2002年 劇場映画 鑑賞記3



ギャング・オブ・ニューヨーク   原題:GANGS OF NEW YORK

監督:マーティン・スコセッシ
 出演:レオナルド・ディカプリオ(アムステルダム・ヴァロン)
     キャメロン・ディアス(ジェニー・エヴァディーン)
     ダニエル・デイ=ルイス(ビル・ザ・ブッチャー)
     リーアム・ニーソン(ヴァロン神父)
     ヘンリー・トーマス(ジョニー)
     ブレンダン・グリーソン(モンク)
     ジム・ブロードベント(ウィリアム”ボス”トゥイード)
     ジョン・C・ライリー(ハッピー・ジャック)
     ゲイリー・ルイス(マグロイン)

  久し振りのレオナルド・ディカプリオ主演、キャメロン・ディアスとの共演。ギャングが抗争を繰り広げていた昔のニューヨークを舞台に、どんな 愛憎ドラマが展開されるのか興味を持っていた。
  ストーリーは、19世紀初頭から中期のニューヨーク、アメリカ生まれの住人と移民した各民族との抗争、宗教の違いによる抗争がギャングという 組織の抗争として繰り広げられていた。
  ”ネイティブ・アメリカンズ”とアイルランド移民の組織”デッド・ラビッツ”の抗争で”デッド・ラビッツ”を率いたヴァロン神父は、 ”ネイティブ・アメリカンズ”のボスであるビル・ザ・ブッチャーに殺されてしまう。
  目の前で父を殺されたアムステルダムは少年院に投獄、16年と歳月の後に戻ってくる。そこはビルのギャング団が牛耳る街に変わっており、復讐の 為にビルに近づく。
  ビルの信頼を得たアムステルダムだが、裏切りにより正体がバレてしまう。瀕死の状態から回復したアムステルダムは、”デッド・ラビッツ”を 再結成し、再度”ネイティブ・アメリカンズ”に闘いを挑む。
  しかし、そんなギャング間の抗争も歴史の流れ、国の政策という大きな流れに玩ばれてしまうのであった。
  実在したギャングをモデルにした人物とフィクションの人物、実際の歴史を舞台にアメリカという国のルーツを描いた一大叙事詩が、この映画である。 正に民族のるつぼ化したアメリカを改めて感じた。
  父方は何々系で母方は何々系と言う様な言い方は、日本人にはピンと来ない。移民で成り立ったアメリカに取って、自分の家系のルーツと宗教は重要 な意味を持つのだろう。
  同じルーツを持つ民族の集合体が協力し合うのは当然であり、他の民族との争いも起こる。そういうアメリカの歴史を知らなかったので、中々興味 深く見入ってしまった。
  但し、アメリカで生まれた人達が”ネイティブ・アメリカンズ”を結成するのは、オイオイと思ってしまう。元々住んでいたインディアンを追い払って 支配して国を作っておいて、ネイティブと言うのも厚かましい。
  南北戦争当時の話であり、黒人差別も絡んでくる。ブルジョワ階級対貧民層の絡んでくる。世界が混沌としている感じがしているが、その中で皆必死 で生きている。
  ギャング間の抗争にも興味があるが、更に徴兵制とそれに対する暴動にも興味がいった。移民して早々、何も判らずに兵士として戦場に赴く。唯、3食 が食べられるのかを気にして。
  その側を次々と棺桶が運ばれて戻ってくるという非情な現実。庶民が生活圏を守る為に戦っても、ブルジョワ階級はお構いなし。政治家は票だけが 全てで裏でギャングと手を組んでいる。
  全く、何が正義で何を目指すのかが判らない。暴動したくなる気が判るし、どちらかと言うと反ブルジョワ、反徴兵制に対して滅茶苦茶に暴れたい 憤りを感じてしまうのであった。
  そういう世界で”ネイティブ・アメリカンズ”と”デッド・ラビッツ”の抗争が起きても、どちらを応援するとも言えない。共存出来ない状態で不毛 な争いで多くの人が亡くなった様に思えた。
  ヴァロン神父、ビル・ザ・ブッチャー双方に守るべき人と支配欲があったと思える。ビルが倒した相手ヴァロン神父を無下に扱っていない点は好感が 持てるが、やや行き過ぎた移民排斥思想が強すぎる。
  このビル・ザ・ブッチャーをダニエル・デイ=ルイスが演じて凄さを示している。久しく観ていないと思ったら、映画界を引退していたらしい。 勿体無い限りで、この作品で観られて嬉しいのであった。
  確かにレオナルド・ディカプリオが演じるアムステルダムが主人公ではあるが、実在した人物をベースに描かれたビル・ザ・ブッチャーこそ真の主人公 とも思えるのであった。
  それ程、この作品の中でのイメージが強く、ヴァロン神父との抗争のいきさつが壮絶である。自ら行為を恥、眼を刳りぬきヴァロン神父に送りつける。 そして義眼に鷲のマーク、これには気づかなかったし驚いた。
  立場が変われば、これほどの凄い男も居ない訳で心酔してしまうかもしれない。政治家のウィリアムにとっても頼りになる面と暴力で解決しようとする 時代遅れの考え方に手を焼く。そして時代が変わろとしている、ビルの時代も終わろうとしている。
  アムステルダム役のレオナルド・ディカプリオも、感情移入したくなる感じで良かった。復讐を誓いながらその目的意識が揺らいでしまう。遂に父 ヴァロン神父の亡くなった日に復讐を決意する。
  決して小奇麗でないアウトロー的なディカプリオを観て、格好良くなったよなぁと思ってしまう。レオナルド・ディカプリオとダニエル・デイ=ルイス との組み合わせなんて、もう2度と観られないかもしれない。
  この2人の対決だけでも十分なのだが、ジェニー役のキャメロン・ディアスがまた良い。この時代を生き抜く強かさと女性の魅力があるヒロインを 演じている。決してアムステルダムにベッタリでもない。
  カリフォルニアへの夢を語り、そして一人旅立つ姿が良い。本当にそのまま旅立ってもやっていける強さを持ち合わせている。それでいて、アムステル ダムに寄り添う姿が、また魅力でもある。
  詳細は判らなかったが、ビルをヴァロン神父の隣に埋葬した様に思えた。時代は移り変わり現代に、なんという無常感だろう。人は必死にその時代に 生きて争いを続ける。
  そして過去を忘れてしまうのだが、そういう過去の積み重ねで現代が存在し、そしてやがて過ぎ去ってしまう。民族が混在して生活しているのは、同じ である。
  アムステルダムとジェニーとの恋愛だけを期待すると肩透かしを喰らう骨太な叙事詩的な作品に圧倒されてしまう。よくこんな作品を作り上げたなと 思ってしまうのであった。



K−19   原題:K-19 : THE WIDOWMAKER

監督:キャスリン・ビグロー
 出演:ハリソン・フォード(アレクセイ・ボストリコフ艦長)
     リーアム・ニーソン(ミハイル・ニーソン副長)
     ピーター・サースガード(ヴァディム・レドチェンコ)
     クリスチャン・カマルゴ(バベル・ロトコフ)
     レックス・シュラプネル(コルニロフ)
     ドナルド・サンプター(サヴラン軍医)
     イングヴァール・シガードソン(ゴレロフ機関長)
     JJフィールド(アンドレイ)

  待望の潜水艦を舞台にした映画、しかも実際にあった出来事を基に描いていて、艦長がハリソン・フォードと言うのだから期待して観に行った。 事実に基づいている緊迫感が胸に迫る。
  ストーリーは、1961年当時ソ連の原子力潜水艦K−19は、処女航海に於いて核弾道ミサイル発射テストの為に出航する。新艦長にアレクセイ・ ボストリコフを任命、ミハイル・ニーソン艦長を副長として指揮させていた。
  様々な問題を抱えていたにも拘わらず、ミサイル発射成功後も偵察任務を続行する。そして原子炉の冷却装置に故障発生、炉心が徐々に過熱し始める。 このままでは炉心溶融の大惨事になり、NATO基地近くでの爆発は第三次世界大戦の引き金になりかねない。
  必死の修理にも拘わらず放射能漏れは被害を拡大していく。乗務員の命と世界の命運が艦長の判断に握られていた。
  28年間も秘密にされてきた、旧ソ連で起きた原子力潜水艦内での炉心溶融の危険があった事故。この事実は衝撃的である。知らない所で世界滅亡 の危険があった事、それが秘密にされてきた事、その中で亡くなった若い命。
  ソ連の潜水艦とアメリカの駆逐艦が登場するが、決して戦う訳でもないし戦争映画でもない。唯、潜水艦内での人々の闘いである。
  最初にハリソン・フォードが演じるボストリコフ艦長が、厳しい訓練を行ったり艦を危険にさらしたり本国の意向に忠実な指揮官として描かれている。 対するニーソン副長が部下の信望が厚い指揮官である。
  対立の図式を想像していたのだが、徐々にボストリコフ艦長の行動や言葉に感情移入してしまう。勿論、艦長をサポートするリーアム・ニーソン演じる ニーソン副長も味があって素晴らしい。
  ボストリコフ艦長を更迭しようとした士官たちの考え方も判らないではない。極限状態での判断は難しいし、それぞれの立場で最適な結果を求めよう とすると対立は避けられない。あくまでもボストリコフ艦長を補佐するニーソン副長であった。
  こんな状況でアメリカの駆逐艦に発見されているなら、アメリカに救助要請するのも手段としてあったと思う。でも冷戦当時では困難な事だったの かもしれない。
  原子炉の冷却装置の修理に向かう乗員達。しかし、そこには必要な放射能防護服さえ無い現実。その事を隠して修理に当らせるしかないし、順番に 修理に向かうしかない乗員が哀れに思う。その他の乗員も放射能汚染に怯えて過ごすしかない。
  恐怖に修理を拒否してしまう原子炉担当士官ヴァディム、本国に恋人を残して死ぬかもしれない任務を拒否するのは判る。誰だってそうだよなぁ、 しかも直前の交代で着任してしまった不運でもある。
  それでも意を決して修理に当り、結果的に身を犠牲にして艦と乗員、世界を救った事になる。ヴァディムを始め原子炉区画にいた乗員は数日内に 死亡し、その後も被爆の影響で犠牲者は増えて20名以上が亡くなった。
  例え放射能防護服があっても、放射能漏れは広がって簡単に食い止める事は出来なかっただろう。米ソの冷戦で乗員の安全優先より原子炉の強力化と 小型化を優先させてしまった設計からのミス。
  事故が発生した場所も悪かった。NATO基地の近く、そんな所で核爆発が起こったら故国が報復攻撃に曝される。艦の仲間を救う為、故国を守る 為に自己を犠牲にしなければならない。
  そんな状況で誰も行なった事のない判断と決断を下す事になったボストリコフ艦長と擁護するニーソン副長が印象的である。そして、当時の仲間との 再会と犠牲者の供養に胸が熱くなる。
  最後にもう一度、氷上での記念撮影の映像が現われる。みな若く、希望に満ち溢れている表情に切なくなってしまうのであった。音楽も切なくて、 やるせない気分になる。事故を語る事で2度と同じ様な事故を起こさないように願うしかない。
  驚いたのは、この艦は事故を起こした後に1964年に再び任務に復帰し、1969年11月に米潜水艦と衝突したが帰還した。更に1972年2月 に大火災を起こし28名の乗員が死亡した。
  度重なる事故を起こして1990年に任務を終えて、未だ解体される事無くロシアの軍事施設内にあるそうである。悲運の艦なのか?、呪われた艦 なのか?。
  軍事機密の向こうに隠された恐るべき真実は、今も多くあるに違いないとおもってしまう。特に旧ソ連における秘密は、明らかにされていないのでは ないかと思ってしまうのであった。



ジャスティス   原題:HART'S WAR

監督:グレゴリー・ホブリッド
 出演:ブルース・ウィリス(ウィリアム・A・マクナマラ大佐)
     コリン・ファレル(トーマス・W・ハート中尉)
     テレンス・ハワード(リンカーン・A・スコット少尉)
     コール・ハウザー(ヴィック・W・ベッドフォード軍曹)
     マーセル・ユーレス(ワーナー・ヴッサー大佐)
     ライナス・ローチ(ピーター・A・ロス大尉)
     ヴィセラス・シャノン(ラマー・T・アーチャー少尉)

  ブルース・ウィリス主演の第二次世界大戦時の捕虜収容所で起こった殺人事件に絡んだストーリーに惹かれて観に行く。
  ストーリーは、ドイツ軍の捕虜となったハート中尉は、捕虜収容所に送られる。拷問を受け秘密を漏らした彼は、捕虜収容所にのリーダー・ マクナマラ大佐から一般兵士用宿舎に送られる。
  その宿舎で一緒だった黒人兵士が殺害される事件が発生する。単なる人種差別による殺人事件なのか?。ドイツ軍が陪審員になる裁判が開かれ、 ハート中尉は、弁護人として参加する。
  この事件に関わる真実、その裏に潜む脱走計画。ハート中尉が選択した行動は何をもたらすのだろうか?。
  ハート中尉が前線で戦った事の無いボンボンであったので少し心配したのだが、偽MPを振り払って逃走を試みる位は出来たので安心した。 捕虜になったハート中尉は、極寒の拷問を受けて燃料貯蔵庫のありかを指し示す事になる。
  捕虜として護送される途中、友軍機の攻撃で危うい場面に遭遇してしまう。捕虜を示すPOWの人文字で難を逃れるが、一つ役に立つ?単語を 覚えた気がするが、こんな人文字なんて作りたくない状況であるけど。
  長期のわたる徒歩による行進の果てに捕虜収容所に到着し、マクナマラ大佐からの質問を受ける。自分の命に架けて秘密を守る人もいれば、耐え切れ なくて秘密を漏らす人もいるだろう。
  一方的にハート中尉を責める事は出来ないであろうが、ブルース・ウィリス演じるマクナマラ大佐は、秘密を漏らさなかったという嘘に対して容赦 しなかったのだろう。
  秘密を守り通していたら、既にこの世に存在していなかったかもしれない。自分は耐えられないだろうから、ハート中尉が3日間耐えただけでも偉い と思ってしまう。
  秘密は重要であるが、絶対に漏れない秘密というものは存在しないだろう。秘密は漏れるという考えで対処していかなければならないだろう。 特に戦時中では、秘密の探り合いなのであるから。
  ハート中尉が秘密を漏らした事は責められるが、仕方が無いという気もする。
  捕虜収容所に到着した時に脱走兵の処刑に遭遇する。ロシア人捕虜の公開処刑に対しても敬礼するマクナマラ大佐、登場シーンとしては、かなり良い 感じに思えた。ロシア人捕虜も存在している事も意味があった。
  その後のハート中尉に対する接し方や黒人兵を下士官と同じ兵舎に送ってしまった事に対しては疑問があった。黒人兵のアーチャー少尉が策略で処刑 された責任の一端はマクナマラ大佐にある様に思えた。
  飢えた兵にパンを投げてやるシーンも男気のある人物として受け止められた。しかし、兵士や上官としての能力と人間性は別なのかという感覚 であり、戦時ということもあり指揮官としての考えが優先されていたと思う。
  ベッドフォード軍曹が殺害されてスコット少尉に容疑がかけられても、出口については偽証させている。そんな状態で他の証人に聖書に誓って真実を 述べよと言っても無理な状況であり、黒人差別も露骨にある。
  捕虜収容所内での陪審がドイツ軍で、被告・検察・弁護が捕虜という状況に驚くと共に俄然興味が湧く。被告のスコット少尉にとっては絶望的な状況で あり、弁護人のハート中尉も慣れない役目である。
  ドイツ軍のヴッサー大佐は、アメリカの軍裁判のマニュアル書をわざわざハート中尉に渡す。この辺は、それぞれの思いと策謀が入り交じった感じで 見ごたえがある。
  あくまでハート中尉は、スコット少尉の無実を証明して救いたいし、マクナマラ大佐はもっと大きな事を成し遂げ様としている。あくまで目先の個人 を優先させるのか、大局的な視点から小を殺して大を生かすのかの戦いでもある。
  スコット少尉の被告という立場からの発言がまた良かった。黒人として差別されても、嫌がらせや障害に堪えてパイロットになり少尉にもなった。 それでも、敵国の捕虜より待遇が悪いという事実。
  パイロットへの道は厳しかったと思うし、「ザ・ダイバー」のカール・ブラシアを思い出してしまう。この訴えが胸に沁みる。
  マクナマラ大佐が秘密裏に行なおうとする事は、捕虜収容所という場所を考えれば脱走という事が直ぐに予想されるし、ハート中尉も早めに気付く べきであった。
  最終的には、その計画を知った上でスコット少尉の弁護をするのだが、スコット少尉を一緒に逃がそうとする。 ハート中尉が決意した行動により、多くの人々が巻き添えになりそうになる。
  スコット少尉を助ける行動としては凄いと思ったが、少々甘い考えだった様である。絶対絶命のピンチに、マクナマラ大佐が格好良く現れる。 オイシイ所を持っていってしまった感じがするが感動的である。
  指揮官と人間性の優先について考えたが、最後はどちらも崇高であった事に気付く。自己犠牲である様に思われるが、きっちりと清算した 意志の強さを感じた。
  マクナマラ大佐の犠牲だけで終えたヴッサー大佐も評価したい。ジュネーブ条約なんて無視して、関係者全員の処刑があっても不思議ではない。 偏見的なドイツ軍人の描き方であれば、大量処刑になりかねない。
  マクナマラ大佐に対して敬礼を行なうのが、最初のマクナマラ大佐がロシア人捕虜に対した敬礼を思い出させる。敬礼シーンはいつも切ない感じに なってしまう。
  たった3ヶ月後にドイツが降伏してしまうのだが、その期間脱走を待てなかったのか?。それは無理な注文であろう、その時その時で出来る事をやる という状況なのであるから。
  人種、敵対関係を超えた人間の誇りについて考えさせられた。戦争とは、人間の誇りを無にしてしまう。そんな中での誇りを失わない強さが光る 作品に感動したのであった。




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