1991年8月12日(月)
朝7時過ぎにホテルを出たが、あたりはまだ日の出前で暗い。バスターミナルまでタクシーを使い、アルヘシラス行のチケット(1785pts)を買って出発を待つ。
朝は気温も低く、昨晩の寝苦しさが嘘の様に気持ちが良い。気分爽快である。BARでカフェとパンを食べたが、カウンターに料金がはっきり示されたいたので、
判りやすくて助かった。
バスでセビリアを後にしたが、ふと、この街には、白い鳩と一方通行が多いことに気づいた。白い鳩は特徴かもしれない。でも、鳩が多いと言うことは、糞害も
多いのだろうと思った。
バスの中は冷房が効いていて、心地良く、寝不足のため、うつらうつらしてしまった。バスの窓から見た一面のひまわり畑が感動的であった。
ソフィア・ローレン主演の「ひまわり」と言う映画が非常に好きなので、そのシーンを思い出してしまった。でも、時期的に少し遅めなのか、刈り取られた畑もあり、
7月が良いのかも知れない。じっくりと写真を撮りたいと思った。
アルヘシラスに着いて、タンジェ行フェリーのチケット(2700pts)を買い、モロッコ通貨に両替をする。1泊するだけなので、5000ptsだけ両替する。
港に行く前に、グラナダ行きのバス停と時間を確認しようとしたが、18時頃にグラナダ行きがあることだけが判った。
港内の電話でマドリードのアエロフロートオフィスに予約確認をしようとした。最初にマドリードの市内局番が抜けていたのでだめだった。
慌てて、電話近くの人に市内局番を教えてもらい、再度かけ直して、無事に予約確認終了。心配の予約確認を終え、ホッと一息。
フェリーに乗り込み、スペインを後にし、ジブラルタル海峡を渡る。ジブラルタル海峡と言えば、アニメ「海のトリトン」を思い出す。最初にジブラルタルという
言葉を覚えたのは、この作品からだったと思う。思わず、「オリハルコーン」と叫びたいくらいであった。
海は青く美しく、陽もまぶしく、短い船旅だが、結構これが良いのであった。
最初、スペインオンリーにしようかと思ったが、どうせならジブラルタル海峡を越えたい、モロッコ、アフリカの地に行きたいということで、ここまで来た。
ここまでは、満足したのであった。
船内でモロッコ入国の手続きを行うが、これで、モロッコに行けるのかと思うと、とても不思議な気がする。私にとっては、やっぱりあのモロッコという気があり、
実際に来れたことに対する実感がない。
船を下りて、タンジェの街に向かうが、ガイドに書かれてあるように、自称がガイドに囲まれて大変な目に遭うこともなく、宿を探した。
確かに声をかけてくる人はいるが、インド程ではない。タンジェの街を歩き、適当な宿に入って見るが、シングルルームが満杯で、少年が連れて行ってくれたホテル
(120DH)に泊まることにした。少年には、10DHの小遣いを渡した。
街中(メディナ)を歩き回ったが、大変面白い。活気もあり、人種も様々であり、西欧系、アラブ系、アフリカ系が入り混じっている。多くの人が、日本語で挨拶してくる
のには、面喰った。
途中のカフェで飲んだミントティーがものすごくおいしくて、感動した。暑い中で飲む熱いミントティー、甘くさわやかで、ミントの葉、茎ごと丸々入っている。
これ一杯で、疲れた身体も元気を取り戻し、また歩くことが出来るという感じだ。
メディナの後は、ビーチに行ったが、ここは、本当にモロッコかと疑問に思ってしまうくらいの異次元で、風が気持ちよい。ここで、しばらく日光浴をしたが、
はずして置いた腕時計がなくなってしまった。ひょっとして、盗まれたのか?砂に埋もれたのか?どちらにしても、気分はブルーであった。
夕食には、クスクスとケバブを食べたが、確かにクスクスは美味しかった。ケバブもクセがなく、文句なく美味しい。中国の中央アジア側やトルコでも、ケバブを食べたが、
モロッコのケバブの方がクセがないように思った。単に店の問題かも知れないが。
ホテルに戻って、シャワーを浴び、早めに寝ようとする。セビリヤと違って、少し寒いくらいだ。部屋は天井が高く、格子の付いた窓が高い場所にあり、牢屋の様である。
気温は良いのだが、外がうるさく、またまた寝付けない。
モロッコに到着。
モロッコの母と子。女の子がかわいい。
フェリーを降りてすぐに撮影。
路地で遊ぶ子供達。
とても元気である。
少し、ピンぼけ。
路地裏にいた女の子。
少し、恥ずかしそう。
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