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孤高のランナー孤高のランナー

ある、一通のメールが来た。

『孤高のランナーになるにはどうしたらいいんでしょう?
 こころがまえを教えてください。』

自分が使った、『孤高のランナー』という言葉に
ある種、感銘を受けてくださったのだろう。

なぜ、自分が『孤高のランナー』という言葉を使ったのだろう?
もう一度、自分に言い聞かせる意味もこめて
少し綴ってみたいと思った。

メールを下さった方が、どう受け取るか
あえて媚びずに、自分に正直に書いてみたい。
せっかくメールを頂いたのにもかかわらず、
もし気分を害したのなら、申し訳ないのだが・・・。


自分と対話してみたいと思う。

孤独を感じた事はあるだろうか?
場所や時は問わない。
自分の部屋で、ポツリと思っても良い。
街の雑踏の中で感じても良い。

人は一度くらい、孤独を感じるだろう。

自分の場合を述べよう。
いわんや、自分は学校でかなり、
孤独であると感じている。

『大学生らしい』生活をしている気が起きない。
社会人からすれば、まだまだ甘えているのかもしれない。
だが、俺には『大学生をやってる実感』が無い。
でもそれは違う。
俺は、自分を変える為にこの言葉を選んだのだ。

ノートを貸してくれる人もいない。
そういう友達を作れば良いのだろうが、
そのような、ずるがしこい事をするのは気が引けるし、
実際、その人に対して申し訳が無い。失礼だ。
もっとも、『面倒くさい』と言うのが妥当かもしれない。

もっと大人しくいえば、今、大学に人間関係は無い。
無機質で、冷たくて、はっきり言ってくだらない。

そういえば、
人間は死ぬ時も生まれる時も独りだ。

しかし、人間は何もしていなくても
支えあっている事に気付く。

今日食ったメシも、誰かが作った。
そう思える日もある。

でもこんな事を思ったところで、
孤独感を払拭できるわけではない。
人間、そんなに単純じゃない。

強がって、『孤高のランナー』と言ったのだろうか?
しかし、自分が強く思っていることがある。

どんな風に生きていってもいいと思っている。
別に大卒ですぐ、定職につかなくてもいいと思う。
世間一般の『常識』ってやつが、
俺を生きづらくさせているのは確かだからだ。

自分の存在価値を、そんなもので測りたくは無い。

ただ、学校という組織の中にいる場合、
やはり単位を取って、卒業しなくてはならない。

このポイントを上に書いたような自分だけの価値観で
推し量っても、それは自分に甘えているだけだと思う。

だから、あの言葉は学生として
ダラダラと生活してしまっていた自分との決別を
意味する言葉かもしれない。

先々の不安もある。
でも、何かしなくては先々は無い。
進んでいないからだ。

たとえ、孤立しようが、社会一般の常識から外れようが、
自分の生きたいように、やっていきたい。
走りつづけたい。

そんな意味もこめて
『孤高のランナー』という言葉を生み出したんだろう。

きっとこの言葉の意味は、自分の中で流動的で、
意味をその都度変えていくんだろうとも思う。

でも、俺を勇気付ける言葉であることには違いない。

文才無くてごめんなさいね。(^_^;)

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