TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法3

「邪魔だ。どいてくれないか」
 教室へと入ろうとすれば、入り口には色の違う制服を着た生徒が立っていた。
 この学院には音楽科と普通科のクラスがあり、学院全体では普通科の生徒のほうが多いが、音楽科棟の校舎で普通科の生徒を見かけることはほとんどと言っていいほどなかった。
「邪魔って、別に塞いでいるわけじゃ…」
 振り返りながら発された言葉が不意に止まり、思わずそちらに顔を向ければ、ほんの少しだけ見上げる位置にあるその瞳が、驚いたように見開かれていた。
「何か?」
 普通科の生徒に知り合いはいない。一度見たら忘れられないような印象の強い瞳をしているが見覚えもない。
「いや…」
 聞こえたその返事に用はなさそうだと判断して自分の席に戻ろうとすれば、軽く腕を捉まれて呼び止められた。
「っと待て、えっと、月森、に用があるんだが…」
「何か用か」
「これ、渡してくれって、金やんに頼まれた」
 そう言って手に持っていたプリントを差し出された。そこにはコンクールの詳細が書かれていて、金やんとは金澤先生のことだったのかと思いながらそのプリントを受け取った。
「君も、コンクールの出場者なのか」
 プリントを渡されたついでに出場者全員への配布を頼まれたのだろうかと何気なく尋ねれば、瞬間、物凄く嫌そうな顔をされた。
「まさか。俺は優劣を競い合うようなコンクールに興味なんてない。じゃあ、確かに渡したから」
 そしてその不機嫌そうな顔のまま、踵を返して立ち去ってしまった。
 別に、そんな態度をとられるようなことを言った覚えはない。だが、考えてみれば普通科の制服を着ていたのだからコンクールに出るはずもないことは最初からわかっていたことだった。なのに、何故そんなことを聞いてしまったのだろうか。
(まぁ、関係ない)
 そう思い、今のやり取りから次の授業のことへと頭を切り替える。
 けれどあの印象的な瞳は、その後もずっと目に焼き付いて離れなかった。



『首尾はどうだ』
 交差点の向こう、久し振りに姿を見せた黒猫に無視を決め込もうと通り過ぎたが、楽しそうに着いてきて声を掛けてくる。
『不景気そうな顔をして、運命の相手にはまだ逢えていないのか? それとももう振られたとか?』
 黒猫は塀の上を器用に歩きながら楽しそうにしゃべっている。途中で人とすれ違ったが不審な顔をされるわけでもないから、その声はやっぱり自分にしか聞こえていないらしい。
「なんだよ、運命って」
 無視するつもりだったが、その言動に思わず返事をしてしまう。
 今日、初めて人間の姿のときに蓮と会った。学校と家との差なのかもしれないが、猫のときに感じた第一印象よりも冷たい感じがした。
『おまえを愛して魔法を解いてくれる相手なのだから運命の人だろう』
 楽しそうな声でそんなことを言われても、どうにもその言葉には同意出来ない。
 蓮が同じ学院に通っていることはその制服を見たときからわかっていたが、それが音楽科の制服だったからわざわざ探してまで会いに行こうとは思っていなかった。無理やり用事を押し付けられなければ、音楽科棟になど足を踏み入れるつもりもなかった。
「方法は、本当にひとつしかないのかよ」
 どう考えても、自分から近付こうと思えるような相手ではないし、思わず声を荒げてしまったあの態度はいい印象を残しているとは思えない。それはこっちも同じことで、だからこの先の進展はないに等しいだろう。
『方法はひとつだ。それ以外にはない』
 当たり前だろうと、そうもあっさり答えられるとため息しか出てこなくなる。
(無性にイライラする)
 昼間の蓮との会話で出てきた台詞も、この黒猫の態度も気に障って仕方がない。
「もういい」
 聞いた自分が馬鹿だったと、そう思って歩調を早めて帰路を急いだ。



「どうした、エーデルシュタイン」
 今日はめずらしく、ただいまと声を掛けても部屋に着いて来なかった。
 気まぐれに部屋から出て行くこともあるし、呼んでも返事をしないこともあるが、今日はまるで無視されているように感じてしまうほど顔も見てないし声も聞いてない。だから思わずその姿を探してまで顔を見に来てしまった。
 眠っているらしいその頭をそっと撫でながら声を掛ければ、ちらりとこちらを見たがまた顔を隠すように丸まってしまった。
「具合でも悪いのだろうか…」
 そうだとしたら、どうしたらいいのかと心配になって頭を撫でたまま顔を覗き込むと、不意に立ち上がり擦り寄るように傍へと寄ってきた。
「違うのか?」
 理解出来る言語を話してくれるわけではないが、それでもこの行動は違うと言っているように感じられる。
 擦り寄るその仕草につられてそっと抱え上げれば腕の中に収まり、そのまま部屋へと連れて行く。
 お気に入りの場所であるはずのピアノの椅子には乗らなかったが、部屋からは出ていく様子はなくてほっとした。
 ヴァイオリンを弾き始めれば、いつものように緑色の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。
(この瞳は、誰かに似ている)
 そして不意に、教室で会った普通科の生徒のあの瞳を思い出した。
 コンクールに興味はないと言っていたが、その言葉はまるでコンクールに何か嫌な思い出でもあるような言い方だったような気もする。
(何か音楽をやっているのだろうか…)
 関係ないと、そう思いながらも気になってしまうのはどうしてだろうか。
(こんなのは俺らしくない気がする…)
 エーデルシュタインのことも、あの普通科の生徒のことも、心のどこかに引っかかっているようで落ち着かない気分になるのはどうしてだろうか。そしてこれは一体どういう感情なのだろうか。
(自分のことなのに、自分でもわからない)
 コンクールの参加者として選ばれた今、こんなことで悩んでいるのは時間の無駄になりかねない。
 それでもやっぱりあの生徒の印象的な瞳が目の前をチラついて、ヴァイオリンを弾くことに集中出来なかった。



2010.12.27up