時々日記: 2003.1.16-1.31

 忘れえぬあの日
 2003.1.17(Fri)
8年前のあの日。ちょうど卒論の追い込みにかかっていて今同様に不規則な生活時間帯で生活していた僕は、たまたま朝5時30分頃にいきなり目が覚め、ベッドの中でボーッとしていた時に激しい揺れに遭遇した。
 当時まさか関西で地震が起きるとは考えられず、当然東海地方が心配ですぐに実家に電話をかけたら母親が眠そうな声で応対したこと(その後京都でも電話が全然つながらなくなった状況を思えば、これで当方の無事を知らせることができたのでそ良かったのだが)、すぐにテレビを付けたら崩れ落ちた高速道路の高架橋が画面に映り、まるで「北斗の拳」に出てくる核戦争後の都市廃墟のようで、これが現実の街とは信じられず呆然としたこと、夜が明けてから大学に出掛けると研究室では割れた瓶の処理と床拭きをしていたので、うちの研究室はあまり縁のない化学薬品の瓶でも割れたかと思いきや、そういう薬品が入った棚の扉は引き戸なので揺れても棚の外に落ちる筈がなく、落ちて割れたのはすべて観音開き扉の棚に入っていたばかりだったという(^^;;) そんなことを思い出す。そして、京大でもっとも地震の被害が大きかったのが防災研究所だったという話。

あれから8年。今年もその時間帯には起きていたので、当然ながら黙祷した。

 風物詩
 2003.1.18(Sat)
大学に行ったら土曜日だというのに妙に人が多い…、と思ったら今日からセンター試験でした。制服姿の集団が構内にうろろしているを見て「もうそんな季節か…」と思ったり。
 センター試験の2日間は、普段女性が少ない京大で10代の女の子が構内に沢山いる唯一の期間でもある(笑)。2次試験の時にゃ当然ながら少なくなるしなぁ。まぁ休み時間にみんな観光気分で構内をうろつくのは仕方ないけど、センター試験当日なのにカップルで公然といちゃつく制服姿の2人には流石にちと呆れ…。テメェらなんぞ何処にも受かるんぢゃねェ(笑)
 どうやら予算が通ったみたいなので、これまで京大構内で最も女性率が高かった医療短期大学部(看護士や理学療法士などを養成、3年制)が、来年度から医学部保健学科(4年制)に改組されるようで、これまで独自だった入試制度も他学部と共通になる。そうなると、今後更に構内の女性が減りそうな気がする…(涙)。

 拳を振り上げず
 2003.1.19(Sun)
今日はCHAGE&ASKAのコンサートを聴くため名古屋へ。なにしろ今回のツアー、ホールでは京阪神でやらず(姫路くらいかな)先行予約スケジュールが別となるアリーナ公演(5月の大坂城ホール)しかないので、ホールは名古屋のチケットを先行予約したのだが(なぜか名古屋はホール公演もアリーナ公演もある…)、みんな同じ事を考えて関西方面からの予約が殺到したか、最近になく良くない席であった(T_T)。センチュリーホールは昨年6月の小田さんのコンサート以来。そう、アンコールでASKAが飛び入りして「YAH YAH YAH」を演った時です。

朝、「龍騎」最終回を見届けてから出発。しかし…、結局あんなオチかよ…(^^;;)
 昼すこし前に名古屋に到着して、みみなと待ち合わせ、駅地下の「矢場とん」で食事。ここで、先日みみなが徳島出張の際に徳島そごうで入手してくれた「おかいものクマ」グッズを頂く。この冬の限定版クマはベージュ。夏に入手したクマはグレーと白の小クマだったので今迄でいちばんクマらしい色かな。それにしても最近、やたらクマがうちの部屋に増えているぞ(笑)

そのあと今日ライブにも同行する従姉の家に行ってMacの調整。それにしてもCANONよ、早くレーサープリンタのMacOS X用ドライバを全部揃えてくれ…。早めに夕食をとって会場へ向かう。入場したらグッズ売り場がものすごい人の列。今回からポイントサービスシステムが始まり、FC会員は会員証の確認と入力、非会員で希望者にはポイントカードを作って渡すなど手間がかかっているせいだろう。ともあれツアーパンフと携帯ストラップと台本ノートを購入。なんとか開演時間には間に合った。

そして開演。例によって映画でスタート。まさかこんな人が出てくるとは(笑)。そのあとの1曲目にもかなり驚いたが。「STAMP」収録曲は勿論、意外な曲もけっこう演っていたという印象。しかし、今迄とは違うアレンジなものだから当然ノリも違う訳で、今迄ならこの曲ではこの動きという客側の「お約束」が見事に崩壊しまして(笑)どう動けばいいものかみんな戸惑いながら聴いていたのがオカシかった。

 不器用な花
 2003.1.20(Mon)
やはり貴乃花、引退か…。以前に若乃花の引退時にもこの日記で取り上げたけど、やはり貴乃花の引退は特別だろう。この入門が同期だった3人の横綱のうち最後の1人が引退したことで、実力での「曙貴」・人気面での「若貴」という2つの呼び名と特徴を持った時代が完全に終わったことになる。

貴乃花の全盛期は横綱になってから3年間ほどの間だろう。横綱昇進に対する条件が彼には非常に厳しく働き、昇進時すでに優勝回数を7回も重ねていた大関は貴乃花が過去ダントツである(横綱でも、優勝回数ゼロの双羽黒は例外としても2回程度の横綱は結構いる)。しかも昇進時の成績は文句の出ようがない2場所連続優勝だった。全盛期にはあの千代の富士を彷彿とさせる強烈な引きつけまで見せ、観ていて負ける気がしなかったものなぁ。20回目の優勝が26歳の時で、後に31回優勝した千代の富士が初優勝した年齢とほぼ同じである。この時には大鵬が持つ最多記録の32回を抜くのは間違いないと思えたのだが…。
 やはりおかしくなったのは兄・若乃花が横綱に昇進した直後、例の「洗脳・兄弟絶縁騒動」が起きた頃からだったように思う。内臓疾患や怪我が増え、妙に体重が増え始めた頃から絶対的な強さが消え失せてしまった。21回目の優勝をするまでに2年以上を要し、その2場所後、あの怪我をおしての千秋楽出場、そして奇跡の優勝と引き替えに致命傷を負ってしまう。
 ハワイ出身力士の巨体に対抗するために日本人力士が無理して体を大きくする傾向の中、貴乃花も例外ではなかったし、一部ではドーピングの噂まで上がっているようだが、そういった無理が内臓をはじめ身体にいい影響を与えるはずがなく、結局は膝への負担を増やし動きの鋭さを奪ってしまった。それさえなければ更に大成していたのは間違いないだけに残念でならない。
 それにしても、あの膝の重傷を負わせた武双山と、今場所で無理な二丁投げで肩に怪我を負わせた雅山がともに学生横綱出身で武蔵川部屋の力士というのが単なる偶然ではないように思うのだが。そう思う理由は幾つかあるんだけどね。

若乃花の時も周囲が「まだ休場すべき」という声を押し切って強行出場し、敗戦を重ね引退した。どうもこの兄弟は怪我が完治しないまま無理に出場にこだわって、結果それが引退を早めた印象があり、他にも不可解に思える言動が多かったが、ある意味で不器用な生き方という点では、よく似た兄弟ということかもしれない。
 ふたりとも30前後での引退だから、若い引退のように見えるのだが、実は大鵬や北の湖も引退は30〜31歳だった。若くして幕内に上がり横綱まで上った人はみんな引退するのが早いのだ。それだけ横綱には肉体的・精神的な重圧がかかるということだろう。ふたりの父親である貴ノ花も若くして大関に昇進して10年近く務め、引退はやはり31歳くらいだった。20歳でいちど入幕し、(脱臼による低迷期もあって横綱昇進は26歳だったが)30歳を迎えてから俄然強くなり35歳過ぎまで最強であり続けた千代の富士がむしろ例外中の例外。

しかし今場所後に朝青龍が横綱に昇進したとしても、10年前のような人気を取り戻すことは不可能だろう。あの軽量であれだけの成績を残している点では非常に立派だと思うが。個人的に期待しているのは、先代二子山親方の弟子で元横綱・隆の里が起した鳴門部屋の隆乃若・若の里の2人だが、「血の宿命」好きな日本人の傾向を考えるとそのへんの期待はできないし、かといって栃東は地味だしなぁ。やはり若・貴の子供たちが相撲を目指すまで待つしかない?

 夜明け前
 2003.1.23(Thu)
ここ数日、帰宅時間が遅すぎ。今日(昨日?)は26:20にやっと下宿に辿り着いた。前日に至っては28時というか朝4時だったからなぁ。夜中3時まで開いている近所の「天下一品」本店ですら閉まっているという(泣)

 意外な結果
 2003.1.24(Fri)
先々週に受けた検査の結果を聞きに診療所へ。今回の検査と診察はいつもの病院でなく、専門の先生の診察を受けるために同じ系列の別の診療所(といってもいつも行く病院と至近距離だが)で受けた。診療所だけに?いつもの病院より狭く雑然としていて空気が悪い感じ。なんだか此処でインフルエンザを拾ってしまいそうで怖いのだが(苦笑)。
 で、結果だが、冬になってからあまり歩いていなくて汗もかけずウエイトも若干戻り気味だし、本業の方も忙しくて不規則な生活が続くから、また数値が悪化しているのを覚悟していたが、意外にも血圧以外は以前より更によくなっていた。コレステロールやトリグリセライドや尿酸など、ほぼ全ての数値が標準的な範囲内に収まっていてびっくり。唯一標準範囲を下回っていたのがカルシウムで、最近どうもイライラすることが多くて(別に浅倉威になったのではない)、ひじょーに納得(笑)。けどヨーグルトとか毎日食べているのになぁ。ストレスとかでカルシウムも減るのかなぁ。

診察後、ものすごく空腹感を覚えた上に、大学に戻る途中で百万遍の新福菜館の前を通った時に、あの濃い醤油のニオイを嗅いでしまいフラフラと店内へ(汗)。竹入中華そばとヤキメシを頼んでむさぼり喰った。

 夜更けまで
 2003.1.27(Mon)
京大さだ研初代名誉会長(創立時からです/笑)のSちゃんが今日・明日と大阪に出張で、宿の提供を条件に実験に 協力してくれることになった。ということで20:30から大学の実験室で、やはり実験に協力してくれるさだ研の現役学部生メンバーのNくんとともに実験開始。実験が終わってから狂授も合流して4人で飲み食いし、さらに狂授とSちゃんと3人でうちの下宿で夜更けまでビデオや「EPISODE II」のメイキングDVDを観ながら語り明かして気づけば朝5時。(^^;;)

 通過点
 2003.1.29(Wed)
学会発表の要旨提出〆切日で、なんとか間に合わせた。いや大変ですよ、実験中で結果がまだ出てないのに概要をとりまとめて説明しなきゃならないのって(滝汗) 3月末の発表でこの時期の要旨〆切だから約2ヶ月前ということになるが、来週には口頭発表がある修論の要旨〆切は一昨日なので、やはり相当に早い。修論を書いている時の間隔でいうと12月上旬に要旨を書かなきゃならんということになる訳で。
 おまけに今回の学会から、要旨集を原則として印刷物廃止(希望者のみ有償)・CD-ROM配布ということになると去年の学会の時から予告があったのだが、予想通りpdfによる提出であった。まぁMacOS Xだったらデフォルトでpdf出力できる機能があるしイイや…、と思っていたら意外な落とし穴が。提出するpdfファイルは500KB以下に、という通達なのだが、どうしても2.3MBを下回れないのだ。たしかに画像が大きく入っているのでサイズが大きめになるとは思ったが。

Mac OS Xの場合、ディスプレイ表示自体がpdfを発展させたシステムになっており、ディスプレイ画面のキャプチャ画面もpdfファイルとして生成される。おそらくMacOS Xで印刷処理を行う場合、一時ファイルの印刷イメージを一旦pdfで作っていて、だからどんなプリンタでも(持っていなくても仮想プリンタで)文書を印刷する際にpdfファイルで保存するオプションが選べるようになっているのだと思うが、したがって画像の精度はディスプレイ表示そのままを維持するわけで、Adobe Acrobatのように文書中の画像などを圧縮して保存するなどの機能は持っていないのだ。
 結局、せっかくヒラギノ書体でキレイに仕上げたpdfファイルで提出するのは泣く泣く断念、研究室のWindowsで改めて一から作り直し。370KBくらいに収まったが、どうもフォントが気に入らなくて鬱々とする…、って中身はどうでもいいんかい(^^;;)

で、学会のサイトからファイル添付で送信するのだが、みんな〆切間際になって提出するものだから一時的にサーバがパンクした模様。こうなるのは最初から分かっていたと思うんだけどなぁ(^^;) そもそも製版の必要がないpdfで原稿を集め、印刷部数も少ないのだったら、もっと〆切が遅くてもいいような気がしてしまうのだが。
 ともあれ本番まであと2ヶ月。さっさとデータを集めないと(汗)

そんな訳で昨日から今日はほとんどテレビもWebも見られませんでした。朝青龍の口上は一体どんなんだったのだろう。…え? 新しいPowerMac G4と液晶モニタが出たの? モニタは15インチが廃止され17インチと23インチが値下げ、20インチ新登場か。特に23インチは45万円から25万に大幅値下げ。ってもまだ高いけど(笑) けど17万円の20インチはけっこう使う人がいそうだな。PowerMacG4は_DTP関係者用に従来機種も1種類だけ(1.25GHz Dual)が残されたけど、新機種は先日登場のアルミ筐体PowerBook G4と同様、全部MacOS X専用。とうとう来たか…。

 密談(笑)
 2003.1.31(Fri)
このところ実験のため色々な方にお願いして被験者になって頂いているが、今日はほのさんご夫妻にお越し頂いた。勿論お会いするのは初めて。夜20時すこし前に百万遍で待ち合わせ、挨拶もそこそこに実験室まで案内。で、実験をやってもらいながら色々とお話ししたのだが…、その内容はネット上ではとても書けませんのでご容赦を。(滝汗) あんな話やこんな話やそんな話ばかり小一時間。
 で、実験が終わったあと近所のお店で食事をしつつまた話し込んでしまったのだけど、いや楽しかったです。ホントにありがとうございました。