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※注:このページでは、米帝野郎の年号は使用しておりません。日本人なら、元号に慣れるか、このページ以外では全く役に立たない皇紀(西暦に660プラス、皇紀2664=西暦2004)を覚えてください。

プロ野球わが経営法 大洋・三原監督にきく

 


-
(略)知将と言われる三原監督に、プロ野球の合理化についてきいたみた(略)-

●フランチャイズ再編成 入場料の分配にも新方法 中都市に小リーグを

 プロ野球をいまのようなもういけの薄いものから、もうかる方向へもって行くには、大別して二つの方法があると思う。一つはファームの問題であり、もう一つはフランチャイズ制と入場料の分配の再検討だ。

 ファームについて言えば、
〔略〕
プロ野球をやりたいという中小都市から資本家をさがしてくる。そしてその資本家のたとえばAならAに、巨人から3人、大洋から5人、大毎から4人と言ったように各球団が選手をタダで貸してやる。選手を借りた資本家は、自分の手持ちの選手を加えて2〜4チームを作り、興行を打って歩くわけ。資本家は選手をタダで借りているわけだから交通費と球場使用料その他の必要経費だけを払えばいい。うまくたれば必ずもうかると思う。もうかったら資本家はその金でいい選手を育成して、球団に売って利益をあげればいい。二軍の利益となる。ただ選手の保有権は球団にあることはもちろんだ。
 興行も親チームのいる大都市や遠い地方へ出たのではダメ。資本家のいるところを中心に、日帰りできるところが良い。たとえば、北九州の小倉、門司などとか、東なら静岡、浜松、豊橋といった交通に便利なところに限る。こういう資本家はさがせばきっといると思う。そうすればおいおいマイナー・リーグとなって発展して行くだろう。

 フランチャイズ制日本の国情にあっているかどうか。
(略
もう一つフランチャイズ制についていうと、東京地区を大フランチャイズ制にすることだ。大洋に例をとると、大洋は持ちゲーム65試合のうち、フランチャイズの川崎球場では、40-45ゲームを消化し、残りの25-20ゲームは東京のどこかでやるようにして欲しい。そうすれば、人気もグンと出て来るだろう。

 入場料の分配については、わたしは強い人気のあるチームのあるチームがたくさん取るのはいいが、いまの本拠地のチームが全部取ってしまう10-0の分け方はよくないと思う。だからフランチャイズと分配方法をミックスしたやり方を考えている。たとえば1ゲームの入場料が100万円あったとする。このうちの6割をホームチーム7、ビジターチーム3の割合で分ける。残りを勝負の結果で、勝7、負3で分ける。
(略)

(朝日新聞 昭和37年1月30日付)
(Asahis^inbun Jan.30.'22)

 これを読むと、プロ野球は40年以上、同じ問題をほったらかしにしていたのだなと実感します。まぁ、フランチャイズ制に関しては、自分に都合の良い意見ですが。この大洋のフランチャイズに関しては後日談があります。



そして、これが後日談。

大洋の「東京進出」は難航 代表者会議、結論、持越し

プロ野球12球団合同代表者会議は5日東京会館で開かれた。主な議題は大洋から出された「東京地区で幾つかの試合を行ないたい」という提案であったが、両リーグの受取り方にいろいろ食いちがいがあって結論がでず、あらためて検討することになった。
(略)
【解説】京浜間の川崎球場にフランチャイズを置く大洋はかねてから東京進出を企てていたが、ことしは持ちゲーム65試合のうち20試合程度を東京都内の球場で消化したい意向からこの日の提案を出したものと見られる。しかし、大洋の提案は、いろいろな面で簡単に承認されるとは思えない。
 第一にプロ野球で使える東京都内の球場といえば後楽園、神宮、それに目下新設中でことし6月上旬開場が予定されている南千住の東京スタジアムの3球場しかない。後楽園は、いわゆる在京球団である巨人、国鉄、東映、大毎(東京スタジアムの完成まで)の4チームの持ちゲームで日程がぎっしり詰まっており、大洋がここへ割込む余地はまずない。とすれば神宮球場を東映が使わぬ時をねらうか、あるいは大毎の東京スタジアムを借りるかの二つになる。
 大洋としては腹の中では神宮に重点を置いているようだが、これはパ・リーグ側、とくに当の東映が絶対反対の意向だし、神宮側が"学生野球優先"を打出している以上、学生野球や東映の使わぬ日が幾日とれるかも疑問だ。ただし、東京スタジアムを使うことにはパ側はとくに難色を示す球団はなく、当の大毎としては球場使用料などの収入が見込めるからむしろ大洋の進出を歓迎している。

 ところが、セ・リーグの方は国鉄を除けば、大洋が神宮と東京スタジアムを併用するならば東京で持ちゲームをこなすことにそう強い反対はしていないが、大毎の東京スタジアムだけに依存するというのでは、セ・リーグの面目上どうか、という説が出ている。国鉄としては、同球団が都内に持ついわば営業権の侵害と見るから大洋の進出に強く反対するのは当然だろう。
 結局、セ。パ両リーグ間の面目の問題や興行収支の問題がからむ上に、大毎、東映、国鉄3チームにはそれぞれ三様の利害得失が起るので、大洋の提案が承認されるとしてもかなり制限されたものとなるのではなかろうか。とくに大洋というチームが三原監督の就任以来、都内に独特の人気を持ち、ことしも森の移籍(筆者注:元本塁打王、中日より)などで大型化を企てているだけに、他チームに与える影響は微妙であろう。
 もう一つ、各球団のオーナー間には観客の分散を防ぐために同一日に東京で三球場を使うような日程は極力避けようという声も出ているので、これとの調整も問題となろう。


(朝日新聞 昭和37年2月6日付)
(Asahis^inbun Feb.6.'22)

ま、そりゃ否決されるでしょうね。あの三原監督でも、当時は、東京志向からは抜け出せなかったのか。神奈川や関東の別の場所で勝負するつもりはなかったのかなぁ。ま、地方から東京に出た人間てみんなそんなもんなんでしょう。江戸時代のように、江戸に対する副都として機能した、小田原、川越、忍、土浦、佐倉、(ま、徳川綱吉家が存続したら、江戸・館林のニ都体制も考えられたのでしょうか?)の気質が保たれていればねぇ。なんと言っても、プロ野球にとっては、廃藩置県は失敗でしたよ。



セントラル・リーグ球場別試合数(皇紀2665年=平成17年シーズン終了まで)
注意:皇紀2665年=平成17年から、セ・パ交流戦実施のため、試合数が重複してカウントされております。
関東地方
横浜スタジアム1628試合(横浜大洋・横浜フランチャイズ:2638-)(横浜スタジアムに関しては平成16年シーズン終了時点の数字です。)


'38 '39 '40 '41 '42 '43 '44 '45 '46 '47 '48 '49 '50 '51 '52 '53 '54 '55 '56 '57 '58 '59 '60 '61 '62 '63 '64 '65
試合 57 57 59 59 59 59 60 57 56 57 56 55 58 56 57 57 57 56 57 58 60 59 62 60 59 60 57 64

神宮球場2412試合(産経・サンケイ・アトムズ・ヤクルト・東京ヤクルトフランチャイズ:2624-、参考:パ・東映フランチャイズ2622-2623

東京ドーム1083試合(ナベツネ団=巨賊フランチャイズ:2648-)
後楽園球場2868試合(国鉄フランチャイズ:-2623、ナベツネ団フランチャイズ:-2647、参考:パ・毎日・大毎フランチャイズ2612-2621、パ・大映フランチャイズ2612-2617、パ・東急・東映・日拓ホーム・日本ハムフランチャイズ、2612-2614、2624-2647
川崎球場1394試合(大洋フランチャイズ:2615-2637、参考
:パ・毎日フランチャイズ2612、パ・大映フランチャイズ2612、パ・東急フランチャイズ2612、パ・高橋・トンボフランチャイズ2614-2616、パ・ロッテフランチャイズ2638-2651新日本小ナベツネ団フランチャイズ2614-2615
三鷹球場(グリーンパーク)12試合(国鉄本拠:2611)


平塚球場21試合
(参考:イースタン横浜大洋ファームフランチャイズ2646-2659)

横浜平和球場25試合
(参考:新日本小ナベツネ団フランチャイズ2614-2615)
相模原球場3試合
(参考:イースタン日本ハムフランチャイズ)
保土ヶ谷球場2試合
茅ヶ崎球場3試合
追浜球場2試合

東京スタジアム102試合
(参考:大毎・東京・ロッテフランチャイズ:2622-2632)
駒沢球場18試合
(参考:東映フランチャイズ:2615-2621)
昭和町=昭島球場3試合
八王子富士森球場2試合

八王子球場1試合
福生球場1試合

千葉マリン52試合
(参考:千葉ロッテフランチャイズ:2652-)
千葉公園球場7試合
千葉天台球場1試合
市川球場3試合
銚子球場3試合
小見川球場2試合
木更津球場1試合

西武球場・西武ドーム18試合
(参考:西武フランチャイズ:2639-)
県営大宮球場10試合
(参考:新日本国鉄フレッシュフランチャイズ:2614-2615)
熊谷球場11試合
川越初雁球場1試合

前橋敷島球場6試合
高崎球場14試合
太田球場4試合

宇都宮総合球場12試合
宇都宮常設球場6試合
宇都宮清原球場5試合
鹿沼球場1試合
足利球場4試合
大田原球場2試合

ひたちなか=勝田球場6試合
水戸水府球場4試合
県営水戸球場4試合
水戸市民球場1試合
土浦球場1試合

フランチャイズ制の採用は2612年から。
(参照:「セントラル・リーググリーンブック平成9年版」セントラル野球連盟
「セントラル・リーググリーンブック平成18年版」セントラル野球連盟)


パシフィック・リーグ球場別試合数(皇紀2656年=平成8年シーズン終了まで)
注意:皇紀2665年=平成17年から、セ・パ交流戦実施のため、試合数が重複してカウントされております。
関東地方
西武球場・西武ドーム1133試合(西武フランチャイズ:2639〜)

'39 '40 '41 '42 '43 '44 '45 '46 '47 '48 '49 '50 '51 '52 '53 '54 '55 '56 '57 '58 '59 '60 '61 '62 '63 '64
試合 55 59 62 65 65 65 65 65 63 62 65 65 65 65 65 63 60 59              


千葉マリン296試合(千葉ロッテフランチャイズ:2652〜)

'51 '52 '53 '54 '55 '56 '57 '58 '59 '60 '61 '62 '63 '64
試合 1 55 61 59 59 61                


東京ドーム504試合(日本ハムフランチャイズ:2648〜2663、参考:セ・ナベツネ団フランチャイズ2648〜

'48 '49 '50 '51 '52 '53 '54 '55 '56 '57 '58 '59 '60 '61 '62 '63 '64
試合 55 54 54 53 53 60 59 58 58                


川崎球場1059試合(毎日フランチャイズ:2612、大映フランチャイズ:2612、東急フランチャイズ:2612、高橋・トンボフランチャイズ:2614〜2616、ロッテフランチャイズ:2638〜2651、参考:大洋フランチャイズ:2615〜2637

'12 '13 '14 '15 '16 '17 '18 '19 '20 '21 '22 '33 '34 '35 '36 '37 '38 '39 '40 '41 '42 '43 '44 '45 '46 '47 '48 '49 '50 '51 '52
試合 43 9 83 70 72 15 6 13 11 5 2 18 9 14 12 3 56 55 45 43 44 44 49 47 45 45 45 49 53 52 2



後楽園球場2267試合(毎日・大毎フランチャイズ:2612〜2621、大映フランチャイズ:2612〜2617、東急・東映・日拓ホーム・日本ハムフランチャイズ:2612〜2614、2624〜2647、参考:セ・国鉄フランチャイズ〜2623、セ・ナベツネ団フランチャイズ〜2647

'10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 '18 '19 '20 '21 '22 '23 '24 '25 '26 '27 '28 '29 '30 '31 '32 '33 '34 '35 '36 '37 '38 '39 '40 '41 '42 '43 '44 '45 '46 '47
試合 117 107 78 110 70 60 70 77 42 39 41 49 34 26 46 58 51 54 55 54 58 53 55 62 58 56 61 68 56 53 56 59 57 58 55 56 54 54

東京スタジアム742試合(大毎・東京・ロッテフランチャイズ:2622〜2632)

'22 '23 '24 '25 '26 '27 '28 '29 '30 '31 '32
試合 52 90 74 67 64 69 68 65 65 65 63


駒沢球場667試合(東映フランチャイズ:2615〜2621)

'13 '14 '15 '16 '17 '18 '19 '20 '21
試合 10 56 111 118 68 70 74 80 80

神宮球場247試合(東映フランチャイズ:2622〜2623、参考:セ・産経・サンケイ・アトムズ・ヤクルトフランチャイズ2624〜

'10 '22 '23 '24 '25 '26 '27 '28 '29 '30 '31 '32 '33 '34 '35 '36 '37 '38 '39 '40
試合 1 32 31 25 9 17 11 8 11 5 12 6 19 11 12 16 13 3 3 2

横浜スタジアム
横浜平和球場16試合
保土ヶ谷球場2試合
茅ヶ崎球場8試合
追浜球場1試合

武蔵野球場
上井草球場8試合
昭和町=昭島球場
八王子球場

千葉市営球場
市川球場
銚子球場
木更津球場

浦和球場
県営大宮球場
熊谷球場
川越初雁球場

前橋球場
高崎球場
太田球場
桐生球場

宇都宮総合球場
宇都宮清原球場
足利球場

水戸水府球場
県営水戸球場
水戸市民球場
土浦球場
日立球場
ひたちなか球場

フランチャイズ制の採用は2612年から
(参照:「パシフィック・リーグブルーブック平成9年版」パシフィック野球連盟)


『2004年版最新版プロ野球ドラフト全史』について
ベーマガ社から「2004年最新版プロ野球ドラフト全史」が刊行されました。
この本に限らず、ドラフト研究サイトは、選手成績を中心に注目が集まり勝ちです。
そこで、当プロ野球閉架書庫では、関東球団を中心に、広く野球界という意味で、彼らの引退後等、野球にどう係わったかまで、研究できればなぁ、と考えております。
(まぁ、時間に余裕があれば、の話なんで、更新頻度は良くないです。ズバリ。)



第20回昭和59年実施組(昭和60年入団)

横浜大洋が1位指名した竹田光訓(明大)。広沢克己とともに、注目を浴びた明大のエース。
横浜の他に、中日、巨賊も指名し、横浜が当たりくじを引いた。
外した中日の中村武志(花園高)、巨賊の上田和明(慶大)と、比べ、残念ながら選手生命や通算記録は、淋しいのですが、平成10年の横浜優勝時の球団広報として活躍、そして現在、寮長として若手選手の育成をしてらっしゃってます。(2666年は、査定担当に。)
横浜  ◎竹田光訓(投・22歳・明大)横浜(60-63)-韓国三星(64-2)-横浜(3)40試合1-2-0防4.01
巨賊  ×上田和明(内・22歳・慶大)巨賊(60-5)203試合安61本5点18率.202
中日  ×中村武志(捕・18歳・花園高)中日(60-13)-横浜(14-16)-東北楽天(17)1955試合安1380本137点604率.242

ロッテが2位で指名したのが、青学の「10・19」に登場するあの投手だったのですが、彼も抽選となりました。
外した阪急が獲得したのが古溝克之(専売東北)。
選手時代の実績としては、やはり、古溝の方が若干上と言えるのでしょう。さらに、古溝が、阪神移籍、引退→オリックス打撃投手と、地味ながら、野球に係わった仕事を続けているのに対し、あの投手は、引退→ロッテコーチ後、16年暮れ、残念ながら、あの事件を起こしてしまったわけです。本当に残念でなりません。
ロッテ ◎あの選手(投・22歳・青学大)ロッテ(60-4)132試合21-16-5防4.12
阪急  ×古溝克之(投・21歳・専売東北)阪急・オリックス(60-5)-阪神(6-10)-日本ハム(11)316試合33-50-42防4.51

2位と言えば、わが横浜大洋の日野善朗(新日鉄大分)も、阪神と競合、抽選に勝っての獲得でした。
村岡耕一に次ぐ、内野の控え、という印象でしたが、日野のプロ生活を、阪神は、ハズレの佐藤と比較しどう思っていたのでしょうか。
横浜 ◎日野善朗(内・23歳・新日鉄大分)横浜(60-3)142試合安61本2点19率.256
阪神 ×佐藤秀明(投・24歳・日立製作所)阪神(60-63)-近鉄(元-4)193試合10-11-6防4.15

ライオンズとプリンスホテル
ともに、同一企業グループに所属していたこともあり、マスコミからは、ドラフトの度に、その関係性、悪く言えば、協約逃れだの、密約だのと指摘されていた、ライオンズとプリンスホテル野球部の関係性をドラフトのデータ面から考察していきたい。

プリンスホテルからのプロ入り選手一覧
入団年 選手名 指名球団 備考


左図のとおり、プリンスホテルからプロ入りした選手は、
合計31名。(ドラフト指名29名、ドラフト外2名。)
うち直接西武に入団したのが、指名球団欄が太字の13名。
また、トレード等で西武に入団した者も含めると、
選手名欄も太字になっている、17名と過半数になる。
これから見るに、やはり、ライオンズとプリンスホテルの
関係性は非常に深かった、と言える。
このデータだけでは、見えてこないが、まず、表の備考欄に
※がついている3人のうち(※は、拒否経験ありの印。)
高山・川村は、拒否後、すぐ、プリンス入社-西武入団なので、
「密約」と囁かれるのも無理は無い。
また、瀬戸山満年も、高山・川村が指名拒否した('40ドラフト)
にて、
彼ら同様、巨人4位指名を拒否し、プリンスに入社しました。
(瀬戸山は、後に橋戸賞受賞。)
ただ、だからと言って、この2社の関係性が、
プロ・社会人野球をともに活性化させたことは、
功績として私個人として讃えたいです。

さて、このライオンズとプリンスホテルの他に、
こうした関係性を持つ、球団があるかどうか、探ってみたい。
大昔には、
南海ホークスが、2軍選手を「南海土建」という
社会人チームにして、都市対抗に出場したことがありました。
他にプロと社会人チームで同一企業グループに
福岡ダイエーホークスとローソンが挙げられます。
ローソンからプロ入り選手一覧
入団年 選手名 指名球団   発足当時は、話題になり、
九州共立大でダイエー志望の柴原を
星野中日が強硬指名か?という時の就職先として
名前も出ましたが、
ダイエーグループの不振もあり
選手の供給源としては、芳しい働きは出来なかったようです。
'61 中村浩一 福岡6  
'63 新井智 阪神9  
'63 伊代野貴照 阪神10  
'63 萱島大介 阪神11  
'63 吉川昌宏 ヤクルト8  


 
'41 石毛宏典 西武1    
'42 住友一哉 近鉄6  
'41 中尾孝義 中日1    
'45 高山郁夫 西武3  
'42 金森栄治 西武2    
'44 青山道雄 西武3    
'44 川村一明 西武4  
'47 藤井康雄 阪急4    
'47 中藤義雄 近鉄4    
'49 小川博文 オリックス2    
'49 中島輝士 日ハム1    
'49 石井丈裕 西武2    
'50 橋本武広 福岡3    
'50 石井浩郎 近鉄3    
'50 住吉義則 日ハム1    
'52 川北和典 横浜8    
'53 武藤潤一郎 千葉1    
'53 山下和輝 阪神7    
'53 前田勝宏 西武2    
'55 斉藤貢 福岡2    
'55 宮本慎也 ヤクルト2    
'58 小林幹英 広島4    
'58 土肥義弘 西武2    
'59 星野智樹 西武3    
'61 伊達昌司 阪神2    
'61 長崎伸一 千葉3    
'61 大沼幸二 西武1    
'61 水田圭介 西武7    
'61 福井強 西武8    
'42 西山進 西武外    
'43 堀場秀孝 広島外    

左図のように、今までプリンスホテル野球部から、プロ入りした選手は、ドラフト指名及びドラフト外組を含め合計31名。

では、横浜はどうだろうか?
横浜は、66年に新日本石油ENEOSと共同で、NPO法人「横浜ベイスターズ・スポーツコミュニティ」を設立し、
競技力の向上とファンの拡大を目指すことになった。理事長には、両チームOBである平松政次氏が就任し、
ENEOSも、前年まで湘南コーチだった大久保秀昭がチーム監督に就任、自由契約となった谷口邦幸を選手として受け入れた。
新日本石油ENEOSは、横浜・湘南にとっての、「プリンスホテル」的な存在であるのだろうか?
ここでは、横浜・湘南と、新日本石油ENEOS始めとする、神奈川県社会人チームとの関係性を検証したい。

入団年 選手名 指名球団順位 備考 入団年 選手名 指名球団順位 備考
'27-2次 平松政次 大洋2 高卒時('26中日4)拒否。'27途中入団。 '57 川村丈夫 横浜1  
'31 植原修平 ヤクルト7   '57 大久保秀昭 近鉄6 引退後に横浜入団
'32 奥江英幸 大洋2 '31(ロッテ5)拒否 '57 高橋憲幸 日ハム5  
'33 片貝義明 中日2   '57 小野仁 巨賊2  
'33 五月女豊 阪神1 後に横浜入団 '65 手嶋智 千葉自  
'35 根本隆 大洋1   '66 栂野雅史 巨賊2  
'35 町田公雄 阪神5 退職後の指名 '67大社 岩崎達郎 中日5  
'37 土居正史 広島2   '32 河村健一郎 阪急外  
'46 荒井幸雄 ヤクルト2 後に横浜入団 '50 秋村謙宏 広島外  
'46 高橋一彦 横浜2   '26 広瀬幸司 東京o8拒否  
'48 若井基安 南海2   '26 石井満 阪神5拒否  
'49 石田文樹 横浜5   '28 枝松道輝 近鉄9拒否  
'49 鈴木慶裕 日ハム2   '29 三浦健二 ロッテ8拒否 '26(西鉄3)、'27-2次(巨賊4)も拒否
'50 金沢健一 福岡2 高卒時('45ロッテ5)拒否 '30 秋元国武 阪急5拒否  
'51 五十嵐章人 ロッテ3          
'52 久慈照嘉 阪神2          
'53 小桧山雅仁 横浜1          
'53 鈴木健 広島3 後に横浜入団        
               





米マイナー経由ドラフト指名選手の元祖
今でこそ、ドラフト入団選手の、指名時の肩書きで、米マイナー、独立リーグ出身というのが増えましたが、
私の記憶の中では、53年入団の福岡1位指名の大越基(早大中退-1Aサリナス)が元祖かと思っていたのですが、
そのなんと21年も前に、マイナーリーグ出身の選手がいたのです。
31年ロッテ15位入団の鈴木弘(国士舘高-大東文化大)です。残念ながら、ロッテ入団後、1軍出場が無いまま1年で退団してしまい記録は残せていないのですが、
現在の、米マイナー、独立リーグ挑戦という選択肢を作った先駆けの一人として、
記憶に留めておいても宜しいのではないでしょうか?

国際大会出場経験のある横浜選手

川村丈夫、吉見祐治、三浦大輔、相川亮二、金城龍彦、寺原隼人、鶴岡一成、山北茂利、北川利之、古木克明、高宮和也、高崎健太郎、下窪陽介、山中正竹、荒井信久、弘田澄男、村上忠則。

以上の現役選手、コーチ、フロントの共通項は何でしょう?

正解は、オリンピックとWBC、それに平成11年(1999)初めてプロアマ混合編成が行われた以降の、日本代表に選ばれた方々です。

川村(バルセロナ代表=日石時代)
吉見(シドニー代表=東福大時代)
三浦(アテネ代表)
相川(アテネ、WBC代表)
金城(WBC代表)
寺原(34回IBAFワールドカップ代表=日南時代)
鶴岡(14回アジア大会代表)
山北(15回IBAFインターコンチ杯代表=中日時代)
北川(15回IBAFインターコンチ杯代表=川鉄水島時代)
古木(15回IBAFインターコンチ杯代表)
高宮(23回アジア選手権、36回IBAFワールドカップ代表=ホンダ鈴鹿時代)
高崎(23回アジア選手権、36回IBAFワールドカップ、16回IBAFインターコンチ杯、15回アジア大会代表=日産時代)
下窪(16回IBAFインターコンチ杯代表=日通時代)
山中(ソウルコーチ、バルセロナ監督=住金時代、WBC随員)
荒井(バルセロナコーチ=神戸製鋼時代)
弘田(WBCコーチ=解説者時代)
村上(35回IBAFワールドカップ監督=日産時代)

NPB12球団の中でも、国際大会を経験している選手を、
ここまで擁しているチームは、そうは無いでしょう。

「国際化」が今後の野球の重要なカギとなる中、
彼等を中心に、ベイスターズの選手には、
もっともっと頑張って頂きたいものです。

今季注目の国際大会出場経験選手
鈴木郁洋、黒木知宏、木佐貫洋、加藤康介、葛城育郎、上坂太一郎、大沼幸二、鶴岡一成、畠山和洋、荒金久雄、相木崇、真田裕貴、坂元弥太郎。

以上の現役選手に共通する項目とは何でしょうか?

彼らは、ここ数年、NPBでは目立った活躍がないのですが、
プロ入り後、
五輪やアジア大会、IBAF主催(W杯、インターコンチ杯)などの、
国際大会への出場経験があるのです。

鈴木(シドニー五輪、15回IBAFインターコンチ杯)
ジョニー(シドニー五輪)
木佐貫(アテネ予選)
加藤(34回IBAFW杯)
イクロー(34回IBAFW杯)
上坂(34回IBAFW杯)
大沼(14回アジア大会)
鶴岡(14回アジア大会)
畠山(14回アジア大会)
荒金(14回アジア大会)
相木(15回IBAFインターコンチ杯)
真田(15回IBAFインターコンチ杯)
坂元(15回IBAFインターコンチ杯)


強力なレギュラー陣の壁に挟まれていますが、
国際化へ生き残りを賭けている日本野球再生のカギを
彼ら、国際経験のある選手が握っているのかもしれません。

今季は、彼らの働きにも、注目したいと思っております。

作成:水上攝提

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