コラテラル・ダメージ 原題:COLLATERAL DAMAGE
監督:アンドリュー・デイビス
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー(ゴーディ・ブルーアー)
フランチェスカ・ネリー(セリーナ、クラウディオの妻)
クリフ・カーティス(クラウディオ”ウルフ”、テロリスト)
イライアス・コーティアス(ブラント、CIA)
ジョン・レグイザモ(フェリックス、麻薬密造のボス)
ジョン・タトゥーロ(アームストロング、整備士)
2001年9月11日アメリカ同時テロの影響で公開が延期されていたアーノルド・シュワルツェネッガーがテロと闘うアクション作品だ。まあ、
取りあえず観ておこうかなという感じであった。
ストーリーは、ロスの消防隊長であるゴーディは、妻と息子が待つカフェ前に到着した時に突然の爆発が起きる。テロによる爆破事件によって愛する
妻子を失ったゴーディは悲しみに沈む。
ゴーディは現場でコロンビアのテロリスト”ウルフ”を目撃しており、彼の犯行声明も届いていた。国家は犯人を追い詰めるものだと期待していた。
しかし、妻子の死がコラテラル・ダメージ(目的の為の犠牲)という表現をされた時、彼の怒りが爆発してしまう。
国家や政府に期待せず、単身コロンビアに向かい、テロリスト”ウルフ”のクラウディオをこの手で殺し復讐する計画を実行する。ゲリラや現地警察
に追われ出会ったセリーナと息子のマウロ母子に亡くした妻子を思い出す。
しかし、セリーナ母子はクラウディオの妻子であり、クラウディオは、次にワシントンを狙っていた。そして3人はワシントンに戻りテロの阻止を
図るのだが…。
最近の主演作はそこそこの印象しかないので、これもその程度と思っていた。普通に見えないシュワルツェネッガーが普通の消防士を演じているのに、
違和感も多少あった。しかし、何度も手錠を掛けられ捕われる姿、逃げる姿に超人的イメージは薄れてしまった。
そんなシュワルツェネッガーとストーリー、アクションのバランスが良く面白い作品だったと思う。破天荒までに強いシュワルツェネッガー像を期待
すると物足りなくなるかもしれないけど。
コラテラル・ダメージ(目的の為の犠牲)という表現については、自ら進んで犠牲になると言うより、強制的に犠牲にされてしまうニュアンスがある
のだろうか。コラテラルは意味的に補足的、第二次的にという事である。
こういう表現が通用してしまう世界自体に問題を感じてしまう。巻き添えとして、巻き添えじゃなくても、愛する妻子を亡くした場合、その怒りは犯人
に向かってしまうのは仕方ない。しかし、自ら危険なコロンビアに向かうゴーディも凄いというか無鉄砲。
でもそこでは、現地のゲリラが一般市民や少数民族を敵に協力したという嫌疑で虐殺している現実があった。アメリカがコロンビアを支配しようとして
いる、虐殺していると言うテロリストの立場が、逆に国内ではゲリラとして国内の人間に対して行なっている不条理。
所詮、強者が弱者を摂取し虐待する負の連鎖が繋がっているのか。いくら主義主張が立派でも、行動に非があれば意味が無いと思う。その典型的が
テロという行動だろう。そうは言いながら、ゴーディが手榴弾を使った仕掛けでクラウディオを暗殺しようとするシーンは、成功を祈ったりする自己矛盾
を抱えながら映画を楽しむしかないのであった。
最初にアクションがあって、途中にゴーディとセリーナが話し合うドラマ部分がある。この作品の最大の長所と欠点はこのドラマ部で語られた部分が
真実であったのか?。ラストを観れば答えが出てくるのだが、ラストのアクションを優先させれば、語られた言葉が否定されてしまう。それでも真実の
部分があったのだろうか?。
何処までが真実で何処からが策略だったのだろうか?。何処からが偶然で何処から計画されたものなのかが漠然としてしまった。最後のドンデン返しが
別の形で実現されていた可能性はある。
舞台を国務省に移してからの部分は緊迫していて面白かった。何故、クラウディオがバイクで疾走しているのか判らなかったが納得した。最後は
ゴーディ役のシュワルツェネッガーが凄さを見せつけていた。結構、危ない人物かも火災のプロだから。
伏線があったのに、咄嗟に関連付けられなく残念だった。そういう意味では見事に騙されていたのだった。ゴーディは中々殺されようとしないし、
身代金の要求も無かったなあ。なるほど。
流石にシュワルツェネッガーの作品だから、「隣人は静かに笑う」的ラストは無かった。だからと言って、アメリカ万歳的ラストでも無く沈黙を守る
ゴーディで良かったと思う。最後にテロ撲滅のセリフがあったら興醒めしてしまうかもしれない。
コラテラル・ダメージとは誰を対象にしていたのか、段々と判らなくなってきた。登場する全ての人物に当て嵌まっていたのかもしれない。全世界の
人々がコラテラル・ダメージとなる危険を含んでいるのだろう。
光の旅人 K−PAX 原題:K-PAX
監督:イアン・ソフトリー
出演:ケビン・スペイシー(プロート)
ジェフ・ブリッジス(マーク・パウエル博士、精神科医)
メアリー・マコーマック(レイチェル・パウエル、マークの妻)
アルフレ・ウッダード(クラウディア・ヴィラー医師)
デヴィッド・パトリック・ケリー(ハウニー、強迫観念症)
ピーター・ジェレティ(アーニー、病気恐怖症)
セリア・ウエストン(ミセス・アーチャー、患者仲間)
ソール・ウィリアムズ(サル、患者仲間)
メラニー・マーレイ(ベス、患者仲間)
ネタバレ注意!。
以前に予告編を観た時、変な映画でどうせ大した事ないだろうなあと思っていた。昔観た「スターマン」を何故か連想してしまったのも事実で、あの
作品は大作じゃないけど、意外に気に入った映画でもあった。そういう訳で期待もせずに観に行ってしまった。
ストーリーは、ある日、駅の構内でスリ事件が発生する。現場に居合わせサングラスを掛けた男は、自分は1000光年先のK−PAX星から
光エネルギーに乗って地球にやってきた異星人だと話す。
精神に障害があると思われた男をパウエル博士が診療する事になった。サングラスの男はプロートと名乗り、彼が話す宇宙や光旅行の概念に興味を
持ったパウエル博士は、天文学博士の前でその知識の妥当性を検証する事になった。
彼が示すK−PAX星は実在しその軌道は正解、博士らが疑問に思っていた天体現象も説明するのであった。彼は知識のみでなく、精神病患者の心を
開かせる不思議な能力も持っていた。
プロートに医師と患者という関係を超えて興味を持ち出したパウエル博士に、プルートは「7月27日にK−PAX星に帰る」と話す。パウエル博士
は、プルートが地球にやって来た5年前の7月27日にこそプルートの秘密があると予感する。
パウエル博士は催眠術を使い、彼の深層心理に潜む謎の解明を図る。そして、ようやく答えを見つけ出すのだが、それはあまりにも悲しい答えだった。
そして、7月27日の日の出が迫る。プルートはK−PAX星に戻って行くのだろうか。
「スターマン」を連想した偶然がここにあった。「スターマン」の異星人をジェフ・ブリッジスが演じていたのを覚えていなかったのである。しかも
ジェフ・ブリッジスは、ワザワザ今回は異星人でなく精神科医を演じたそうである。
本来の感想に戻ると、期待以上の素敵な物語であり、泣ける名作だと思ってしまった。悲しい過去から自分をK−PAX星人と主張するプロートを
ケビン・スペイシーがこれ以上は無いという感じで演じている。無表情かつコミカルで優しいユニークな役であるが、参りました。
対するパウエル博士役のジェフ・ブリッジスもいい味出しています。彼のプロートに対する興味に同調してドンドンと引き込まれてしまいました。
ただ良い人であるばかりでなく、意地っ張りな面があってこそ、今回のラストにジーンとしてしまいました。
殆んどこの二人で成り立っている感じでもありますが、忘れてならないのが色々な精神的な病を持っている患者仲間でしょう。彼らの様々な症状と
それがプロートの影響で癒されていく様だけでも感動してしまいます。
天文学者たちとの対面において、光旅行を実演してみせる場面からは本物の異星人ではないと思ってしまった。でもK−PAX星の軌道を説明する
シーンでは、すらすらと書く模様がプラネタリウムの天上に浮かび、そして検証結果が合致する結果にもしやとの疑念が生じてしまう。
もしかして本当のSF作品?と思いつつ、精神病患者達との関わりがまた印象的で気に入ってしまった。病気恐怖症のアーニーは、環境が悪いと
思っている屋外に出られる様になってしまったし、病室を出た事の無いミセス・アーチャーも談話室に出てくる様になってしまう。
何気にちゃっかりと談話室に座っているミセス・アーチャーに苦笑してしまう。特に強迫観念症のハウニーが、「3つの任務を完了すれば病気が治る」
というプルートの言葉を信じて、屋外に青い鳥を探し見つけて大喜びするシーンが好きだ。
幸せの青い鳥は、青い鳥自体に幸せがある訳ではなく、そう思える人間の心に幸せがあると考えている。例え強迫観念症でも、治りたいという気持ち
があるから、プルートに警戒心が無かったから、彼のの言葉を信じたのであろう。
因みに、私の幸せの青い鳥は多摩川上流の御岳渓谷で見るカワセミである。稀にしか見られないが、見ると調子が悪くても来た甲斐があったと思って
しまい、幸せな気分になる。
独立記念日のパーティでのプルートとパウエル博士の家族との一時に気持ちが安らぐ。そこでのブランコを押す姿とスプリンクラーの水に対する反応
から、パウエル博士はプルートの過去に対するヒントを得る。ここからの展開がドキドキして面白い。
催眠術を使いプルートの過去を聞き出す。彼の友人が実は彼自身であるという予想はしたのだが、何が起きたかは想像出来なかった。パウエル博士は
微かなヒントを手掛かりに真相を解明するが、小さな鉛筆がキーになるとは。
真相を解明して、妻に悲しい答えが見付かったと話すが、本当に悲しい答えだった。プルートの妻子は殺され、犯人に出くわしたプルートは犯人を
殺して入水自殺を図る。死にきれなかった彼は、今こうして自分の前に存在しているのだった。
廃屋になった彼の家には、壊れたブランコとスプリンクラーが残されていた。パウエル博士の想像は的中していた。かつては娘をブランコに乗せて
押してあげた幸せな日々が確かに存在していたのだった。
K−PAX星に帰る7月27日の朝が来る。プルートの姿と朝日の昇る光景、彼を監視する人々、そして見事にプルートはK−PAX星に帰って行った
のである。私はそう確信する。但し、肉体は残してである。
サングラスという小道具がキーになっていたと思う。妻子を亡くしたプルートは、心の光を奪われ精神は暗闇になってしまったのかもしれない。そんな
彼にとって現実社会や環境は光に満ちた世界なのかもしれない。
現実に相対するする時に、サングラスを通してでしか向き合えなかったのかもしれない。そしてこのサングラスを置いて行く時こそ、K−PAX星と
いう自分の精神世界に戻る事なのだろう。
K−PAX星では、黄昏の様な光が射し家族という絆を持たないし生殖活動は苦痛と説明する。これは、全て現実社会の反対的社会として現されて
いる様に思う。黄昏時は逢魔が時であり生者と死者が交じる時、彼の地で妻子を思い出していたのかもしれない。
最後にパウエル博士が仲たがいしていた先妻との息子に再会するシーンに感動してしまう。プルートのメッセージとして「宇宙は拡大と縮小を繰り返す
が、過ちも繰り返してしまう。間違いを正すのは、生きている今しかない。」という様な言葉が残される。
ビッグバン理論をこの様な解釈として当てはめるとは。このメッセージ性は凄い。本来なら、妻子を亡くして外界との交渉を断ったままの可能性が
有ったのだが、このメッセージを残す為に5年間この地に居たのだろう。
嬉しいのは、あの精神を病んでいた仲間達が見事に社会復帰出来た事である。謎は全て解明された訳ではないが、物語のラストを見たらそんな事は
どうでもよくなってしまった。いずれ説明がなされる時が来るかも、それまでは謎としてそっとしておこう。
エンド・ロールの最後に望遠鏡を覗くパウエル博士が登場する。アウター・スペース(外宇宙)を見つつ、インナー・スペース(精神世界)を見た
作品と言えるかもしれない。少し「レナードの朝」を思い出す感じだったが、好きだからOKだ。
原作では続編があるそうである。内容は知らないが、出来たらまた7月27日に目覚めて自分自身を癒して立ち直るプルートの姿を観てみたいと
思ってしまったのであった。
D−TOX 原題:D-TOX
監督:ジム・ギレスピー
出演:シルベスター・スタローン(ジェイク・マロイ)
トム・ベレンジャー(ハン、ドックの助手)
チャールズ・S・ダットン(ヘンドリックス、FBIエージェント)
クリス・クリストファーソン(ドック、D−TOXのドクター)
ポーリー・ウォーカー(ジェニー、D−TOXの精神科医)
スティーブン・ラング(ジャック、D−TOXの看護士)
ディナ・メイヤー(メリー、マロイの恋人)
クリストファー・フルフォード(スレイター)
ショーン・パトリック・フラナリー(コナー)
ロバート・パトリック(ノア)
シルベスター・スタローンのアクションとサイコ・スリラー要素の入った映画として観に行った。あまり宣伝もされていないしパンフレットも作成
されていない状況に、これは駄作なのか?隠れた傑作なのか?興味を持つ。
ストーリーは、警官が次々と殺害される猟奇的殺人事件が発生するが、FBI捜査官のマロイは捜査に手を焼いていた。そして友人の警官も殺害され、
犯人の新たな標的としてマロイが狙われる。
犯人の魔の手は、マロイの恋人メリーに忍び寄り無残にも殺害されてしまう。マロイの怒りは頂点に達し犯人を追い詰めるのだが、犯人はマロイを
嘲笑うかの様に姿を消してしまう。
後には恋人を守れなかった罪悪感で酒に溺れるマロイが残ってしまう。心の傷を癒せない警官専用の施設D−TOXに、友人ヘンドリックスがマロイ
を連れていくのであった。
ここは、極寒の大地建つ要塞のような建物で警察の上層部しか知らない療養施設であった。だがしかし、ここでも警官が次々と殺害されていく。
奴はここに居る。マロイは再び警官連続殺人犯との闘いに巻き込まれる。外はブリザード、ボイラーが故障、完全に閉じ込められた状況で犯人とマロイの
生き残りを賭けた闘いが続く…。
最初の警官と恋人メリーが惨殺されてしまうシーンに、ゾクゾクしてしまって期待感が高まる。犯人を追うマロイの追跡劇に緊張感があって、今後が
楽しみだなあと思ってしまった。
でも、その後のマロイが恋人を失った罪悪感と消失感から自殺まで図るのは判る。でもそれをスタローンが演じても何だか感情移入出来ないので
あった。こういう演技も必要なんだろうけど、求めている物が違うのか?。
D−TOXの施設とブリザードで閉じ込められる設定は面白いしワクワクしてしまう。しかも施設に居るメンバーがそれぞれ心に傷を持っているのだが
、一癖も二癖も有りそうな連中。誰が犯人になっても、それなりに納得できそうな感じ。
このかなり良い状況を作りながら、物語の中盤が面白く無い感じ。ようやく警官が死亡する段階から面白くなってくるのだが、最初の死亡が自殺に
見せかける必要は無かったと感じた。
もう猟奇殺人映画なんだから、徹底的に恐いシーンを描いても良かった気がしてならない。犯人が判らず次々と立て続けに殺害される後半でようやく
ドキドキ状態になれる。
市街とD−TOXに分けられて、すんなりと繋がらない、展開の不味さを感じてしまう。最初からD−TOXが舞台で、精神的に参っているマロイ
から始まって、フラッシュ・バックで過去が描かれても良いような気もする。
やっと犯人の正体が判るのだが、まあフーン的な感じでどうでもよくなってしまった。怪しいと思っている人物以外というセオリー通りだったが、
印象が薄めでもあった。
やっぱり最後は、スタローンのパワー全開の展開になってしまうが、そういうのを観に行っているわけだから満足。ストーリーと状況設定とスタローン
が上手く活かされなかった勿体無い作品に思えてしまった。
今度こそ女を守ると言う設定がよくあるのだが、ヒロインも私的には今一つ。二人の絡みもスタローンが心に傷を持っている状況を通してだから、
悲しげなスタローンもしっくり来ないのであった。
メリーにプレゼントする予定だった指輪に別の使い方があったのは良かったが、最後の処分の仕方はやっぱり今一つ。少しずつ今一つが重なった感じ
の作品。ビデオで観るには良いかな?。
ブラックホーク・ダウン 原題:BLACK HAWK DOWN
監督:リドリー・スコット
出演:ジョシュ・ハートネット(マット・エヴァンズマン二等軍曹/レンジャー)
ユアン・マクレガー(グライムズ特技下士官/レンジャー)
トム・サイズモア(ダニー・マクナイト中佐/レンジャー)
ジェイソン・アイザックス(マイク・スティール大尉/レンジャー)
ユエン・ブレンナー(ショーン・ネルソン特技下士官/レンジャー)
エリック・バナ(”フート”ギブソン一等軍曹/デルタ)
ウィリアム・フィシュナー(ジェフ・サンダーソン軍曹/デルタ)
オーランド・ブルーム(トッド・ブラックバーン上等兵/レンジャー)
サム・シェパード(ウィリアム・ガリソン少将)
リドリー・スコットが描くソマリア紛争で起きた戦いに興味があった。圧倒的な戦闘シーンは予想していたし、史実をどう描くかも興味津々だった。
唯、「これは観客に問いかける作品であって、答えを提供する作品ではない」とするリドリー・スコットのコメントが気になっていた。
ストーリーは、1993年10月3日ソマリア首都モガディシオにおいてアイディード将軍の副官2名を捕らえる作戦が開始された。米軍のレンジャー
部隊とデルタ部隊の合同作戦、1時間で終了する作戦が米ヘリであるブラックホーク機が撃墜された事から戦闘は泥沼化してしまう。
慣れぬ市街を舞台に米兵は救援を待ちつつ、迫りくるソマリアのババルギディ部族民兵と戦い続けなければならなかった。次々と襲ってくる民兵に
米兵士は倒れていく。「全員を連れて帰る」を守る為、必死の闘いが続く。
先ず最初に言っておかなければならない事は、ソマリア紛争のニュースは耳にした事がある。但し遠いアフリカの地の為、内容を深く理解しては
いないという問題があった。所詮、日本人にとってはその程度ではないかと思ってしまう。(違うという人も多くいるかもしれないが。)
事実として入手した事は、部族間の紛争が飢饉を起こし、30万人の民間人が飢餓で亡くなった。アイディード将軍が首都を制圧しており、海外からの
食料品を略奪している。米海兵隊の支援により食料が支給され一度は秩序が回復したが、海兵隊撤退後の国連平和維持軍にアイディード将軍は宣戦布告
した。
アイディード将軍は、国連パキスタン人兵士を虐殺し、アメリカ人も攻撃対象となった。アメリカは、アイディード将軍排除と秩序維持を目的に
レンジャー部隊やデルタ部隊を投入した。
この経緯から推察すると、どう考えてもアイディード将軍側に非があり、正義はアメリカにある様にも思われるのである。但し、どこまでが内政干渉
であり、戦争なのかの境界がハッキリしないのも事実に思われる。
事実を忠実に再現しようとしているのは判るし、その凄まじい戦闘シーンは驚嘆に値する。作戦についても、非難される面は多々ある様に思われる。
作戦についてツッコミを入れようと思ったのだが、今となってはどうしようも無い事かもしれない。
一つ言いたいのは、ブラックホークが撃墜されるのは必然に思えるし、例えブラックホークが撃墜されなくても混乱と死傷者が出たに違い無い。
敵を甘く見ているし、バックアップ体制が完全でない。全くガリソン少将は何を考えているんだ!。
映像派と言われるリドリー・スコットが、リアルで迫力ある映像をこれでもかと言う感じで前面に押し出した。これには、観客としても手に汗握るし、
息も吐けない、胸が押しつぶされそうである。
でも「策士、策に溺れる」みたいに迫力ある戦闘シーンの洪水に、兵士達のドラマが置き去りにされてしまっている。事実はドラマはあるが、埋もれて
しまっているというか、感性がドラマを受け付けない様になってしまった。
これはあくまで個人的な事かもしれない。でも役者不在、役者不要のドンパチ映画に思えてしまうのである。主人公がジョシュ・ハートネットでなく
ても、何ら問題無い感じ。あれだけ多くの兵士が出ているのに、印象的なのは極僅か。
ユアン・マクレガーなんて、印象薄すぎ、勿体無い。戦場でもコーヒーを入れるグライムズに親近感も湧くけど。自分が兵士だったらと思ってしまうと
、あの状況では簡単に死んでしまう兵士になってしまうのだろうか?。最期まで見境無く撃ちつづけるのだろうか?。
途中の救いは、子供達と彼らを守る教師が流れ弾で死ななかった事だろうか。あの状況では死んでいた可能性もある。こういう一般人を巻き込みながら
戦闘は拡大していくのであった。
続々と現れ、死をも恐れず向かってくる民兵は、やっぱり驚異であろう。しかし、民兵側の事が全く判らないのも一体何なんだ。銃を拾った女性すら
すかさず撃たなければならないとは。
最初は、相手が撃つまで攻撃をしない姿勢があったのだが、いざ撃たれるとその後は見境無く撃ちまくる。「全員を連れて帰る」という事を守る為に
死体すら連れ帰るために、死体を増やす行動に頭が痛くなった。
ようやく夜も明け敵の勢力圏を抜け出した先に、子供達が楽しそうに回りを囲んでいるし、一般市民が不思議そうに見ている。自分も何だか変な気持ち
に陥ってしまった。飢餓は何処に、誰かが感謝しているのか?。虚しくなってしまう。
スタジアムに入って出された水を見て、自分も喉が渇いている事に気付く。美味そうに飲む姿に生き延びた喜びが垣間見えるのであった。でも、フート
が自分は戦闘中毒じゃなく、唯仲間が居るから戦うんだと言う様なことを話す。
普通なら感激するかもしれないが、今日はそんな感じになれない。仲間の為なら仲間以外の人間に対しては何でもするというのだろうか?。争いを
無くすには、全ての人間が仲間になる必要があるのだろうか。でも仲間内でも争う人間が争いの無い仲間関係を築けられるのだろうか?。
エピローグで、エヴァンズマンの「誰もヒーローなんか望んでいない」という言葉に幾らかの救いがあった。でも、1000名以上のソマリア兵が
死んで19名のアメリカ兵が死んだ。
19名の名前が紹介されるに及んで、結局この映画は、亡くなった19名に対する鎮魂映画であったのかと邪推してしまう。中立で事実を描くなら
1000名のソマリア兵の名前を紹介しろ!。
ヘリのパイロットで捕虜となったマイケルは解放された事も一つの救いだろう。家族の写真を懸命に手にしようとするシーンが印象的で、彼も殺される
のかと半ば諦めていたのだが、捕虜となってしまったからだ。
その後、アイディード将軍が殺害され、アイディード少将が退役した事も観終わった時には、もうどうでもいい歴史の一部になる位に感情が喪失して
いたのであった。刺激が強すぎると心神喪失症状となるのだろうか?。
あれだけの武器が数多く出回っていること自体が悲劇ではないだろうか。争いが無くなる事もなく死傷者が増えるだけ。調停する国連にも軍備が必要
という現実がそこにある。
ビューティフル・マインド 原題:A BEAUTIFUL MIND
監督:ロン・ハワード
出演:ラッセル・クロウ(ジョン・ナッシュ)
ジェニファー・コネリー(アリシア・ナッシュ、妻)
エド・ハリス(パーチャー、諜報員)
ポール・ベタニー(チャールズ、大学のルームメイト)
クリストファー・プラマー(ローゼン医師)
ジョシュ・ルーカス(ハンセン、大学時代のライバル)
ジャド・ハーシュ(ヘリンジャー博士)
ビビアン・カードーン(マーシー、チャールズの姪)
ビューティフル○○なんてタイトルは狙いすぎて嫌なのだが、ラッセル・クロウが実在したノーベル賞受賞の数学者を演じ、アカデミー賞受賞作品と
言う事で観に行った。かなりの期待があった。
ストーリーは、プリンストン大学院時代のジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアは「全てを支配する真理、独創的なアイデアの創出」を目指して
いた。変人扱いされながらも、ルームメイトのチャールズに励まされた彼はアダム・スミスの理論を覆す新しい理論を打ち立て、ライバルのハンセンを差し
置いてMITのウィーラー研究所に進むことになった。
しかし、ここから彼の悲劇が始まる。冷戦下で数学者が活躍できる場所がなく、焦燥感に捕われる。その時、諜報員のパーチャーが近づいて協力を
依頼してくるが、その軍事任務にやがて精神に変調をきたしてくる。
聴講生のアリシラと出会い、結婚するが、精神を病んだナッシュは不可解な行動を取るようになる。ようやく妻と共に病気治療に取り組むが、その前途
は多難に満ちていた。
やがて彼の功績は認められ、ノーベル賞を受賞するに至る。彼の波乱に富んだ伝記を元に描かれた作品である。
ラッセル・クロウは好きな俳優であり格好良いイメージがあるのだが、ジョン・ナッシュの変人で危ない人格を熱演している。大学院時代のジョン・
ナッシュなんていうのは、本当に嫌な奴である。
自分の才能に溺れて人と違う高みを目指すプライドの高さに嫌悪してしまう。成功しなきゃ唯の変人と言っても差し支えない。囲碁で負けたら、自分
の負けを認めるくらいの精神は欲しい。
それでも独自の理論を完成させるのは、やはり天才的なのだろうか?。負けを認めるハンセンの方が立派に見えてしまう。ルームメイトのチャールズ
も何だか場所にそぐわない性格の持ち主で印象的であった。
ウィーラー研究所に進んだ後に暗号解読をするシーンに何だか凄みを感じたのだが、数字は連続的に送信されるからページの区切りなんてどうやった
のだろうか?不思議に思ってしまった。
しかも、諜報員のパーチャーが話す内容、小型原爆や腕に埋め込むラジウム・ダイオードなど本当かよ、隠れたところで技術は進んでいたのかと
ハッキリ言って騙されていた。ジョンが解読する地図に何気にキューバまであり、それらしい描写だからから時代的にキューバ危機まで含んでいるのかと
誤解が甚だしかった。
諜報員のパーチャーを渋いエド・ハリスが演じているから、本当に暗号解読に携わっていると思ってしまうし、狙われてカーチェイスするシーンも
本当だと思い込んでしまう。
アリシアをジェニファー・コネリーが演じていて、ジェニファー・コネリー・ファンとして嬉しい限り。ジェニファー・コネリー目当てで「ロケッテ
ィア」「ダークシティー」を観に行った事を思い出してしまった。幾分、年齢を重ねたがやっぱり美しいし、背中の魅力にゾクゾクしてしまった。
二人で夜空を見上げるシーンが好きであり、二人の幸せの絶頂だったのかもしれない。星をつなげて傘を示すというのも、ある意味ロマンチックかも
しれない。私の場合、小さい時に星が好きで星座がインプットされてしまって、逆に別の形を想像する感性を失った気もする。蛸さんが見たかったよ。
暗号解読を懸命に行なうジョンだが、ローゼン医師が現れジョンが精神分裂症に陥っていた事が発覚する。衝撃だったのが、ルームメイトのチャールズ
やその姪マーシー、諜報員のパーチャーが偽りの存在でありジョンが作り出したものだった事が判明する。
しかも、暗号解読も自作自演で全くの架空の任務であったのだった。ようやく了解できた。大学院の精神的不安定のバランスを取る為にチャールズが
存在し、数学者としての自分の価値、意義を確立する為に諜報員のパーチャーからの暗号解読依頼があった訳だ。
原爆開発に対する良心の呵責がパーチャーにあったので意外と気に入っていたのだが、元を正せばジョンに含まれた気持ちという事になって、見直した
気になった。廃屋に秘密書類を届ける時の照明やカーチェイスはどうなっていたのだろうか?。
アリシアが仕事場を見たときの映像にゾッとしてしまった。本当に病んでいたのであった。この惨状を見れば、誰だってジョンが異常になっている事
が判ったはずなのに。もっと早く、症状が進行する前に何とかならなかったのだろうか?。
ショック療法で治療する姿が凄まじい。本当にこんな治療が必要なんだろうか?。現在、精神分裂症という表現をしなくなっているし、外界に別の人格
を創造してしまう症状を持つとは知らなかった。ましてや治療方法なんて想像すらしていなかった。
アリシアの協力で治療を続け、子供もできて静かな暮らしが出来たと思ったのだが、またもやパーチャーが現れる。そしてアリシアは、小屋で以前と
同じ仕事場と同じ光景を目撃する。止めてくれーみたいな感じ。
子供まで危険な目に遭い、パーチャーが妻子を秘密を守る為に殺せと指示する。こんな夫がいたらサッサと逃げ出すに違いないのに、アリシアの愛は
このくらいで消えないのであった。この夫婦愛がまた良くジーンとしてしまう。
もう一度、プリンストン大学の図書館で研究する日を送るようになる。そのためにかつてのライバルであるハンセンに会うのだが、ハンセンはやっぱり
いい奴で暖かく迎えてくれる。いい友人を持ちたいなあ。
幻影は消えず、その事実を受け入れて生活を送るしかない。影で学生にからかわれながら、図書室通いを送りながらいつしか学生が回りに集まり始める。
ようやく救われた気分になってしまう。
そんな時、ノーベル賞受賞についての調査に男が現れる。ジョンは正直に今も幻影が見える事を話すが、その事実を受け入れた姿の力強さに心打たれる。
そして、周りに居た人が彼をジョン・ナッシュだと知ると、万年筆などの筆記具を敬愛、尊敬の意を示す為に次々とテーブルに置いていく。
もうこのシーンはどうしようも無く感動してしまう。そこには自信満々で嫌味のある姿でなく年老いて淡々と生きるジョンの姿があったが、周りの人々
は彼の偉大な業績を理解していたのだった。
こういう習慣がある事自体知らなかった。格好良く心に響く礼節的行動であり、それは本編の最初にもあったシーン。ここに来て活きてくるとは、
上手いし一番好きなシーンになってしまった。
間髪入れずノーベル賞授賞式のスピーチに移り、感動が消える時間もなくラストを迎えられた。今も研究を行なっているという事実も判り、天使の歌声
シャルロット・チャーチの歌を聴きながら終了、心憎いばかりで素晴らしい。
なんて精神とは脆くて危険な物なのだろう。ある意味、愛情さえ脆くて危険な物なのだが、ここではその愛情が全てを救済しているのであった。
愛もまた無限なのであろうか。そう思いたい作品であった。
シッピング・ニュース 原題:THE SHIPPING NEWS
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ケヴィン・スペイシー(クオイル)
ジュリアン・ムーア(ウェイヴィ、島の未亡人)
ケイト・ブランシェット(ペタル・ベア、元妻)
ジュディ・デンチ(アグニス、クオイルの伯母)
アリッサ、ケイトリン、ローレン・ゲイナー(バニー、娘)
ピート・ポスルスウェイト(タート、編集長)
スコット・グレン(ジャック・バギット、社長)
リス・エヴァンス(ナットビーム、海外担当記者)
ケヴィン・スペイシー主演で、監督がラッセ・ハルストレム、舞台は北の極寒の地という事でかなり期待して観に行った。しかも、原作は世界的な
ベストセラー作品である。
ストーリーは、冴えない中年男クオイルは妻に裏切られ娘バニーと伯母のアグニスと共にニューヨーク州の北部ニューファンドランド島にやってきた。
この島は先祖達が住んでいた島であった。
古びて朽ちかけた家に住む事にしたクオイルは、地元の新聞社に職を得てコラム「シッピング・ニュース」を書くことになる。島の未亡人ウェイヴィ
との出会い、クオイル家の隠された過去、島の人達との親睦を通して、徐々に自分を見つめ直すのであった。
はっきり言って原作を読んだ事が無かった。北の地アイルランドを舞台にした藤原新也著「ディングルの入江」が好きだったので勝手に素晴らしい作品
と思い込んでしまっていた。
ワザとか監督の資質なのか物語は淡々と進んでいく。普通もっと盛り上げるだろうという場面でも抑えた演出、最後の最後までひたすら淡々と進む印象
であった。それが悪いというのではなく、味わいでもあるし好みの人も居るであろう。
本当に冴えない主人公をケヴィン・スペイシーが上手く演じている。父親から泳ぎの為に水中に突き落とされ、泳げなくて溺れてしまう。その事と
父親の態度がトラウマになって、自分は駄目人間と思ってしまう。観ていて本当に情けない感じに思える。
そのクオイルがペタルと結婚するのだが、どう考えても上手くいく訳ないだろうと思うのだが、二人は結婚してしまう。妻ペタルをケイト・ブラン
シェットが存在感タップリに演じている。この作品中、ひときわ浮き過ぎで、「あんた、誰?」的な感じ。でもセクシーなんだな。
よくこんな母親が居て、こんなに素直で可愛く娘が育った物だと感心してしまう。娘を裏の養子縁組に売り飛ばそうなんて、鬼畜のような女性である。
でもあっけなく死んでしまう。
クオイル家の隠された過去といっても大した事が無いように思える。でも人力で家を移動させるシーンはゾクリと来る。伯母アグニスの秘密も本当に
不幸、ジュディ・デンチも良い。何故クオイルが秘密を知ってしまった事を話してしまうのか?。その時は無神経としか思えなかった。
残念なのは、クオイルが書いたコラムが好評だったらしいのだが、観ている私にはそんなに良いのかよく判らなかった。確かに見出しを考える姿が、
日記ネタや文章を考える自分を投影出来て、ニンマリしてしまったのだが。
ウェイヴィが過去に行なった事も衝撃的だったが、それを知って二人の仲が上手くいくなんて。思わず同じ原因で溺れて死んだ人が多いのかと邪推して
しまった。周りはみんな知っていたのだろうか?。でもこの作品のジュリアン・ムーアは好きになれる。
最後にクオイルと娘バニーとの心の交流に感動してしまった。子供心にも母親ペタルの家出に責任を感じていたんですね。健気だなあ。娘にペタルが
死んでしまったことを告げなければならないクオイル。良いシーンです。
そして嵐の晩、先祖達が運んできた家が遂に吹き飛ばされる。この徐々に軋み崩壊していく様は一種のカタルシスがあってワクワクした。古き物、過去
の呪縛の崩壊と開放が込められている感じだ。
家の無くなった岬の広々した美しさ、そしてクオイルもトラウマから開放されていく。そう、心が癒され前向きに生きて行こうと思う。最後のボート
で海に向かっていくシーンが清々しい。
この先、ボートが転覆し死が待ち受けているかもしれない。生と死は紙一重なのである。最初のボートが沈んで海上を漂流した時でも本当は死んで
いたであろう。ジャックが奇跡的に葬儀中に蘇生した事もそうだ。
ナットビームの船が破壊されても、航海していたら沈んでいたかもしれないから飛行機で帰ると淡々と語れる姿勢が好きだ。やはり、住人はバイキング
の血を受け継いでいるのかな?。トレーラーもヒックリ返っているし。
そういう現実があっても前を向いて生きていく必要がある。だから、アグニスやウェイヴィの過去なんて嵐に吹き飛ばされてしまった感じとなって
しまうのであった。
そう考えると奥の深い大人の作品だったのかもしれない。私にとっては今一つだったのだが。
モンスターズ・インク 原題:MONSTERS,INC.
監督:ピート・ドクター
声の出演:ジョン・ブッドマン(サリー)
ビリー・クリスタル(マイク)
メアリー・ギブス(ブー)
スティーブ・ブシェーミ(ランドール)
ジェームズ・コバーン(ウォーターヌース)
ジェニファー・ティリー(セリア)
ボブ・ピーターソン(ロズ)
はっきり言って、ディズニー・キャラが嫌いだし、ディズニー・アニメが嫌い。絶対にディズニー・アニメなんて観に行かないと誓っていたのだが、
この作品はその誓いを曲げて観に行ってしまった。
ストーリーは、子供部屋のクローゼットの向こう側には、モンスターが住む世界が広がっている。彼らの社会を維持する為に子ども達を恐がらせて
悲鳴のエネルギーを集める「モンスターズ・インク」があった。彼らは今日も子ども達を恐がらせていた。
モンスター達は子どもを恐がらせていたが、とっても臆病で心優しいのであった。NO.1の恐がらせ屋サリーとマイクのコンビは絶好調、2番手の
ランドールはNO.1になるために裏で色々画策していた。
そんなモンスターの世界に人間の女の子ブーが迷い込んでくる。初めは動転していたサリー達だが、ブーを元の世界に戻す為に活動を開始したのだが
…。
もう何たってサリーのふわふわ感ある毛の質感が凄いの一言。他のモンスターだけながら大した事無いけど、サリーだけが特別凄い。これだけでも
観た甲斐があった感じ。ついついサリーに見入ってしまう。
相棒の一つ目球体モンスターのマイクが面白い奴。普通なら自分の姿が色々な物に邪魔されてマトモに写っていなくて頭に来る筈なのに、喜び有頂天に
なる姿が微笑ましい。
人間の女の子ブー、本名じゃなくて勝手に名前を付けられたのだがブーという名前が合っていて可愛いのだ。これほど表情豊かなキャラになっている
とは驚きである。静止画で見ただけなら、単に目の大きな変な子どもに見えるのだが、動き出すと別物であった。
モンスターに変身した姿も可愛い。何かに似ているなあと思っていたら、渡辺多恵子作、名作「ファミリー!」に登場するクッキーモンスターに
似ているのだった。ママがこの着ぐるみを着て登場、ほのぼのキャラが好きなのであった。アメリカに本当にあるキャラなのか知らないけど似ている。
人間の社会と似通ったモンスターの社会に苦笑してしまう。CDA(子供検疫局)の物々しい活躍が楽しい。欲を言ったら防護服が裂けて、慌てふた
めく姿が見たかった。
CDAのNO.1があのキャラだったドンデン返しも少し驚いてしまった。数多く登場する奇妙なキャラの一人だと思っていただけだった。それに
しても魅力ある変なキャラが面白い。
でもあのドアの数々、凄い世界だ。どこでもドアがあんなに一杯あったら、ドラえもんもビックリ。でも、どこでもドアは一つでOKだが、モンスター
の世界では1対1対応、しかも危険なドアは破壊される。
お気に入りのシーンは、サリー達が登場するハリウッドお得意の集団登場シーン。「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」のケビン・コスナーを思い出して
しまった。格好いいぞ、サリー。一斉にスタートするシーンもワクワクするけど。
ヒマラヤで雪の斜面を滑走するサリーにも痺れたけど、ネパールを誤解している気がする。勿論、日本という国もだけど。まあ、ご愛嬌という事に
しておこう。
でも何と言ってもサリーとブーの絡みだろう。大きな図体をしたサリーでも、ブーにとっては可愛いニャン子、最後の別れのシーンなんて、胸にジーン
と来てしまいます。感動!。
ああいうサリーたちが居る世界に行きたいと思っても、残念ながら私の部屋にはクローゼットが無いのであった。普通、ああいうドアのクローゼット
なんか日本には無いよなあ。引き戸スタイルが有ってもいいじゃないか!と思うのであった。
もう良い気分でラストを迎えたのに、あのエンド・ロール中の映像は何だ!。折角の気分が台無し。あれはあれで愉快なのだが、サリーとブーの関係
すら否定してしまう自ら首を締める最低のラスト。
ああいうラストで大受けしたのは「メリーにくびったけ」ぐらいか。あれで受けるなら、全ての作品がそうしている。折角の世界を崩壊させるか
喜ばせるか、諸刃の剣だ。
やっぱり奴らの感性は俺には理解できない。ああいうのが楽しいと思って作成したのだろうか。悪ノリも程ほどにしないと。傑作アニメになると思われ
たが、ラストのせいで単に出来の良いアニメに成り下がってしまった。
やっぱり今後はディズニー・アニメは観るんじゃないと再度心に誓うのであった。
ヒューマン・ネイチュア 原題:HUMAN NATURE
監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:パトリシア・アークェット(ライラ、世界一毛深い女)
リス・エヴァンス(パフ、自分を猿と思い込んでいる男)
ティム・ロビンス(ネイサン、ネズミにマナーを教える男)
ミランダ・オットー(ガブリエル、フランスかぶれの女)
メアリ・ケイ・プレイス(ネイサンのママ)
ロバート・フォスター(ネイサンのパパ)
ロージー・ペレス(ルイーズ、エスティシャン)
「マルコビッチの穴」の脚本家チャーリー・カフマンの脚本、自分を猿と思っている男が出てくる等の興味から観に行った。いやはや、こんな脚本を
よく映画化したものだと感心する。登場人物の設定が面白過ぎ。
ストーリーは、自分が毛深い事に嫌気がさして自殺寸前までいったレイラは、人間の生活を捨て森で生活を送るようになる。自然の中での生活を書いた
本が大ヒットし印税で稼いだお金で全身脱毛を試みる。
まだ自分にコンプレックスを持つレイラは、エスティシャンのルイーズから自分に合った男性を紹介してもらう。その男性こそ、ネズミにテーブル・
マナーを教えるネイサンだった。幼い頃の養父母からテーブル・マナーを厳しく教えられてトラウマを持つ男だった。
ある時、二人で森を歩いていると自分を猿と思い込んでいる男パフを発見する。ネイサンは、パフに人間としてのマナーを教える事を思いつく。
ネイサンを誘惑するガブリエルを加えた4人の奇妙な生活が始まる。
最初からライラ、パフ、ネイサンの各々の供述から物語が語られる。しかもどう見ても撃たれた様なネイサンは死の世界から話しているという展開。
もう何だか不思議な世界に引きずり込まされてしまう。この辺は流石という感じである。
動物園での子供の頃のネイサンとパフの父親のすれ違いがあって、二人が全く無関係でも無い描写に笑えてしまう。パフの父親こそが自分が類人猿だと
思い込んでいたために、パフもそう思い込まされる森での生活を送る羽目になる。
この辺は、養父母からテーブル・マナーを躾けられたネイサンの境遇と同じで、人間はこういう幼い時の環境や教えによって変わってしまうものだと
痛感させられる。しかも良い方向に進むとは限らないのである。
パフの父親が人間の生活を捨てる決心をしたのが、ケネディ大統領暗殺事件とは。類人猿は自分達の大統領を暗殺しないと言う言葉が痛烈に響く。
確かに人間の方が愚かにも思えるのだった。
パフが人間の教育を受ける決心をしたのが下心があったのも皮肉。その教育課程が笑えるのであった。およそ一般人が必要ないオペラ鑑賞マナーという
より形式のみ覚えさす中身の無い教育。教える方も教える方だが、それすら成し得てしまうパフも凄いし大笑いしてしまう。
もう大丈夫と思って外の世界に連れ出しても性的興奮を我慢する事が出来ないでいた。またまた我慢する教育が始まるのだが、必死に我慢するリス・
エヴァンス顔の演技が見事なのであった。
パフに教育するネイサンでも、誘惑するガブリエルに浮気してしまう。このガブリエルがまた喰わせ者で確かに魅力的なのだが、あまりにも露骨な
誘惑にも関わらず溺れるネイサンが滑稽でもある。でも判る気がするぞ。見事な部屋の片付けの早業に拍手。
ライラを捨てガブリエルに走るネイサン、全身脱毛したライラの復讐。パフを連れ去り森の生活の再教育。すっかり人間の生活に染まったパフが脱いだ
服を畳んで木に掛けるのが愉快、しかも裸を恥ずかしがっているし。でも徐々に元の生活に戻っていくのであった。
今度は全身脱毛したライラの魅力に、二人を追って森を捜索するネイサン。やっと発見して自分も類人猿になる練習をしていたと言って真似する
ネイサンが愚かで可笑しい。
もう凄い展開で楽しめるのだった。人と類人猿を区別する差は文明だと主張しているのだが、その実、欲望を抑えてカモフラージュしているだけで
類人猿の振りと何ら変わりないのではと思わせている。ある意味、人間の方が愚かですらある。
最後のオチも類人猿には戻り切れないパフ。パフとレイラが暮らした場所が道路の直ぐ脇と言うのも意外。でも長い間発見されずに森で暮らすこと自体
に無理があるから、結局は人間界を無視して成り立っているという事か?。レイラもパフも人間を捨て切れなかった。
最後は芸達者なネズミたちで終わりを迎える。ネズミが良い味を出していた事に気付く。ネズミもまた、元の生活を望んでいるのだろうか?。複雑に
絡み合ってリングの様に1周している様な演出が見事。
ロード・オブ・ザ・リング 原題:THE LORD OF THE RINGS:THE FELLOWSHIP OF THE RING
監督:ピ−ター・ジャクソン
出演:イライジャ・ウッド(フロド・バギンズ)
イアン・マッケラン(ガンダルフ、旅の仲間、魔法使い)
リブ・タイラー(アルウェン、エルフ族の姫)
ヴィゴ・モーテンセン(アラゴルン、旅の仲間、ゴンドール国王の末裔)
ケイト・ブランシェット(ガラドリエル、エルフ族、ロリアンの女王)
オーランド・ブルーム(レゴラス、旅の仲間、エルフ族の王子)
クリストファー・リー(サルマン、魔法使い)
ヒューゴ・ウィービング(エルロンド、エルフ族、アルウェンの父)
ショーン・ビーン(ボロミア、旅の仲間)
イアン・ホルム(ビルボ・バギンズ、フロドの養父)
ネタバレ注意!。
現段階では、原作は読んでいません。映画で一度見ただけで、これを書いてます。
話題の大作、超有名な原作「指輪物語」の映画化にして3部作の第1作である。前評判と予告編が気に入って観に行きましたが、その世界の構築と
映像は素晴らしいの一言である。
ストーリーは、説明するのが難しい。簡単に書くと冥王サウロンが創造した全てを破壊する指輪に関する物語。今はフロドの手にある指輪、それを
奪回しようとする復活中の冥王サウロンと闇の勢力、災いの根源となる指輪を滅びの山の火口に投げ込み消滅を図る白の勢力の闘い。
滅びの山に向かうのは、指輪を持つフロドとその仲間達の総勢9名である。数々の苦難と試練に耐えながら一行は冥王サウロンが支配する冥府
モルドールにある滅びの山の火口を目指すのだった。
はっきり言って物語に深く入り込めませんでした。この敗因?は、
1.原作の「指輪物語」を読んでいない事に由来するかも知れません。読んだファンなら喜びそうな描写ばかりで、この独特の世界を見事に完成させて
います。もう芸術の域かも知れません。でもストーリーに対するツッコミが多々ありました。
2.壮大な叙事詩より、抒情詩の方がどちらかと言うと好みかも知れない事。心を打つシーンが少ない気がしました。有っても長い上映時間内に分散
してしまって盛り上がりに欠ける。
3.日本人ゆえの感覚の違い。大体、日本には指輪文化なんて広がっていないし、有っても結婚指輪かファッション指輪くらい。西欧的神話世界の感覚
は日本人のDNAには入っていないのでは無いかと思ってしまう。ファンタジー感も無いのでは?。
4.みんなが凄いと褒めるし大ヒットしているので、反発的見方をしてしまった感じがあります。
それでも感想を書くと、冒頭の壮大な合戦シーンで掴みはOKで期待感が高まったのに、ホビット村の牧歌的風景内でのストーリーで気分が萎えて
しまった感じ。確かに風景的には良いんだけど。
ようやく指輪の正体が明確になるのは、説明に次ぐ説明の後であった。さあ出発、ブラック・ライダーが追ってくるが結構こういう相手は好きである。
全身黒尽くめの不気味な存在、後にフロドを襲う時に正体が描かれるし、元人間の王だったという設定も良い。
アラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンがやっぱり格好良い。さすらいの剣士だが、実は冥王サウロンから指輪を奪ったゴンドール国王エレンディルの
末裔。しかもエルフ族の姫アルウェンと恋愛関係にあるという剣と魔法世界のヒーローとヒロインの立場。今後の活躍に期待大である。
相手の姫アルウェンをリブ・タイラーが演じている。はっきり言って今までは好きになれなかった女優なのだが、馬上の彼女の勇ましさと可憐さに
すっかり気に入ってしまったのであった。
アルウェンの父エルロンド、裂け谷の王にして数千年前の冥王サウロンとの闘いに参加している。エレンディルに指輪を滅びの山の火口に投げ捨てる
様に説得するが失敗する。この物語の根源はこの時に身体を張っても指輪を消滅させられなかった彼の責任でもある様に思うのだが、そのくせ指輪を持って
逃げ込んだフロドを追い出そうとするなんて。
フロドの養父ビルボもエルフの国に腰を落ち着け執筆活動を行なっているが、指輪を前にすると独占欲が顔を出してくる。ビルボ役のイアン・ホルム
も普段は温和なのだが、前に観た「フロム・ヘル」のイメージがあって恐い。実際、一瞬の恐い形相があってビビった。
最初にジーンとしてしまったのが、旅の仲間が集合するシーンであろうか。いいなあ、こういうのは。一つの目的の為に仲間となるのは。何故か仲間
にホビット族のピピンやメリーが入ってしまう。その前から一緒だったからしょうがないけど、こういうお調子者ってイライラして好きじゃないので
減点に感じる。まあ仲間という意味じゃ外せないのではあるが。
9人の仲間、旅の仲間が揃ってようやくハラハラドキドキの冒険が始まる。こういう創造の世界を描くとセットが多様される気がするのだが、野外を
舞台に旅が進む。特に雪山を歩くシーンが気に入っているし、指輪を見つめるボロミアが印象的だ。それにしてもフロドはよく指輪を手放してしまい心配
になってしまう。
モリアの洞窟からはモンスターとの闘いが続く。オークのウジャウジャ感はやっぱり嫌だ。絶対に数の前では敵わないと思うのだが。巨大な悪鬼の
バルログが出ました!って感じで唸ってしまう。折角ガンダルフが退治したと思ったのに、只じゃ死ななかった。
突然のガンダルフの死が胸に来てしまう。一番重要な心の柱を失った悲しみが広がる。サルマンとの塔頂上の闘いでも無事脱出したから、この先に
きっと帰って来るさと思う。だって魔法使いじゃないか!。復活を祈るのみ。
ロリアンの女王をケイト・ブランシェットが演じている。最近よく見かける女優なのだが、一つとして同じイメージが無い。優しい女王役かと想像して
いたらとんでもない。とても恐い面を持っていた。恐さもよく似合うのであった。
川を下って一旦岸に船を着ける。森に入ったフロドにボロミアが話し掛けてくる。次第に気分が昂じて指輪の魔力に自我を忘れてフロドに迫る。
そして自分の行為に自分を責めるボロミア。あまりにも人間臭いボロミアが好きだ。
休息の間も無くオーツ率いるウルク=ハイが攻めて来る。圧倒的な数の前に苦戦する一行、フロドを逃がす為に囮になるピピンとメリー、身体を張って
守るボロミアだった。でもお約束的(悪い意味じゃ無い)に力尽き倒れるボロミア、アラゴルンの怒りの太刀がオーツを倒す。判っていても感動的な場面
です。ショーン・ビーンが演じる役だから想像は出来たけどやっぱりボロミアが良い。
フロドは一人モルドールに向かう決心をする。でもサムはその忠誠心から何が何でもフロドに付き従う。不満なのは、サムがフロド様と言って付き従う
事だ。仲間は対等であって欲しいし、同年代の親友が従者というのも納得出来ない。
フロドの決心も物語の終わりにきてようやく腹をくくるというのも、早く決心しろよ!と言いたくなる。アラゴルン達は、捕らえられたピピンとメリー
を救出する為に出発する。仲間思いだが目的を忘れた行動に思える。しょうがない、ファンタジーだから。
という訳でモルドールを目前にしてこの物語は終了する。何だかんだ言いながら外に出ると、その街の風景に何故私はここに居るんだろうと奇妙な感覚
に捕われてしまう。3時間もあの世界に入り込んでいると洗脳されてしまう。
観ていた時が過ぎても、観終わった後に残る映画に思えた。次の公開まで1年も待つのか!。早く公開してくれ!と思ってしまうのも確かなのである。
今からでも原作を読もうか。
指輪とか首輪、腕輪、足輪などは全て束縛、拘束につながる物なのである。押し付ける者は支配したいし、強要された者はその呪縛から逃れ自由に
なりたいと願う。ふとそんな事を考えてしまった。この物語で指輪を消滅させたからって冥王を倒した事にならない。だって冥王は次の指輪を作るかも
しれないから。恐れるのはサルマンの様に魔の力に捕われてしまう事なのだろう。
大体、有名な小説の割りには本屋に並ぶのはこういう映画公開の時くらいで、好きなマニアくらいしか読まないような国なんだから。それでこの作品を
理解しろと言うのも無理があるのでは。でも素晴らしさのある作品だと思う。
エネミー・ライン 原題:BEHIND ENEMY LINES
監督:ジョン・ムーア
出演:オーウェン・ウィルソン(クリス・バーネット大尉)
ジーン・ハックマン(レズリー・レイガート司令官)
ガブリエル・マクト(スタックハウス、相棒)
ホアキン・デ・アルメイダ(ピケ提督)
オレック・クルパ(セルビア人軍リーダー)
ウラジミール・マシュコフ(セルビア人、追跡者)
予告編を観てそのシチュエーションが面白そうで観に行きました。こういう絶体絶命な状況から脱出するストーリーって色々ありますが、やっぱり
ドキドキして手に汗握ってしまいます。
ストーリーは、ボスニア紛争の停戦合意による撤退前のNATO、NATOの一員としての米軍原子力空母USSカール・ヴィンソンに所属している
クリスは監視ばかりの任務に不満を募らせていた。
クリスマスの休日にF/A−18スーパーホーネットで偵察任務に出発するが、コースを外れて深入りした偵察飛行を行なってしまう。セルビア人の
軍にとって秘密の露呈を防止する為、ミサイルの攻撃に出る。
必死の退避を行なうが撃墜されてしまう。パイロットのスタックハウスは怪我で動けないため、セルビア人に殺されてしまう。残ったクリスは
”エネミー・ライン”を越えた安全地帯に辿り着かなければ救助されない。逃げるクリスと追うセルビア軍、果たして無事生き延びることが出来るのか?
。そして、セルビア軍の戦争犯罪を公表出来るのか…。
戦争なんて嫌いだし、軍なんて嫌いだし人を殺す武器なんてゾッとする。でも何で航空母艦上の戦闘機が格好よく見えるのだろうか?。本物の
空母で撮影されており、その映像は迫力満点である。しかも、F/A−18スーパーホーネットの格好良さに痺れる。
こういう本物の魅力と一番の売りのスーパーホーネットとミサイルの追撃、退避、撃墜シーンがやっぱり凄い。映像と音の迫力は劇場ならではであり、
見ごたえ十分。一瞬なのにその細かな描写と膨大なカットの映像に心奪われる。
米軍基地の近くに住んでいるため、軍用機や戦闘機を見る機会が多く、撃墜したい欲望に捕われる。その意味でもスーパーホーネットの撃墜に対して
拍手喝采でもある。もうドンドン撃墜してくれ。
撃墜しても乗員は上手く助かる設定、本来こんな事は無いと思われるがそうすると話が進展しない。パラシュートで降下、巨大な天使像が上手い
ポイントになっている。半壊していて、それでいて後半の目印にもなっている。
ジーン・ハックマンの司令官役はもうハズレの無い役、見るまでもなく極まっている。流石という気がする。そこで登場するのがNATOのピケ提督
であるホアキン・デ・アルメイダである。この二人の対立がまた見物でレイガート司令官を縛りつけている。
冷静に考えたらピケ提督の言う事が最もな意見である。下手に動いて停戦が破られたら、また多くの人命が失われる可能性があるわけだから。でも
軍の指令官としても、部下を助けたい気も判る。
もし部下を見捨てる様であれば、他の部下の任務に対する意識は低下するであろう。危機の時に救助してくれる組織であって、危険な任務にも出られる
というものであろう。
その危険な状態に陥ったクリスが半ば超人的に生き延びる。セルビア人の追跡者との追跡劇はハラハラしてしまう。もう少し観たかった気がするし、
追跡者のウラジミール・マシュコフがまた良いのである。
多分、忍耐では上であって持久戦ならクリスは仕留められていただろう。敗因は焦りでクリスが動くまで待っていればと思ってしまうのであった。
別に追跡者を応援する訳じゃないけど。
その他に地雷誘爆や市街戦、米軍へりとの闘いなどが迫力あって凄い。でもクリスも奇跡的に生き延びられるし米軍も無事、アメリカ人が喜びそうな
ラストでもある。元々そういう気がするストーリーではあるから仕方ない。
結局、クリスは辞表を撤回して軍に留まる事になる。これもお約束的。やっぱりストーリーは今一つという感じになってしまう。
勝手な救出作戦に出たレイガート司令官は責任を取らされるが、最後にピケ提督との絡みがあって欲しかった。でも最後のジーン・ハックマンは颯爽
としていて良かったけど。
アメリ
監督:ジャン=ピエール・ジュネ
出演:オドレイ・トトゥ(アメリ・プーラン)
マチュー・カソヴィッツ(ニノ・カンカンポワ)
リュフュス(ラファエル・プーラン、父)
フローラ・ギエ(8歳のアメリ)
セルジュ・メルラン(レイモン・デュファイエル、ガラス男)
ドミニク・ピノン(ジョゼフ、常連客)
アンドレ・デュソリエ(ナレーション)
自分も興味ありましたが女性に受けるイメージのため躊躇していたのですが、知り合いが大絶賛したため思い切って観に行きました。近くで上映されて
いた事も幸いしました。一種独特で毒が有りながら気持ち良くラストを迎えられる想像性豊かな映画で大笑い出来ました。
ストーリーは、父の勘違い診察で心臓に欠陥があると思われた幼いアメリ。学校に行かせて貰えず友達も無く想像の世界で遊ぶクセがついてしまった。
やがて成長したアメリ、ふとした発見をきっかけにして周りの人々を幸せにする事に目覚めるのだが、自分の事については殻に閉じこもったまま。
でもようやく一歩を踏み出す決心をするのだが…。
導入部分から一体何が始まるのか判らない展開に掴みはOK。8歳のアメリがまた可愛いく、この題材で1本の映画が作れそうな感じである。
オープニングのサクランボのイヤリング、ラズベリーを指先に差し込んで次々に食べる姿が印象的。ラズベリーはやってみたい。
ナレーションのある様な作品は好きじゃないのだが、この作品は別格。いい味を出していて、必要不可欠。
隣の意地悪な男に仕返しする話に大笑い。子どもって凄いというかアメリの発想と行動力に脱帽する。そういう感性は大人になっても変わっていない
感じで愉快である。でも一歩間違えると嫌な女性になりそう。
この作品に惹かれるのは、1にも2にもアメリ役のオドレイ・トトゥの大きな瞳と黒っぽい髪、独特の雰囲気に負う部分が大きい。少し猫背でとぼとぼ
歩く姿も可愛く見えてしまうのである。よくこんな娘を探してきたとキャスティングに感心する。
でも友人もいなくて成長した割りには、"ドゥ・ムーラン"で働くアメリが十分幸せそうに思えてしまうのは何故なのか。ムチャクチャ自分の殻に閉じ
こもっている訳でもないし。その点が不満かな。
一番に感動してしまったのは、子供の頃の宝箱を密かに渡すストーリー。渡された男が素直に喜ぶ姿にアメリじゃなくても人を喜ばせたいと思ってし
まう。盲目の老人を手助けるストーリーも短いながらも上手いと思ってしまった。老人が光り輝く演出があるものの、その後に何も無しじゃちょっと
ガッカリしてしまう。
他の人を幸せにする話も好きだが、食料品店の店主に意地悪する姿は幼い頃と変わっていないし、その手口に大笑い。もう許しちゃうからねと思わせる
物がある。でもジョセフ(嫉妬深い常連客)とジョルジェット(煙草売り場の店員)をくっ付けたのはやりすぎかな。トイレのシーンとその演出に大笑い
するが、やっぱり嫉妬深いままのジョセフにうんざり、救いが無い。
ニノとの出会いでの心臓の高鳴りにニンマリしてしまう。こういう高鳴りが無いので羨ましい感じ。ニノの少年時代も含めて二人の運命の出会いから
駆け引きが楽しい。ガラス男の助言で意を決するアメリだが、ニノを追いかける描写が欲しかった。あれじゃ出来過ぎに思えてしまう。
引きこもりの父がようやく荷物を持って旅立つ姿が良い。自分もどこかに旅立ちたい感情になる。それもこれも大事にしていた小人の人形が世界を
旅する影響と言うのも意表をついている。アメリの発想の勝ち。
最後に自転車でパリの街を疾走するアメリとニノの姿がさわやかで「良かったね、アメリ!」と思わずにいられない。
自分の好きな事、嫌いな事ってなんだろう?。自分流の心の癒し方ってなんだろう?と考えさせられる部分もある。取りあえず、今度川で水切りでも
してみようかなと思ってしまう。
キリング・ミー・ソフトリー 原題:KILLING ME SOFTLY
監督:チェン・カイコー
出演:ヘザー・グラハム(アリス・ラウデン)
ジョセフ・ファインズ(アダム・タリス)
ナターシャ・マケルホーン(デボラ・タリス、姉)
イアン・ハート(ダニエル、刑事)
ジェイソン・ヒューズ(ジェイク、元彼)
ネタバレ注意!
もうヘザー・グラハムを観たくて行った映画、どこまでエロチックにスリリングに展開されるのか興味津々でした。流石ヘザー・グラハム、魅力爆発
で良かったが、サスペンスとしては今一つな感じ。
ストーリーは、主人公アリスはロンドンで恋人のジェイクと同棲中、仕事も順調で幸せな生活を送っている。しかし、ある朝の交差点でミステリアス
な男性と出逢ってしまった。会社を抜け出して男と再会、不思議な魅力の虜となり激しい愛に溺れてしまう。
そして、電撃的に結婚するが、夫の事をよく知らない事に気付く。夫の過去を知りたくなったアリス、調べるうちに、ある女性の殺人疑惑に捕われて
しまう。果たして夫は無実なのか、失踪した女性は…。やがて恐るべき真実が明らかになっていく…。
確かに交差点で逢ったジョセフ・ファインズが怪し過ぎるし恐い。嗚呼それなのに、何故アリスが惹かれてしまうかが少し謎ではあるのだが、そんな
簡単にアダムの家に行っちゃうの?的進展に呆然。多少、馬鹿っぽいと感じてしまう。
アダムの自信に満ちた手慣れさに「あんた、何者?」と思ってしまう。家に入ってからの展開も「いきなりかよ!」と思ってしまうが、ヘザー・
グラハムの乱れっぷりにワクワク。スタイル良いなあ。
その後、オフィスで働く髪形を変えたアリスが一番素敵に思えたのも確か。やっぱり相手で女性は変わってしまうものなのか?。服装から趣味まで
がらっと変わって、それはそれで楽しめたけど。
強盗に遭難した時、これは仕組まれた事件かと思ってしまった。邪推。強盗を追いかけるアダムの走り方が妙にコミカルで笑ってしまうが、その後の
暴れっぷりが凄い。でも財布と一緒に盗まれたある物の行方が気になってしまうのであった。
教会で結婚式を挙げたあと、直ぐに山小屋まで登るというのも不思議に思ったのだが、ああいうアトラクションと言うか演出を準備しているアダムって
一体…。でも凄いよね、流行るとは思えないけど。
サスペンスに関しては、王道を往く展開で途中で犯人が判るし、ラストの武器も親切な伏線で判り易い。死体もここ掘れワンワンで一発で掘り当てる
とは凄い。まあ、サスペンスとして観る映画じゃない様な気がする。あくまでオマケかな。最後にもう一捻り欲しかった。
ありがちなサスペンス展開。1・一番怪しい人物は犯人じゃない。2・頼って協力してくれた人物が実は…。3.犯人は容易に被害者に近づける立場に
いる。4.犯人が倒される武器は伏線で登場している。等々。
久し振りにクライミング・シーンが使われた映画。やっぱり冬山やアイス・クライミングはしたくないと思ってしまった。人工壁クライミング・シーン
でN4・Tシャツが登場したが、S7・Tシャツのパロディなのだろうか?。
姉役のナターシャ・マケルホーン、結構筋肉質系でマジでクライミングが上手そうな感じ。トップロープ・クライミングばかりだったのが少し不満。
ジョセフ・ファインズの力強いクライミングも見てみたかった。
何故か回想シーンで登場する交差点のジョセフ・ファインズが格好良く見えるのは気のせいなのだろうか?。不器用で激情な男だが、アリスを愛して
いた事は真実と思いたい。最後のすれ違いが少し悲しい。
一番幸せになったのは、アリスの友人の女性だったのではないかと思ってしまった。アリスの元恋人とうまくいってしまうとは、そういう事もあります
から。ジェイクも情けないぞ!。
教訓は、女性は男性の過去をしつこく詮索してはいけない。男性はそれ以上に女性の過去に興味を持ってはいけない。決して興味が幸せをもたらすとは
限らないのであった。
オーシャンズ11 原題:OCEAN'S ELEVEN
監督:スティーブン・ソダーバーグ
出演:ジョージ・クルーニー(ダニー・オーシャン)
ブラッド・ピット(ラスティー・ライアン)
ジュリア・ロバーツ(テス・オーシャン)
アンディ・ガルシア(テリー・ベネディクト)
マット・デイモン(ライナス・コールドウェル)
ドン・チードル(バシャー・ター)
ネタバレ注意!
これだけの豪華キャストを揃えて、カジノ金庫からお金を盗み出すのだから、絶対に面白いと期待して観に行きました。確かに面白い部分もあるのだが
、期待が大きすぎた感じもありました。
ストーリーは、窃盗犯ダニー・オーシャンは仮釈放と同時にテリー・ベネディクトが経営するラスベガスの3大カジノを襲う計画を実行しようとする。
その為には、優秀な人材を集める事が重要だった。そしてオーシャンと10人のプロフェッショナルが集合、「犯罪ドリームチーム」は準備を進め、
ボクシング・ヘビー級王座決定戦の試合当日にかつて無い計画をスタートさせる。
オーシャンには、ベネディクトの現在の恋人にしてかつての妻テスの愛情も盗む目的もあったのだが…。
確かにこれだけの大仕事を遂行させるには、10名の仲間が必要になるのは判る。彼らを集結させる為の描写も能力、キャラクター説明も必要になる。
その部分の説明が続いて、少々ウンザリしてしまった。
面白かったのは、爆破のエキスパート・バシャーとスリ師・ライナスとの絡み位だろうか?。特にバシャーはいい味出しているのだが、一人だけ警察に
捕まる前に連れて来たら、仲間を売ったと誤解されるだろうなと心配してしまった。
折角、面白くなっていたのに、停電させる為に「ピンチ」という訳の判らない装置が登場して白けてしまった。しかも、ライナスは車に居ろと
言われても出歩いてトラブルになってしまう。私的には、こういう描写が嫌いなのであった。
しかも、曲芸師・イエンは手を怪我してしまう。これは後で何かあると思ったら案の定、トラブルのタネになってしまう。勘弁してくれ!。結構、登場
人物がお馬鹿で本当に大丈夫?と思ってしまう。
それでハラハラ・ドキドキするかと言うと、ハラ・ドキ止まりで消化不良。だって、ミエミエの部分が多すぎる。作戦や結末に対して、やられた!
参りました!という感じがない。
ワゴンでお金を運ぶのもリモコン操作だとバレているし、ワザワザ監視カメラの映像を犯行画面にしてお金を半分頂く交渉は明らかにおかしい。
そうすると映像自体を疑問に思うし、結果その通りだった。
極めつけが、テスの行動。ベネディクトがお金とテスのどちらを選ぶか。お金を選ぶのは判りきっている感じでテスがその事自体気付きもしないなんて
馬鹿みたい。それ程メロメロだったのか?、その割に見切りも早い。その結果、元夫のオーシャンと縁りを戻すのに呆れた。
オーシャンをぶった叩いて去っていく位のカッコ良さが欲しい。あるいは、分け前と私のどちらを選ぶのか選択させる位のセリフが欲しい。あれじゃ、
お金を手にした元夫を選んだ尻軽女じゃないか!。
最後も見張りが付いているし、何がどうなるのかスッキリしないのであった。何かあるかと思って、エンドロールの最後まで観てしまった。うーん、
残念。やっぱりカジノという存在自体に縁が無いからだろうか?。ベネディクトに対する憎しみも少ないからだろうか?。もう一つ気持ちが入り込めません
でした。
ビル爆破に関するシーンや監視カメラの映像を見ながら仲間の行動に冷や冷やする場面、オーシャンと殴り屋とのアリバイ工作等々、部分的に面白い
場面があるのに流れとして面白くないのであった。まあ、ミーハー的にキャラは楽しめたけど、そういう映画なのかな。
メンバーは7人位が良いのか?。逆にパート2になると面倒な説明が省けるので面白くなる可能性は持っていると思う。パート11まで出来るとは
思えないけど。私は仮釈放制度に反対だ。そうすると、映画ネタやストーリーに影響が大きくなるなあ。
ジェヴォーダンの獣 原題:LE PACTE DES LOUPS
監督:クリストフ・ガンズ
出演:サミュエル・ル・ビアン(グレゴワール・デ・フロンサック)
マーク・ダカスコス(マニ)
ヴァンサン・カッセル(ジャン=フエランソ・ド・モランジアス)
モニカ・ベルッチ(シルヴィア)
エミリエ・デュケンヌ(マリアンヌ・ド・モランジアス)
ジェレミー・レニエ(マルキ・トマ・ダプシェ)
実際にフランスで起こった伝説「ジェヴォーダンの獣」の映画化。その伝説に興味があって観に行ったのだが、ツボに嵌まって最高に楽しめた作品。
こういうストーリーが好きで痺れてしまった。フランス映画も凄いぞ!。
ストーリーは、ルイ15世の時代、ジェヴォーダンで「ジェヴォーダンの獣」と呼ばれる野獣が100人以上の人々を惨殺した。その噂はパリにまで
届き、ルイ15世は野獣退治に兵を送るのだが成果を上げる事が出来なかった。
自然科学者フロンサックは、アメリカ・インディアンのマニと共にジェヴォーダンに赴く。フロンサックは貴族の美しい令嬢マリアンヌと出会い、恋
に落ちるのであった。
野獣捕獲の大掛かりな山狩りが実行される。派遣された総督は、殺害した狼の群れから任務が成功したとし、兵を引き上げるであった。しかし、まだ
野獣は生き延びており、更なる被害者が出るのであった。
フロンサックは再びジェヴォーダンに戻り、野獣の正体を暴くのであった。しかし、その裏には驚くべき秘密が隠されていたのであった…。
ハッキリ言ってこういう映画が好きです。そう「ラスト・オブ・モヒカン」が好きという事で想像して頂きたい。どういう事かと言うと、主人公は
あくまでもカッコ良く、ヒロインはあくまでも可憐にしてキュート、主人公の仲間もカッコ良いのだが志し半ばで倒れる、そして敵役は、この上なく憎た
らしい。そう言う定番的ながら胸躍るストーリーが好きなのである。
そう言う意味では、凄く楽しく胸ワクワクして観ました。最初に惹き付けられたのは、マニのカッコよさ。モホーク族にして、格闘に強く頼りになる
相棒であった。その東洋的風貌が魅力的なのであった。「クライング・フリーマン」に出演していたらしいのだが、観たいと思った。
ヒロイン=マリアンヌ役のエミリエ・デュケンヌの初々しい魅力にメロメロだ。単に貴族の令嬢というお嬢様的だけでなく、きりっとした強さも持ち
合わせているのがまた良い。
対するモニカ・ベルッチは、大人の魅力というかやっぱり綺麗であった。流石にミステリアスな役が合っていて、この人何者?と思っていたら本当に
何者かであった。凄いぞシルヴィア、パチパチ。
そして主人公のフロンサック、最初は今一つかなと思っていたのだが、後半は八面六臂の大活躍。当時の自然科学者は、この位の格闘能力が無いと
務まらないのであろうか?。朝に戻って来て友の魂を送る姿がまた良かったりする。
敵役のモランジアスをヴァンサン・カッセルが嫌らしく演じている。憎々しい感じが低いのだが、不気味さは十分。銀の銃弾は、伏線としてミエミエ
なのだが、それも良しとしよう。マリアンヌに迫るのは、断じて許せないぞ!。
この手の話で獣は人間のカモフラージュだと思っていたのだが、本当に獣が出てきたのに驚いてしまった。この獣がまた「レリック」を思い出させる
突進能力であり、マリアンヌとの絡みは「エイリアン3」を思い出させる。でも、本当はかわいそうなのであった。やっぱり獣は人間なのであろう。
雪の中で子どもを襲うシーンが幻想的であり、映像的にも面白い作品。ヨーロッパ的で在りながら、東洋的格闘シーンを織り交ぜ、時に必殺シリーズ
的でもあり、私的には狂喜乱舞なのであった。心の中で拍手!。
残念なのは、唐突的に思える宗教的な要因や思想に戸惑ってしまった。しかも、獣の存在と正体を知っている人間が多く居るのに、その話が漏れない
のも不思議。怪しい集団が既に存在している!。
それでも、マリアンヌの事に冷や冷やしながらも、ラストはハッピーエンドに思えたのが良かった。そうでなきゃ悲しい。やっぱりマニに感謝する
のであった。
耳に残るは君の歌声 原題:THE MAN WHO CRIED
監督:サリー・ポッター
出演:クリスティーナ・リッチ(スージー(フィゲレ))
ジョニー・デップ(チェーザー)
ケイト・ブランシェット(ローラ)
ジョン・タトゥーロ(ダンテ・ドミニオ)
オレグ・ヤンコフスキー(父)
クローディア・ランダ=デューク(幼少のフィゲレ)
タイトルと可愛い少女に惹かれて、わざわざ日比谷に出掛けて観ました。ろくにストーリーも知らないで観た訳ですが、予想以上に感動してしまった
作品でした。こういう映画も好きだ!。
ストーリーは、ロシアに住む少女フィゲルは父と祖母と共に暮らしていた。父は歌が上手く、よく子守唄を歌ってくれたものだった。しかし一家は
ユダヤ人の為迫害を受け、父や村の男達は新天地を求めて先にアメリカに旅立ってしまう。
残されたフィゲルは、村が暴徒に襲われたため村の少年と共にアメリカを目指す。しかし、フィゲルはイギリスに送られ養父母と暮らすことになった。
しかし、名前がスージーとなり英語も話せない彼女は学校でも、ジプシーとして虐められるのであった。
成長したスージーは、ダンサーとなってパリに渡るのであった。そこで、陽気なダンサー「ローラ」やジプシーの青年「チェーザー」と出会う。
チェーザーと愛し合う様になるスージーだが、ドイツ軍のパリ占領で逃げる様にアメリカ、父の居るアメリカに渡るのであった。懸命に父を探すスージー
だが…。
「耳に残るは君の歌声」という邦題の勝利だと思ったのだが、ビゼーの「真珠採り」にある歌から付けられていた。それでも正しくピッタリのタイトル
である。しかも本当に幼少のフィゲレが可愛いので、嬉しくなってしまった。
この少女が成長したクリスティーナ・リッチになるのかと不安に思ったのだが、クリスティーナ・リッチを思わせる面影も持ち合わせており、キャスト
も最高に良かったのであった。
この幼い娘を置いて父はアメリカに旅立ってしまうのだが、私なら絶対に離れないと誓いたい。でも物語が進まないのでしょうがない。旅立った父を
探す物語は、私の好きな名作アニメ路線に有りそうなお話しで、もう最高に感情移入してしまう。
特にイギリスの学校で虐められて、通り過ぎて行くジプシーを見て初めて歌を歌うシーンは鳥肌が立つくらい、胸にくるシーンであった。嗚呼、天使の
歌声だろうか?。前半最高の感動シーン、これだけでも価値あり。
それを見ていた教師、歌の才能を認めたのかと期待したが、歌の才能以上に英語を喋る必要性を説き、厳しく英語を学ばせるのであった。努力の甲斐
あって、生徒達の前で歌うスージー、聞き惚れてしまいました。
残念なのは、養父母との生活の描写が少なかった事だろうか。それでも、一度は奪い去った父の写真を処分せずに持っていて、スージーに渡すのだから、
きっと優しい養父母であったのだろう。
成長したスージーのパリでの生活がメインであった。ダンサーのローラをケイト・ブランシェットが演じているのだが、これまた陽気で男を虜にする
女性を演じていて、楽しいのであった。欲を言えば、アメリカに渡ったローラを見てみたかった。
ジプシーの青年チェーザーがジョニー・デップ、やっぱり王子様は白馬に乗っていなければと思わせる彼だった。陰のあるジプシーを好演し、こういう
役が合うなあと思ってしまった。恋人のスージーより家族を選ぶチェーザーとの別れは悲しい。
オペラ歌手のダンテが嫌な奴なのだが、歌は最高に素敵だった。オペラなんて関心が無いのだが、その素晴らしさを再認識させられた。音楽だけでも、
この作品は胸に染み入る感じなのだ。
ドイツ軍を避けアメリカに渡る。ここでイギリスのパスポートが効力を発揮するのであった。パリでの描写が長くて、アメリカでの父親探しが慌しく、
簡単に思える様に出会えるのが残念。だったらもっと早くアメリカに渡っていれば、元気な父と出会えた可能性があるのに。
ラストの病院のベッドに横たわる父との再会、昔父が歌ってくれた子守唄を歌うシーンがまた最高なのである。このシーンの為に物語があった様に
思える。一度は神を宗教を捨てた父だったが、神は見放していなかったのだ。
気になったのは、父との再会後のスージーだ。アメリカで暮らすのか、チェーザーに逢う為にフランスに戻るのか、チェーザーがアメリカに来るのか、
興味は尽きない。出来るなら、スージーが自分の子ども、出来れば娘に子守唄を歌ってあげる姿を見たいと思うのは贅沢なのであろうか。
チェーザーに渡った金貨が妙に気になって、伏線の様に思えたのだった。しかも眠ったフリしているし。残念ながら、その後の展開は無し。でも、
クリスティーナ・リッチがこれほど素敵な女優であった事を教えられた。勿論、クローディア・ランダ=デュークが可愛い事も。
フロム・ヘル 原題:FROM HELL
監督:ヒューズ・ブラザーズ
出演:ジョニー・デップ(フレッド・アバーライン)
ヘザー・グラハム(メアリー・ケリー)
イアン・ホルム(ウィリアム・ガル卿)
ロビー・コルトレーン(ピーター・ゴッドレイ巡査部長)
ジェイソン・フレミング(ネットリー)
ジョニー・デップ主演で、切り裂きジャックものという事で興味津々で観に行きました。実際にあった事実、それも超有名な事件を元に解明されて
いない真実の描写が面白かった。しかし、かなり殺害シーンが…。
ストーリーは、1888年のロンドン、娼婦が次々に惨殺される事件が起こる。捜査の責任者アバーライン警部は、娼婦仲間のメアリーと出会い
事情を聞き出す。妻と子を亡くしてアヘンに溺れるアバーラインだが、いつしかメアリーに惹かれる。
しかし、依然として切り裂きジャックと名乗る犯人の殺人は続き、メアリーに魔の手が迫る。アバーラインはメアリーを守る事が出来るのか、犯人の
正体とその理由は?。イギリス王室を巻き込んだストーリーが展開される。
ジョニー・デップが、相変らずの髭面ながらかっこいいですね。アヘンに溺れる退廃的姿とメアリーに対する眼差しが対照的であったりする。ラスト
近くの犯人に「お前に20世紀は見させない…」と言って拳銃を突きつける姿にしびれる。
ここで終わっても良かった気もするが、まだまだ続く。愛するメアリーに逢いに行きたいのに、メアリーに危険が迫るのを防ぐ為に敢えて逢おうと
しないアバーライン。「今後は奴らを監視する」と言うが、その決意もラストの状態では出来なくなってしまう。
しかし、秘密は漏れる事なく封印された。でもやっぱり、あのラストは悲しいのであった。妙に悟った様に去っていくゴッドレイ巡査部長がいい味
出しているし、脇役としては存在感あり。
唯一の救いは、ラストの元気に微笑むメアリーと成長したアリスの姿であろう。やっぱりこういう少女の名前はアリスだよなと妙に納得する自分が
危ない。でも最後のヘザー・グラハムの表情が良かったのも確か。
犯人が自分の所業を芸術だと言い張るのが凄い。しかし、その後の結末は納得出来ない。逆に自分の世界に入り込んで幸福になってしまったのでは
無いだろうか?。まあ、真実ではなくあくまでもフィクションですから…。
「FBI心理分析官」の著者であるロバート・ケスラーは、この映画とは違って、犯人は娼婦と同じ社会階級の人間である可能性が高いとプロファイル
している。精神的に問題を抱えた「無秩序型」の殺人犯で、自殺したか精神病院に収容されたと考えているようだ。蛇足までに。
それにしても、アバーラインが飲んでいた「アブサン」に毒薬を入れて、砂糖を燃やして入れるドリンクはどういう味なのだろうか?。いささか、興味
深いのであった。
かなり殺害現場や状況は、実際の出来事を忠実に再現しているらしい。エレファント・マンも登場するし、アバーライン警部の生涯は全く別であるらし
い。その点は物語として面白くしているのであった。でもやっぱり「フリーメーソン」って、よく判らないなあ。
ヴィドック 原題:VIDOCQ UN FILM DE PITOF
監督:ピトフ
出演:ジェラール・ドパルデュー(ヴィドック)
ギヨーム・カネ(エチエンヌ・ボワッセ)
イネス・サストレ(プレア)
アンドレ・デュソリエ(ロートレンヌ)
ムサ・マースクリ(ニミエ)
ジャン=ピエール・ゴズ(トゼ)
ひょっとして映像だけの映画かと不安に思って観に行きましたが、ちゃんとストーリーも楽しめる作品でした。フランス映画も頑張っているのであった。
独特の世界が確立し、映像も一種独特である。
ストーリーは、1830年のパリを舞台に実在の人物ヴィドックを主人公にしている。稲妻による殺害事件を捜査していたヴィドックは、犯人を追い
詰めるが燃える釜に落ち死亡する。直ぐにそのニュースがパリの街に広がる。
ヴィドックから伝記の執筆を依頼されたというエチエンヌが、犯人を追及し始める。しかし、次々と関係者が殺害されていく。犯人=鏡の顔を持つ男
=アルシミスト(錬金術師)の正体は?、ヴィドックが辿った真実の追究の結末は?。
世界初のデジタル24Pカメラを使用した作品。確かに映像的にも面白い作品で、「ザ・セル」の様な映像世界が強調されて展開されるかと思ったが
そうでもなかった。さり気無い合成というより、こーんな映像を合成していますよ的な作風に思えた。
人物のアップも多く、実相寺昭雄監督作品が思い出される、そんな感じである。また、アルシミストがマントをしていて、マントが翻る様は「スポーン」
を思い出させる。
鏡の顔を持つ男という事で素顔が判らない。しかも常識を超えた能力を持ち、素顔や正体が判らないまま終わる可能性も考えたのだが、ラストに
ちゃんと正体や驚くべきどんでん返しを用意してあってニンマリする。
正体は書けないが、そういう落ちかと思ってしまった。伏線もあり、決して想像出来ない正体では無かった。少しだけやられたぜと感じる。この時代
に、こんな物質や装置は無いだろうと思うのだが、それを言っているとアルシミストなんて存在出来ない。
クセの強い登場人物達がまた面白く、ハンカチを放さないトゼが妙に気になる。そして永遠の若さを求める人間の欲望。これが有るから、アルシミスト
の様なモンスターが存在するのであろう。
本当の決着がついていない感じのラストは、しょうがないであろう。続編が出来たりして。鏡の顔を持つ男という設定が実は気に入っているのであった
。
バンディッツ 原題:BANDITS
監督:バリー・レビンソン
出演:ブルース・ウィリス(ジョー・ブレーク)
ビリー・ボブ・ソーントン(テリー・コリンズ)
ケイト・ブランシェット(ケイト・ウィーラー)
トロイ・ガリティ(ハーヴィー・ポラード)
ボビー・スレートン(ダーレン・ヘッド)
ブルース・ウィリス主演の銀行強盗映画で、監督がバリー・レビンソン(「ナチュラル」や「グッドモーニング・ベトナム」が大好きなのだ。)という
事で期待して観に行った。普通、期待して観に行くとガッカリというパターンになるのだが、これは期待以上に楽しめた映画であった。
ストーリーは、刑務所をミキサー車を奪って脱獄したジョーとテリー。ジョーは後先考えずに行動するタフな奴だが、相棒のテリーは頭は良いが精神的
に参っているインテリ・タイプである。
ジョーの従兄弟のスタントマン志望のハーヴィーを仲間に加えて銀行強盗の計画を実行するが、途中から平凡な主婦生活に死にたい程飽きていたケイト
も加わり、ジョー、テリー、ケイトの奇妙な三角関係を維持しながら、銀行強盗を続けていく。
最後の大勝負に大銀行に押し入ったのだが、警官に囲まれてしまうのだった…。
これは、あれこれ詮索せずに心地良く観て、最後のオチを楽しみたい映画である。人は、メディアに騙されてしまうものなのである。そういう意味でも、
この映画はメディアに騙された気になりました。ここで言うメディアの解釈が重要かな…。
ブルース・ウィリス、ビリー・ボブ・ソーントン、ケイト・ブランシェットの3人の役者が見事に個性を発揮していて、もう観ていて楽しくなって
しまうのであった。あまり知らなかったのだが、ビリー・ボブ・ソーントンが笑わせてくれるし、まさに怪演しているのだった。変装に次ぐ変装も十分に
楽しく可笑しい限りであった。
もう一つは、ケイト・ブランシェットがこんなにキュートで魅力ある女性だったとは知らなかった。ボニ−・タイラーの「ヒーロー」の歌に乗せて、
歌い踊りながら料理する姿に惚れてしまった。以降は、その魅力にメロメロなのであった。
こう書くと、またかと思われてしまうのだが、男だから女優に惚れてしまう訳で、惚れさせないような映画なんて観たくないのであった。
銀行強盗アクション映画と言うより、三角関係を描いた恋愛ドラマとして観れる映画であり、海辺でハーヴィーを加えた4人で打ち上げ花火で遊ぶ
姿は、まるで青春映画の1コマのようで、胸にジーンとくるのであった。
彼らが目指し完成させようとするパラダイス、出来るなら夢を実現させて上げたいと思ってしまうのであった。だが、冒頭の事実からすると叶わない
夢となってしまうのか?。
いよいよラスト、絶対絶命のピンチ。ネタは書けないが、見事な切り返しでありました。映画的ではあるが、楽しめれば良いのである。もう拍手したい
感じであった。従兄弟のハーヴィーが活きてきて、伏線があった事を実感しました。
昨年も強盗もの映画(スコア、ソードフィッシュ等)がありましたが、楽しませる点では最高かも知れない。しかも、一般市民が誰も死なない映画
である事を強調しておく。そういう意味では、ソードフィッシュと対極かもしれない。でも双方、面白かった映画であった。
スパイ・キッズ 原題:SPY KIDS
監督:ロバート・ロドリゲス
出演:アントニオ・バンデラス(グレゴリオ・コルテス)
カーラ・グギノ(イングリット・コルテス)
アレクサ・ヴェガ(カルメン・コルテス)
ダリル・サバラ(ジュニ・コルテス)
アラン・カミング(フェーガン・フループ)
トニー・シャルーブ(アレクサンダー・ミニオン)
ローバート・パトリック(ミスター・リスプ)
ダニー・トレホ(イサドール・コルテス)
テリー・ハッチャー(ミセス・グラデンコ)
デブリン(G・C)
実はこういうガキんちょ映画って好きじゃないんですよね。でも、ロバート・ロドリゲスとアントニオ・バンデラスのコンビという事で観に行った
のですが…。アメリカじゃ、こういうのがヒットするんでしょう。
ストーリーは、敵対する国家のスパイとして活躍していたグレゴリオとイングリットだが、やがて愛し合い結婚することになった。平和な生活が続き
娘と息子と暮らしていたが、スパイであった事は秘密にしていた。
最高のスパイの知識がインプットされた人工知能「第三の脳」を巡って、グレゴリオとイングリット達は捕われてしまう。彼らを救うのは、子供たち
しか居なかった。様々なスパイ・グッズを使って、両親の救出作戦が展開される。
私的には、最初のグレゴリオとイングリットの出会いからのやり取りが好きなんです。こういうストーリーで話が進めば良かったのですが、主人公は
子供たちですから、ほんの挨拶程度で残念。
確かに色々なアイテムが登場して楽しめます。やはりジェット・パックが優れものでしょう。アシッド・クレヨンなんて物騒なアイテムも登場。
そう言えば、小さい時にスパイグッズが流行したよなあと思いながら観ていました。溶けるメモみたいな物があって、勿体無くて溶かせなかった記憶
が…。
アメリカ人って、こういうのが好きなのだろうか?。バットマン・シリーズもあまり面白くないのに観てしまった。内容はそんな感じかな。
もう続編が作成される様なので、また観るのであろうか。
しかし、「フループ・ショー」の番組内の歌が妙に耳に残ってしまった私は、結構嵌まってしまったのだろうか?。最後にデブリン役でG・Cが目隠し
で登場したのだが、直ぐに判った自分はエライのだろうか?。目隠しが取れて、判らない人が居るとは思わないが…。
O(オー) 原題:O
監督:ティム・ブレイク・ネルソン
出演:ジョシュ・ハートネット(ヒューゴ・グルディング)
マカーイ・ファイファー(オーディン・ジェ−ムズ)
ジュリア・スタイルズ(デジー・ブレイブル)
マーティン・シーン(デューク・グルディング)
アンドリュー・キーガン(マイク・キャシオ)
レイン・フェニックス(エミリー)
主演のジョシュ・ハートネット目当てではなく、青年の苦悩、嫉妬が巻き起こす悲劇みたいな予告編が妙に気になって観た映画である。こういう人間
の深層心理って怖いけど、自分も持っているんだろうな。
ストーリーは、シェイクスピアノ「オセロー」がベースになっているらしいが、私はその方面は詳しくない。全寮制の私立高校のバスケット部は
快進撃を続けていた。その原動力は、学内唯一の黒人学生オーディンであった。
同じチームのメンバーでありコーチの息子であるヒューゴは、オーディンに憧れもしていたが、次第にその才能と学長の娘デジーと親しくなること
に嫉妬し始める。その思いは段々と深く濃いものになり、オーディンを破滅させる計画を実行していく。
しかし、それは周りの人々全てを破滅に追いやるものだった…。
周りから観れば十分に才能と魅力を持ったヒューゴ、しかしそれ以上の輝きを放ち全てを手中にしてしまいそうなオーディンという存在があった時、
嫉妬の炎が燃え上がってしまう。それが欲深き人間なのか。
こういう人間の闇を扱う作品は、嫌だ嫌だと思いつつ観てしまうのであった。観る事によって、自分の闇を封印するのか、映画と言う形として発散
させてしまうのか、それは判らない。でも、闇は誰でも持っているのである。
パール・ハーバーよりこの作品のジョシュ・ハートネットが好きだ。もっと凄い憎悪や嫉妬を滲ませて欲しかった気もする。ヒューゴを指して、
「敵が一人もいない人は信用しないの」と言うセリフが妙に印象に残る。
ヒューゴ一人でなく、利用された人達や、デジーを信用する事が出来なかったオーディンも人間の弱さをもった可哀想な人達であった。自分はどうか
と言うと、嫉妬されるよりする方だろうから、ヒューゴ的要因はかなりあるかも。
ヒューゴ自身が、嫉妬が醜いことを知っていた。それでも行動を起こさずにはいられなかった事が悲しく哀れであった。
2002年 劇場映画 鑑賞記2に行く
2002年 劇場映画 鑑賞記3に行く
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