南アフリカ編−第7話 急ぎ足の市内巡り | ||||
ロープウェイで下界へ降り、車で今度は市街地をまわる。ここからは、車からの見学に なる。まずは、マレー・クォーターへ。ここは、オランダ統治時代に連れて来られたマレー 人の子孫や移住者達の居住区だ。彼らはムスリム(イスラム教信者)であり、1km四方の 中に11ものモスクがあるそうだ。建ち並ぶ家は小さいがカラフルで美しく、特徴的なのは、 屋根が三角ではなく平らなのだ。ロビーによると、この辺りは風が強いため、出来るだけ 風の抵抗を受けないように、平らにしていたのが今でも受け継がれているそうだ。 車は、街の中を走って行く。昨日も通ったが、高架道路(ハイウェイ)が途切れた場所が ある。もちろん、日本でも延伸予定の場所などは途切れた形になっているとこがあるが、 ここはわずか100〜200mくらいの間をはさんで、両側に途切れた道があるのだ。実は ここ、今はないが以前は店が建っていて、立ち退かなかったらしい。そのため、1975年 以来、ずっと工事がストップしていたらしい。しかし、その店も今は跡形もなく、工事が 再開され、来年には高架道路が繋がるそうだ。
次は、キャッスル・オブ・グッドホープ。ここは、オランダの東インド会社総督の居城として 建設されたもので、5角形の形をしている。現在は陸軍が使用しているそうだが、一部は 博物館として公開されているそうだ。見学してみたいものだが、この半日観光、先ほどから すべて車窓から見るだけなので、ちょっと残念である。まあ、これだけたくさんまわって 半日で済まそうというのだから仕方ない。 市役所は、上部に鐘楼を持つイタリア風の美しい建物。39個の鐘を持つこの鐘楼は、 あの有名なロンドンのビッグ・ベンの1/2サイズのレプリカだ。市役所のバルコニーは、 1990年、ネルソン・マンデラ氏が出所したとき、スピーチ(自由宣言)を行った記念すべき 場所である。また、エリザベス女王の21歳を記念するパーティ(成人の祝い)も、ここで 行われたそうだ。 国会議事堂は、イギリス様式の建物だ。ここは、内部も見学が出来、議会開会中は その様子も見ることが出来るらしい。日本の国会議事堂って、見学出来るのだろうか? 南アフリカ文化史博物館は、もとは東インド会社のスレイブ・ロッジ(奴隷宿舎)として 1679年に建てられたもので、当時は600人もの奴隷が生活をしていた。その後は、最高 裁判所として用いられたそうだ。 狭い範囲に歴史のある建造物がたくさん建っていて、色々紹介してくれるのはいいの だが、あまりに次々来るので、どれも印象が薄い物になってしまった。 最後は、南アフリカ博物館の駐車場に車を停め、カンパニー・ガーデンを歩く。ここは、 オランダ東インド会社の評議会が派遣したヤン・ファン・リーベックが補給基地とするため、 農園をつくったのが始まりで、テーブル・マウンテンからの湧き水で、オレンジやレモン、 野菜などを栽培していた。 現在では、国花プロテアを始めとして様々な植物が植えられており、開花の季節なのか あじさい(ハイドレンジャー)の花がきれいに咲いていた。 また、この公園は市民の憩いの場になっていて、この日も、たくさんの市民や、遠足に 来ていたのか制服を着た子供達が集まっていた。 のんびり歩いていると、道端の木の下でなにか動く物が見えた。なんだろうと近づいて みると、小さなリスが食事中だった。人間が造った公園とは言え、やはり自然が豊かなの だろう。 公園内を抜ける通りの横には、下の写真のような建物も建っている。ロビーが説明して くれたのだが、残念ながら内容を忘れてしまった。確か、これも歴史のある建物だったと 思う。 この公園内には、日本の燈籠や金魚が泳ぐ池がある。これらは、日本政府から寄贈 された物だと言う。 花やリス、西洋風の建物に日本の燈籠、ここは不思議な空間である。 [南アフリカ編−第6話へ戻る] [目次へ戻る] [南アフリカ編−第8話へ進む] |