TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法11

「第1セレクションの優勝は、月森蓮くんです」
 会場に拍手が響き渡る。それを舞台上から見つめ、出された結果を心の中で噛み締めていた。
 2位の発表で自分の名前が呼ばれたときから、1位は蓮だろうと、そんな予想は付いていた。いや、蓮の演奏を聴いたときには既に、負けたのだと心のどこかでは感じていたような気がする。
 蓮の正確に弾きこなすその演奏は相変わらず面白味がなかったが、それでも人を惹き付ける何かを持っている。そして舞台の上で奏でられる音色は練習のときよりもずっと輝きを放っていて、思っていたよりも更に上にいるのだと思い知らされた。
 負けたとそう思った瞬間に、負けたくないと思った。どう足掻いても勝てる見込みがないとわかる演奏を突き付けられて、本当に負けたくないと思った。
 蓮の演奏よりも後に弾いていたらと一瞬考え、それはただの言い訳で、結果は変わらなかっただろうとすぐに馬鹿な考えを振り切った。
(俺は、中途半端な演奏をしたつもりはない)
 自分の出せる実力は全て発揮した。悔いの残るような演奏はしていない。
(蓮の実力が俺よりも上で、俺は自分の演奏でそれを超えることが出来なかったってことだ)
 それを認められないほど心は狭くないし、自分を過信してないし過大評価もしない。この結果をちゃんと受け止め、次のセレクションへと気分を切り替えないと負けたままで終わってしまう。
 次のセレクションまでに、蓮はまたその技術を更に上げてくるのだろう。それをまた、エーデルシュタインとして身近に感じていくことになる。
 蓮の練習を傍で聴ける立場にあることはやっぱりまだ後ろめたい気持ちもあるが、聴いているからといって自分の練習方法が変わるわけではない。
 確かに蓮には負けたくないと思うが、蓮の技術だけを抜けばいいわけじゃないし、蓮の演奏に勝てばいいってものでもない。
 それに、コンクールで競い合う相手はまだ他にもいる。
(俺は俺の演奏をすればいい。俺の音色を磨き上げていけばいいんだ)
 競い合うということは、相手を負かすことではなく、自分が上を目指すということだ。蹴落とし合うのではなく、一緒に成長し合えなければ、競い合うことに意味なんてない。
 嫌だとばかり思っていたコンクールが、少しずつ楽しいと思えるようになってくる。コンクールを通じて、いろいろな面で自分が成長していけるのではないかと思う。
 今なら蓮に、素直な気持ちでおめでとうと、言えるような気がした。



「おめでとう、月森」
 控え室へと戻ると、土浦にそう声を掛けられた。
 途中で天羽さんに捕まり戻るのが遅くなった所為か、控え室には土浦しかいない。その土浦も既に制服へと着替えを終えている。
「ありがとう」
 土浦の表情には何の含みもなく、それが心からの気持ちなのだと受け取ることが出来て、自然と言葉が出ていた。
 今までの演奏に対する土浦の態度を考えれば、まさかそんな言葉を貰えるとは思ってもいなかったし、言われたところで素直に礼を言えるとは自分でも思っていなかった。けれど交わされた言葉はとても自然で、それを嬉しいと感じていた。
「君の演奏も、よかったと思う」
 だから思ったことを口に出せば、土浦は少し驚いた顔を見せた後、その表情を笑顔へと変えた。
 それからお互いの演奏について少し話をした。それは賞賛もあったが批判的な言葉もあり、お互いの意見を言い合い、そして反論もし合った。だが、嫌な気分になることはなかった。
 土浦とは出会った頃から言い合いが絶えず、いつでもピリピリとした空気の中でしか話をしたことがなかったが、今、この場の雰囲気は悪くないように思えた。
 お互いの演奏に対する気持ちが正反対でも、お互いの演奏については認め合っているのかもしれない。
(少なくとも俺は、土浦の演奏を、その実力を認めている)
 だから土浦の演奏を聴いたとき、優勝は土浦かもしれないと、そんな風に感じていた。感情豊かなその弾き方は、会場にいた全ての人の心を捉えているように思えた。
 何にも捉われていない演奏が、人々の心を捉える。
(そして俺も、土浦の音色に捉われた)
 それは好きとか嫌いとか、そういった感情とはまた違った感覚だった。巧いという言葉で表すのとも、また違う。捉われるという言葉よりも、何かもう少しいい表現方法があるような気がしたが、今は思い付かない。
 会話が止まり沈黙が訪れると、今日の土浦の演奏が思い出され、不意に、心の中が土浦の演奏でいっぱいになった。
(もう一度、いや、もっと土浦の演奏を聴きたい…)
 聴きたいと思い、そして奏でたいと、そう思った。
「じゃあ、俺はそろそろ…」
「土浦っ…」
 帰ると、そう続くのであろう言葉を遮って思わず名前を呼んでしまう。もう一度聴かせてくれと、そんなことを言いたくて呼び止めたのだが、それを言葉にしてもいいのだろうかと躊躇う気持ちもあり、言葉に詰まってしまった。
「帰り支度が済んでるんなら、行こうぜ」
 呼び止めた手前、何か言わなくてはと言葉を探していれば、土浦は気にした様子もなく鞄に手にしてそう声を掛けてくる。それは暗に一緒に帰ろうと言われたような気もするし、話があるなら聞くと、そう言われたような気もした。
 それならば、聴きたいと、そう思う気持ちは伝えておくべきだろうと思う。
「君の演奏を聴かせて欲しい。出来れば、一緒に合わせたい」
 一気にそう告げれば驚き顔で振り返られ、やはり言葉にすべきではなかったのだろうかと思ったがもう遅い。
「いいぜ」
 だが、土浦は意外にもその表情を和らげ、あっさりと了承の返事を返してきた。



2011.2.23up