TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法2

「ただいま、エーデルシュタイン」
 帰宅して、猫に声を掛けるのが日課になってしまった。
 昼間は祖父母が面倒を見てくれているが、部屋へと入るときに必ずと言っていいほど着いてきて、夜は一緒に過ごすことが多い。
 手に怪我を負うことが不安でつい触ることを避けてしまうが、きちんと躾けてくれているのか不用意に爪を立てることはしないし、ヴァイオリンにも決して手を出さない。
 ヴァイオリンを弾いているときは、その場所が気に入ったのかピアノの椅子の上でじっとこちらを見て座っている。ただ、うまく弾けなかったと思うときは関心がなさそうにそっぽを向いていて、それはまるで音の違いがわかるかのようだった。
 必要以上に近寄らず、けれど声を掛ければ寄って来るし返事もする。
 そっと触れれば、温かなぬくもりが心の中の嫌なものを取り去ってくれるような気がする。
 そこにいるだけで癒されるなど、そんな風に思うことなどないと思っていたが、実際、ただそこにいるというだけで妙な安心感があった。
「不思議だな…」
 つぶやきながらヴァイオリンケースを開け、数年ぶりに開かれるという学内コンクールのことを思い出した。
 数日前の放課後、練習室で一人弾いていると光のようなものが目の前で瞬き、そしてその光に名前を呼ばれた。光はゆっくりと瞬きながら妖精へと姿を変え、リリと名乗ったその妖精はコンクールへ出場して欲しいと、その一言だけを残してまた光の中へと消えてしまった。
 そして今日、掲示板に張り出された出場者の中に自分の名前を見付け、あれは夢でも幻でもなかったのだと知った。
 不思議といえば、これもまた不思議な話だ。
 そう思いながらエーデルシュタインを見れば、吸い込まれそうなほど綺麗な緑色の瞳がじっとこちらを見ていた。
 この瞳ならば、不思議なものが見えてもおかしくなさそうだと、そう思いながらヴァイオリンを手にした。



「ただいま、エーデルシュタイン」
 そんな声が遠くから聞こえた瞬間、人間から猫へと変わる。自分の部屋にいたはずなのに、その場所もある意味、見慣れた別の、蓮の部屋へと変わっていた。
(どうなってんだ、これ…)
 何度体験しても慣れることはなく、同じ疑問だけが心に浮かぶ。
 なんとなくわかることといえば、夕方以降に蓮の声で名前を呼ばれることが猫へと変わるきっかけで、目覚めとともに人間へと戻ることと、意識は移動しても身体はそれぞれちゃんとあり、支障のない生活を送っているらしいということだけだった。
 感覚的には昼間は人間の姿で過ごし、夜だけ猫の姿になっているのだが、人間としても猫としても24時間きちんと過ごしていることになっている。
 ただ、昼間は猫の、夜は人間の身体がどんな行動をとっているのかは知ることは出来ない。けれど元にも戻ればちゃんと体験した記憶として残っているし、有り得ない行動をとっていることはない。
 今だって、今日この猫がどんな一日を過ごしたのかが記憶というよりは実体験として残っている。
 窓越しの陽射しが気持ちよくてずっと昼寝をしていたこと、そのすぐ傍で交わされていた会話の内容、そして、なんとなくつまらないと、そんなことを考えていた気持ちのその全てが、心の中に残っている。
 だが、昼間は人間の姿で過ごしていたし、勉強の内容もサッカーボールを蹴った感触も実体験としてちゃんと憶えている。
 つまりこれは、いっぺんに二人分――正確には一人と一匹だが――の人生を送っていることになるのだろうか。
 不都合はとりあえずないが、ものすごく妙な気分だ。
 そんなことを考えながら、猫としての自分の定位置となったピアノの椅子に飛び乗る。
(人前じゃ弾かなくなったくせに、離れることも出来ない)
 子供の頃の苦い経験で自分を音楽から遠ざけているはずなのに、猫として別の生活を送らなければいけなくなっても音楽が傍にあった。
 それでもやっぱりピアノの近くにいるほうが安心出来るし、この場所で、蓮が奏でるヴァイオリンの音色を聴くのが猫としての日課になっている。
(だからって別に好きな音色ってわけじゃないんだけどな…)
 その音色は完璧で正確で寸分の狂いもなく、とても簡単な言い方をしてしまえばとにかく巧いの一言だった。だが、感情が全く伝わってこないから面白味が全くない。
(こいつに、愛されろっていうのか?)
 無理だろうと、そう思う。まだ人間のときに顔を会わせたことはないが、どう考えても友達にすらなれない予感というか確信がある。
(第一、こいつも男だし)
 根本的なところからして何か間違っているような気がする。いや、それを言うなら、魔法とか猫になるといった時点で間違えだらけだ。
(どうしろっていうんだよ、まったく…)
 文句は言葉になることはなかったが、不意に頭を撫でられると何故だか気持ちが落ち着き、なんだかどうでもいいような気がしてしまった。



2010.12.25up