療養中の入院患者に対するナーシングを改善させるべく、「患者の視点」なる面妖な語句が見受けられるようにはなってきたが、果たして、この正確な意味を医療従事者たちは充分に理解してそれぞれの職務に当たっているのであろうか?
曰く、「患者の立場に立つ」。
これを患者の希望を込めて言い換えると、「ベッドに寝ている患者の傍らに立ち、話しかける時には、まずは目線を患者に合わせること」となる訳である。
医師を始めとし、医療従事者は常に患者を見下ろしているのである(笑)。
怠惰にベッドに寝転ぶならばこれも甘受しようが、そうではない場合には、見下ろされるという行為で、常に主従の関係を意識させられてしまうのである。
治療に当たる側と、治療を受ける側の間に深く横たわるこの大きな溝は、世界一深いと言われるかのマリワナ海溝よりはちょっぴり浅いかも知れないが、まあそれだけの不可視の溝がそこここにと、常に両者の間には阿吽の呼吸で存在するのである(ほんまか?)。一歩彼らに向かって踏み出せば、その不可視であるが故の罠に嵌って、未曾有の絶望と落胆がこの身を陥れるのである(涙)。
そう。
妙齢の女性なら心優しき看護士や若き情熱的な研修医に、そして白衣のナースには独身ならずとも野郎達の熱視線が送られるのである。時にそれは流し目に変化しては、怪しげな光がまるで夏の夜をほのかに彩る蛍の如く、且つ納豆のようにネバネバと糸を引きながら病棟に飛び交うのである。
それらは、職業的な心配りであり親切心であり、また、その延長線上にある笑顔であり同情である。所詮は所謂ひとつの職務担当上のケアというものなのであるが、特殊な環境下に閉じ込められれば、清潔感のある白衣と朗らかな笑顔に図らずも魅せられてしまうことは、冬になれば自然と風邪を引くかの如く、誰の身にも起こりうるものなのである。
ああ。きっと彼女(彼)は、俺(あたし)に気があるんだ......。
などと、勘違い甚だしいのは理屈では分かり切っていても、感情では割り切れないのである。そして思いつめた挙句の退院時、実際に行動に移せば、自爆率はかなり高いのではないだろうか?(苦笑)
......と、ここまで書いて。
これはどうやら「患者の視点」についての私見ではなく、特殊環境下にある熱病的な恋愛感情を暴いた、医療従事者に対する好奇な「患者の視線」ではないか(苦笑)。
書き始め当初は、患者の視点に立つナーシングへの虚偽について、猫ぢぃがばっさりと天下御免に切り捨てる筈であったのであるが。
言い換えれば、辛らつな批判を如何に和らげて表現するかということを考えながら書き進める内に、その途中からオチを意識し始めるや、想定した結論とはかけ離れてしまう傾向にあるようだ。うーむ......。
因みに、自分自身の名誉の為にも最後に付け加えておくが、私も例外なく、この熱病に罹りかけはしたが決して自爆はしなかった......と、日記には書いておこう(笑)。
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