冬の星 バックナンバー

このエッセイは、「月夜のピアノ」のAIさん作曲、「遥かなる空へ」を聞きながら書きました。
とてもいい曲です。関心のある方は月夜のピアノにいかれて、曲をダウンロードしてください。


第三十回「覚悟」(2003.6.5)

第二十九回「平和な年に」(2003.1.1)

第二十八回「無傷」(2002.10.20)

第二十七回「才能」(2002.7.25)

第二十六回 「新たな旅立ち」(2002.4.9)

第二十五回 「冬の星 ふたたび」 (2002.1.12)

第二十四回 「屈託なく、笑う」 (2001.11.14)

第二十三回 「聞くこと 続き」 (2001.10.29)

第二十二回 「聞くこと」 (2001.10.10)

第二十一回 「耕し続ける」 (2001.9.19)

第二十回 「それぞれの世界」 (2001.7.30)

第十九回 「歯噛み」 (2001.7.16)

第十八回 「言葉を、のせるもの」 (2001.7.14)

第十七回 「その、後ろに」 (2001.6.9)

第十六回 「熱く、激しく」 (2001.5.5)

第十五回 「別れ/再会」 (2001.4.21)

第十四回 「永久欠番」 (2001.3.18)

第十三回 「強さと優しさ」 (2001.3.3)

第十二回 「茶色と紫色」 (2001.2.20)

第十一回 「からかい」 (2001.2.13)

第十回 「忘却」 (2001.2.9)

第九回 「時の舟」 (2001.2.3)

第八回 「花」 (2001.1.30)

第七回 「冬の雨」 (2001.1.26)

第六回 「傷」 (2001.1.25)

第五回 「願い」 (2001.1.22)

第四回 「喧嘩友達」 (2001.1.20)

第三回 「闇夜のピアノ」 (2001.1.18)

第二回 「逃げちゃいけない」(2001.1.17)

第一回 「出 発」(2001.1.17)

第0回 「はじめに」 


「はじめに」

 今年の元旦から2日にかけて、私は教会の仲間とともに六甲山を登りました。

深夜12時に芦屋に集合し、山頂までゆっくりと登って行きました。

午前4時頃に六甲の山頂に到着したのですが、山頂付近に来たとき、ふと空を見上げました。

星が見えていたのですが、その星が不思議とすごく近く感じられたのです。

手を伸ばせば届きそうな、そんな感覚でした。

地球と恒星との距離を考えれば山の高さなどあってなきが如しです。

そんな感覚は錯覚に過ぎません。

平地にいるときには視界を妨げていた山や建物が山頂では見えませんから、

そのために近くなったような錯覚を覚えたのでしょう。

でも、その時は本当に遠い星に手が届くような、そんな感じだったのです。

体力があまりない私は疲れて眠かったのですが、その時すごく力づけられました。





私のような者でもいろいろな夢を持っていたりします。

厳しい現実の有り様を見るにつけ、決して生きている間に実現するとは思えない、

そんな夢です。

でも、たとえ、実現しない夢であっても、

夢を目指して前進していくこと、

それはやめてはならないことだと思います。

不思議なことに、そんな夢に向かって歩んでいると、

時々、その夢が近くなったような錯覚を覚える出来事と出会います。

ひょっとしたら、いつか夢がかなえられるのではないか、

そう思える瞬間があるものです。

たとえ錯覚に過ぎなくとも、

そうした出来事が人間を奮い立たせ、力づけ、前へ前へと歩ませるのではないでしょうか。





そんな、思いを少しでも共有できたらと思い、

このコーナーを「冬の星」と名づけました。

字が多くて嫌になるかもしれませんが、

読んでくだされば、

幸いです。

第三十回 「覚悟」 (2003.6.25)

ある漫画を読んでいて、こんな台詞がありました。

「もし三年後にも、同じことをしていなかったら、お前はほんものじゃない。」

理想を追い求める新人に対し、先輩が投げかけた言葉でした。


この言葉が

私の胸を深く突き刺しました。



牧師として立とうと思い、神学校の門をたたき、

幾ばくかの修練をし、卒業の日を迎え、教会へと赴任しようとしていたとき

私の心にもそれなりの理想がありました。

でも、それからどれだけ妥協をし、言い訳をし、日々生きてきたことでしょう。

それなりに精一杯頑張ってきたつもりではあります。

無為に日々を過ごしたつもりもありません。

しかし、「仕方がない」という言葉と共に、

周りに、そして権力に迎合しなかったとは言い切れません。

もっと言うべきことを言い、

なすべきことをなし、

貫く覚悟が必要だったと痛感しています。



伝道師として教会に迎えられてから三年が過ぎました。

「もし三年後にも、同じことをしていなかったら、お前はほんものじゃない。」

今、私の「覚悟」が問われているのでしょうね。

第二十九回 「平和な年に」 (2003.1.1)

あけましておめでとうございます。

新しい年、2003年が始まりました。

昨年一年のご愛顧、心から感謝致します。

みなさんにとって昨年はどんな年だったでしょうか。

昨年は私にとって大きな変化があった年です。

新しい任地での働きが始まりました。
久しぶりの東京での生活が始まったりもしました。
おかげさまで、毎日が発見と冒険の日々です。

同時に昨年は、教会的にも、また一般の政治情勢から言っても、極めて保守化の流れが強かった年だったと思います。
日本は国家による管理、しめつけがひどくなり、戦争の出来る国づくりが刻々と進んでいます。
私の所属する教会も、弱者を切り捨て、国家権力と迎合して人的勢力を伸ばそうとしています。

世界的には「テロ対策」の名のもとの、殺戮、戦争が巻き起こった一年でもありました。

そして。。。。

今も朝鮮半島の緊張が高まってきています。
実はあくまでもアメリカの専横的な軍事による脅しなのですが、日本、韓国も巻き込んでの戦争に発展しかねない雰囲気です。

きっと今年は「平和」に関しての分岐点となる年でしょう。

今、平和運動が権力の前に屈することになれば、もう戦争への流れは止められないかもしれません。
今年は、私も平和運動にもっと積極的に関わる年としていきたいと思います。

聖書では、「正義」とは、人の権利と命が、特に弱い者が重んじられる世界においてのみ実現される「神の意志」です。

「 正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。」(アモス書5:24)

今年こそ、平和と正義の満ちあふれる年であって欲しいと願います。

いえ、願うだけではなく、そうしなければ、私たちに未来は無いことでしょう。

今年こそ、平和な年に、したいものです。

第二十八回 「無傷」 (2002.10.20)

以前、空手道をしていたときのことです。

空手には「型」があります。
一人で、定められた動きを連続して行うものです。
技の意味を伝えるための、大事な教科書のようなものでもあります。

その型の練習をしていて、途中で動きを間違えた時。。。
私は最初からやり直すタイプの人間でした。

型は一連の動作の流れでもありますから、本来なら間違えた部分から練習をしなおせばいいのです。

最終的にノーミスでできるように仕上げればいいのであって、練習の途中では、ある程度区切って練習した方が効率的なのです。
それでも、私は最初からやり直していたのを覚えています。


何故でしょうか?


私は一からやり直して、ノーミスでないと気が済まなかったのだと思います。

それは、きっと、間違う自分。
不完全なことをしてしまう自分を許せなかったのだと思います。

このことをもって自分のことを「完全主義者」などとは決して思いません。

単に失敗する自分が恥ずかしくて、人に見せたくなかっただけなのだと思うのです。





殆どの人間は、何らかの失敗をするものです。
ノーミスであらゆることを成し遂げ、
人生を切り抜けることなど、できはしないことだと思います。

でも、最近つくづく思うのですが。

私たちは「無傷」であることを、必要以上に望んでしまっている気がしてなりません。
「無傷」であることなど、本来、殆どの人間にできはしないことなのに。
それが尊い価値であるかのように思いこんでしまっているのではないでしょうか。

そう。。まるでテストの答案用紙に「満点の答案」を望むように。
人間の人生は、テストの紙切れではないはずなのに。。。。


生きている限り、人は何らかの失敗をし。

罪を犯し。

過ちを犯し。

傷つけられ、、、

そして、己自身も、傷つきます。。。


時には回復できない程の大きな傷を負ってしまうこともあります。
逆に負わせてしまうこともあるかもしれません。

でも、きっと、それが人。

傷つき、傷つけられ、ぼろぼろになりながらも、生き抜いていくのが、人間だと思うのです。
そのたくましい姿の中に、魂の強い輝きがあるように思えてなりません。

何も開き直って、傷つけることを認めるつもりはありません。

でも一度の挫折によって、すべてが駄目になったと思いこむ人の何と多いことか。。。

それは、失敗し、愚かさを示す自分を許せないこと。
他人を傷つける自分を許せないこと。
自分を傷つける他人を許せないこと。


人は、許されなければ、生きていけない。

人は、他者を許さなければ、生きていけない。

傷つきながらもたくましく生きる姿の中に、

許し、許されて生きる人間の偉大さが。

また、たとえ完全ではなくても傷を癒し、再び立ち上がる人間の偉大さが。

現れていると思うのです。


私たちは、もっと自分の、そして、人間の力を信頼していいのではないでしょうか。

第二十七回 「才能」 (2002.7.25)



「私はこの仕事に向いているのかな?」


よく聞く問いです。

これは私自身の問いであり、

以前勤めていた会社でも、通っていた神学校でも、仲間からよく聞いた問いです。

また私が現在一緒にすごしている青年達、特にこれから就職を控えている青年達も、恐らく心密かに持っている問いでしょう。


私はその問いを向けられた時、決まってこう答えることにしています。


「あなたはその仕事にこだわりを持っていますか?」




確かに私は能力的な面で、仕事をはじめいろんな物事への「適性」というものはあると思います。

経験から言って、あらゆる事柄に「出来、不出来」「得意、不得意」があります。

特に「超一流」と社会から評価されるようになるには、それ相応の能力が必要になることでしょう。


でも、私は物事への「適性」や「才能」と呼べるものがあるとすれば、
その一番根っこにあるのは、その対象への「こだわり」だと思っています。




私がかつてついていた仕事でも、私などより遙かに才能豊かに思える同僚がいました。

しかし、その中の少なくない人数が、仕事に嫌気がさし、私よりも早く退職していきました。

私がうらやましく思うような技術や知識、思考能力を持った人間でも、一度キャリアが切れてしまえば、その道での大成は難しくなります。

そして最終的には私自身も嫌気がさして仕事に挫折してしまいました。

その頃、不器用だとばかり思っていた後輩達も、今ではその道のベテランになっています。
決して私など適わない優秀な技術者として、です。


どのような才能豊かな人物であっても、挫折の一つや二つ経験するものです。

挫折に直面して放り出してしまえば、そこでその道も途切れます。

どんな豊かな可能性も、そこで止まります。

可能性のままで、終わります。

しかしその道にとどまり、努力をし続ければ、いつか花開くこともありうるのです。
可能性が、現実になるかもしれないのです。


そして、その道にとどまっていられるかどうかの鍵が、やはり「こだわり」だと私は思います。

「こだわり」は、その対象が好きであるかどうかや、やりがいを感じるかということだけではなく、いろんな形があり得るでしょう。

プライドかもしれません。

社会的な評価、かもしれません。


もちろん「こだわり」があればすべてうまく行くという訳ではありません。

でも、何らかの「こだわり」がなければ、その道で大成することは難しいと思います。



現代社会では、人間にはいろんな選択肢があります。

だからかもしれません。

私たちは、自分の向き不向きをあまりにも簡単に決めてしまいがちな気がするのです。




正直に言って、私は今の仕事に関しても、能力的な適性があるとは思ってはいません。

ただ、教会や牧師としての仕事への「こだわり」は、やっぱり今でも強く強くあるのです。

だから。

もう少し、私は頑張れます。

みっともなくても。

頑張れるのです。




一番基本的な才能、「こだわり」

一番簡単なようでいて。

一番持つのが難しいものなのかもしれませんね。

 第二十六回 「新たな旅立ち」 (2002.4.9)

3月にて、これまで奉仕していた西宮教会の担任教師の座を辞し、
この4月から、東京にある日本キリスト教団の学生青年センターの主事(センター付きの牧師を「主事」と呼びます)となりました。

私にとって、新たな旅立ちのときです。



正直に言うと不安で一杯です。

何の特技も、何の取柄もない私です。

一体学生たちを前にして、私に何ができるというのでしょう。

確かに私は、教会の伝道師としての経験を、2年ほどですが積むことができました。
牧師の仕事は、神学生の頃から側で見ていて、ある程度様子を知ってはいます。

でも、センター主事の仕事は、本当に未知数なのです。
のんびりしていて、とろい私に、本当にこの仕事がつとまるのでしょうか。

不安だらけの旅立ちです。



でも、不思議なことですが、不安であると同時に楽しみでもあります。
自分に一体何ができるのか。
試してみるチャンスだとも思うのです。

そう、新たな冒険だと思っています。

不安が全くない冒険などは存在しません。
不安があるからこそ、冒険なのです。
そして、冒険だからこその充実感や感動が、
きっと、きっと、その先に待っていると思うのです。


「信仰とは冒険だ」

そう言った先輩がいます。

もし、この冒険に敗れたら。。。
それはその時のこと。
また一から出直しましょう。
そこから這い上がるだけの覚悟と熱意は、この仕事に対して持っているつもりです。

不安と希望をないまぜに抱きながら。
これからの船出に望みます。



まずは、みんなの心の声に耳を傾けるところから始めようと思います。
自分の経験を一旦無にして。
思い込みを捨てて。
焦りを捨てて。
見栄や虚勢を捨てて。
心静かに、相手の声に耳を傾ける。
辛抱強く相手を信頼して。
ひたすら耳を傾ける。

まずは、そこから始めることにします。

これ、意外と難しいのですよ。

でも、頑張ってチャレンジしてみます。

聖書も語ってくれています。

「聞け、イスラエルよ」

そう、シェマー、なのです。



この季節、別れや、新たな旅立ちを経験している方も多いと思います。
皆さんの旅立ちが祝福のもとにありますように、お祈りします。

第二十五回 「冬の星 ふたたび」 (2002.1.12)

このコーナーを「冬の星」と名付けたきっかけは
昨年の元旦に行われた、教会の新年恒例の行事
六甲山深夜登山での出来事でした。

今年も元旦の深夜から2日の朝にかけて、
同じように六甲山を登ってきました。

昨年に比べて天候が悪く、
後半は雪の中での山登りになりました。

とても寒く、休憩をとっていると体が冷えてくるので、
去年よりもさらにハイピッチ、ハイペースでの山登りになりました。
寒くて、疲れもしましたが、
それでもやっぱり楽しい経験でした。



雪が降ったので、
昨年のように冬の星をよく見ることができなくて、
少し残念でした。

しかし、登り始めてしばらくの間は
思ったよりも晴れ間が見えて、
「風吹岩」とよばれる眺望スポットから、
芦屋、西宮、尼崎方面の夜景を見ることができました。

「風吹岩」からの夜景は本当に絶景で。
こればかりは夜にここへ登って来た人でなければ
見ることのできぬ「贈り物」だと思いました。

眼下に広がる一面の光の海。

凛とした寒い空気の中、
吹きすさぶ風に身をこすられながら、
心身を引き締めつつ、
それを眺めます。
静かに、そして穏やかに。

最高の贅沢の一つでしょう。

その景色は、昨年登った時に見たものと、殆ど変わりがありません。

でも、同じように、大きな感動を、今年も与えてくれました。
新鮮な感動を与えてくれました。

もう、あれから一年が過ぎたのか、とふと物思いにもふけりました。

確かに少しは体も鍛え、
二回目の経験から来る余裕もあって、
昨年よりはずっと楽な気持ちで、私はその場にいました。



風吹岩からの眺め。

それは昨年と殆ど同じものです。

でも、同時にそれを眺める私は、
決して昨年と同じ私ではありません。

昨年もいろいろとありました。

つらかったこと、
悲しかったこと、
苦しかったこと、
怒りに震えたこと、
楽しかったこと、
嬉しかったこと、
面白かったこと、
驚いたこと、
感動したこと、
慰められたこと、
勇気付けられたこと、
涙したこと、
そして、微笑んだこと。

その一つ一つが、たとえ微妙にではあっても、確実に私を変化させ。
昨年とは違う自分がそこにいたのです。


私たちは同じ様な経験を繰り返し、ゆっくりと円を描きながらも、
しかも経験の積み重ねにより、少しずつ変化し、
より高みへと向かっているのでしょう。


そう、ちょうど「螺旋(らせん)」を描くように。


大きく周りながら、繰り返し、
時には立ち止まり、
時には後戻りして、とまどいつつも、
確実にゆっくりと、ゆっくりと、
上へと進んでいるのです。


今度「風吹岩」から夜景を眺めるのはいつになるのか、わかりません。

でも、その時の自分がどうなっているのか、楽しみだったりします。

昨年と同じ年明け。
今年はどんな一年になるのでしょうか。

皆さんにとって、幸多き一年であることを、心よりお祈りしております。

第二十四回 「屈託なく、笑う」 (2001.11.14)



幼稚園の子どもたちの笑顔を見ていて。
その屈託のない笑顔に、いつも、心慰められます。

今の私は、あんなふうな笑顔を見せているのかな?



私の子どものころ。
近所にテキ屋さんのおじさんが住んでいました。

体つきも筋肉質でがっしりしていて、
腕もやたら太くて、
日焼けした肌が真っ黒で、
そして、背中に刺青のある、
かなり強持ての人でした。

私たちが悪事を働けば。
たとえ他人の子どもであろうとも。
烈火のごとく怒る人でした。

それはそれは、本当に、怖かったです。。。

こんなことがありました。

ある時、私と友人は、近所で誰かが違法な「かすみ網」をはっていたのを目撃しました。
そこにつかまったすずめがかわいそうで、
私たちは網を破ってすずめを逃がしました。
それを網をはっていた人に見つかって、
ひどく怒られ、なぐられたのです。

後日それを知ったそのおじさんは、
網をはっていた人のところにどなりこんで、
その人をボコボコにしたそうです。。。


いかつくて、強持てで、怖い感じの人でしたが、
優しくて、
正義感の強い、
そして、とても、激しい人でした。


いっしょに遊んでくれたときの笑顔。
縁日でお店をだしているときの笑顔。

そのおじさんの笑顔が、今でも忘れられません。
年長者に対してこんな言い方は失礼かもしれませんが。
本当に屈託がなくて、
心の底から笑っている、そんな笑顔でした。

強持てのいかつい顔が、
笑って、表情が崩れるとき、
なんともいえない安らぎを感じたのを覚えています。

心の底から泣き、

心の底から喜び、

心の底から怒り、

心の底から笑う、

そんな人でした。



最近の私は。
そんな心からの笑顔を、持てているのでしょうか?

ふと疑問に思います。

何か、冷めた、はすに構えた、悟ったような、嫌らしい笑い方をしているのではないでしょうか?

ちょっと不安に思います。


生きることに一生懸命で。
ひたすらに頑張って無我夢中に生きていれば。

いつの日か、
きっと、あのおじさんのような、
素敵な笑顔になれるのかもしれませんね。

あんな顔で、笑ってみたいな。

屈託のない、まじりっけのない、笑顔で。

第二十三回 「聞くこと 続き」 (2001.10.29)

前回の「聞くこと」を考えるもととなった

ある出来事がありました。

以前、私の属する教団の代表者会議の席で

ある特定の人たちに対する、

重大な差別発言があったのです。

多くの方々がその発言で侮辱され、傷つけられたのですが

その中に、私の大好きな友人がいました。

友人は抗議活動をはじめ、

私も一緒に活動をしていきました。

あるとき、その友人は、その代表者会議の席に臨んで

激しい抗議をしたのです。

私もその場に同席していました。

友人にとっては、自分の存在をかけた、必死の訴えでした。

今の社会状況の中では、

公言すれば危険もともなうような

自らをあり様を明かしての発言でした。

なんとかその問題性を認識してもらうために

友人は自分をかけて、懸命に抗議しました。

時に、声を荒げ、激しく詰め寄りました。

友人にとっては自らの尊厳がかかったことですから

それも当然のことです。

傍で聞いていた私も、涙をこらえることができませんでした。



しかし、抗議されていた人々は、

その友人の発言を「暴力的」だと一方的に断じ、

まともにとりあおうとはしませんでした。

友人の発言を、結果として、聞き流したのです。

友人は後に、私にこうこぼしました。

「もしもあの時、私があのビルの窓から飛び降りて、命を絶ったならば、

あの人たちも、もう少し真剣に私の言うことを考えてくれただろうか?

本気で、そう思ったんだよ。」

その言葉を、今も私は忘れることができません。



人が尊厳をかけて語る言葉を聞くということは

他者の痛みと寄り添おうとする

決意と勇気と良心がなければ

できぬことだと知った瞬間です。

他者の命をかけた言葉の切実さを

本当に理解しようとする「心の中の耳」を持たぬことが、

どれほど人を傷つけ、追い詰めるのかということを

知らされた出来事でした。

今の私はその「心の中の耳」をもちえているのだろうか?

日々、問われているのだと思います。



本当の意味で人が他者の痛みを自分のものとすることができるのか?

私は正直疑問に思ったりします。

しかし、人間の想像力と、感受性と、

類似する、もしくは共通する経験の記憶を働かせることで、

それに近づくことは可能なのだと

私は信じています。

そして、そうした「心の中の耳」を持つこと。

それは、その人の生き方によって

大きく左右されるのだと思います。

私が「心の中の耳」で何を聞くのかといことは

いかに生きるかということで決定されるのだと

思うのです。



私は後日、ある場所でその友人を見捨ててしまいました。

今でも、その出来事は私の痛みとして残り続けています。

人の叫びを聞き届ける、

本当の「心の中の耳」を

もっていたいと心から願うのです。

第二十二回 「聞くこと」 (2001.10.10)

私が常日頃、仕事をしていく上で、

とても大切だけれど、

一方で、とても苦手なことがあります。

それは実は、

「聞くこと」 なんです。



私には、仕事柄、いろんな相談を受けたり

いろんな話をする機会が多くあります。

話をしに来られる方々は、

まず、自分の言いたことを聞いてもらうために

やってこられます。

私は真摯にその言葉に耳を傾け

吐き出したい想いを

じっくりと聞かねばなりません。

でも私は、

ついつい自分の考えを

相手に話そうとしてしまいます。

辛抱強く聞くことができずに

自分のペースで話を進めようと

してしまいます。

相手が話したいこと、

悩んでいること、

迷っていることに対して、

早急に結論をだそうと

考えてしまうのです。

その裏には

相手のペースに巻き込まれることへの不安、

そして

自分がいい解決策を提供できるという驕り、

そして

思い上がりがあるとしか思えません。

とても情けなく

とても醜く

とても恥ずかしいことです。



「聞くこと」 というと

ともすれば受身なことだと考えられがちです。

でも私は、

「聞くこと」 とは

大変に積極的な、能動的な意味を持つものだと

思っています。

私たちはものを聞くときに、

いろいろな意味付けを行いながら、

音を認識していくのだと思います。

たとえ同じ音量で聞いていたとしても

自分にあまり関係ないと思われる雑音は

意識に殆どのぼらず

一方で、恋人のささやきなど

自分にとって意味のある音は

たとえ音量としては小さくとも

意識にひっかかってきます。

無意識に耳に入る音を意味付けし

取捨選択しているように思うのです。



このことと同じように、

相手が必死になって伝えようとしている言葉、思いが

聞き手である自分の心には

全然届いてこないときがあります。

話し手の切実さを

自分の切実さと出来ないときがあります。

このことは

話す人にとっては

とても酷く、残酷なことです。

それは相手の切迫した想いに対する

想像力や感性の欠如であり

心と心の間で共有できる扉を

自分が持たないことを意味します。



本当の意味で

相手の話を 「聞くこと」 は

私にとって、

とてもとても難しいことなのです。



今回の戦争で

私は初めてアフガンの人々の置かれている飢餓や窮状を

たとえ情報としてではあっても

知ることになりました。

しかし

支援活動をしてきたNGOの人たちは

このことを

以前から、ずっと、ずっと、

繰り返し、繰り返し

国際社会に訴えてき続けてきたのです。

にもかかわらず、

私はその声を、

まるで無かったかのように

無視して生きてきたのです。

確かに耳に入っていたことはあったかもしれません。

でも本当の意味で、その言葉を

私は「聞いて」はきませんでした。

今、自分の想像力と感性の欠如を

痛感しています。

私自身が「何を聞くか」ということは

私自身が何を大切にして生きているか

何を意識して生きているかを

如実に表しています。

逆に言えば、

その人がどう生きているかということによって

その人が何を聞くのかということが

決まるのだと思うのです。

「聞くこと」が積極的な事柄であると私が思うのは

そういう理由からです。



私が人の話を聞くのが下手だということは

自分の想像力や感性の欠如が

自分の生きる姿勢の貧弱さが

露呈するのが怖いからなのかもしれません。



今も、この世界にはたくさんの声が

たくさんの叫びが

響き渡っています。

その声の中から

私はこれから

何を聞いていくのでしょうか。

惨劇の絶えない今の世界だからこそ

よい聞き手として生きていきたい。

そう、心から願うのです。


第二十一回 「耕し続ける」 (2001.9.19)

「主は多くの民の争いを裁き

はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。

彼らは剣を打ち直して鋤とし

槍を打ち直して鎌とする。

国は国に向かって剣を上げず

もはや戦うことを学ばない。」

(ミカ書 4章3節)



私の好きな聖書の言葉です。

この言葉を語った預言者ミカは

農民でした。

彼は戦乱の世に生き、

自分が心をこめて耕した

田や畑を

軍隊によって踏み荒らされました。

一度でも田畑を耕したことがある方なら

作物をつくるに適した

よい土を作り上げることの大変さを

ご存知でしょう。

ミカは

たゆまぬ努力の末に

心を込めてつくりあげた土を

踏みにじられる場面を

どんな面持ちで見たことでしょう。



軍隊は

ミカが長年つみあげたものを

一瞬にして

破壊しました。

剣はいつの世も

物事を一瞬にして

終わらせてしまいます。

もめごとがおこったとき

剣に象徴される武力ほど

即効性のある解決方法はないでしょう。

武力は

すべてを破壊し

すべてを終わらせてしまうのです。

そして

かけがえのない

人の命をも

帰らぬものとしてしまいます。



しかしミカは知っていました。

本当の平和は

本当の幸せは

田畑を耕す努力の末にしか

やってこない

ということを。。

たとえ一つ一つは小さくとも

たゆまぬ日々の

ものをつくりあげる努力の

積み重ねでしか

平和は築けないということを。。



人の信頼や友情を失うことは

一瞬でできます。

剣の一振りで

断ち切ることができます。

しかし

人を信頼し

人の信頼を得

深い友情を培っていくことは

心をこめた

努力の積み重ねの末にしか

実現できないものです。



たとえ

軍靴によって

一瞬に踏みにじられようとも

その無念さに

何度も

慟哭の声をあげようとも

鋤を土に打ち込む努力を

繰り返していくことしか

平和への道筋を

つくっていくことは出来ないと

私も思います。



今、この世界の平和が危機に瀕しています。

貧富の差がはげしく

搾取の絶えぬ世界。

資源を使いつくし

環境が乱されてしまった世界。

局地的な内戦が続き

ただでさえ疲弊している世界。

今までも平和だったとは

決して言えない世界。

本当の平和からは

程遠い世界です。

にもかかわらず

今この時

あらたな戦争が行われようとしています。

確かに

きっかけとなった惨劇によって

犠牲となった方々のことを思うと

胸が痛みます。

その無念さは

いかばかりのものでしょう。

しかし

だからといって

新たな殺戮を起してもいいものでしょうか。



本当の平和は

土を耕し

ものをつくりあげていく

地味で

しんどくて

平凡な

努力の積み重ねの向こうにしか

きっと、ありえない。。

甘ったれた考えといわれようと

幼い考えといわれようと

私には

そうとしか思えません。

預言者ミカのように

耕し続ける努力を

止めはしまい、

そう、思います。

今の私にとって

耕すということが

一体具体的になんなのか

それもよくわかりません。

しかし

剣を振り回すことだけではないことは

自信をもって言えるのです。



今こそ勇気をもって

鋤を振るおう。

たとえ剣の前では無力であっても

それしか

今の私にはできないから。。

いつの日か

剣を打ち直して鋤とする世界が

やってくることを夢見て。。



第二十回 「それぞれの世界」 (2001.7.30)

 先日、参議院議員選挙の投票がありました。

うちの教会付属の幼稚園では

ホールを地域の投票所として開放しています。

教会の南側の玄関には小さな二段の階段があります。

車椅子で投票に来られた方がおられて

その階段を上ることが出来ず

段差のない、西側の玄関に迂回して

入場されたことを知りました。

日頃、私が出入りする時には

殆ど意識することのない段差なのですが

車椅子を利用しておられる方には

入るのを拒む

一種の壁のように映ったことでしょう。



段差という

同じものを経験しても

人それぞれの立場によって

人それぞれの経験のあり方によって

まったく違った意味をもつのですね。



また、子どもと一緒に散歩する時

子どもの目に映る世界が

私の目線で見る世界とは大きく異なっていることに気づかされます。

たとえ、同じものを見ていても

私が何も感じず、何も気にとめないものを

子どもは心にとめ、立ち止まることがあります。

物理的には同じ世界に住んでいても

人が、それぞれ心のうちに感じ取っている世界は

大きく異なっているのかも知れません。



日頃の繰り返しの中で

私たちの感性は、おのずと狭められていきます。

日常で不都合を感じぬ物事は

殆ど無きがごとく、思い込んでいるものです。

心の中につくられた世界は

人それぞれ、違った景色

別世界なのでしょう。。。



しかし、自分と違う経験をしている方や

自分と違う感性をもった人と出会うことで

知らず知らずに縮こまってしまった自分の世界に

気づかなかった新たな景色が

加わっていくのではないでしょうか。



自分の世界の中に、どれだけの他人が住んでいるか

今の私には、心もとない限りです。

しかし

それぞれの人の持つ世界が

相互にまったく孤立してしまった

別世界になるのではなくて

お互いの世界が徐々に混ざりあい

美しいハーモニーを奏でていくことを

夢見て、いきたいものです。


第十九回 「歯噛み」 (2001.7.16)

日々生きる中で、悔しい出来事に出会う時がある。

ギリギリと歯噛みをし、悔し涙を流し、体を振るわせながら

屈辱に耐えねばならぬことがある。

日々の生活は矛盾に満ちている。

やりたことだけやって

心地よい思いだけして生きて行くことなど、出来はしない。

それでもなお、私はしぶとく生きていこう。

こんな私でも

生きていて、今、ここにあるということに

それなりの意味があると信じているから。

生きているということが、

無価値でも、無意味でも、虚無でもないということを、

信じているから。

ただ意地だけは、失うまい。

だれかが私に悔し涙を流させたとしても

私の魂までは奪い去ることは、出来はしない。

しぶとく、頑固に、生きて抜いていってやろう。

この世界に、私のいる場所は、ちゃんと用意されているのだから。


第十八回 「言葉を、のせるもの」 (2001.7.14)

私は、教会で様々な言葉を語ります。

主として言葉を用いて、何かを伝えようとしています。

しかし、言葉を伝えようとすればするほど。

私は、その難しさを、感じずにおれません。



言葉そのものを慎重に選び、

誠実に取り組み、正しさを求め、

勇気をもって生み出し、語ること。

それが第一に求められるのはいうまでもありません。

しかしどんなに上手く出来たように思える言葉でも。

伝える私と、伝えられる側との間に

信頼関係がなければ

きっちりと伝えることはできないものです。


逆に、両者の間に信頼関係が築かれているなら

多少、誤解を与えるような言葉であっても

両者の信頼と歩み寄りで、

改めていくことができるものです。



言葉を語る自分が、

自分の言葉そのものを信じずに、

神への希望を抱くこともなく

ちゃらんぽらんなことを日常からしていたら

どんなにいい言葉を語ったとしても

「あんなやつが、何を言っているんだか」

と、相手の心に響くことはないでしょう。


逆に、日頃から丁寧な努力を続け

たとえ不器用ではあっても

なすべきことに誠実に取り組む姿を

皆が見ていたとするならば

語る言葉に熱心に耳を傾けてくれたり、

時には、その言葉が大きな説得力を持って

相手に伝わることもあるのではないでしょうか。



そういう意味では、

言葉を語るということは

言葉を語るもの、受け取るものとの

信頼関係を築くこと。

いわば、言葉の伝わる土台づくりを

並行して行うことでもあるのです。

いや、むしろ、

そうした土台づくりの割合の方が

大きな比重を占めているのかもしれません。



私は今、

言葉をのせる土台を

きっちりと培っているのでしょうか?

少々不安を感じたりします。。。



また、ネットでは

言葉の受け手のことが

言葉の送り手からは

よくわかりません。


ネットは、言葉を送り出すもの、受けるものとの

信頼関係という土台が築きにくい世界です。

それだけに、どのように言葉が伝わるか

不確定な要素が多大にあります。

日常生活以上に、言葉に慎重でなければならないのでしょうね。





言葉。。。

それは本当に御しがたいもの。。。

しかし。

その言葉にこだわりつつ、

これからも歩み続けて行きたいと

思っています。


第十七回 「その、後ろに」 (2001.6.9)

伝道師という仕事をしていると、
ときどき、
悩みの相談を受けることがあります。


日常はとても明るく、元気で。
ほとんど深刻な悩みなどないだろう。

そう思っていた方々が、
時として深い深い悩みを
持っておられることに気付かされます。


「人は見かけによらぬもの」


そのことを実感させられる瞬間です。


何気なく見える元気な姿。
屈託のない笑い。
陽気な一言。


そうした何事もないかのような
平穏な姿の後ろに。

私などが計り知る事のできない
悩み、
悲しみ、
苦しみ、
嘆きが
実際に存在しているのです。

それに懸命に耐えながら。
明るく振る舞っている人が
いるのです。

本当に、人間は表面に現れる姿では、
判断できないものです。



同じような振る舞いであっても。
その裏には、人それぞれの、
その振る舞いに通じる
道筋があり、
背景があり、
事情がある。


何気ない仕草の中にも、
深い深い思いが
込められている時があるのです。


だから。


私は決して、一部の表に現れた
行いだけをとりあげて
人を判断したりするまい、
と思っています。


その、後ろにあるもの
その、後ろにある思いを
常に考慮しながら
接していきたいと思います。

これは時として
とても悠長で、
甘い姿勢だと
非難されることがあります。

しかし、こうした姿勢を
教会が放棄したとき。

私は教会が大切な命を
失ってしまう気がしてならないのです。


その、後ろには何があるのか?


その問いを、いつも
持っていたいと思うのです。

第十六回 「熱く、激しく」 (2001.5.5)

聖書の「ヨハネの黙示録」にこういうくだりがあります。

「あなたは、冷たくもなく熱くもない。
むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
熱くもなく冷たくもなく、なまぬるいので、
わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」

この言葉を読んで。
10代の私の心に、何かが鋭く突き刺さったのを覚えています。

私はどちらかというと、ボーっとしていて。
ものごとに怒ったり、悲しんだり、
感情の変化を、あまりおこさず。
いつも傍らからものごとを
冷ややかに見つめている人間でした。

どちらかというと、自分を外に置いて、
冷静にものごとを分析するのを
得意としていました。

そういう自分が
クールで冷静で
かっこいいものだと
思い込んでいました。

しかし。

先の言葉を読み。
そんな自分が否定されているようなショックを受けました。



よく、愛の反対にあるものは
憎しみではなく
無関心であると言われます。

愛にしろ、憎悪にしろ、
その対象に対する
深い関心とこだわりがあればこそ
生まれてくるものです。

私には
そういう他者に対するこだわりが欠如していたようで
様々なものごとに
無関心であったと
今になって思うのです。



人を突き動かす熱い情熱は、
時として激しく他者を傷つけます。

また逆に、情熱をもって行動を起すとき
自分自身が激しく傷つくこともありえます。

しかし、
そういう激しい情熱がなければ
本当の意味で
他者を愛し
優しくすることも
できないのではないのだろうかと
最近、思うのです。

熱く、激しい魂をもった人物と出会うとき。
大きな恐れと、
深い尊敬や羨望と、
そして、限りない愛おしさを、
感じずにおれません。

熱く、激しく
今という時を
生きていたいと願うものです。

第十五回 「別れ/再会」 (2001.4.21)

「悪い、知らせ」

 2001年4月12日、木曜日。私はこの日を、おそらくずっと忘れることはできないだろう。
 この日、妊娠中のワイフは、病院に妊娠の定期検診に行っていた。
 順調にいっている、そういうごく当たり前な結果が聞けるものとばかり思っていた。
 そう、何の根拠もなく、である。
 
 昼食後、歯を磨いていたところ、ワイフが帰ってきた。
 そして彼女がもたらしたのは、「悪い知らせ」であった。

 妊娠後、14週になる胎内の子どもが、12週の時点で成長が止まっているとのこと。
 心拍も、無いとのこと。
 すなわち、お腹の中の子どもが死んだ、ということだ。
 
 予想外のことに、しばらく私は言葉を失った。
 当たり前にうまくいくと思っていたことが、実は何の根拠もなく。
 私たちの手では制御できない、尊い恵みの上に成り立っていたのだということを、思い知らされた。

 二人して、しばらく、泣いた。

 翌週の月曜日に入院し、お腹の子どもを取り出さねばならないらしい。
 ただ呆然としながら、手続きをはじめる。。。



「受難週」

 その週は、キリスト教の暦では「受難週」という期間にあたる。
 イエスの復活を祝う、復活祭(イースター)の前の一週間のこと。
 イエスの十字架の死に思いを馳せる期間である。

 私たちにとっても、まさしく、受難週であった。
 子どもが死んだとの知らせを聞いた木曜日は、「洗足木曜日(せんそくもくようび)」と呼ばれる。
 イエスと弟子達のいわゆる「最後の晩餐」を覚える日。

 4月13日、金曜日。
 イエスの十字架の死に思いを馳せる、「受難日」である。
 英語では、Good Friday である。私には、皮肉にしか、思えなかった。

 受難週の朝、毎日持たれている、早天祈祷会に出席する。仕事は、情け容赦なくやってくる。

 祈る言葉が出てこない。。。
 ようやく短い祈りをしぼりだし、終えた。

 夜は受難日燭火礼拝を行う。いわゆるキャンドルサービスである。夜、ろうそくを灯し、礼拝を守る。

 暗い、教会堂の末席に座り、私は一人で、泣いていた。
 イエスは、信頼していた人々に見放され、孤独のうちに死んだ。
 私の子どもも、親に気づかれぬうちに、死んでしまった。
 子どもの心臓が止まったとき、私たちは気づきもせず、喜んでいたことだろう。
 一人で逝かせてしまった。。。
 ごめんね。



「復活祭」

 子どもが死んだことを知った木曜日から、2、3日の記憶が、殆どない。
 ワイフから告げられた瞬間のことはありありと覚えている。祈祷会のことも、燭火礼拝のことも。
 仮庵の掲示板に書き込んで、何名かの方から慰めと励ましの言葉を頂いたことも覚えている。

 しかし、他のことは、殆ど覚えていない。

 悲しくって、泣いた。それは、確かだ。

 そして、何か、すごく悔しいことがあったことを覚えている。
 でも、それが何だったか、今は思い出せない。


 4月15日、日曜日。
 イエスの復活を祝う、復活祭、イースターだ。
 イエスの蘇り。
 そのことの意味をこんなに考えさせられたイースターは、初めてだった。
 私たちも、いつの日かよみがえり、再会を果たすことがあるのだろうか。
 言葉を一言も交わさなかった子どもとも、相まみえる日が来るのだろうか。
 確かに、聖書には、そう書いてある。
 しかし、そう簡単に、納得できるものでもない。

 一日中、強がって、平静を装う。まだ、殆どの教会員は、このことを知らない。
 新入会員の歓迎会で、スピーチ。笑いを取る。何か、空しい。。。

 教会に誰もいなくなった夜。

 一人で、涙する。



「入 院」

 4月16日、月曜日。
 ワイフが入院する。
 娘を幼稚園へ送りだし、二人で病院へ向かう。
 足取りが重い。

 周りの妊婦の人々を見て。
 正直言って、ねたんでしまう。
 あさましい、話だ。

 入院に際しての説明を医師より受ける。
 改めて超音波で、死んだ子どもの姿を見る。
 綺麗な形に見える。超音波の映像は、奇妙にきらきら輝いて、不思議な美しさがあった。
 でも、確かに、子どもは動いていない。
 2度目に見せられたワイフは、横で泣いていた。


 施術の同意書にサインする。
 
 「死児娩出」

 何やら、すごく、酷い言葉に思える。


 妊娠後12週を経過すると、流産ではなく、死産の扱いになる。
 一人の人間の死、ということに、法的にはなるのである。
 埋葬許可証を取り、火葬にふさねばならない。

 火葬のために準備するものがあり、ワイフを病院へ残し、買い物へ向かう。
 子どもを入れる棺。それをくるむ白い布。そして、花。
 それを用意しなくてはならない。

 棺に使う、箱がない。家中を探して、小さな木箱を見つける。皿が入っていた箱。
 表に、白い和紙を張りつけ、棺をこしらえてやる。
 心をこめて。
 でも、元来不器用なせいか、とっても不細工になってしまう。



「名づけ」

 4月17日、火曜日。
 いよいよ子どもを、ワイフのお腹の中から出してあげる。
 子宮の収縮薬を使って、自然分娩に近い形で出してあげることになっている。

 昼過ぎ、電話があり、病院へ駆けつける。
 「処置室」へ案内される。
 「分娩」ではなく、「処置」。
 その境目は、命という、人間にはどうしようもない谷間が広がっている。

 処置室に通される。
 初めて、子どもと対面する。二十日ねずみぐらいの、小さな子ども。
 12週間と4日。短い命だった。
 泣き崩れるワイフと一緒に、しばらく二人で時を過ごす。

 性別は不詳とのこと。
 可愛い、男性器らしいものが見えたので、勝手に息子と断定することにした。

 今回のことで気づいたことの一つ。
 死産、流産は、あまり一人の人間の死としては見られない、ということだ。
 それは、結構、つらかった。
 私たちにとっては、どんなに小さくても、一人の子どもとしか考えることはできなかった。
 だから。
 私たちは、死んだ息子に、名前をつけることにした。
 男なら、「建(けん)」とつけようと思っていた。
 一からものをつくりあげられる、力強い人間になって欲しかった。
 その願いを込めて。

 私たちは息子を、「建」と名づけた。

 ひょっとしたら、名づけをすることで、却って未練が残り、苦しい思いをするかもしれない。
 でも、そうしたかった。 だから、そうした。

 あまりにも小さくて、抱くことすらできなかった建。
 外の光はまぶしかったかい?



「他人の悲しみ」

 産科に入院すると聞いたとき。
 妊婦さんに囲まれて、さぞかし、ワイフがつらい思いをするだろうと思った。
 入院初日も、お腹の大きい同室の人達を見て。
 ねたましく、また腹立たしくさえ、思えた。

 しかし、実は、彼女たちも出産にトラブルを抱え、苦しんでいる人達であることを知る。
 難病と戦いつつ、出産に挑んでいる女性。
 私たちと同じように、死産となった女性。
 明るく見えた彼女たちも、困難を抱え、悲しみを抱えて、戦っていたのだ。

 病室で、涙している彼女たちの姿をみて。

 うわべだけで人を判断していたことを、心から、恥じる。

 自分の心が悲しみに占められるとき、他人の悲しみへの配慮が消え去ることを思い知らされた。

 自分だけが苦しいわけではない。

 そんな簡単なことを見失っていた自分が恥ずかしくなる。

 建よ。君は自分の命でもって、大切なことを教えてくれたんだね。



「退 院」

 4月18日、水曜日。

 午前中、役所で、死産の手続き、埋葬の予約などを行う。

 午後、ワイフが無事、退院する。

 建を、お手製の棺にいれてやり、花でかざってあげる。
 棺を布でくるみ、一緒に、退院だ。

 同室の仲間に、最後の挨拶をする。
 彼女たちのこれからを祈らずには、おれなかった。

 家に戻る。

 少し暖かい日が続いていたので、建を冷やさなくてはと思い。
 保冷剤を棺の回りにおいて、ダンボール箱に入れておく。
 今、考えると、かなり不自然なことをしていた気がする。

 夜、棺を開けて、建と少し話をする。 内容は、ナイショ。。。



「火 葬」

 4月19日、木曜日。
 いよいよ、建を火葬にふす。
 
 これでも私は、一応、伝道師なので。
 出棺式、火葬前式を、自分の手で行う。
 私が一人で行う、最初の式が、まさか自分の子どもになるとは、思いもしなかった。

 斎場の係りの人は、父親がそんなことをするのが珍しかったようで、怪訝な顔をして見ていた。
 何やら、照れくさい。

 ほんの30分ほどで、骨上げとなる。
 爪の切れ端ぐらいの小さな骨を、幾つか。
 ようやく拾うことができた。
 何も残らないと思っていたので、少しでも拾えて、嬉しかった。

 11センチ、30グラム。その、小さな建が、もっともっと小さな骨になってしまった。
 否応なく、別れを、受け入れざるを得ない。

 以前、神学校に通っていたとき、「葬儀とは誰のためのものか」と話しあったことがあった。
 私は、葬儀を行ったから、または行わなかったからといって、死んだ方の魂が救われたり、救われなかったりするものではない、と主張した。
 そして、葬儀とは、残された者たちが、その方が死んだことを確認して、死んだ方のいない世界を生きていくことを決意するためのものだ、と意見を述べた。
 その通りだったかもしれない。

 肉体としての建は、もう、いない。
 骨になった建を見て、自分の心に、その線引きが否応なく引かれたことを、認めざるを得なかった。

 一つの区切りをつけねばならない。
 たとえ、私たちがずっと建のことを忘れることができなかったとしても。


 煙になって飛んで行った建。

 いつか、また、逢おう。



「感 謝」

 建を火葬にふして。
 ほんの少しではあるけれど、心に区切りがついたような気がします。
 決して彼のことを忘れることはできないけれど。
 でも、前を向いて、私たちは生きていかねばなりません。
 それは時にあまりにも残酷だけれども。
 そうすることが、建の幸せにもつながるような気がしてならないのです。

 今回のことでは、本当にいろいろな方から、慰めをいただきました。

 仮庵に来てくださった方々に、優しい言葉をいただいて、とても、とても、嬉しかったのです。

 感謝にたえません。

 日常生活では強がって、平静を保とうとしても。
 弱い私は、泣かずにおれませんでした。
 自分の悲しみを理解されずに、悔しい思いをしたこともありました。
 でも、そんな中で、私たちのこと、そして死んだ子どものことを思って、励ましてくださった皆さん。
 本当にありがとう。
 悲しみを少しでも表に出すことで、皆さんに癒していただきました。

 私が、今回のことを述べることで、思い出したくないような過去の苦しみや、傷、悲しい記憶を蘇らせてしまった方もおられるでしょう。
 私が逆に傷つけてしまった方もいらっしゃるかもしれません。

 自分のことばかり考えて、人のことなど後回しにしてしまった自分がいました。

 ごめんなさい。
 赦してくださいね。


 基本的に、もう、このことについては述べるつもりはありません。
 これで、最後にします。
 いろいろと心配してくださり、気を使ってくださり、ありがとうございました。

 人は決して一人では生きられぬこと、よくわかりました。

 建と、そして、皆さんが、そのことを教えてくれました。ありがとう。



「最後に、建へ」

 建。

 一度も言葉を交わさず。

 明るい太陽も、輝く星も、萌え出でる草花も、知らずに逝ってしまった建。

 一人で逝かせてしまって、ごめんね。 

 君が逝ってしまったこともわからなかった僕たちを、赦してね。

 でも、君が僕たちのもとに来てくれて。

 たった3ヶ月の間だったけれど、父ちゃんと母ちゃんのもとに来てくれて。

 僕たちは、嬉しかったんだよ。

 とっても、嬉しかったんだよ。

 君が来てくれたことを知った日。

 父ちゃんも母ちゃんも、すごく、よろこんだんだよ。

 君と出会えたことは、幸せなことだったんだ。

 ちょっとの間だったけれど、とても、幸せだったんだ。

 だから、僕たちは、ずっと、ずっと君のことを忘れないよ。

 いつまでも、忘れないよ。

 そして、いつの日か、また逢えることを信じているんだ。

 ひょっとしたら、それは単なる幻かもしれない。

 「宗教」っていう名前の、嘘っぱちかもしれない。

 でも、父ちゃんも、母ちゃんも、それに賭けてみようと思う。

 いつか、建とゆっくりお話ができることを信じて、生きていこうと思っているんだ。

 神さまの国では、父ちゃんよりも、母ちゃんよりも、先輩になるんだよね。建は。

 いつか僕たちがそこに行ったとき、教えてくれないかな。神さまのことを。

 父ちゃんは、神さまのこと一生懸命勉強しているんだけれど、わからないことだらけなんだ。

 だから、父ちゃんに、わかるように、説明してちょうだいね。楽しみにしてるよ。

 それまで、しばらく、お別れだ。

 さようなら、建。 また、逢おうな。 そして、本当に、ありがとう。

第十四回 「永久欠番」 (2001.3.18)

プロ野球に永久欠番という制度があります。

優秀な実績を残した選手の背番号を

その選手が引退した後

他の誰もつけてはならない

「欠番」とすることです。



確か中島みゆきの曲だったと思いますが、

人は誰しも永久欠番である、という

内容の歌があったと記憶しています。

確かに私のような凡人であり、

だらしのない弱い人間であっても

他の誰も、私の存在に

完全にとって代わることは

できません。

仮にある人がいて、

その人がたとえ、

他の人から見れば、

つまらない人生を

生きているように見えたとしても。

他人に害をなす

酷い生き方をしていたとしても。

他の誰も

その人の代わりに

その人として

その人の人生を生きることは

できないのです。

人は誰しも、誰にもとって代わることのできない

取り替えのきかない

その人固有の人生。

「永久欠番」の人生を歩んでいるのです。



このことは、

人間が生きることに

それなりの意味があることを

教えてくれます。

しかし、それは時として

私たちに耐え難い

苦しみをも与えるのです。

自分の愛する人が

何らかの事情で

目の前からいなくなってしまった時。

それは永遠の不在として、

私たちの前に残ります。

他の誰であっても

その不在を

完全な意味で取って代わり

穴埋めすることは出来ないのです。



人が「永久欠番」の人生を

生きているということ。

それは、

人間の命が

決して取り替えの利かない

かけがえのない重さを

持つことの証拠であり、

同時に、その人が消えた時に

永遠の不在として

耐え難い苦しみを与える

原因でもあるのです。



人の苦しみと喜びは

背中あわせに

存在しているのかもしれません。

人生の喜びを得ることは

同時にそれを失う悲しみに

近づくことでもあります。

人生はまさしく冒険です。

だからこそ

一時一時を

大切に

していきたいものです。

第十三回 「強さと優しさ」 (2001.3.3)

古代ユダヤの王であるソロモンは、

神に
「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」

と言われた時、


「智恵」


と答えました。


自らが治める民を

「公正に裁く智恵」を、

彼は求めたのです。

食べ物でもなく、

自分や家族の

健康でもなかったということは

それだけ恵まれた環境に

あったということでしょう。


それとも自分のことよりも

政治を行い民を治めるために

必要なことを

優先したのでしょうか。


いずれにしろ、

彼は神に「智恵」を求めました。



もしも私が今置かれている環境のもとで

同じことを尋ねられたとするならば

私は、間違いなく


「強 さ」


と答えることでしょう。


そう、私は「強さ」が欲しいのです。


他人に対して偉そうに振る舞う強さではなく

他人に向かって力を振り回す強さではなく

本当の意味での「強さ」です。



私はよく「優しそうな人」と

言われることがあります。

太り気味の外見がそう思わせるのでしょうか。


でも内心、私は自分のことを

かなり冷酷な人間だと思っています。


私は本当の意味での強さがなければ

他人に対して優しくなどなれないと

考えているからです。


その強さがない私は、

やはり「冷酷な人間」なのです。



自分が予想もしていなかった出来事と出会う時。

慌て、うろたえてしまい、

その人の本性が出てしまうことがあります。


どんなに日頃、

優しい言葉や振るまいで

表面を着飾っていたとしても

いざという時の決断が、

私という人間の真の価値と

本性をあらわしてしまいます。


却って日頃の姿が「優しそう」

にうつっているだけに

相手に与える失望感は

増大するのでしょう。


時に自らを危険に晒してまで

自分の正しいと信ずる道を求め

行動にうつれるかどうか。


それが本当の意味での

「強さ」ではないでしょうか。



私はその強さがなかったばかりに

大切な友人を裏切ったり

傷つけてしまったこと、多くあります。


例えば、


友人が面前で侮辱されたとき

勇気が無かったばかりに

私はそれに抗議せず、

見捨ててしまったことがあります。

友人は私のこと元々信用していなかったのか

私にそのことを

問いただそうとはしませんでした。

でも、やはりそれは許されざることなのです。


次こそは、といつも後悔しつつ

私は、同じようなことを

いつまでも繰り返し続けています。


そして、

内心は、この上もなく

大切にしたいと思っている人々ほど、

私は、裏切り、傷つけてきているのです。


私にとってそれは

絶え難いほどに

皮肉なことなのです。


しかし、そんな自分でも

「私」は「私」です。

捨て去るわけにはいきません。


これからもまだ、そんな「私」と

付き合い続けねばなりません。


少しでもましな自分となるために

努力し続けなければなりません。


心から「強さ」が欲しいと思います。



いや、本当に私が欲しいのは

本当の意味で人を愛する心。

本当の意味での「優しさ」

なのかもしれません。

第十二回 「茶色と紫色」 (2001.2.20)

私は軽い色覚異常です。

特に赤の識別能力が他人より

だいぶ劣るそうです。

信号の色などは確かにわかるのですが

赤と他の色が混ざった場合、

よく判別できないことがあります。



例えば、「茶色」と「紫色」は

私の世界には存在しません。

「茶色」は「濃い緑」

「紫色」は「濃い青」

にしか見えないのです。



誰かが私に

「そこの茶色のXXを取って」

と言ったら

「この人は、私のような人間がいること、

意識したことがないのだな」

「私のような人間は、この人の心の中には存在していないのだな」

そう思うでしょう。

茶色を識別できない人間など

いるはずがない。

もしくは

いたとしても出会うはずがない。

無意識のうちにそう思い込んでいるわけです。



人間はどうしても、日常の生活の繰り返しの中で

自分にとっての 「あたりまえ」 を

つくりだしていきます。

「あたりまえ」 と思い込むことが

どんどん増えていきます。

そして、やがて

自分にとって「あたりまえ」のことが

他人にとっても「あたりまえ」であると

思い込んでいきます。



実際には、人間は本当に多種多様な存在で

さまざまな個性

さまざまな環境

さまざまな状況

において生きています。

誰一人、同じ人間などない、といっても良いほどです。

人と人との間には

確かに共通する部分がありますが、

異なる部分もおそらくそれ以上にあるのではないでしょうか。

自分にとって 「あたりまえ」 のことが

他人にとっては全然 「あたりまえ」 ではないことも

充分にありえるのです。

自分にとって全然あたりまえではないことが

他人からあたりまえのこととして扱われることは

結構しんどいものです。

特に、多数派にとっては「あたりまえ」で

少数派にとっては「あたりまえでない」という

社会的な力関係の中で起こったとき

それは

偏見、差別、抑圧となって

その人の上にのしかかってきます。


他人がどういう状況の中にあるのか。

それを知らないということは

大きな罪責を引き起こすことになりかねません。

無知は時に罪となりうるのです。


難しいことですよね。





私も当然、そのような無知の中にあり

確かに存在している人のことを

熱い血潮が流れ、生きている人のことを

さも無きが如く思い込み、

さも無きが如くに振る舞っていること、

あるはずです。

人間は全知全能ではありません。

悲しいことですが

そうした「あたりまえ」幻想が引き起こす悲劇から

完全に逃れることは不可能でしょう。


しかし少なくとも

自分にとっての「あたりまえ」が

人によっては「あたりまえ」などではない。

その可能性があることを

認識しておくことはできるはずです。


「あなたにとってのあたりまえは、

私にとってのあたりまえではない」

そう言われたときに

相手の主張を丁寧にきき、

自分の認識をあらため

新たな関係をつくりだしていくことは

出来るはずです。


私たちにも出来ることについては

挑戦し続けたいものです。


そして私たちが

「あたりまえ」幻想から解放されたとき。

そこには他者との新たな関係が

和解という、しんどいけれども

新たな、そして素敵な関係があることは

期待してもいいのかな

そう思います。


私がこのHPで、変な色使いをしていると気づかれた方は

そっと、教えてくださいね。

第十一回 「からかい」 (2001.2.13)

私はよく人をからかいます。


相手のことを信頼しているから

相手と気軽につきあいたいから

からかうのですが

以前、私のそうしたからかいに

酷く傷ついたと

言われたことがあります。


考えて見れば、からかいは

力関係にもとづいて

行われる振るまいです。

目の前に立つだけで萎縮してしまうような相手を

からかうことなどないでしょう。

力関係で自分と同じくらいか

もしくは自分より弱い立場にあると思われる相手しか

からかうことはないはずです。


その点で言うと、からかいは

力関係によって産み出される

暴力的な行動に

なりやすいものです。


自分はそんなつもりがなくても

自分と相手との力関係

社会的な力関係によって

手ひどい暴力として

働く可能性が高いのではないでしょうか。



からかいは、「笑い」をともなうものですが

「笑い」は人間の心の緊張が解ける分、

その人の無意識にもっている

心の内が表れやすいものでもあります。

さげすみ、ねたみ、やっかみ

酷いときには差別感までも

露呈するときがあります。

そうしたさげすみが

力関係で差のある相手に

からかいとして

投げかけられるとき

それは言葉の暴力に他なりません。



人間は社会的な生活を営む限り

力関係と無縁で生きることは困難なことでしょう。

それだけに

自分がどういうときに

力を振りまわしているのかを知ることは

とても大切なことなのではないでしょうか。



私は「笑い」が好きです。

「笑い」は時に人間の苦悩を

一時的にしろ吹き払ってくれます。

しかし一方で、私たちは

その危険な側面を知っておかねばなりません。



上にあるものとしての笑いやからかいではなく

下にあるものとしての笑いやからかいを

目指したいものです。



そのことを教えてくれた友人に

心から謝りたいのと同時に

この場を借りて感謝したいと思います。

第十回 「忘却」 (2001.2.9)

明日になるか

それともずっと先のことか

わかりませんが、

私にもいつの日か

永眠する日がくることでしょう。


そして私が

永久の眠りについた後にも

何事も無かったように

限りない月日がながれ

やがてこの世界に

私のことを記憶する人が

誰一人いなくなる時が

やってきます。

今のこの世界との

直接的な絆が

完全に絶たれる時が

やってきます。


それは私にとって

もう一つの死に他なりません。


たとえこの世界に

現実に生きていたとしても

ある人の存在が忘れ去られる時

それはその人にとっての

「もう一つの死」

なのです。





逆に

たとえ

つらい別れを経験したとしても

この世界にその人が

生きていなかったとしても

私の記憶の中に

刻まれていたならば、

私にとって

その人は

今なお

生きているのです。



人間の記憶、

思い出とは不思議なもので

人間の悪い部分は

だんだんと消え去ってゆき

美しい部分は

より美しいものとして

留まりつづけます。



忘却は人に死をもたらし

記憶は人に新しい生をもたらします。



私は多くの人の記憶を

心の中に

刻み続けたいと思います。

少々つらく悲しい経験であったとしても

心に刻みつけて

おいきたいのです。



私には死なせてはならない

人々がいるからです。



私の中に

生きている人々に

これからもずっと

生きていて欲しいからです。



みんなが

今までも

未熟な私を支えてくれたように

今までも

苦しい私を力づけてくれたように



これからも

ずっと

共に

歩んで欲しいからです。

第九回 「時の舟」 (2001.2.3)

夢枕獏の本、

「陰陽師 生成り姫(おんみょうじ なまなりひめ)」に

主人公の一人、源博雅(ひろまさ)が

十二年ぶりに初恋の女性に

会う場面が出てきます。


十二年の歳月は、残酷にも

その女性の容姿に

確実に衰えを刻んでいました。


しかし、博雅は、


「衰えてゆくからこそ、愛しいのではないか」


と言います。


彼は彼自身とその女性が、


「同じ舟に乗って、時の中を運ばれていく者どうしだ」


そう、言いいます。


その女性の容姿が

衰えていく姿は

同じ舟に乗って、ともに時を流れている証であるから

愛おしくてならない

と彼は言うのです。



私自身も、「時の舟」に乗って

時の流れを流されています。

まだまだ若い気ではいるのですが、

20才の頃に比べれば

体力の衰えも確実に感じています。


しかし、

博雅が言うように

この「時の舟」に乗っていなければ

私は、

私が出会った人々と

めぐり合うことは

ありませんでした。


まだ34年しか生きていない

ひよっこの私ですが、

そんな私でも

今まで数知れぬ人たちと出会い

語り合いました。


確かに嫌な出会いも

つらい出会いも

そして

悲しい別れもありました。


しかし

そうした出会いの一つ一つが

よくも悪くも私という人間を

形作り、

今となっては

私の一部となっています。


私は多くの人たちと

ともに時の舟に乗り、

肉体的に衰えを刻みつつも

ともに一つの時を

共有してきたのです。


今、私は

私が出会った人たちと、

私がいるこの「時の舟」に

ともに乗り合わせることが

できたことを、

心より

感謝しています。


「本当にありがとう。」


そう言いたい気持ちで

一杯です。



願わくば、

この時の舟に乗ったことに

絶望したり、

後悔したりするような

恐ろしい出来事に

出会わないことを祈ります。


そんな恐ろしい出来事が

この世界に起こらないように

自分の持てる力を

尽くしたいと思っています。



いつまでも

穏やかな気持ちで

この舟に乗れたことを

そして

いろいろな人たちと出会えたことを

感謝し続けて

いたいからです。

第八回 「花」 (2001.1.30)

今、教会の庭の蝋梅(ろうばい)が満開です。

近くによると、芳しい花の香りが

漂ってきます。

最近落ち込み気味の私ですが、

蝋梅をそばで見ていると

一時、心が和みます。

草花に限らず、命って

人の心を癒すものなんですね。



実は私は草花にとんと疎くて、

全然草花の名前がわかりません。


父親はすごく植物に詳しい人で、

子どもの頃散歩するたびに

植物のことを私に教えようとしました。

「マメ科の花の特徴は云々・・・」

と、散歩に行くたびに

教え込もうとするので、

私は反発して

植物にすごく無関心に

なってしまいました。

すごく幼稚だったなと

惜しいことをしたなと

今では後悔しています。


日常の小さな感動を大切にすることは

幸せに生きていくための

秘訣だと思います。

特に草花は、

命を燃やして懸命に生きているためか、

人に感動を与え、

そして、

傷ついた心を癒してくれます。

父はそのことを知っていて、

私に懸命に伝えようとしたのでしょう。


そしてそんな深い親の心を知らぬ私は、

大切な機会を失ってしまいました。

惜しいことをしてしいました。


身近な、大切な人のことも

ろくすっぽ大事にできていない私が、

小さな命に慰められるだなんて、

少し、皮肉なことですね。



寒い日々が続きますが、

冬が過ぎ去り、

やがて春が来れば

多くの草花が命を燃やし、

すばらしい香りがたちこめることでしょう。

春の風の中で、

そうした命に囲まれれば

私にも

もっと前向きに生きようとする力が

満ち溢れるのでしょうか。


春になれば

きっと、

わかりますね。。。

第七回 「冬の雨」 (2001.1.26)


今日は一日雨が降っていました。

冬の、冷たい雨です。

こんな日は、

ずっと以前のことですが、

ある知人と話した時のことを思い出します。



ある日、知人と二人で

窓の外を見ていました。

だれもいない静かな場所に

しとしと、雨が降っていました。


ふっと、心の安らぎを覚え、

私は言いました。


「こうして見ると、静かに降る冬の雨も、

なかなか素敵だなあ」


そして、知人は私に、

静かに、こう答えました。


「おまえは、雨にぬれなくて済むから、

そう言えるんだ。」



知人は、野宿生活者の方の支援運動を

してきた人間です。

雨を避ける家を持たない、

野宿生活者の方々にとっては、

冬の雨は、

まさに生死を分かつことも、

ありうるものです。

知人は知り合いの野宿生活者の方の

顔を思い浮かべつつ、

そう、つぶやいたのでしょう。


その時、私は自分の感覚の中に、

頭の中、心の中に

その方たちのことが入っていないことに

気づかされました。


確かに存在している人間のことを、

まるで存在していないかのように

感じている自分が

恐ろしくなりました。





一方で、雨は、人間にとっての恩恵でもあります。


雨が降らなければ、

どれだけの人間が

困ることか。


雨は大地を潤し、

そこにはえる植物を、

そこに生きる動物を

そして人間を生かしてくれるものです。


そのことは動かせない、確かな事実です。


そして、

私は今でも、

誰も居ない場所に、

静かに降る雨を見て、

ふと心が安らぐときがあります。





もしも全ての人に仕事が保証され、

雨風を避け、

暖を取る家が与えられたなら、

そんな世界が実現できたなら、

心置きなく


「静かに降る雨は、素敵だな」


そう言えるでしょう。


何のためらいもなく、

そう言えるはずです。


そんな夢のような日が、

いつか来ることを願いつつ、

今、こうして雨を眺めています。


第六回 「傷」 (2001.1.25)

先日、私はある人を傷つけてしまいました。

その人の心を

深く、深く、傷つけてしまいました。


そんなことをしてしまうつもりは

ありませんでした。


でも、結果として

すごく傷つけてしまったのです。


そのことを思い返すと、

自分の振るまいの残酷さに

正直言って、ゾッとします。



聖書には、神は人間の如何なる罪をも赦す、

そう、書いてあります。


しかし、

人として、

一人の人間として、

私のしたことは

赦されるべき事柄では

ありません。


いくら後悔してみても、

手遅れなこと、

あるものです。



このことに関し、

私にはもはや出来ることはありません。



出来ることといえば、


自分の罪を見つめ続けること、


二度と同じ過ちを繰り返さぬよう

努力すること、


秘密を守り続けること、


そして、

その人の傷が

一刻も早く癒されることを

ただ、ただ、

祈ることだけです。


第五回 「願  い」 (2001年1月22日)

人は誰しも、何らかの願いを持つものです。

「今日はあれが食べたいな」

そんなことから、

「あの人に愛されたい」というような恋愛のこと、

「病気が治りたい」という本当に切実なもの、

そして、社会での成功や、世界平和まで

ありとあらゆる願いを持ちます。

しかし、その願いは残念ながら

すべて叶えられるとは限りません。

どちらかと言えば、叶えられない方が

多いのかもしれません。

この世界には、叶わなかった願いの死骸が

ごろごろところがっていることでしょう。



そして、

願いが叶わないときの失望も、

また時として耐えがたいものがあります。

病気の回復などの本当に切実な願いが

叶えられないとき、

私にはかけてあげる言葉がありません。





しかし、残酷なことではありますが、

願いが叶わないということは、

同時に私が、現実の世界の中で

確かに生きていることを教えてくれます。

自分以外の人間と共存していることを

教えてくれます。

もしも、何もかもが望み通りになる世界で生きていたら、

それは夢の世界と変わりがないでしょう。

もしも他人を自分の思い通りに動かせるとしたら、

それはロボットと変わりがないでしょう。

すべての自分の願いが叶う世界。

そこは、あなた一人しか存在しない世界なのです。



生きることって、本当にままならないものですね。





子どもの頃、七夕の短冊にいろいろと願いごとを書きました。

もう何を書いたか覚えていませんが、

どれだけの願いが、叶ったのでしょうか?

調べられるなら、調べてみたいものですね。


第四回 「喧嘩友達」 (2001年1月20日)

 最近、人を傷つけてしまうことが頻発しています。

私の無神経さ、弱さ、いろいろな原因があるのでしょうが、

人を傷つけてしまったことがわかったときは、

結構落ち込むものです。


しかし、私は人を傷つけることにもいろいろあると思います。

人を軽んじることによって起こる、侮蔑や軽蔑。

人の命を切り刻む、差別。

弱さや卑怯さゆえに人を裏切ること。

そうしたものは許されることではないでしょう。

でも、違う考え方の人間が互いに意見を主張しあったり、

互いに切磋琢磨しあう中で衝突し、傷つけあうこと。

それは、少し違うのではないでしょうか。


お互いに真剣なるがゆえに、相手の姿勢を問い、

自分の姿勢をも問われる。


そうした作業は、人生において必ず必要なものです。

全く人を傷つけず、人にも傷つけられず、

そんなふうに生きていくことなど、

元来、不可能なことでしょう。

違う場所に生まれ、違った環境で育ち、違った背景をもつ人間が、

互いに衝突せずに生きていくことなど、できない相談です。

反対に、そうした衝突が、互いに理解する土台を生んでいくのだと思うのです。


激しく喧嘩をしても、

心の奥底で相手を認め合い、

信頼し続けられる関係。

そんな関係がいいですね。


そうした友人が、今の私に何人いるでしょう。

うーーーーん。

傷つけあうことに臆病になっているのでしょうか。

少し、反省しています。





実は、こんなことをいうと怒られそうですが、

人間と神の関係も、

そうした喧嘩友達の関係なのではないか、

近頃、そう感じているんです。

第三回 「闇夜のピアノ」 (2001年1月18日)

私にはこれといった趣味はありません。

無芸大食とは私のためにあるような言葉です。



でも、最近、

「ピアノが弾けるようになりたい。」

などと無謀なことを考えています。

今流れているAIさんのピアノを聴いていると

音を奏でることの素晴らしさを感じさせられます。

また、教会には音楽が好きで、得意な方、

たくさんいらっしゃいます。

私は楽譜もろくに読めず、

讃美歌一つ歌うのも苦労してる人間です。

今更はじめても、とも思うのですが、

少しチャレンジしてみたいのです。



確かに他人に認められる位の実力を身につけようと思うと、

これから始めるのはすでに手遅れでしょう。

その点では物事、始めるに遅いこと、あると思います。

しかし、自分自身にとって意味があるかどうか

それだけを考えれば、

始めるに遅いことなど、殆どこの世界にはないでしょう。


他人より秀でることだけを考えていた頃。

その頃にはこのことがわかっていませんでした。

今は、気負いなく、物事を始められる気がするのです。


「月夜のピアノ」には遥かに手が届かないけれど、

「闇夜のピアノ」ぐらいは目指したいところです。


第二回 「逃げちゃいけない」 (2001年1月17日)


アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公、碇シンジ君はよく

「逃げちゃいけない」

と言っていました。

私にはその気持ち、わかるような気がします。

私もよく、物事から逃げ出してしまいます。

もめごとや事件があったとき、

中に入れず、周りをオロオロしながら

うろついているようなタイプの人間です。


今年こそは、輪の中に果敢に入っていける

ようになっていきたいと思います。


でも先日、私はいきなりある出来事から

逃げてしまいました。

私なりによく考慮し、必然的な結論だったとは

思っているのですが、後になって考えてみると、

やっぱり苦しさから逃げ出してしまったんだな、

そう思います。

もう一度、元に戻って、再挑戦したいのですが、

迷惑をかけてしまった人が、

許してくれるものでしょうか。

うーーーん、難しいですね。


強い人間になりたい、

そう心から思います。

第一回 「出 発」 (2001年1月17日)

このサイトを始めるきっかけになったのは、私の友人のサイトを見たことでした。

なかなかの人気サイトです。

特に友人の使う言葉が好きで、

あんな言葉を書けたらいいなと思っていました。

少し向こうをはって、私も挑戦してみることにしました。

事情があって今はその友人とも音信不通なのですが、

どこかでこのサイトを見ていてくれれば嬉しいな、

そう思うのです。



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