時々日記:2000.3.15 - 3.31
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 終わりとはじまり
 2000.3.15 (Wed)
週間少年サンデー連載の「歩武の駒」(村川和宏)が今日発売の号で連載を終えた。ほぼ1年間の連載期間、ということになる。顔を知っている人がメジャーな場で活躍する、というのは、何だか自分まで偉くなったみたいに(^^;)嬉しかった。連載中はいろいろ大変だったと思うけど、とりあえず「おつかれさま」。次回作を楽しみにしています。

「GUNDAM WEAPONS」ZZガンダム編が出ていたので買う。イギリスに長期出張に行ってしまった友人の分と合わせて2冊。「GUNDAM WEAPONS」はいつも MGシリーズの完全新作が登場すると数ヶ月後に発行されるもので、プロのモデラーの作例やキットレビューが掲載されるムック。本来ならNT1編も出ていい筈なんだけど、リリース時期がZZと近かったし、素材としていろんな作例を作るベースとしては、初代ガンダムに限りなく近いNT1よりZZの方が面白いから、ということはあるのだろう。とにかく今回も凄い作例が揃ってました。さ、そろそろ俺もZZ作ろうかな…。

え?4月からのフジテレビの月9ドラマ、タイトル「天気予報の恋人」っていうの? それってCHAGE&ASKAの名曲のタイトルやないの。(^^;) だからといって、過去も「あの日に帰りたい」の主題歌がユーミンでなく工藤静香(しかも提供は中島みゆき)だったり、「愛してると云ってくれ」がみゆきさんでなくドリカムが主題歌を唄ったりしてるから、FC会報等で知ったスケジュールからしてC&Aが主題歌をやるワケがないと思う(今ソロ作品の制作中という話)けど、案外ASKAソロで担当したりして。(^^;)
 …それにしても、タイトルには著作権かけられないんだろうな、やっぱ。だからといって露骨なパクリをやるのはどうかと思うんだが。

そっかー、「ニュースステーション」長嶋三奈の後任は真中瞳なんだ…。本人に通知するとき、まさか突如ダースベイダーのテーマ曲が流れてプロデューサーが現れたんじゃないだろうな。(局ちがうって(^^;)

行きがかり上、京大さだ研のホームページの管理人をしているが、ここ宛に「進研ゼミ」からメールが届いた。進研ゼミが受験生向けに発行している情報誌のサークル紹介に掲載させてもらえないか、という内容。どうするかは学部生メンバーに任せるとして、昔は僕もやっていただけに(そういえば毎月、そういう情報誌が一緒に届いてたな)、そんなメジャーどころから声がかかったのは不思議な気分だった。

 時代
 2000.3.16 (Thu)
横綱若乃花が引退する。半年前、場所中の負傷をおして出場を続けたものの負け越し、そこから連続休場のあと、もう一場所休場を予想された中出場してきて、2勝2敗で迎えた今日、栃東に敗れ引退を決意した模様だ。ここ数日は若乃花を応援する声・手拍子が異常なほど館内に満ちていたが、横綱としてのプライドはズタズタになっていたかもしれない。
 話が変わるが、最近の観客は下品だと思う。以前は勝敗に波乱があっても余程のことでなければ座布団は投げなかったぞ。最近は「座布団投げたくて」相撲見に行ってる連中がいるんじゃないかと思うくらいだ。そんな風習は元々はないのだよ。

若乃花が入門した頃から、僕は弟の貴乃花より彼の方が好きだった。 兄や父と比べて体格に恵まれ、正攻法の相撲を身につけていけば大成するのが目に見えていた貴乃花に対して、若乃花は小兵で業師として生きるしかないだろうと思っていた。もともと、やはり小兵でありながら10年間も最強に君臨し続けた大横綱・千代の富士が大好きだったこともある。
 事実、業師としての活躍をしながら弟を追うように番付を上げて入幕したが、早くから土俵の主役的存在になった弟に比べると「名脇役」的なイメージは否定できなかった。ところが、ある時期に強力な「おっつけ」を身につけ正攻法でも戦えるようになってから急速に強くなり、大関に上がっていくのだが、あの頃の活躍がもっとも好きだったな。

しかし、千代の富士の頃よりも更に大型化が進んだ現在の相撲界で、あの躯でトップで居続けるには相当のムリがあった筈で、横綱昇進後は今迄に積み重ねてきたムリの積み重ねが祟った感じだった。
 また、入門時からこれほどマスメディアに追いかけられ続けた力士も皆無だが、特に横綱昇進後は弟・貴乃花との不仲や家庭内のトラブルを報道され、それがどの程度本当なのかは別として、精神的にも追い込まれていたのではないかと思う。人当たりがよく、あまりマスメディアを敵視しないタイプの人だけに、その面でも気の毒だった。

横綱昇進後ついに優勝はなかったが、通算優勝回数5回は決して少ない数字ではない(多くもないが)。双羽黒の事件以降、横綱への昇進基準が極端に厳しくなったが、このせいで横綱昇進時にはピークを過ぎてしまった、という危険が増えたんじゃないかと思う。旭富士もそんな感じだった。逆に言うと、若乃花も横綱になっていなければ名大関といわれたのだろうけど(過去の短命横綱にも、横綱としてはともかく「名大関」として語られるべき力士は多い)

しかし、これほど人柄と「親しみやすさ」で人気を得た横綱も珍しい。この引退で、大相撲は更に人気不振に喘ぐことになるだろうと思う(もっとも昨今の不入りは、長い不況によって企業絡みの席が余るようになったからなんだけど)。同じ2世力士だからといって、栃東や小城錦に若・貴ほどの人気は望めまい。それは、初代若乃花・貴ノ花兄弟から続く「血のなせる業」なのは間違いはない。
 日本の高度成長期の初期、「栃若」の一方の雄として日本人の心を支えた初代若乃花。その弟として入門時から常に注目を浴び、北の湖全盛期に常に人気を高見山と二分し、千代の富士時代到来まで相撲人気を支えた初代貴ノ花。親子ほど齢の違う偉大な兄の幻影を求める周囲の期待に耐え続けた彼の周囲には常に「悲壮」感があったという。そして現在の若・貴。「若乃花」「貴乃花」という四股名に対する、さまざまな世代の日本人のさまざまな想いが彼等にダブっていた部分もあったと思うのだ。(特に三代目・若乃花の場合、筋肉質の下半身や勝負に対する執念が叔父である初代に似ていると言われているし)この先、誰がいったい彼等を超えられる存在になれるのだろうか。

…しかし正直な話、曙より先に若乃花が引退するとは思わなかった…。まだ早いよ…。(涙)

 配達確認郵便物
 2000.3.17 (Fri)
「まさしんぐWORLDコンサート」チケットが届いた。これは毎年行われるさだまさしのFC会員限定コンサートで、以前は通常のコンサートと異なり、ツアーメンバー+スタッフを含めた劇とコンサートの二部構成だった時代もあるが、最近は「いつもと趣向の違うコンサート」という感が強い。
 昨年は「デビュー25周年コンサート」として、例年より会場数を増やして開催された上、東京(谷村新司・南こうせつ)・名古屋(加山雄三)・大阪(小椋佳)がゲスト出演し、こうせつが出演した東京公演の模様はライヴ盤「響の森」になっている。

で、届いたチケットは7/15(土)の大阪フェスティバルホール公演の2枚。席は…、あ。2階Q列って、フェスの一番うしろの席だ。(笑) 以前、ソロ2001回目のコンサート(これもライブ盤「二千一夜」になった)を聴いた時も、フェスの最後列だったな。いやぁ、最後列だから後ろのお客を全然気にすることなく席立ちまくって盛り上がれるぞ…って、そんなコンサートさださんがヤルかって(^^;)

FCのチケットサービス(JCBと提携)を利用しているので、チケット代は後日口座から引き落とし、ということになる。予定日を見たら…8月10日? コンサート当日はおろか、「長崎から」よりも後やん…。さて、今年のコンサートはどんなのになるんだろ。

 君住む街へ
 2000.3.18 (Sat)
昨日に引き続きチケット関連。今日は6/22・23の小田和正3年ぶりのツアーの京都公演のチケット予約日。ぴあ・ローソンでの一般のチケット発売は来週だが、主催者の京都音協での電話予約が今日の朝10時〜昼2時までの限定で行われる、という新聞告知を見逃さなかった。話し中のツーツー音&着信規制メッセージとリダイヤルの繰り返しでチケット取るのなんて久しぶりだな…。
 で、10時から電話しまくって、ようやくつながったのが昼12時20分。無事4枚確保。2時間以上つながらないと普通売り切れてしまうのが通常だが、ぴあやローソンの時と異なり、もともと京都音協の電話窓口の数が少なくて時間がかかっただけかもしれない。今日の予約に気付いた人は少ない筈だし。

小田さんのコンサートに行くのはこれで4回目になるが、2回目(95年"FUN MORE TIME!")・3回目(97年"THRU THE WINDOW")に一緒に行ったのは全く同じ顔触れであった。この日記にも度々登場するみみなかじりん・かじりんの友人アヤちゃん・そして僕、である。
 95年の時は、僕がチケットを4枚取って、みみな・かじりんに声をかけ、かじりんが小田ファンのアヤちゃんを連れてきた、という形だった。フェスの2階席の前から4列目ほぼ真ん中、という位置(フェスの2階席の前の方って、下見るとちょっとクラクラッときます)に、アヤちゃんは「私、高所恐怖症なんですよぉ」と心配してたし、かじりんは「小田さんなんてどっちでもいーけど、ま、アヤちゃんの付き添いで」的気分っぽかったのだ。
 ところが、開演したらいきなりアヤちゃんもかじりんも席立ってノリまくるし、途中かじりんは「きゃー小田さんカッコイィー!!」と叫んで小田さん振り向かせたし。(^^;)
「…アンタら、始まる前は高所恐怖症だとか付き添いとか、言ってなかったっけ…!?」

で、その2年後、今度は京都会館の公演を聴きに行ったのだが、この時既にみみなは名古屋へ、かじりんは大阪へ住所を変えており、それでも同じ顔触れで京都会館へ聴きに行くという(^^;)快挙を達成したのであった。この時になるともはやネタ化していたのは確かで、「じゃ、次も同じ顔触れで聴きに行こう」と約束して、…それから3年。
 その間に、小田さんは事故に遭って療養生活を余儀なくされるし、かじりんは更に徳島に転居してしまったし、アヤちゃんに至っては北陸の方に行ってしまった。それでもチケットは今回も4枚取った俺(笑)。俺とみみなは確定として、残りは果たして今迄と同じ顔触れになるのか…!?

 のんべんだらり
 2000.3.19 (Sun)
昨日、睡眠時間が足りなかったせいか、今日は1日中ぼーっとしていた。外も雨で外出しづらいし。

 祝日
 2000.3.20(Mon)
…そうか、世間では今日は祝日で休みなのね。道理で郵便局が休みな訳だ。(笑) (←もっと前に気付けって)

明日から数日間、名古屋へ帰省予定です。

 名古屋へ
 2000.3.21(Tue)
ちょっと部屋の片づけをしてから下宿を出発。四条河原町に出て頼まれたものやお土産を買う。錦通はいつ歩いても楽しい。烏丸御池から地下鉄で京都駅へ、そして新幹線で名古屋へ。もう「ひかり」に乗っても300系ばかりになったな…。

名古屋に到着したのは2時頃。名古屋駅ビル"セントラルタワー"が開業してから初めての名古屋。京都と名古屋を行き来するようになって10年近く経つが、その間に京都も名古屋も駅ビルが建て替えられ、ホテルやJRと老舗百貨店が組んだ百貨店が開業した訳だ。長い間駅前を覆っていた様々な工事用の構造物は取り除かれ、ちょっとした広場などが出来ていた。

帰宅後、年末に行った接骨院に出かけて整体をしてもらう。またも背骨と首がボキボキ音しまくり。

 ノスタルジックな
 2000.3.22(Wed)
名古屋に帰ってきて、この春に名古屋市営地下鉄の黄色い鋼製車両が全車引退することを知った。
 東山線の開業当初に使用された100系(既に引退)、その後継の300系や250系、名城線の1000系列は車体全体を黄色に塗られており(名城線車両は路線カラーの紫色の帯が入る)「黄電」と呼ばれたこともあったという。「トンネルの暗闇から駅ホームに入ってくる時に目立つ色」としてこの色に決めたのは画家の杉本健吉。名鉄がパノラマカーを製造したとき、その塗色をスカーレットに決めた人でもある。つまり「名鉄=赤、地下鉄=黄」という名古屋人が常識的に抱いてきたイメージを決めた人ということになる。

小学生の頃、よく名古屋市立科学館に行ったものだが、そのため「地下鉄」というと黄色くて小さな電車・自動放送装置の車内案内の女性の声、という印象が強い。だから地下鉄の黄色は、僕の少年時代の記憶とダブる部分があるのだ。
 その後開業した鶴舞線はステンレス車両で登場、1982年から東山線に冷房付きのアルミ車5000系(小断面の地下鉄で冷房車を入れたのは営団より遙かに速かった)が登場してイメージが変わりはじめた。名城線にも1988年の「デザイン博」頃から軽量ステンレスの2000系が大量投入され、東山線もステンレスの5050系に切り替わって増備が続き、もとよりステンレス車の鶴舞・桜通線と合わせて急速に無塗装化・冷房化が進んだ。そしてこの春、鋼製車両の全面引退となる。またひとつ想い出が去っていくような、ちょっと寂しさを感じているのはきっと僕だけではあるまい。

 ついに導入!!
 2000.3.23(Thu)
朝から整体へ。一昨日より状態は良くなっていた。

そのまま徒歩で親戚の家へ。従兄の子供が高校入学祝で買ったVAIOのインターネット設定を頼まれる。Windowsマシンのセットアップをするのはいつ以来だろう。

帰宅したのは2時半頃。そのまま飯も食わずに家業の手伝いをさせられ(たまたま人手が足りなかった)、昼食は3時過ぎに…。で、4時に実家を発つ。

名古屋駅に着くと、そのまま高島屋へ。高島屋のテナントとして東急ハンズが入るという形式は新宿と同じだな。今迄も名古屋に東急ハンズは栄に「ANNEX店」があったのだが狭かったので本格的なハンズが開店するのは初めてということになる。いや、見ていて飽きない。1時間半ほどぶらぶらした後、新幹線へ乗り込む。

京都に到着したのは7時過ぎ。四条寺町へ急ぐ。モデムを買い換えようと思って寺町の電気店街に来たのだが、既に営業時間を終え閉店する店も多かった。で、まだ開いていて入った店で目にしたのは、
  YAMAHA MU-128
 数年前はYAMAHAの最上位モデルだった音源ユニットである。拡張ボードを組み込めば往年のアナログシンセの名機DX-7の音まで再現できるなど拡張性も高い。欲しかったのだが値段が高くて(メーカー希望価格11万円)なかなか手が出せず、ひとつ下位の機種で我慢するかと考えていた。最近MU-2000・MU-1000というデジタル出力端子・USB接続の機種が出たせいか大幅に値下がりしたのだと思うが、メーカー希望価格11万円のものが4万円で売っていたのだ。そりゃ、買うでしょ(笑)。MDR(マルチトラックMD)はデジタル接続できないし、USB接続は俺のMacには必要ないし。
 これで音源はグレードアップ。あとは作る側のウデのグレードアップが…(以下略)

 これが実力だ
 2000.3.24(Fri)
京都音協に行って小田さんのコンサートチケットを受け取ってきた。前から12列目。けっこう観やすそうだ。Newシングル「woh woh」もゲット。JRAのCM(松嶋菜々子が出ていない方)で流れている曲です。

モデムとMU-128のセットアップ。買い換えたモデムはアナログで最高値の56kbpsなので、今迄より速く読み込める時が出てくるはず。使ってみたところ、だいたい48kbps前後でつながることが多いようだ。
 一方、MU-128と同時にシーケンスソフトも従来使用のEz Vision 2.0からEz Vision 3.0 + XG Editorに替わるので、もっと作りやすくなるはず。設定を終えてMU-128で以前作った曲をかけてみたら…、音、違いすぎ。流石MU-128だわー(感涙)。音色によってはかなり本物に近い音になったせいか、以前の音源で作ったエフェクトのパラメーターやミックスバランスではおかしくなってしまった。ぜんぶ手を入れ直さないと(汗)

そういえば今日は京大の卒業式だった。国旗・国歌法が制定されてから初めての卒業式だが、例年通り国旗もなく国歌も唄わなかったそうだ。流石だ…。そもそも京大の入学式・卒業式では学歌さえ演奏されるだけで誰も唄っていないしな。…いや、知らないから唄えないんだけど(^^;))俺の学部の卒業式の時は、学歌が演奏されてる時それを遮るように応援団員と思われる学生が一人で応援歌を怒鳴っていたけど、あれって応援団内での何かの罰ゲームだったんだろうか(笑)。

 そんな季節
 2000.3.25(Sat)
さだ研の総会に出席する。意見を求められればロートルとして話そうか、というのが基本的な立場。ま、行きがかり上HP管理人をしているから、そちらの方で役員から要望があれば承ることになるし、HP伝いで進研ゼミからきた依頼についても意見を聞いた。さて、どうやら4月から新会長に交代することになりそうだ。さだ研としては新人獲得が大変な時代だけど、頑張って欲しい。

サークルの追いコンのため京都に来た妹が宿泊。明日は大阪に出て劇団四季を観るらしい。

 荒れる結果
 2000.3.26(Sun)
日経賞でグラスワンダーが6着惨敗の衝撃も醒めやらぬ中、今年から春G1初戦となった高松宮記念、アグネスワールド・ブラックホークの人気馬2頭ほかをまとめて差し切ったのがキングヘイロー。名牝グッバイヘイローの仔ということで誕生時から常に注目去れ続けてきた馬だが、ようやくG1を勝った。スペシャルウィーク・セイウンスカイとともに4歳時クラシックで「3強」と呼ばれたが、クラシックは勝てず、短距離路線に進むもなかなかG1を勝てなかったのだが、やっと…。

貴闘力が史上初の幕尻優勝。若乃花引退の場所、武蔵川部屋の連覇を6でストップさせた。ま、武蔵川部屋は武双山の大関確定・来場所は雅山も大関挑戦とめでたいからいいでしょ。

夕方のニュースで、川崎球場サヨナラ試合となったベイスターズ−マリーンズのオープン戦のスコアを見て愕然とする。22-6? しかも22点とったのベイスタじゃなかったの?

 タカハシ来たる
 2000.3.27(Mon)
東京から友人タカハシ氏が上洛、下宿に一泊することになり、夕方6時過ぎに出町柳で待ち合わせ。下宿到着後、「天下一品」へラーメンを喰いに出かけた。

5/20に東京で開催されるライヴ出演のこと、ことしの夏の「公楽荘」のこと…。いろいろ相談したわけだが、その内容はいずれ明らかになるでしょう。

 京都を歩こう
 2000.3.28(Mon)
朝からタカハシ氏と京都を歩く。百万遍のマクドで朝食のあと「緑寿庵清水」へ。タカハシ氏は初めて。金平糖を幾つか買っていった。
 そのあとバスで堀川今出川に移動、白峰神宮へ。ここは配流先の隠岐で死去し陵が京都にない崇徳天皇の怨霊を鎮めるため建てられた社で、後にやはり配流先の淡路に陵がある淳仁天皇も合祀されている。敷地は江戸時代は公家の飛鳥井家の邸宅だったところで飛鳥井家が蹴鞠の家であったことから「球技の神様」として参詣する人も多いんだそうだ。実際、有名無名さまざまな学校の野球部やサッカー部や、プロ野球選手が納めた札があった。
 白峰神宮を出て、すぐ近くの安倍晴明神社へ。安倍晴明は陰陽道の開祖みたいな人で、オカルト関係の本などでその名前を知っている人も多いだろう。ここの建物の軒瓦はすべて五傍星が彫られていて、提灯やお札にも五傍星が入っており、それだけで十分にキテいる。この近くには一度死んだ人が生き返った伝説のある一條戻り橋(旧橋に使用されていた石材が境内に転がっていた)もあり、怨霊や陰陽道などオカルトチックな一帯でもある。

そのまま西へ歩いて、上七軒を抜けて北野天満宮へ。梅はまだ綺麗に咲いていた。北野白梅町からバスで梅小路蒸気機関車館へ(爆笑)。京都に住んでから何度か来ているが、正面の建物が旧二条駅舎になってからは初めて。雨もけっこう降ってきたが、なかなか面白かった。

京都駅に着いて昼食の後、タカハシ氏は東京へ。次に会うのは5月のライヴの時、ということになるのかな。

 噴火か
 2000.3.29(Wed)
しかし…日本でメジャーリーグの公式戦が行われるのは面白い試みだとは思うけど、選手の年俸が跳ね上がったことでマーケットを拡大するしかないMLBにとって日本は単なる開拓先だろうから、この先日本のプロ野球がMLBの下部組織化してしまわないか心配だ。某オーナーはオリンピックよりこっちに反対すべきだったと思うんだが、主催者側になってるし。ま、たしかにピアザのホームランやリッキー・ヘンダーソンの41歳になっても尚衰えぬ快足を見られるのはワクワクするけどさ。

北海道・有珠山が不気味な動きを見せている。麓の伊達市・虻田町にはあのメジロ牧場がある。20数年前の噴火の時も火山灰で牧草が全滅し大打撃を受けたことがあるだけに心配だ。
 あの時は現役馬にオープン馬がおらず、その復旧費用さえままならない中、突如、障害馬メジロアシガラが開花して、賞金額の高い障害オープン戦で稼ぎまくって復旧資金を牧場の口座に運んでくれたのだという。その苦難を乗り越えて、あの80年代のメジロの隆盛があった。
 この先どのような状況になるのか予測できないが、できれば何も起こらないことを祈るのは勿論、たとえ何らかの被害を受けても力強く立ち上がることを期待している。

 開幕
 2000.3.31(Fri)
年度末。そうか、今日限りで八木亜希子アナがフジテレビを退社してしまうから最後の出演なんだ…。有珠山噴火でそれどころの雰囲気じゃなかったけど。現役の女性アナウンサーではいちばん雰囲気が好きな人だったからけっこう寂しい気分。

プロ野球がいよいよ開幕。今日からセ・リーグ、明日からパ・リーグ。開幕戦につきものといえば「君が代」と「始球式」だが、今年の東京ドームの開幕戦(ジャイアンツ−カープ)では、始球式を「国境なき医師団」の女性スタッフが務めるそうだ。芸能人のパフォーマンスの場と化している昨今の始球式を思うと、この人選には感心する。…が、「君が代」独唱がSMAP・中居正広ってのは…、戦前だったら不敬罪で捕まるぞ(笑)。
 …で、期待して(何を?(^^;))テレビ中継を見ていたのだが、中居が歌い始めた途端観客席から笑い声が起きてたし(^^;) いーのか、あれ?
 さて、試合は広島が勝ったお陰で面白かった。(^^;) 中日も負けたけど、あれは石井一久が凄かったというべきだろう。あとで奥さんの木佐アナ担当最後となった「プロ野球ニュース」に電話出演していたが、お互い敬語で話すやりとりに周囲がツッコミまくりで笑えた(^^;)。

明日の福岡ドームでは久米宏が背番号「9:54」のユニフォームを着て始球式を行うことが話題になっているが、ここでの「君が代」を唄うのはさだまさし。右翼が泣いて喜びそうな美しい「君が代」を唄ってくれるでしょう。(^^;)