TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法10

「蓮に、よく懐いているみたいね」
 休日の午後、リビングのソファで本を読んでいると紅茶の乗ったトレーを持った母から声を掛けられた。
 傍らで眠るエーデルシュタインを見れば、丸まっていた体勢を緩め、安心したような寝顔がこちらを向いている。
「でも、とても気まぐれです」
 ヴァイオリンを聴いてくれと、思わずそんな風に言ってしまってから、まるでその願いを聞いてくれたかのように練習中は部屋を出て行くことが少なくなった。けれど昼間はこのソファで寝ていることが多いらしく、少し前までヴァイオリンを弾いていたが一度も部屋に来た様子はなかった。
「やっぱり猫は自由が好きなのかしら」
 自由というその言葉に、数日前に聴いた土浦の演奏が急に思い出された。
 聴いてみたいと、そう思った土浦のピアノは、何故、普通科へ通っているのだろうと思うくらいの実力を感じさせた。そしてその音色は自分とは全くといっていいほど正反対のものだった。
 感情豊かなその表現力は、それを自由と表現するのも少し違う気もするが、何にも捉われていないように感じた。
 感情を前面に押し出して、どこか技術をなおざりにしたような土浦の演奏をいいとは思わない。だが、今でもあの音色は心に焼き付けられている。あのときは自覚しなかったが、きっと土浦の音色に心を揺すぶられたのだろう。
 そして、その後で弾いた自分の演奏もまた、やけに心に残っていた。
(あんな風に弾いたのは、初めてかもしれない)
 挑発的な言葉に乗ってしまったことでさえ自分でも不思議だったが、まるで自分のものではないような音色を、思いのほか気持ちよく弾いていた自分が今でも信じられない。
(あれは、どういう感情だったのだろうか)
 ただ、土浦に聴いて欲しいと思ったことだけは憶えている。エーデルシュタインに聴いてくれと言ったあのときよりも強く、土浦に聴いて欲しいと思った。
(聴いて欲しいというよりは、聴かせてやるといったほうが合っているかもしれないが…)
 どちらにしても、あのときの演奏は土浦だけに向けられたものだった。
 今まで、誰かのために弾いたことなど一度もなかった。そしてそれは、自分のためでもなかったような気がする。
(俺は何故ヴァイオリンを弾いているんだ?)
 小さい頃から音楽は常に自分の傍にあって、選ぶ間もなくこの道へと進んできてしまった。それでも、ヴァイオリンを止めようと思ったことは一度もないし、もしも弾けなくなったらと考えるだけでも怖い。だから毎日ヴァイオリンを弾いてきた。
(俺はヴァイオリンが好きだから弾いているんだ)
 身近にあり過ぎて、その理由も意味も忘れていた。
 あの日の演奏を気持ちよく弾けたのも、心に残っているのも、たぶん、自分が奏でるヴァイオリンの音色を聴かせたいというただひとつの気持ちで弾いていたからだ。
「何に縛られることも、捉われることもない、自由…」
 土浦の演奏がそうだったのならば、自分の演奏もまた、同じだったのかもしれない。そう思い、無意識に言葉になって出ていた。
「けれどそれは同時に大きな責任を負うことにもなるのよ」
 母は、目を覚ましたらしいエーデルシュタインを撫でながらやわらかい笑みを浮かべていた。
 会話としては噛み合わない言葉を返してしまっていたが、それさえもわかっているかのような表情と言葉だった。
 自由でありながら責任を負うことは矛盾しているようで、けれど間違ってはいないのだと思った。自由とは何をしてもいいということではない。その言葉の意味を、取り違えてはいけない。
(土浦の演奏も俺の演奏も、あれを自由と表現するべきなのか、それともただの自分勝手だったのか…)
 土浦の弾き方は確かに技術よりも感情が優先でどこか自分勝手と思えなくもなかったが、それでも感情を押し付けられたとは感じなかった。
 その演奏に対し、技術という一面だけでその演奏を判断し、好きになれないと思ってしまった自分のほうが自分勝手だったのではないだろうか。
(自由…)
 心の中でその言葉を繰り返しながら、あの日の演奏をもう一度、思い出す。
 土浦に聴かせたくて弾いたあの音色は、とても自由だった気がする。もし今、弾こうと思ってもあの音色で弾くことは出来ないだろう。それとも、誰かのためにと思いながら弾けば、同じ音色を奏でることが出来るだろうか。
(俺は、あの音色を奏でたいのだろうか?)
 自分の中になかったものが、今までとは違う何かが心の中に芽生え始めている。あの日、奏でた音色を思い出すだけで、今までに感じたことのない高揚感が蘇ってくる。
「自由に…」
 弾いてもいいのだろうかと心でつぶやく。
「それも、大切なことではないかしら」
 答えが欲しくてつぶやいた言葉ではなかったが、たぶんそれもわかっていて答えてくれる母の言葉が、すっと心の中に沁み込んでいくのを感じた。



2011.2.17up