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私の大学生活私の大学生活

さて本題に入りましょう。大学生活についてです。

1年目は結構学校へ行ってました。
腹をくくって、どうせやるなら英語をマスターしよう!と
そんな意気込みで勉強しようと思っていました。

サークルに入ろうと思っていました。
色んなサークルを訪問し、候補は2つに絞られました。
英語研究会みたいなサークルと、もう一つは音楽系サークル。

結局、音楽への夢を捨てきれていなかったのでしょう、
私は音楽系のサークルに入りました。

・・・しかし、自分がマニヤックだったのか、
バンドを組んでも上手くいかない事がありました。
でも、やっぱり音楽は楽しい。サークルは結局続けていました。

彼女もできました、バンドも楽しい。勉強も頑張ってる。
なんて模範的な?大学生なんでしょう?
今思うと、大学生活をエンジョイしていたんだなぁ・・・と思います。

次に2年目です。
バンドの方で充実してました。むしろやりすぎていました。
彼女とも遊びすぎました。彼女が同じ大学ではなかったので
会うとなると学校お互い授業をサボりあって会っていました。
一番いけない方向へと走り出しました。

肺気胸を患いました。7月だったので、テストに出ませんでした。

その後、学校へ行っても授業に出ず、そんな日が結構続きました。
結局、単位は20も取れず、ギリギリデ3年生になる事ができました。


次に3年目です。
もうはなっから学校へ行こうという意思は消え始めていました。
バンドも生意気にオリジナルをやる事になり、
自分たちの曲を作らなくてはいけません。
彼女との関係も、『会いたい』というよりむしろ『会わなくてはならない』
という状態になっていました。もう情が移っていたんですね。

そして、本格的にアルバイトを始めました。
ここらあたりで生活が、バイト・バンド・彼女の生活に変わりました。

結局取った単位はゼロ。
逆算しても来年には卒業できない事が判明しました。

「やっちまった・・・」

薄々とは気づいていたものの、とうとうやってしまいました。
留年決定です。


4年目です。
もう今年いくら頑張っても留年という事は分かっていました。
しかし、人間一度サボり癖がつくとなかなか払拭できません。

結局前期の途中で挫折しました。
気づけば、学校へいけない体になっていました。

ここらでやっと自分の状況を真摯に受け止められる様になりました。

大学六ヵ年計画、発動です。
学費を払ってもらっている親に申し訳ない事この上なし。
これから5年目・6年目とあります。

そこで、どうやったら六年で卒業できるか、
足りない脳みそで考えてみました。

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