ケニア編−第22話 さよならチェゲ、またいつの日か・・・ | ||||
いよいよ、ナイロビへ向けて最後の走行である。坂を登り切ると、4日前、ナイロビから
ナクル湖へ向かって通った道に合流する。しばらく行くと、ナイロビまで23kmの表示が あった。これが、大阪や京都の23kmなら、まだ1時間以上もかかるかもしれないが、 ナイロビ中心部の渋滞するような場所を除けば、100km/h以上で走り続けるここでは、 わずか20分ほど。もっと長く続けばいいのにという気持ちとは裏腹に、車はソマック(旅行 会社)の本社に到着した。 外見は、ナイロビ到着初日に見て、とてもきれいで大きなビルだとは思っていたのだが、 中へ入ると大理石の階段に、ピカピカのテーブル、大きなソファと、外とは別世界である。 サファリカーにしても、整備中のものを合わせると、20台以上はあるだろう。今この時間も 各地の国立公園や保護区を目指して走っている車、サファリ中の車、ロッジで泊まって いる車を考えると、100台を超えるのではないだろうか。ぼく達には見えてこないが、 きっと、ケニアでも大きな旅行会社の1つなのだろう。
かなり待って、ようやく昼食が出てきた。なにやら、白くて丸い容器が6つと、ビニール袋 に入ったものが3つ出てきた。まず、丸い容器のふたを開けてみると、4つが同じもので、 餃子がのった中華丼のようなものであった。あとの2つは、1つはえびフライ、もう1つは 豚の煮込みで、袋の方は、1つが漬物のようなもの、1つがラー油、もう1つがなにかは わからないが甘いたれであった。味の方はと言うと、まあこんなものかなと言う程度で、 ケニア最後の食事としては盛り上がらないものであった。 14時すぎ、出発の時間が来たので車に乗り込むと、チェゲがぼく達とKさん、Tさんに 折り畳んだ紙を渡してきた。なにかと開けてみると、チェゲの郵便私書箱(ケニアでは 郵便の配達制度がない)と、E−mailアドレスが書かれていた。チェゲと一緒に撮った 写真を贈りたいと思っていたので、これは嬉しい。E−mailの方は、当然、英語で書か ねばならないが、これも頑張って書こうと思う。 車は、空港でのチェックインをアシストする係員を助手席に乗せ、出発する。チェゲは、 ドライバー兼ガイドでもあるが、ここで言うガイドとはあくまでもサファリガイド(観光含む) であり、サファリ中のロッジのチェックインなどはアシストしてくれるが、それ以外に 関しては担当外らしい。そこで、到着時に迎えてくれたスティフィン・ヨンゴ氏のような 係員が別に担当するわけだ。 車は、わずか5分ほどで空港に到着した。チェゲが、後部に積んでいた荷物を降ろして くれる。これで、5日間を共に過ごしたチェゲとも、本当にお別れである。お互い、英語、 日本語、スワヒリ語混じりの言葉で別れを告げる。最後に抱き合った、チェゲの身体の 大きさ、ぬくもりは、いつまで経っても忘れることはないだろう。 ケニアの旅は、今までの旅の中でも特に思い出深いものだった。それは、初めて見る 野生動物や大自然によるものなのかもしれない。けれど、たとえそれらが素晴らしいもの でも、そこへ導いてくれるガイドによって、旅そのものの評価さえ変わることもあるのでは ないだろうか。チェゲは、そう言う意味で、本当に素晴らしいドライバー兼ガイドであった。 また、いつの日かチェゲのガイドでサファリをしたい、そう心から思った。 [ケニア編−第21話へ戻る] [目次へ戻る] [ケニア編−第23話へ進む] |