮の部屋にはアップライトのピアノが置いてあったし弾けるのだろうとは思っていたが、その演奏を聴いたのは昨日が初めてだった。
(俺が弾いた曲を、その日に自分でもって…)
 蓮がわざわざ同じ曲を弾いていた、その理由がわからないから困惑する。そして今、同じ曲をリクエストしてくるその意味もわからない。考えられることといえば、自分の演奏と比べたかったのだろうということだけだった。
 背後からは蓮の視線を痛いほど感じ、自分も同じように見ていたことを思い出した。
(俺の弾き方とは、正反対だったよな。本当に楽譜通りって言うか…)
 蓮の指はヴァイオリンを弾くときとは違う、けれどやっぱり正確で間違いのない音を奏でていた。
 ピアノを弾いても変わることはないのかと、最初はそんなことを考えながら聴いていた。そしていつの間にか、真っ直ぐで揺らぎのない音色に聞き入ってしまっていた。
(あれが、蓮の音色)
 その音色に惹かれていることは紛れもない事実で、でもやっぱり好きになるような音色ではない。だが、自分の気持ちを認めたくないからこそ余計に、蓮の演奏に対して文句を付けていたのだと今ならわかる。
 弾いていた指を止めて蓮へと視線を向ければ、奏でる音色によく似た真っ直ぐな瞳と目が合った。
 瞬間、ごちゃごちゃとした考えが一気に消えて、頭の中がクリアになった気がした。
 蓮にどう思われようと、どう言われようと、蓮が聴きたいというのなら自分なりの演奏をすればいい。
 ひとつ大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出しながら目をつぶる。
(これが、俺の音色だ)
 初めて蓮の前で弾いたときよりもずっと気持ちは落ち着いていて、この音色を聴いてほしいと、そんな風に思った。



「月森?」
 声を掛けられた方へと視線を上げ、自分が目をつぶっていたことに気付いた。
 土浦の作り出した音の世界に、どうやら引き込まれていたらしい。
「あぁ、すまない」
 もっと聴きたい、もっと浸っていたいと、そんな風に思っていた。だから土浦の演奏が終わっても、心は現実へと戻らずにいたようだ。
 聴きたいと願った土浦の音色は、聴く度に心の奥深くへと響いていく。捉われ、惹かれ、そしてもっとと心が望む。
(こんなにも望む理由は何だろうか)
 心に問うてみても、答えは見付からない。もしも無難な答えを出すとすれば、自分には到底、奏でられない音色だから、というものだろう。
 確かにそれは一理あると思う。どう考えても、自分では弾くことが出来ない。奏でたい音色と比べると、全く正反対過ぎる。
 けれど、そんな簡単な答えではないような気もする。
「文句でも批判でも、あるなら聞くぜ」
 思わず考え込んでいたその様子を誤解したのだろうか。土浦はそんな風に言ってきた。
「いや…」
 文句や批判があるかと聞かれれば、たぶんあるのだと思う。解釈の仕方が感情的過ぎると、その感情で技術を誤魔化していると、そう思う気持ちがなくなったわけではない。だがそれは今までの繰り返しで、今ここで土浦に言うことではないような気がした。
 それよりも今、伝えたい言葉は他にあった。
「初めて君のピアノを聴いたときは確かに、気に入らない演奏をすると思っていた。だが、コンクールでの演奏を聴いたときにはもっと聴きたいと、そう思う気持ちに変わっていた」
 一旦、言葉を切って土浦を見れば、驚いたような表情がこちらへと向けられていた。
「自分でも同じ曲を弾いてみて、更に聴きたいと思う気持ちが増した。俺自身、何故こんなにも聴きたいと思うのかわからない。だが君の演奏は、俺の心に響く」
 心に響く音色に惹かれ、そして捉われた心がまたその演奏を聴きたいと望む。
 自分が目指したいと思う演奏以外で、こんな感情を持ったことは初めてではないだろうか。
「なんだよ、急に…」
 土浦の表情は驚きからうろたえるようなものへと変わり、真っ直ぐにこちらを見ていたはずの視線が彷徨うように逸らされた。そして俯くようにして隠されたその顔が妙に赤く見えた。
「顔が赤いが、大丈夫か?」
 思わずそんな風に声を掛ければ、睨むように強い視線を返された。その視線の意味がわからず言い返そうと口を開きかけところで不意に、土浦の顔が赤い理由も睨んでくるその視線の理由もわかってしまった。
(俺の言葉に照れているのか?)
 そう考えるととんでもないことを言ってしまったように思えて、急に自分の顔まで熱くなったような気がしてしまう。
「いや、深い意味は…」
 訂正しようとそこまで言いかけて、けれど『ない』と断言してしまいたくなくて言葉が止まる。
(深い意味は、あったのかもしれない)
 自分でも全く気付いていなかった感情が、急に湧き上がってくる。はっきりと言葉にならずにいた想いが、不意に形になろうとしている。
 彷徨う視線や無理やり作ろうとしている表情が、想いに拍車を掛ける。
「俺も、急で驚いただけだから…」
 だが、土浦からも慌てたように否定され、心の奥に小さな痛みを感じた。
「そう、だな…」
 想いは完全な形にも言葉にもすることが出来ず、ただ一言、曖昧な返事だけが口をついて出ただけだった。



2011.3.23up