冬の星

(拙いエッセイです。残念ながら冬の天体観測の話ではありません。)


最新号はこのすぐ下です。

このエッセイは、「月夜のピアノ」のAIさん作曲、「遥かなる空へ」を聞きながら書きました。
とてもいい曲です。関心のある方は月夜のピアノにいかれて、曲をダウンロードしてください。

第三十一回 「冬の星 その三」 (2004.1.27)



1月11日から20日まで、教会の仕事でタイに行ってきました。

タイの北部山岳地域には、多くの山岳民族の方々が住んでいます。
山岳民族の方々は、タイ国全体でみると少数民族です。

でも、山岳地域には1000を超える数の村が散在し、
独自の豊かな文化を育みながら、
自給自足に近い生活を営んでおられます。

その中のひとつ、
カレン族の村にホームステイすることができました。



その村は電気の通っている村でしたが、
日本の街中の電気の明るさと比べれば、はるかに暗く、
夜になると、あたりを静寂と暗闇が支配します。



真夜中、一人外に出て空を見上げると。
満天の星空が広がっていました。

タイの1月は乾季なので、昼も夜もほとんど雲がありません。
360度、星、星、星です。


何と美しい、星空なのでしょう。。。


あれだけはっきりと「天の河」の姿を見たことも。
頻繁に流れる「流れ星」を見たのも、初めてのことでした。


月も出ていない、電気もほとんど消えてしまった夜。
一人、満天の星空を眺め、感動に浸っていました。


「夜は、決して暗闇ではない」


そう、はっきりと感じた瞬間です。





私は一人でいたはずなのに。
そのとき、私は寂しくありませんでした。

「この世界に、本当の暗闇はないのかもしれない」

そんな風にさえ、思えました。





もしもこの世界に本当の暗闇があるとするなら。
それはきっと人の心の中にあるのでしょう。

今、私は新宿から近いところに住んでいます。
新宿の街灯は明るく、
夜の闇などないかのごとく感じさせられます。

でも、その街灯の明るさと裏腹に、
今の日本の人々の心の闇は、
ますます深くなっているようにさえ思えます。





村と村の距離が離れているので、
カレンの子どもたちは、学校に通うために
学生寮で寄宿生活を送らねばなりません。
まだ乳離れもしていないだろう、小学生の年齢から、です。

様々な困難を抱えているはずの
その子どもたちの元気さと、
瞳の輝きは印象的でした。

私たちが失った何かが、そこにはまだあるのかもしれません。





私たちが求めるべき、
本当の輝きとは何でしょう?

タイの「冬の星」を眺めながら
改めて、考えさせられました。



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