TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

黒猫の魔法1

「またか…」
 信号待ちの交差点の向こう、塀の上を見つめて思わずためいきを落とした。
 いつもの通学路、静かな住宅街、ごく普通の家を囲むそれほど高くない塀、その上に座る黒猫。
 それだけならばありふれた風景となるはずなのに、じっと見つめる猫の瞳は普通では有り得ない色をしていた。
(赤い目の猫なんて、普通いないだろう…)
 そういった類のものを見てしまうことは今に始まったことではなく、無視するに限ると心の中でつぶやいて目を逸らすようにして歩き出せば、猫はその姿を追うようにゆっくりと立ち上がった。
「えっ」
 思わず声を上げ、そして立ち止まってしまったのは、その猫が動いたからだ。
 ここ数日、件の猫には毎日のように遭遇していたが、座っている場所は毎回変わるものの、いつでもじっと見つめてくるだけで、まるで置物のようにピクリとも動かなかった。
 それが何故、今日は動くのだろうと、そう思った次の瞬間、自分が犯してしまった過ちに気付く。
『気に入った。おまえにする』
 猫は嬉しそうに、首に付けた鈴をチリリと鳴らした。



「猫、ですか?」
 帰ってきた母を出迎えると、嬉しそうに小さな籠を手渡された。
 開けてみるように促され、そっと開けて覗いてみると、そこには黒トラ柄の小さな仔猫が丸まって眠っていた。
「お友達の家で産まれた仔猫があまりに可愛くて、一匹譲ってもらったの」
 そう言って母は笑いながら話しているが、猫など飼っても大丈夫なのだろうかと少し不安になる。母はピアニストで、自分もヴァイオリンを弾いている。猫は、怪我の元になりかねない。
 それでも嬉しそうに猫を撫でている母に意見など言えるわけもなかったし、眠る仔猫の顔を可愛いと思ってしまったから余計に言葉にならなかった。
 ふわふわそうな毛並みに触れてみたいとも思い、そっと手を伸ばして仔猫の頭に指だけで触れてみた。
(あたたかい…)
 人肌に触れるよりもずっと高い体温に思わずビックリして指を離してしまったが、その温度をもう少しきちんと感じたくて、今度は指だけではなく手のひら全体で触れてみる。
 それは触れるというよりも、乗せるといった方があっているかもしれないが、その手のひらから伝わる小さな仔猫の体温はほっとするような安らぎを与えてくれた。
「名前は?」
 ふと、呼ぶ名前を知らないのだと思い訊ねれば、いい名前を付けてあげて、と返されてしまう。
(俺が…?)
 そう思いながら猫に視線を戻せば、ついさっきまで寝ていたはずの仔猫に、まるで名前を呼ばれるのを待つかのようにじっと見つめられていた。
 それまで隠されていた瞳の色は綺麗な緑色で、まるで宝石かガラス玉のようにキラキラとしている。
「エーデルシュタイン…」
 ふと、思い付いた単語をつぶやけば、宝石ね、と言う嬉しそうな声と、まるで返事をするかのような仔猫の鳴き声が重なった。
 こうしてこの日、一匹の仔猫が家族の一員となった。



「おい、お前、俺に何したんだ」
 学校からの帰り道、塀に座る黒猫を捕まえて人気のない公園へと入った途端に声を上げる。
『どうだ、猫になった気分は』
 首を掴まれたその体勢など気にするでもなく、黒猫は平然と、そして楽しそうに真っ赤な目をこちらに向けてくる。凄んでみても睨んでみても、その態度は一向に変わる様子はなかった。
 相手が本当の猫ならこんな持ち方はしないが、持ち上げても全くと言っていいほど重さを感じない。どうにも怪しく感じるが、それを見ることも触ることも出来る自分の体質というか性質を考えれば人のことは言えない。
「いいわけないだろう。いい加減にしろ」
 数日前、黒猫の首に付けられた鈴の音を聞いた瞬間、猫になっていた。
 夜が明けたら自分の家で、ちゃんと元の姿に戻っていたから夢だったのだと思っていたが、その日から夕方になると猫になる毎日が繰り返されているから夢ではないらしい。
『ちょっと魔法をかけただけだ。ところでおまえ、名前は付けてもらったか?』
 あっさりと告げられるその一言にショックのような憤慨のようなものを感じながら、名前と言われて初めて猫になった日のことを思い出した。
 撫でるというには程遠い触り方をされたその人に付けられた名前が宝石を意味しているらしいことは交わされていた会話でわかり、人間に戻ってからそれがドイツ語であることを調べた。
 宝石ねと、そう言って笑っていたあの人は、ピアニストの浜井美沙だ。
 自分が猫になってしまったのだと気付いたときも驚いたが、この猫が欲しいわと、そう言って抱き上げられたときには本当に驚いた。
 そのまま籠に入れられ、たぶん車に揺られているうちに寝てしまい、次に目が覚めたときには妙に整った見知らぬ顔が目の前にあった。そしてそいつに“エーデルシュタイン”という名前を付けられた。
『魔法を解く方法はただひとつ。名前を付けてくれた人物から愛されればいい。それだけだ』
 数日前の出来事を振り返っていた思考を破り、黒猫の声が耳に響く。
「ちょっと待て。愛されるって、どういうことだ?」
 ありがちと言えばありがちな展開だが、とんでもない方向に話が進んでいるような気がして問い質す。
『そのまま、言葉通りだ。ただし、猫のときではなく、人間であるおまえ自身が愛されないと意味はない。どうだ、簡単だろう』
 真っ赤な目が妖しく光り、今にも笑い出しそうな表情をする。
「なっ」
 思わず抗議の声を上げようとした瞬間、じゃあなと、そんな一言を残して黒猫は不意に姿を、正しく文字通り消してしまった。
 抗議出来なかったばかりか、取り残されて中途半端に腕を上げた体勢で一人、立ち尽くす羽目になる。
(愛されるって、あの男にか?)
 どこか冷たい印象を感じてしまった、蓮と呼ばれていたあの男に…。
「簡単なわけないだろう」
 文句の言葉は誰に聞かれることもなく、ただ虚しく空気を響かせただけだった。



2010.12.14up
※この話は土浦君が猫化します※
完全に猫化なので人間の状態で猫耳や尻尾が付いたりはしませんが、
今後、猫土浦視点は出てきますし、設定がこんな感じに特殊なので、
ここまで読んでダメだと思った方は続きは読まずにお戻りください。
話はゲームやコミック等を基本にはしていますが、微妙にオリジナルだったり特殊だったりする設定で進んでいきます。
パラレル設定、ファンタジー要素(といってもリリの存在と同程度ですが…)、オリキャラ等が苦手な方もご注意ください。