TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法9

「お前の演奏って、本当に楽譜どおりだよな」
 不意に掛けられた声に振り向くと、練習室の窓の向こうに土浦が立っていた。
「君はこんなところで何をしているんだ」
 コンクールへの出場が決まった今、人の演奏を聴いてどうこう言っている暇はないのではないかと思ってそう返事をすれば、むっとするかのように顔をしかめられた。
「サボってる、とでも言いたいみたいだが、練習室がいっぱいだから譜読みしてたんだよ」
 そう言って持ち上げられた手には楽譜が握られていた。
 いつからここにいたのだろうか。勝手に練習を聴かれ、おまけに文句まで付けられていい気はしなかったが、窓を開けていたのは自分だから何も言えない。
「技術ばっかりで感情なんかこれっぽっちも感じられないような演奏が聴こえてくるから、誰が弾いているのかと思えば…。こっちはどんな演奏をしようかって考えてながら楽譜見てるっていうのに、お前、どんな感情でヴァイオリン、弾いてるんだよ」
 まるで呆れたように言葉を発する土浦に、何故、初対面も同然でそんなことを言われなければいけないのだろうと思う。
 音楽とは、ただ弾くだけでも、音を奏でるだけでもない。技術なくしてヴァイオリンを弾くことは出来ず、楽譜に書かれた音符を音楽にすることも出来ない。普段から技術の向上は心掛けているし、ましてやコンクールに向けた練習なのだから、更なるものを求めるのは当たり前ではないのだろうか。
「いつでも上を目指して弾いている」
 どんな感情だと聞かれてそう答えれば、土浦は不機嫌そうな顔を隠しもせずに向けてきた。
「それは感情って言わないだろう」
 土浦の言いたいことがわからなくて思わず顔をしかめた。一体、何が言いたいというのだろうか。
 無言のまま土浦を見ていることでそれを問い質そうとしたが、土浦は土浦で納得の出来る答えを待っているらしく、同じように無言でこちらを見ていた。
(どうして急にこんなことになったのだろうか)
 こんな風に沈黙でにらみ合う、その理由がわからない。結果がどう出れば収拾がつくのかもわからない。
 土浦とはまだ大して話をしたこともないのに、それも、音楽に関する話は嫌そうな素振りを見せられていたというのに、どうしてわざわざこの話題で文句を付けてくるのだろうか。
 どう答えれば土浦は納得するのだろうか。土浦は、どんな答えを求めているのだろうか。
「それなら君は、どんな感情でピアノを弾いているんだ? 君は、どんな風にピアノを弾くんだ?」
 ずっと、土浦の奏でる音楽を聴いてみたいと思っていた気持ちが、少し違う形となって言葉になる。
 今、目の前にいる土浦のことを、知りたいと思う。
「ピアノなら、ここにある」
 暗に、ここへ来て弾いていけと誘いをかければ、土浦は驚いた顔を見せ、そして何か含みのありそうな笑みに変えた。
「俺でよければ、練習相手になるぜ」
 その言葉に練習室の部屋番号を告げれば、わかったと一言答えて土浦は歩き出した。
 後ろ姿から目を離し、声を掛けられたときに置いたヴァイオリンへと手を伸ばして練習を再開し、土浦が来るのを待った。



「君の演奏は技術を感情で誤魔化しているだけだ」
 ピアノを弾き終われば、蓮はその表情を一切変えることなくそう言ってきた。
 全く正反対の弾き方をする蓮から賞賛の言葉などはこれっぽっちも期待してはいなかったから、この言葉は想定内でもあった。
「面白味のない演奏しか出来ないお前に言われたくないね」
 だが、その言葉を受け入れるつもりもないから反論を返す。
 技術ばかりで感情が伝わってこないと、いつか蓮に言いたいと思っていた。それが蓮の弾き方なのだとわかっていても、そこに感情が乗ればもっと音色は広がるのではないかと思う。ただ巧いというだけではなく、蓮にしか奏でられないような演奏を聴かせて欲しいと思ってしまう。
「悲しい曲を悲しそうに弾けば聴衆はその感情に引きずられるだろう。だがそれは上辺だけだ。基礎となる技術がしっかりしていない演奏など、ただの自己満足だ」
 蓮はいかにもといった感じの正論を突きつけてくる。
「俺には技術がないとでも言いたいのかよ」
 思わず声を上げたが、蓮の表情は全く変わらない。
「ただの自己満足って、それはお前も同じだろう。ただ巧く弾くことしか考えてないような演奏で、お前以外の誰が満足するっていうんだよ」
 蓮の演奏が聴衆に向けているのは技術だけだ。聴いてくれと望んだくせに、演奏に込められた気持ちなんてこれっぽっちも感じることが出来ない。そして見せ付けられるその技術に対する思いは感動ではなく、たぶん畏怖だ。
「舞台に立つ目的はコンクールであって演奏会ではない。技術を身に付けずに競い合っても、それこそ誰も満足しない」
 技術を磨くことは悪いことじゃない。蓮の言うとおり目的はコンクールなのだろうが、音楽は技術だけで奏でるものではないし、本当は順位を決めるものでもないと思う。
「演奏会なら違う弾き方をするってことか? それなら俺が観客になるから、その演奏を聴かせてみろよ」
 蓮の心を知りたかった。いつも聴いているような技術に圧倒されるような演奏ではなく、演奏に込められた蓮の気持ちを知りたいと思った。
(聴いてくれと望むなら、俺の望む音色も聴かせてくれ…)
 どうしてこんな風に思うのかなんてわからなかった。だが、初めて蓮の演奏を聴いてから、ずっとその気持ちごと聴きたいと思っていた。
「わかった」
 静かに返事を返す蓮の表情は、さっきから全く変わっていない。それはゆっくりとヴァイオリンを構えたときも同じだったが、弓が下ろされて音が鳴った瞬間、表情も音色も空気も全てが変わる。
 蓮が奏でる技術だけではないその音色に圧倒され、息をするのも忘れそうなほど、その演奏に引き込まれていった。



2011.2.11up