File No.018 わらべうた

とおりゃんせ

とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ
ちょっととおしてくだしゃんせ 用のないものとおしゃせぬ
この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

とおりゃんせ とおりゃんせ
ここは冥府の細道じゃ 鬼人様の細道じゃ
ちょっととおしてくだしゃんせ 贄のないものとおしゃせぬ
この子の七つの弔いに 供養を頼みに参ります
逝きはよいよい 還りはこわい
怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

昔、貧困から子供を捨てる親が続出し、みんな自分の生活で精一杯なので誰も子供を拾わず、道端で餓死する子供が大勢いたらしい。
で、「天神様の境内に置いてくると神主さんが拾って育ててくれる」という噂が母親達の間で流れ始め、天神様に子供を置いてくる母親が増えていった。
困り果てた神主が、天神様に続く細道に見張りを置いて、子供を捨てる母親が来ないように監視していた。
母親達は、「この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります」とウソをついて、その天神様に続く細道を通ったらしい。
行きは、そういう名目で通るから良いのだが、帰りは母親1人で帰ってくるので、「子供を捨てた」と後ろ指さされるので
「行きはよいよい、帰りはこわい」

天満宮に子供を捨てに行く唄だそうです
捨て子が余りに多いため、誰も拾わず見殺しにしていた頃、天満宮の境内で捨てられた子供だけは神社が拾って育てたという噂が広まって、みんな捨てに行った。
 警備の人間もそれを分かっているから中々子連れの女を通そうとしない。
で、子供の七つのお祝いにお札を納めに行きます、と嘘を言って捨てに行く。
行きは子連れだからよいが、帰りは「子を捨てた母親」のレッテルを背負って帰るから「怖い」。
でもそうしなければ親子共々飢えて死んでしまう。
だから怖いながらも通りゃんせなんだと。

私も間引きの歌という話を聞いたことがあります。
ちなみになぜ 七つの~ となっているかと言うと

昔は「七つまでは神様の子」と言われていた。
ゆえに七才になるまでは、捨てに行くことはなく、七才になってから捨てに行っていた。

ということらしいです。
まぁ、普通にとおりゃんせを解釈すると、七歳までは神様の領域でで、七歳までは神様が守ってくれてんの。
だから、七歳の札貰って帰ってくる帰りは危ないよって事だしょ?

どこで聞いたか忘れたし、記憶も曖昧だけど
確かその「天神様」の神社かなんかは、幕府か皇家ゆかりのところで入るのはいいんだけど、出るときには
その場所にあるものは、石ころ一つでも持ってっちゃいけない、ってことで持ち出したら打ち首になったらしい
そんで監視の眼が凄い恐ろしくて「帰りは怖い」ということだそう

あまりいい意味をもっていないようです。
死者があの世から呼んでいる唄とか言われています。
実際にこの唄のモデルになった神社が埼玉県川越市にあります。
この唄には2番3番とあるらしいです。
インターネットで探していたら確かに2番があったのですが、どこかに行ってしまって見つからなくなってしまった。
覚えている部分は、かしわ餅を供えるとか、でないとお化けが出るとか、そんな唄でした。
それと、こんな昔話を唄に盛り込んでいるそうです。
その昔話とは、ある日村人が夜神社に行ってさい銭箱を盗める奴がいるか?
と、度胸試しをしようと話したときに、一人の赤ん坊連れの女が行くと行ったそうです。
そして夜、女は何も問題なく行きは、さい銭箱を盗めたそうです。
けど、盗んだ後、帰りに後ろから「置いてけ」「置いてけ」と聞こえたが、無視して突っ走ったそうです。
そして、村人の集まるところに帰ったが、村人は皆女を見て青ざめていた。
それは、女のおんぶしていた赤ん坊の首がなかった。
と、言う昔話。
つまり、「行きはよいよい、帰りは怖い」はこの部分を盛り込んでいるとか?
始めに述べた死者が呼んでいる唄だと、あの世の住人が呼んでる為、あの世に誘っている為、「行き(あの世に来るの)はよいよい、帰り(現世に帰るの)は怖い」になる。
とにかく、いろいろ噂がある唄です。

発祥は川越の三芳野神社で間違いないですよ。
地元民なんで行ったことあります。歌の縁起の看板も地味にあります。
ついでに、天神様はマジで菅原道真公ですが。
確か江戸時代に建てられたから、そんなに古い神社ではないんですよ。
全部の神社が昔からあるとは限らないでしょ。
ただの空き地に新しく作ることもある。政治的に、とか。

「7歳まで子どもは神様のもの」というのは本当で(七五三)、札を預けると子どもは神様から自立しなきゃならないのも本当だけど、

城の中の神社だったから、七五三の時の年に一回しか入れなくて
だから警備も厳重で役人(権力)怖い、とまあ
えらぶってる怖い役人を子どもたちが皮肉った童謡ですわなあ。
返し歌は聞いたこと無いですが。
よく分かんないけど、童謡に返し歌ってあるもんですかね?(俳句なら知ってるんですが)
少なくとも川越のとは無関係か。

色々含みのある歌詞の上に、音程と全体の歌の流れがなんとなく怖いので
割と創作にも使われてますが(鬼切丸は読んだ。アレ替え歌です)
地元民としちゃ、あんまそういうイメージ沸かないなあ。
川越って米がいっぱい取れる比較的豊かな地域だったし「貧しくて子どもを…」が由来とは言い難いねえ。
城中の神社の中で一般市民が殺人とかできないし船貿易で栄えてたからそれ程田舎でもなかったしねえ。
まあ、陰惨なイメージの解釈のが面白くはある。

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