2002年 劇場映画 鑑賞記2



ダウン   原題:DOWN

監督:ディック・マース
 出演:ナオミ・ワッツ(ジェニファー・エバンス、新聞記者)
     ジェームズ・マーシャル(マーク・ニューマン、エレベーター技師)
     マイケル・アイアンサイド(スタインバーグ)
     ロン・パールマン(ミッチェル)
     エリック・サール(ジェフリー、マークの同僚)
     エド・ハーマン(ミリガン、ビルのマネージャー)
     ダン・ヘダヤ(マクベイン)

  何と言っても、ナオミ・ワッツ目当てで観に行った感じである。エレベーターという身近な装置が、恐怖の装置に変わるというのも面白そうで あった、期待以上の出来映えで良かった。あまり期待していなかったのも事実だけど。
  ストーリーは、ニューヨークの高層ビル「ミレニアム・ビル」でエレベーター事故が発生する。エレベーターの誤作動と判断されたのだが、 エレベーター技師のマークは、何か釈然としないものを感じていた。
  徹底的な整備を主張するが、損失が大きい為そのままエレベーターは動作させられる。しかし、次々と事故が発生し、独自の調査を開始したマークと 新聞記者のジェニファーは、エレベーター開発と設置の裏に潜む真実に迫る。そして最後の闘いがはじまるのだった。
  最初の犠牲者が妊婦と言うのもセンスが悪いなぁ!と思ってしまう。良いのか、これでと思いながら観ていると、エレベーターのドアが開いた 瞬間に画面が切替ってチキンを焼く画像に変わるのは驚くし、やっぱりセンスが悪いし悪趣味に思えた。勘弁してくれ!
  でもこういうセンスが意外とこの作品に合っていて、段々と気にならなくて楽しめたというより、恐かった。日頃、身近で使うエレベーターに潜む 怖さを強烈に感じる。ワイヤーが切れたら最期であり、挟まれるという恐れ、閉鎖空間の息苦しさがある。
  修理に現れるマーク、元海兵隊という設定であるが、それらしい描写が欲しい感じ。日常生活でその能力を発揮する機会なんて、そうそう ある訳ではないので仕方ない。
  でも、ラストの活躍を納得させる為にも、何か欲しかったなぁ。それは登場人物にも当てはまる事で、いきなり簡単にセリフで解説されても困る。 もう少し、緻密な描写が欲しいが、要求するのは酷かな?。
  しかも、エレベーターを制御している装置や場所がこじんまりとしている。到底超高層ビルのエレベーター制御と思われないのだが、実際はこんな 感じなのか?。
  普通、冗談で言った事を新聞に大きく取り上げられたら怒ってしまうのだが、女性のジェニファー相手でそんな事をしたら話の展開がつまらなくなる。 判っていても、ジェニファーはやっぱり性格的に難があると思う。
  そういう意味では、マークの付き合う相手は、どうしようも無い性格の女性に思えてしまう。彼女との破局も、唖然としてしまう情けなさ。早めに 別れられて良かったという気もするけど。
  エレベーターの恐怖の原因は純粋な呪いという訳でなく、採用した制御装置の頭脳に問題があった。この頭脳も科学的かと言うと、かなり オカルト的であった。なるほどって、すんなり納得出来ないぞ。
  この開発者やその頭脳について、セリフで殆んど説明されて判り辛い。兎に角、エレベーターの暴走には訳があった訳だけど、人を高速で屋上に 引き上げてしまうのは疑問?。
  特殊な頭脳は理解したとしても、まるで怪物化してしまうのはオカルト的。科学とオカルトが融合した感じだが、あくまでも科学的な恐怖で進めて 欲しかった。
  色々難は有るのだが、エレベーターが引き起こすショッキング・シーンにドキドキしてしまう。読める展開なのだが、思わず嫌悪してしまう。 ギロチンも嫌だし、落下するのも嫌だ。奈落になっているのも恐い。
  そんなエレベーターの側で少女が遊ぶシーンにドキドキ。恐怖の対象と少女の組み合わせは、心配度が増幅してしまう。変な日本人グループが 対象より恐い。あの日本人グループを事故に巻き込んで欲しい気もしたけど。
  あの手この手で特ダネを得ようと活躍するジェニファー役のナオミ・ワッツが期待通りで良かった。三流紙であれ程身体を張って頑張るというのも エライ。特ダネを狙う女性記者は下品になりがちだけど、ナオミ・ワッツだとバランス的に良かった。
  流石、元海兵隊という感じで元凶を退治してくれました。最後はお約束的に、エレベーター内でのキス・シーン。でも、性格や相性を考えると、 マークとジェニファーの関係が前途多難に思えてしまうのは、大きなお節介だろうか?。



完全犯罪クラブ   原題:MURDER BY NUMBERS

監督:バーベット・シュローダー
 出演:サンドラ・ブロック(キャシー・メイウェザー、殺人課女性刑事)
     ライアン・ゴズリング(リチャード・ヘイウッド)
     マイケル・ピット(ジャスティン・ペンデルトン)
     ベン・チャップリン(サム・ケネディー、殺人課新人刑事)
     アグネス・ブルックナー(リサ・ミルズ)
     クリス・ペン(レイ、高校の用務員)
     R・D・コール(ロッド・コーディー警部)

  久し振りにサンドラ・ブロック主演の映画を観ることにした。タイトルの「完全犯罪クラブ」が興味を惹くが、内容をあまり知らないで観に行く。
  ストーリーは、二人の高校生が完全犯罪を目論んで実際に殺人を犯してしまう。一人はハンサムで人気者のリチャード、もう一人はクラス1の頭脳を 持つが性格が暗く友だちも居ない様なジャスティン。
  二人は周囲から反目しあっていると思われていたが、「究極の自由」を得る為に完全犯罪計画を実践する。プロファイリングを逆手に取って、容疑者 と証拠、自身のアリバイを用意して計画は完璧に思われた。
  捜査担当のキャシーは、プロファイリングの結果や容疑者に納得せず、執拗に怪しいと思われるリチャードとジャスティンを追い詰めていく。 徐々に計画が破綻していく中、リチャードとジャスティンも追い詰められて行く。
  女性刑事役のサンドラ・ブロックの魅力が満載の映画という感じがした。単に強い女性刑事、ヒロインという感じでなく、ビターなサンドラ・ブロック という面が良かった。
  1匹狼的な刑事としての魅力、女性としての魅力、過去の悲惨な記憶に悩む姿も役の深みを増して良い。私が思っていた今までのサンドラ・ブロック 以上に魅入ってしまう。
  対する完全犯罪を目論む若い二人も、魅力があって面白い対決が見られる。役としては、利口でありながら浅はかな考えを持ち、若さが持つ危うさも 窺える様に思った。
  こういう高校生が自己都合の論理で殺人を犯してしまう恐さ、それが現実世界でも似た様な事件が起きてしまう恐さがある。リチャードとジャスティン が、完全に精神的に狂っているなら救いもある。
  でもマトモな生活を送っている訳で、しかも金銭的にも裕福で才能的にも恵まれている。ハッキリ言って、羨ましく思われる境遇であり、決して自分 や環境を嘆く様な感じではないと思う。
  それでも、人は満足しないで別のモノを追い求めるのか?。完全犯罪が成功しても、決して「究極の自由」なんて得られないし、また次の行動を 起こしてしまうのだろうか?。
  プロファイリングを研究して、アリバイ工作も行なうし、証拠を残さない様に完全防備を施す。それでも、ジャスティンの精神的未熟さからの嘔吐から 事件の容疑が始まるのが情けないのだが、安心もする。
  次々にプロファイリングと一致するレイが逮捕されても、通常の考えが適応しない一匹狼的女性刑事キャシーは周囲の妨害に屈せずに二人を追い詰めて いくが、こういう刑事役が女性になっているのも流れか?。
  キャシーの相棒になったサムは、易々とキャシーの罠に嵌まってしまうのが少々情けない。でもそれを知った後で冷静さを取り戻して、捜査を進めて 行くのは新人刑事だが絶妙のコンビに思えた。
  一人の美人な同級生リサを巡ってリチャードとジャスティンの仲が崩壊するかと思われた。そういうケースがありそうだったのだが、ジャスティンが 抑えてしまった。リサの出番をもっとと思ってしまったけど。
  リチャードとジャスティを追い詰めて、大きなドンデン返しがあるかと思ったが少々期待ハズレかな。事件の詳細が明らかになるのだが、何だか些細 な事に思えてしまった。
  ラストに爽快感はなく、暗い気持ちになってしまうのであった。こういうストーリーだから仕方ないのだけど。
  完全犯罪を目指すなら、死体を残しては駄目だろう。死体を発見させて、それでいて犯人をでっち上げる「殺人ゲーム」のゲーム・オーバーは悲しい 結末しか残されていない。



サイン   原題:SIGNS

監督:M・ナイト・シャマラン
 出演:メル・ギブソン(グラハム・ヘス、元牧師)
     ホアヒン・フェニックス(メリル・ヘス、グラハムの弟、元野球選手)
     ローリー・カルキン(モーガン・ヘス、グラハムの息子、喘息を患っている)
     アビゲイル・ブレスリン(ボー・ヘス、グラハムの娘)
     チェリー・ジョーンズ(キャロライン・パスキ、地元の女性警官)

   ネタバレ注意!。
  M・ナイト・シャマラン監督の最新作、ミステリー・サークルが物語にどう絡んでくるのだろうか?。これまでの実績から、きっと何かがあるに違い ないと思い、期待が大きかった。
  ストーリーは、ある朝目覚めたグラハムは、自分の農場にミステリー・サークルが出現している事に驚く。最初はイタズラと思っていたのだが、 世界各地に同じ様なミステリー・サークルが出現する。
  自分の周りで、世界中で何かが起ころうとしていた。ミステリー・サークル出現から、やがてUFOが現われる。そして奴らの姿が映像に映し 出される事になる。
  避難する事を止めて家に閉じこもる覚悟を決めるのだが、奴らは容赦なく襲い掛かってくるのであった。そして遂に今までグラハムの前に現われて いた兆候(サイン)の謎が解き明かされる。
  率直な感想は、確かに恐かったし恐怖感を煽る感覚に優れていたと思う。最後に何かがあるに違いないと思っていたのだが、エッこれで終わり?と 思ってしまう。無神論者には酷な感じ。
  いきなり自分のトウモロコシ畑にミステリー・サークルが現れたら驚くだろう。誰かのイタズラと考えるのも無理はないが、世界各地で同じ様な ミステリー・サークルが出現するに至って、事の重大さを認識し始める。
  ここで誰もが思うのは、何故自分の畑に出現したのか?である。この謎は最後まで判らなかった。理由は相手に聞くしか無いのである。 話して聞ける相手であれば良かったのだが、相手が相手だけに聞くのは困難であろう。
  この作品におけるミステリー・サークルは、訪問者を案内する役目を担っていた様に思われる。しかし、最後に現れた訪問者は指の特徴から 判断すると、レイ医師の家に閉じ込められていた奴である。
  レイ医師は複数の存在について話していたら、ミステリー・サークルはある特定の家を狙っていた訳でなく、周辺を含めた地域を集団で狙っていた事 になるのか?。
  そう考えてしまうとガッカリしてしまう。ある地域に現われるとしても、グラハムの家の近くにミステリー・サークルが出現する必然性が欲しかった のであった。
  奇妙な偶然を示唆しているのであるが、私的には偶然としか思えない。幸運が訪れた場合、単なる幸運と思い嬉しく思うが、決して運命とか必然性 とかを考えない性格である。
  運命を考える場合は、不幸な出来事に対してである。決して自分の力で避ける事が出来なかった、何か大きな力で為された事として捉える。 運命を受け入れると諦めは同義と思っている人間である。
  そんな人間にとって、この作品の内容は面白く受け取れないのであった。これまでの作品と同様にラストに何かがあると思って、様々な謎や小道具に 気をつけていたのだが、ラストで肩透かしを食らった感じになってしまった。
  確かに、自宅に閉じこもって来訪者が来るシーンは、恐怖感に満ちていた。決してその姿を見せないのであるが、音や暗闇が恐さを掻きたてるので あった。
  どんどんと追い詰められて地下室に逃げ込むが、そこも安全では無かった。喘息の息子が発作を起こし、薬の無い状態に陥ってしまう。 これから薬を取りに外に出るのかと思ったのだが、グラハムは必死に呼吸を安定させるのであった。
  父親の愛情がよく表現されていて、逆に良かったと思える。外も明るくなり無事に過ごせたと思ったのだが、奴はまだ居た。ここで妻が最後に残した 言葉が大きく彼らの運命を左右するし、喘息の事実も無理矢理運命として捉えられてしまう。
  じゃあ家族を助ける為に妻は死ななければいけなかったのか、死の直前に言葉を残す為に。レイ医師はその為に良心に苛まれる日々を送る 代償を払わされたのか?。
  生きている人、生き残った人が偶然を運命として自分に都合良く解釈している様に思えるだけである。ラストは、一度は捨てた牧師に復活した グラハムが現れる。
  運命や大いなる力に心酔するのも良いが、それがキリスト教に結び付くのは疑問。主人公が牧師という立場だから仕方無いけど、地球規模で 襲来されたのだから、別の描写が欲しかった。
  それは本題では無かったのだろう。キリスト教徒でもないし、どちらかと言うとキリスト教が嫌いな私としては、反感を覚えるのであった。
  最後の晩餐を思わすシーンが印象深い。その前に自分の食べたい物を言い出すシーンも良かったが、皆で抱き合う姿また良い。でも、食べたい物が 正にアメリカ的な食べ物であった。
  日本人の私にとって、食べたい物がこの程度かよと思ってしまった。逆のシチュエーションだったら、日本人なんて変な物を最後に食べたがると外人 に思われるかもしれない。
  緑の訪問者は、最初は足だけとか手だけとかシルエットだけであったが、最初にその姿がニュースで放送されたのが、素人撮影ビデオと言うのが 実際にありそうだが、反面で胡散臭さも漂う。
  その前のミステリー・サークルとUFOの効果があって、真実味を持っていた。素直に驚くグラハムの弟メリルがみんなの気持ちを代弁している。 メリルは、この家族にあって良い味を出しているし、子供達も可愛くて素敵である。
  メル・ギブソンの父親役も良いのだが、牧師のイメージが少々辛かった気がする。
  緑の訪問者も凄い。科学力が有りそうなのに武器も持っていない。身体能力は高いが、頭脳は高いのだろうか?。しかも、水に弱いというのも 変だよなぁ。
  地球には雨も降るし、空気中に水分もある。生物にとって水分は必要な物だろうと勝手に思っていたりする。それとも娘のボーが言うように水が汚染 されていて、その汚染物質が彼らの弱点だったのか?。
  息子が買った本には、結末が2つあると書かれてある。この作品のラストから想像すると、再度襲来する事になるのだろうか?。その時は、耐水スーツ でも着て来るのだろうか?。大体、あの姿は裸なの?。
  襲来の目的が食料であると言うのも、ラジオからの情報であり、本当なのか疑問があった。その様な描写が無いし、毒を出すと言うのもラジオからの 情報である。
  全く確かな情報が無いのであるから、観てる方も半信半疑になってしまう。確かな描写があると恐さもUPしたかもしれないが、ワザとそういう描写 を避けて恐怖感を演出したのだろう。
  妻が残した重要な言葉が途中から出てくるのが、今一つ。やっぱり最初にそのシーンか言葉があって、グラハムが目覚める。その後にミステリー・ サークル出現に繋げた方が良かったと思ってしまった。
  トウモロコシ畑から現われるのは、シューレス・ジョーや自分の父親の霊の方が良いのかなぁと思ってしまった。(フィールド・オブ・ドリームス に敬意を記す。)



赤毛のアン アンの結婚   原題:ANNE OF GREEN GABLES

監督:ステファン・スカイーニ
 出演:ミーガン・ファローズ(アン・シャーリー)
     ジョナサン・クロンビー(ギルバート・ブライス)
     シュイラー・グラント(ダイアナ・バリー、作家)
     キャメロン・ダッド(ジャック・ギャリソン・ジュニア、作家)
     グレッグ・スポッティスウッド(フレッド・ライト、ダイアナの夫)

  アン・シリーズの第3作目であり、原作が好きな私としては取りあえずは観てしまった。観る前にパンフレットをパラパラ眺めていると、ストーリー は原作に忠実と思っていたのだが、オリジナルの様であり嫌な予感がした。
  ストーリーは、アンはマリラの死後初めてアヴォンリーに帰郷する。久し振りにダイアナに会ったアンは大喜びであるが、婚約者のギルバートの 願いでニューヨークに行く決心を固める。
  ニューヨークでの共同執筆が破綻したアンと目指す医師像の違いに苦悩するギルバートは、アボンリーに帰る決心をする。第一次世界大戦は、人々 に平和な生活を享受させてはくれなかった。
  軍医として出征するギルバートとアンは、急いで結婚式を挙げる。行方が判らなくなったギルバートを探すため、アンはフランスに渡るのであった。 ヨーロッパの各地でギルバートの行方を追うのだったが、危険と策謀が待ち構えているのであった。
  3作を通じてアンを同じミーガン・ファローズが演じていて、まるで「北の国から」の様に人物の成長と共に物語の人物が成長していくのが嬉しい 限りである。
  プリンス・エドワード島に到着してダイアナと会うアンは、ダイアナ宅に向かう途中にグリーン・ゲイブルズに立ち寄る。以前の素晴らしい家や庭を 期待していたのだが、間借り人が住んで荒れ果てていた。
  これには、アン同様に観てる方もがっかりしてしまう。若いアンやマリア、マシュウが懐かしい。やっぱり最初のストーリーが良かったと思って しまうのであった。
  アンを訪ねるギルバート、浜辺での再会。思い切り転んでしまうアンが何となく良い。こういう世界を期待していたのだろうか?。多分そうなの であろう。
  でも、仕事、結婚を考えるといつまでもそういう世界だけでは無くなる。仕方の無い事なのであろう。この3作品目では、世間という事を描いて いるのだが、違和感を覚えてしまうのも確か。
  その後、夫ギルバートと共にニューヨークで暮らす事になる。アンが書いた小説の出版は駄目になったのだが、編集者としてウインフィールド出版 で働く機会を得る。自分の小説を出版したかったら、ジャンルが適正な出版社を選ぶ方が良かったと思う。
  これも夫の上司の紹介という幸運としがらみが付いてまわった結果であった。いつの時代も自由にならないのだが、この結果が後々に関わってくる のだから、人生って分からない。
  ジャックの編集担当になったアンであったが、アンの小説を気に入ったジャックは共同執筆という提案をする。結局、メインの執筆はアンで、 ジャックはアドバイスするだけであったが、いざ出版の段階になると作者はジャック一人になっている。
  これはジャックが悪い訳でなく上層部の意向でもあったが、ネゴしていなかったアンにも落ち度がある。相変わらずこういう不運に巡り合うアンが アンらしいという気がするのであった。
  ニューヨークの生活を終えて、アヴォンリーに帰って来たアン達だが、戦争の影が色濃くなっていた。ダイアナの夫フレッドが戦争に志願し、 ギルバートも志願する事にする。
  出征する前にアンとギルバートの結婚式が催される。軍服姿のギルバートがこれからの試練を予想させるのであった。第一次世界大戦、カナダの人々 にとって、犠牲者を多く出した戦争であった。
  ギルバートに送った手紙がそのまま返送されて心配になるのは判るが、ヨーロッパにまで出掛けて行方を捜すアンの行動力が凄い。赤十字の仕事で 各地を回ってギルバートを探すアン。
  でも出会う寸前で離れ離れになってしまう。この辺の描写に退いてしまう。何だかアンの世界じゃない感じ、他の作品でも少しやっぱり退いてしまう かもしれない。
  戦場での描写が中途半端な感じであった。リアルでは勿論無い、リアルだったらもっと恐いけど。試練の為の描写、そこでのアンの行動や活躍に 違う作品を観てる様である。
  だって戦時中に変装して移動したり、火薬を使って脱出したりするアン。いくら行動力があるとはいえ、本当?と思ってしまうし、出来過ぎと 思ってしまう。シリアスに考え過ぎではあるが。
  新聞のコラムを書く辺りは、いい感じではあったけど。ジャックに絡んだ話はどうも面白くないし、ジャック夫妻の赤子ドミニクの扱い方も酷い かな?。
  それでも、ギルバートとの再会はジーンとくるものがあった。やっぱり再会の時にも転んで欲しかったなぁ。その後、メデタシと思われたが、 ジャックが関わった諜報活動の後始末が残っていた。
  うーん、そんな戦争の裏側の世界はどうでもいいのだが。結局、ドミニクを引取る事にしたのだが、その為のストーリー展開に思われた。 やっぱり故郷は良いなぁと思われるラストが救い。
  こんなオリジナル要素を加えたストーリーなら、今後幾らでも製作できるかもしれないという不安が残ってしまった。やっぱり、原作の世界を 堪能するしかない。



インソムニア   原題:INSOMNIA

監督:クリストファー・ノーラン
 出演:アル・パチーノ(ウィル・ドーマー、ロス警察の警部)
     ロビン・ウィリアムス(ウォルター・フィンチ、作家)
     ヒラリー・スワンク(エリー・バー、地元の女性刑事)
     モーラ・ティアニー(レイチェル・クレメント、ロッジのマネージャー)
     マーティン・ドノバン(ハップ・エクハート、ウィルの相棒)
     ポール・ドゥーリー(チャールズ・ニューバック、警察署長)
     ジョナサン・ジャクソン(ランディ・ステッツ、地元の高校生)

  アル・パチーノとロビン・ウィリアムスの組み合わせ、しかもコメディーや感動作が多いロビン・ウィリアムスが悪役を演じる。これらの事だけでも 面白そうな予感がして観に行った。
  ストーリーは、アラスカで17歳の少女の変死体が発見された。ロス警察からウィル・ドーマーとハップ・エクハートの2人の刑事が捜査に協力する 為に現われる。
  ウィル・ドーマーは、猟奇殺人事件の専門家であり、これまでにも数々の事件を解決していた。そんな彼を出迎えた地元警察のエリー・バー刑事は 憧れを持って接するのであった。
  犯人を追い詰めた霧深い場所で、ドーマーは相棒のハップを誤射し殺害してしまう。本当に誤りだったのか?、殺人事件の犯人に目撃されたドーマー は、犯人に脅迫されるのであった。
  嘘が嘘を呼び、徐々に窮地に追い詰められるドーマー、沈まない太陽は更に不眠症を引き起こし、何かが狂っていくのであった。
  インソムニアの意味は「不眠症」という事らしいのだが、アル・パチーノ演じるウィル・ドーマーという刑事が「不眠症」に陥ってしまう。舞台が アラスカの白夜、眠ろうにも外が明るくて眠れない。この舞台設定の効果が凄い。
  その他にも、今回の殺人事件の事、ロス市警での内部監察調査、執拗に繰り返される血が布地に染み込む幻影等が彼の意識を翻弄する。特に血が布地 に染み込む描写や染み込んだ血を擦る描写が最初から繰り返されるのだが、全然その意味を図りかねていたのであった。
  ベットでボンヤリと横になるドーマー、不眠症が進行しフラッシュバック的に幻影が表われ、観ているこちらも何だか不眠症的な錯覚を覚えてしまう。
  ドーマー達を出迎えた女性刑事エリーは、ドーマーが扱った事件に詳しくドーマーの事を尊敬しており、一緒に捜査出来る事を喜んでいる。この エリーをヒラリー・スワンクが演じていて、中々良い刑事を演じていて好感が持てた。
  ストーリー的には、こういう尊敬の念を抱いていた人物が、徐々に尊敬の対象だった人物に疑念を持つ様になっていくという事はありがちである。 でもそんな事は些細な事にも思えてしまう。
  少女殺しの捜査に加わったドーマーは、早速死体の調査からスタートする。そこには、報告書から判らない事実があり、的確に事実から犯人像を作り 上げていくのであった。この辺は、経験豊かな頭脳明晰である刑事としての印象が強くなる。
  殺人犯に罠を仕掛けて追いつめるのだが、犯人は銃で反撃してくる。確かに銃社会だから当たり前かもしれないのだが、少女は殴られて殺害されて いたので、いきなりの反撃に驚いてしまう。
  深い霧の中での追跡が始まるのだが、その最中に犯人とハップを見間違って射殺してしまう。内務調査に対して、ドーマーに不利な証言をする筈の ハップは、確かに邪魔な存在ではあるが、信頼出来る相棒でもある。
  故意か過失か、撃たれたのがハップだと判った時の心中はどうだったのだろう?。これを故意と見るか過失と見るか迷う所だろう。パンフレットに 書いている評論家は、わざわざ予備の銃に代えているから故意としている。
  私が見た感じでは本来の銃が弾切れか異常があった為、予備の銃を取り出した様に見受けられる。それでも、ポンチョ姿の犯人とハップではシル エットに違いがある事も確かで、故意と過失の混じった感じでもある。
  犯人にハップを撃った事を知られて、その罪を犯人に擦り付ける事で犯人から運命共同体としての協力を持ち掛けられる。立場の逆転とも思える展開 になり、アル・パチーノとロビン・ウィリアムスの駆け引きが始まる。
  もう不眠が続いて疲れ果てているが、あくまで犯人を追い詰めようとするアル・パチーノとにこやかに自分の保身を図ろうとするロビン・ウィリアムス の対決が見物である。
  互いに切り札のジョーカーを握ろうと必死であるが、その点ではフィンチの方が上手でドーマーが振り回される感じである。ドーマーが拳銃を捨てた と言うのは明らかに嘘臭い、しかも隠したのだがあっさり逆に利用されてしまっている。
  観る前の予想では、ロビン・ウィリアムスがサイコ的で残虐な殺人犯を演じると思っていたが、実際にはふとしたキッカケからエスカレートして殺人 を犯してしまったのであった。
  でも、身を守る為に醜悪な悪の面を出してくるロビン・ウィリアムスが恐い。微笑みの裏側にある残忍さが恐く、そういう役も似合うロビン・ウィリ アムスであった。
  尊敬されていると思われている人から笑われて頭に血が上って暴力をふるってしまったフィンチ、その笑いが本当に馬鹿にした笑いだったのかは 判らない。
  死体を丁寧に清める行為は良しとしても、裸でゴミ袋に入れて捨てるのは許せない気になる。厳密な意味での猟奇殺人に思えなくて、何だか予告編 に騙された気分である。
  ロッジの女性に自分の犯した罪である証拠ねつ造を打ち明ける。ここでようやく繰り返し現れる血が染み込む幻影の正体が判ったのだが、真の犯人に 対して行なったねつ造である。今回のランディに対する事は、明らかにでっち上げであるから意味合いが全く異なる。
  ドーマーに対する疑念が増し証拠を入手したエリー、それを察知したフィンチは彼女を誘き出して始末しようとする。全てを明らかにしようとする ドーマーは、彼女の救出に向かいラストに突入。
  ようやく安らかな眠りにつく前に「道を見失うな」とエリーに告げるが、何とも格好良いのであった。その後の描写はないのであるが、気になるところ でもある。でも、こうなる運命にあった様に思える。
  白夜の地域にあるロッジなのに、光を遮る厚手のカーテンも無いというのも変に感じられた。慣れた人にとっては、暗く感じて問題なく眠れるの だろうか?
  疲れた様子が痛ましくて早く眠らせてあげたくなってしまうし、自分もゆったりと眠りにつきたいという気分になってしまった。睡眠不足になると、 本当に幻影が見えたり幻聴を聞くそうである。もし、これが百夜と反対の季節に起きた事件だったらどうなっていたのだろうか?。



バイオハザード   原題:RESIDENT EVIL

監督:ポール・アンダーソン
 出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ(アリス、特殊工作員)
     ミシェル・ロドリゲス(レイン・オカンポ、特殊部隊員)
     ジェイムズ・ピュアフォイ(スペンサー・パークス、特殊工作員)
     マーティン・クルーズ(チャド・カプラン、特殊部隊員)
     コリン・サーモン(ワン、特殊部隊員)
     エリック・メビウス(マット・アディソン、特殊部隊員)
     パスクエール・アリアルディ(J.D.サリナス、特殊部隊員)
     ヘイケ・マカッシュ(リサ・アディソン、マットの妹)

  大人気のゲームソフトの映画化、ハリウッドでの映画化という事で興味があった。これほど有名でも実際にやった事が無い人間にとって、楽しめる のだろうか?。そういう人も楽しめる作品を期待した。
  トゥーム・レイダースは、ゲームの荒唐無稽さを表現できていたが、この作品はどうなのだろうか?。ミラ・ジョヴォヴィッチの活躍を期待するが、 それだけかもと不安もあった。
  ストーリーは、巨大企業アンブレラ・コーポレーションで起こった事件の内容を描く。アンブレラ社地下研究所ハイブ内で研究中のT−ウィルスが 何者かに盗み出される。そして、ハイブ内に恐るべきT−ウィルスが拡散してしまうのであった。
  ハイブ内はメイン・コンピューターによる自動防御システムにより閉鎖され、職員は全員死亡する。特殊部隊員はハイブ内のメイン・コンピューター のシャットダウンを遂行する為ハイブと繋がる古い洋館からの潜入を試みる。
  その洋館には、非常事態の神経ガスによって一時的に記憶を無くしたアリスとスペンサーが居た。彼らは行動を共にしハイブを目指すが、そこには メイン・コンピューターの他に驚異的な障害が待ち受けていた。
  彼らは、無事任務を遂行し外界に戻れるのだろうか?。そしてタイムリミットが迫る、T−ウィルスがもたらす人類の運命は?。アリスの闘いが 続くのであった。
  冒頭のTーウィルス奪取からの研究所内での隔離のシーンで既に物語に引き込まれてしまった。研究室内でのバイオハザードが何の防御手段も無く、 一般施設内に空気感染していくのは、疑問に思うのだがそれを上回るハラハラ感があった。
  閉じ込められた恐怖感が襲ってきて、エレベーターから無理な脱出はしないぞ!と思ってしまう。ハロン・ガスも恐い。会社の設備にハロン消火設備 があって、人が居ない事を確認、ドアの閉鎖後外からレバーを操作する。ついつい思い出してしまった。
  アリス役のミラは最初から裸で登場、ドレス風な衣装とブーツの組み合わせが如何にもこれからアクションもします的な感じで違和感があったけど、 その魅力の前には許してしまう。
  髪型が変わっただけなのか?、兎に角これまで以上に魅力あるミラに思えてしまった。「フィフス・エレメント」「ジャンヌ・ダルク」等より数倍も 格好良く惹き付けられる。
  特殊部隊と共にハイブに乗り込んで、レッド・クィーンというコンピューターのシャットダウンを図る。先ずは、HALの様なコンピューター相手 との闘いが始まるが、この防御システムにギョッとしてしまう。こんな通路に入りたくないよ、マッタク。
  漸くコンピューターのシャットダウンを行なったら、次は今まで閉じ込められていたゾンビの襲来を招いてしまう。一難去ってまた一難、このゾンビ 達何だか懐かしい感じにもさせられる。
  半分ふざけているようなメイクもあるのだが、簡単に死なないで次から次にと襲ってくる恐怖は変わらない。残りの銃弾が1発になった時、最後まで ゾンビと戦うか、人間としての尊厳を持ったままで自ら命を絶つのか?。
  カプランの様な状況に陥ってしまったら、後者を選択してしまうかもしれない。観客も一瞬そう思ったに違いないが、簡単には諦めずに闘い続ける のであった。
  抗ウィルス剤があるのは当然の予防策であろうが、Tーウィルスを盗んだ犯人探しはあまり意識がいってなかった。その内に犯人が分かるのだが、 登場人物から考えても不思議ではない感じ。でも、単にリッカーという過去の生物兵器の怖さを引き立てる役の様でもあった。
  抗ウィルス剤の存在がもっと早くに分かっていたら、ゾンビに噛まれようが最後の最後まで希望を捨てずに戦えたかもしれない。希望を捨てなかった カプランは、再登場で役立つ働きをしてくれた。
  アリスのピンチに集中していたので、カプランの存在を少し忘れていました。メイン・コンピューター、ゾンビと続いて最後は生物兵器リッカーとの 闘いである。この辺の闘いはお約束的な感じもしないのであるが、その力強い能力は兵器として有効と思われる。
  ゾンビに噛まれるとゾンビ化する様に、この生物の爪で傷付けられるとやっぱり危険なのか?と思っていたら、案の定最後にその影響が出てしまった。 最後にマットという男は、別の目的を持っていたという事も予想したのだが、それは無かった。
  もう誰がどんな目的を持っていたのか疑い深くなってしまっている。事の発端は、リサが違法な研究を告発する為に証拠を欲しがった事である。 それが真実だったか今となっては判らない。判っているのは、T−ウィルスが危険過ぎる代物だという事である。
  愚かにも、封印されたハイブを再度開く事になってしまう。その影響はラストに描かれていた描写で想像できる。人間は何回も”パンドラの箱”を 開けてしまうものだろう。全く懲りない、いつも希望が残っている訳でも無いと思うのだが。
  アリスの活躍が凄かったです。記憶がぼやけていて、本人も観客も知らない能力でピンチを切り抜ける。格闘技も銃撃の腕前も良く、さすが特殊工作 員と思わせます。この記憶が鮮明でない事が上手い設定になっていた。
  髪型次第でまるで別人、オールバックで戦闘モード突入といった印象を受けた。しかも、登場シーンとラストまでが裸という別の意味での大活躍、 続編の製作も期待したい感じである。



13ゴースト   原題:13 GHOSTS

監督:スティーブ・べック
 出演:トニー・シャローブ(アーサー・クリティコス)
     エンベス・デイビッツ(カリーナ、心霊研究者)
     マシュー・リラード(ラフキン、霊能力者)
     シャノン・エリザベス(キャシー・クリティコス、アーサーの娘)
     F・マーレー・エイブラハム(サイラス、謎の富豪)
     ラー・ディッガ(マギー、家政婦)
     JR・バワーン(ベン・モス、サイラスの弁護士)

  全くストーリーも知らずに、唯出てくる不気味な霊の姿が妙に引っ掛かって観に行ってしまった。どうせB級な悪霊というモンスターが出てくる 映画だろうと期待もしていなかった。暑い夏にちょっとヒヤリとしたかっただけであった。
  ストーリーは、サイラスという富豪が霊能力者ラフキンに協力させて霊の捕獲を行なう。しかし、この破壊者という霊を捕獲出来たがサイラスは 死亡してしまう。
  サイラスの甥アーサーは、火事で妻を亡くし財産も失っていた。そんな時にサイラスの弁護士ベン・モスが現れ、サイラスの遺言を公開する。 サイラスの屋敷を相続する事になったアーサー一家は喜んで屋敷に向かうのであった。
  その屋敷はガラス張りの豪華な建物であり、驚きながらも入り込んでしまう。しかし、そこの地下には12の悪霊が捕らえられていた。サイラスの 計画、アーサー達を生贄として13人目の霊を作り出し、地獄の目≪オキュラリス≫を開き最強のパワーを得る。
  今、ゆっくりと悪霊を閉じ込めていたボックスのドアが開く。13人目の霊とは誰なのか?、悪霊と生者の凄惨な闘いが始まるのであった。
  冒頭の霊捕獲のシーンからワクワク感が高まるのであった。霊の強暴さとその恐ろしい能力を見せつけられて、その後の展開に移っていけたが、謎は まだまだ多そうで、期待感も高まる。
  一転、アーサーの家族の話になってしまい、あれっと思っているとサイラスの遺言が紹介される。しかも、ノートパソコンからのデジタル映像である から、現代社会を反映している様に思えた。
  こういう形式の遺言が流行するのであろうか?。渡されたユニークなキー、唯の鍵で無さそうな感じである。そこで紹介された屋敷に一行は喜んで 向かう。この屋敷がまた素晴らしい。
  こういうガラス張りでしかも呪文が書かれている屋敷という設定のセンスに喜んでしまう。この屋敷を舞台に物語は進行するのだが、地下には霊を 閉じ込めたボックスがあり、エントランスには不気味な円が回転している。
  霊を閉じ込めたボックスを見ていると、ザ・セルという映画を思い出してしまった。しかも、ベン・モスの最期のシーンとザ・セルの馬のシーンに 相似があって堪らない。
  徐々に霊を閉じ込めたボックスが開き、霊が活動を開始し始める。普通の人間には、悪霊を見ることが出来ない。霊視ゴーグル「イリュージョン・ オー」を使って霊の姿が見えるのであった。
  このゴーグルが、ウルトラ・アイ的なスーパー・ウェポンである。こういうゴーグルが欲しいと思ったのだが、余計な物が見えるという恐怖は遠慮 する。どんな仕掛けなんだろう?。
  出てくる悪霊の姿と能力が恐ろしい。まるでお化け屋敷的に次から次に現れる。しかも瞬間的なカットどの見せ方なので、恐さが倍増する。ずっと 見せられるとメイクが観察出来てしまうし、慣れてしまう。その点、最初の恐怖を煽る演出は見事であった。
  出てくる登場人物も満足。ラフキン役のマシュー・リラードは、「スクリーム」同様にキレた役でいい味を出している。カリーナ役のエンベス・ デイビッツも魅力ある好きな女優である。サイラス役のF・マーレー・エイブラハムも悪役にピッタリである。
  徐々にサイラスの計画が明らかになっていくのだが、まさかあの人がその役割に一枚噛んでいるとは思わなかった。この屋敷は、「秘密の書」に 書かれている”13ゴースト”の儀式を行なう為の巨大な装置なのであった。
  不気味に作動する機械と回転し続ける円、その周りに集合する12の霊。こういう設定とかセンスにしびれてしまう。アーサーの妻ジーンの霊も この中にはいっているのが不思議。悪霊という言い方が出来なくなってしまう。
  「秘密の書」に書かれてある様にウイザード・ラバーとしてのジーンが必要であったのであれば、火災の事故もサイラスの仕組んだ陰謀だったのでは ないかと思えてくる。
  他の11の悪霊の名前とその生涯がパンフレットに説明されている。作品中にも若干の説明があるのだが、彼らの生涯を描くだけでも一本のホラー作品 が出来てしまう。少し観たい気もしてしまう。
  最後は、アーサーの家族愛が試されるのだが、サイラスの計画を狂わせた張本人はマギーであった。でも、こういう役を黒人が演じるのは、よくある パターンなのでやっぱりという気がしてしまう。ラストの為に居た様なキャラに思えてしまった。
  計画が失敗して、悪霊達が去っていくのはコミカルにも思えた。あれ程の協力な力を持った悪霊を野に放して今後が心配でもある。13ゴーストが 登場しなくて良かったと思う。
  でも、別の意味での13ゴーストを観てしまった。更に驚いたのが、この作品は1960年のウィリアム・キャッスルの作品がオリジナルになって いる事だった。オリジナルが観たい!と素直に思ってしまった。



ウインドトーカーズ   原題:WINDTALKERS

監督:ジョン・ウー
 出演:ニコラス・ケイジ(ジョー・エンダーズ)
     アダム・ビーチ(ベン・ヤージ、ナバハ族コード・トーカーズ)
     ロジャー・ウィリー(チャーリー・ホワイトホース、ナバハ族)
     クリスチャン・スレーター(オックス・ヘンダーソン)
     ピーター・ストーメア(イェルムスタッド、古参1等曹長)
     マーティン・ヘンダーソン(ネリー、新兵)
     フランシス・オコーナー(リタ、従軍看護婦)

  ジョン・ウーが描く戦争映画という事で期待して観に行く。主演はニコラス・ケイジ、ジョン・ウーとの組み合わせでどんな戦争映画になったのか、 非常に興味があった。
  ストーリーは、ガダルカナル島の闘いで重傷を負ったジョーだったが、仲間を死なせた事が重く圧し掛かってくる。再び戦場に戻る決心をしたのだが、 与えられた任務はナバハ族のコード・トーカーズの護衛であった。
  最重要任務は暗号を守る事、決してコード・トーカーズを敵の手に渡してはならない。その為にはコード・トーカーズを犠牲にしても暗号を守る決意 が要求されるのだった。
  サイパンでの日本軍との戦いは激しさを増していく。ナバハ族のホワイトホースの死がジョーとベンの間の友情を断ち切るかに思われた。そして、 最後の敵陣地攻略戦が始まるのであった。
  ナバホ族のベンは本当に良い奴なのである。自分達種族の土地を奪った白人が始めた戦争に招集されて戦地に送られてしまうが、自分の国、家族を守る のだと言い放つ。
  大自然のモニュメント・バレーで自分達の種族で生活している彼にとって、日本との戦争なんて実感が湧かないかもしれないのに。自分達の言葉が 暗号として使われる。その暗号化の学習に励む姿がまた良い。
  自分達の部隊に戦死者が出ても、死んだ人間を忘れない為に、その人について語ろうと提案する彼。しみじみ良い人間だなぁと感じ入ってしまうので あった。
  ジョーやオックスらに与えられた任務は暗号を守り抜く事であった。オックスは、暗号を守るという事でナバホ族のホワイトホースを殺す事になる のかと思われたが、結局躊躇してしまう。そして無残な最期を遂げてしまうのであった。
  久し振りに格好良い役に思われたクリスチャン・スレーターであった。その代わりに、ホワイトホースを敵に渡さない、暗号を守る役目はジョーが 請け負う事になってしまった。躊躇してしまうのだが、銃弾も尽きて手榴弾で阻止を図る。
  ホワイトホースが自分の死を促すシーンが胸を打つ。彼もそうなる事を知っていたのであろう。流石にホワイトホースが死んだ後は、ベンにも狂気が 宿った様な状態になってしまった。そこには、敵兵と出会って相手を殺せない以前のベンの姿は無かった。
  こういう任務自体が矛盾を含んでいる。暗号が漏れる事で味方や戦況に重大な損害を被る事になるが、その為に味方を犠牲してしまう。一人を救い 出す為に、部隊を危険に曝す場合もあるのだが、ここでは大を生かして小を殺す論理である。
  ニコラス・ケイジ演じるジョーは、冒頭の戦闘において九死に一生を得るのだが、仲間をすべて失ってしまう。それでも戦場に戻ろうとする神経が 判らない。私なら絶対に戻りたくないと思ってしまうだろう。
  戦場の状況も知らない上層部からの命令を守る為に、無駄死にする事自体が間違っている。でも、そういう事が戦争という物の実態なのであろうけど。 仲間を自らの判断の過ちで死なせてしまった負い目は、彼を苦しめ続ける。
  死の間際の神への祈り、彼は救われたのだろうか?。その判断がつかなかったのだが、ラスト・シーンでベンが故郷で彼を供養するシーンで初めて 感動してしまった。逆に言えば、感動出来る場面が少なかったとも言えるのだが。
  多分、英語圏では字幕化されないであろう埋もれた日本語のセリフがそのまま聞けて良かったが、日本兵の描写は相変わらず単なる悪役に過ぎなか った。日本が宣戦布告して始めた戦争であるから、日本を憎んでも仕方ないであろう。
  日本の村での一般の人達の描写が良く、ほっとさせられる。でも同胞のいる村を日本軍が攻撃するというのも嫌な設定だなぁ。日本人の少女を守る アメリカ兵というのも胡散臭い。
  どうしてもジョン・ウーのアクションを期待してしまうのは仕方ないだろう。そういう意味では、ド派手なアクションが繰り広げられていたのだが、 舞台が戦場ではド派手なシーンも当たり前に思えてくる。
  所謂、日常が入り込んでいる舞台で非日常的なジョン・ウー・アクションが炸裂してくれた方がやはり面白い。嘘的な描写を喜んで堪能してしまう のだが、実際にあった過去の戦争では大嘘が発揮出来なかった様に思える。
  実際の艦砲射撃の方が迫力があって凄いと思ってしまうのが皮肉でもあった。男たちの友情はそれなりに満足出来た感じではある。ベンを担いで 戦場を駈けるジョーに仲間は死なせないという強さがあった。
  何故にジョーが戦死した後の看護婦リタの描写が無かったのだろうか?。悲しむリタを描いてもジョーが生き返る訳でも無いし、仕方無かったの だろうか?。私的には、画龍点睛を欠く淋しい結末であった。
  日本人に似ているナバハ族、同じモンゴロイドに属するのだろうか?。その遠い祖先を同じにする人間が相対する立場で戦う。皮肉と言えば皮肉で ある。



トータル・フィアーズ   原題:THE SUM OF ALL FEARS

監督:フィル・アルデン・ロビンソン
 出演:ベン・アフレック(ジャック・ライアン)
     モーガン・フリーマン(ウィリアム・キャボット)
     ジェームズ・クロムウェル(ファウラー、アメリカ大統領)
     リーブ・シュライバー(ジョン・クラーク)
     アラン・ベイツ(ドレスラー)
     シアラン・ハインズ(アレクサンダー・ネメロフ、ロシア大統領)
     ブリジット・モイナハン(キャシー・マラー)
     ロン・リフキン(オーウェンズ国務長官)
     マイケル・バーン(アナトーリ・グルシュコフ)

  ジャック・ライアン・シリーズの最新作、別にこのシリーズじゃなくても観に行ったかもしれない。今回のジャック・ライアン役は、最近大作が多い 感じのベン・アフレック。
  「アルマゲドン」も「パール・ハーバー」も作品的には今一つ好きになれないが、ベン・アフレックという役者は気に入っているから、今回も期待 して観に行った。
  ストーリーは、ジャック・ライアンは若きCIA情報分析官、彼が次期ロシア大統領と予言していたネメロフが大統領の座に就いた。CIA長官の キャボットと同行し諜報委員会に出席、続いて核兵器査察の為にロシアに飛ぶ。
  核兵器製造に関わる科学者が行方不明になっている事件を捜査する内に、核兵器がアメリカのボルチモワに送られた事を突き止める。しかし、核兵器 はスーパーボール会場で爆発、米露による全面核戦争が一触即発状態に陥る。
  この危機を回避すべく、ライアンは真相究明と戦争回避の為の行動を起こす…。
  事の発端は、第4次中東戦争時に核爆弾を搭載したイスラエルの戦闘機が撃墜されるシーンから始まる。この核爆弾が後に遊牧民によって発掘されて 武器商人の手に渡る事からエスカレートするのであった。
  しかし、この戦闘機に核爆弾を搭載してパトロールに飛び立つのが何だか不思議、バックの音楽も静かな旋律で違和感が多少あった。実際に当時の イスラエルは核を保有していたらしい。
  サリン等の化学兵器や航空機によるテロが実際に起こった現在、細菌兵器や核兵器によるテロが起こっても不思議でない。そういう意味では、リアリ ティのあるストーリーでもあり、ハラハラさせられた。
  残念なのは、核兵器が爆発するまでが淡々と描かれていた感じである。前触れもなく核兵器が爆発してから、ようやく物語が盛り上がってくるので あった。
  米露の大統領とそのブレーン達の考え方や行動が、この極限状態を際立たせて感嘆してしまう。各人の思惑、困惑、疑惑、葛藤が混在している。 ライアンの思惑は単純明快であったけど。
  真相を究明し、米露全面核戦争をストップさせるという1点に集約されている。少し、自分の分析能力を過信している感じもあるのだが、若いから 仕方ないか。
  その一方で、この米露の潰し合いを画策したドレスラーが、敵役としての立場が今一つ。ネオ・ナチなんだろうけど、世界が終焉を迎えたら意味が 無い様にも思えるし、狂気さが足りない。
  武器商人もメールで原爆という言葉そのものを使うのも無防備だなぁと思ってしまった。犯罪捜査の為なら電話やメールの盗聴が出来てしまうし、 非合法でも盗聴されてしまう世の中である。
  核爆発の放射能の分析から、製造国、製造年が判明するのは驚いた。ナルホドと思ってしまった。身から出た錆び、アメリカはいつも応援したツケが 、廻り回って自分の身に降りかかってくる国だ。
  そういう意味でも、この核兵器も同じだった。ロシアの攻撃ではない事が判って、ライアンは懸命に戦争回避を図る。その姿に応援してしまうので あった。
  「恐怖の総和」は、足し算で成り立つものでは無いだろう。恐怖は2乗や3乗の勢いで増加し、疑心が悲劇を生み出す。その根底は、正しい情報が 正しく処理されない点にある。
  正しい情報をロシア大統領に提示出来た事で、全面戦争手前で事なきを得た。そして、最後はドレスラーや武器商人が静かな旋律の音楽の中で 殺害されていく。
  まるでイスラエル戦闘機撃墜や騒動の張本人たちの殺害は、ただ事実として描かれるだけで感情的にならない様に描かれているかのようだ。 そんな物なのか。
  核にアレルギーのある私としては、やっぱり呆気なく爆発しその影響の描写が乏しい事に違和感を感じる。簡単に済む筈が無いのに、物語的には 全面戦争へのキッカケに過ぎない。
  一番恐ろしいのは、旧ソ連製の核兵器が第三者の手で持ち込まれて爆発させられた場合、どう判断するのだろうか?。ロシアか第三者かは、判断 出来ない状態で、アメリカの取る態度は?。
  ロシアへのホットラインがアメリカ大統領の了解無しに、ライアンの様な人物が使える状況も実際にあったら恐い気がする。物語的にはOKなんだろう けど。
  それにしても、国内で核が爆発したにしては、平和的なラストに思えた。その後のボルチモワがどうなったのか?、放射能の影響は?。全面核戦争が 避けられたのだから、良しとしているのか?。
  今回、ジャック・ライアン役をベン・アフレックが演じたのだが、次も観たい気がする。またベン・アフレックが演じたのなら、別の人が演じて 色々なジャック・ライアン像を作るというのも期待したい。



タイムマシン   原題:THE TIME MACHINE

監督:サイモン・ウェルズ
 出演:ガイ・ピアース(アレクサンダー・ハーデゲン)
     サマンサ・マンバ(マーラ)
     ジェレミー・アイアンズ(ウーバー・モーロック)
     オーランド・ジョーンズ(ボックス)
     マーク・アディー(デイビット・フィルビー博士)
     シエナ・ギロリー(エマ)

  やっぱりタイム・トラベルものは興味が湧く。しかも、原作はH・G・ウェルズ、でも実際には名前は知っていても原作を読んだ事の無い私。 全く知らない状態で観に行く。
  ストーリーは、1899年ニューヨーク、若き科学者のアレクサンダーは、恋人のエマにムーンストーンの指輪をプレゼントし結婚を申し込む。 しかし、拳銃を持った強盗によってエマは亡くなってしまう。
  嘆き悲しむアレクサンダーは、研究に没頭しタイムマシンを完成させる。エマを生き返らす為に過去へ向かうアレクサンダーだが、エマの死は変える 事が出来なかった。
  何故過去は変わらないのか?、変える術はあるのか?、答えを求めるため未来に向かったが、トラブルに巻き込まれたため、遥か時の彼方に辿り着いて しまうのだった。そこは、あまりにも変わり果てた世界であった。
  最初のガイ・ピアースは、今一つに思えてしまった。可愛い彼女とのデートがあるのに、数式に熱中して完全に忘れているというのも、わざとらしい 感じに思えてしまった。少なくとも私にとっては、変に思えてしまう。
  楽しいデートも強盗が現れて台無しになってしまう。アレクサンダーがプレゼントしてくれた指輪がアダになって彼女は亡くなってしまう。この流れも 取って付けた様な流れなのだが、エマが亡くなってしまうのは悲しい。
  その後の狂気を帯びた様なガイ・ピアースは、これまでと違って良い感じが漂っているので好きである。執念の想いで作り上げたタイムマシンで過去に 溯って彼女が死ぬのを食い止めるのだが、今度は馬車の事故で亡くなってしまう。こちらの死に方の方が悲惨である。
  どうしても彼女の死を回避する事が出来ない彼は未来にその答えを見つけに向かうけど、その辺の思考パターンが科学者らしく思える。私なら際限なく 過去に戻って、エマの死を回避する試行をしたい気もするが、その場合は試行回数だけ彼女の死に立ち会う可能性がある。
  それが駄目なら、生きている彼女に会いに行くだけでも続ける。無駄と判っていても、強盗に復讐するかもしれない。そうすると、タイム・コップの 登場となって事態は収拾がつかなくなる?。
  時間の跳躍を行なっても、場所の移動にはならない。地球だって自転や公転をしているし銀河だって移動している。タイムマシンの座標基準は地球上 にある事になる。そんな事をふと考えた。
  2037年における月の崩壊シーン、こういうシーンは好きである。その後の地球を左右する重要なファクターである。未来の地球を変えるなら、 ここから変える必要があった。ムーンストーンや月によって世界が変わってしまった様に感じた。
  80万年の時を一挙に進めるシーンは、この作品最大の見所でもある。こういうシーンや映像美を見たいが為に劇場まで足を運んでいるのである。 辿り着いた世界は、80万年先というには疑問もある世界であるが、猿の惑星のリメイクよりは未だマシという気がした。
  種族の対立や文化、文明が、80万年経ってもこの程度しか変わらないのか?。何たって80万年先だ、誰も知らない世界。ちょっと設定が先過ぎる のか、世界設定が甘いのか。
  それにしても、エマを救いたいという想いで作り上げたタイムマシンで辿り着いた世界のマーラを救うのは良いが、そこから再出発するというのが 理解できない。
  マーラには失礼だが、何故その世界に留まるのか?。やっぱり未来世界という舞台設定は難しい気がする。近未来なら入り込めるのだが。 こういう遥か未来を描くのも、タイムマシンならではの功罪だろう。
  ラストの同じ場所での時間を超えたそれぞれの描写が印象深い。各人の現在という概念は、そこで生活すると決めた時間軸になるのだろうか。 それにしても、80万年経っても動作している図書館のボックスのシステムは凄い、一番凄いのは勿論タイムマシンだけど。



サウンド・オブ・サイレンス   原題:DON'T SAY A WORD

監督:ゲイリー・フレダー
 出演:マイケル・ダグラス(ネイサン・コンラッド、精神科医)
     ショーン・ビーン(コスター、犯人グループの首謀者)
     ブリタニー・マーフィ(エリザベス・バロウズ、秘密の数字を知る少女)
     スカイ・マッコール・バーツシアク(ジェシー・コンラッド、ネイサンの娘)
     ファムケ・ヤンセン(アギー・コンラッド、ネイサンの妻)
     ジェニファー・エスポジート(サンドラ・キャシディ、ニューヨーク市警の刑事)
     オリバー・ブラッド(ルイス・サックス、ネイサンの友人の精神科医)

  マイケル・ダグラス主演のサスペンス映画と言う事で観に行ったが、興味はその設定にあった。話せない少女から秘密の数字を聞き出すという難題 を如何にしてクリアするのか?。その数字とは何か?。
  ストーリーは、精神科医であるネイサンは、友人のルイスから緊急の呼び出しを受ける。駆けつけたネイサンは、エリザベスという緊張型分裂症と して収容されている少女の治療を依頼される。
  感謝祭当日、ネイサンの娘ジェシーが誘拐されてしまう。犯人は午後5時までにエリザベスから秘密の数字を聞き出すという難題を告げられる。 もし出来なければ、娘の命が危ない。
  意を決したネイサンは、病院に急ぎエリザベスのカルテを詳細に調べるのだった。エリザベスは父親の死によって精神的ダメージを受けており、 秘密の数字は父親の死と関係していると思われた。
  刻々と約束の時間が迫る。ネイサンはエリザベスを街に連れ出し、過去を追うのだった。果たして、無事にジェシーとエリザベスを救う事が 出来るのか?。
  この作品も小説を映画化していて、詳細は描かれていないのかもしれない。でも冒頭の銀行強盗を行なうコスターとそこでの失敗は導入としては、 十分だろう。ショーン・ビーンの慌てようがまた良い。
  そして、物語は10年後となってしまうが、ここでハドソン川の若い女性の死体やエリザベスがどう物語と絡んでいくのか興味が湧くのであった。 死体発見でニューヨーク市警の女性刑事サンドラも絡んでくる。
  この作品は女性が大活躍という感じ。ネイサンの娘ジェシー役のスカイ・マッコール・バーツシアクが物凄く可愛くて、ネイサンでなくても救いたい という気にさせる。
  エリザベス役のブリタニー・マーフィは、父親の死によるトラウマで心に鍵をかけた少女を好演している。ネイサンに寄り添う姿なんかキュートで 早く快復して欲しいと祈りたくなる。
  ネイサンの妻アギーや女性刑事サンドラも存分に力強さを発揮しているのだった。この女性陣に対抗してネイサン役のマイケル・ダグラスも頑張る のだが、やっぱり対抗しきれない感じ。ルイスなんて論外だし。
  何でエリザベスを治療しているのが、ネイサンと判ったのだろう。ルイスのお節介だと思っていたのだが、それにも裏があった訳でようやく物語の 関係が判ってきた。
  もう犯人も数字を聞き出すのに必死、しかも何人も殺害しているからジェシーも危ないと思わせている。徐々に記憶を取り戻すエリザベスによって 父親を殺害したのもコスター達と判明していく。
  そして、遂に数字の鍵を握る場所を突き止めるのだった。今度は、ネイサンが攻勢に出て犯人に対して逆ルールを突きつける。この辺はいいぞ! ネイサン、と思ってしまう。
  しかし、秘密の数字は何と悲しみを含んだ数字なんだろう。頭が覚えているというより、指先が覚えているという感じで悲しさが大きくなって しまうのであった。
  ようやく数字が明らかになっても、このまますんなり行かないと思っていたら、案の定であった。この辺はお約束的でもあって、そのお陰で形勢が 逆転してしまうのであった。
  悪役の死に方にも良い死に方と悪い死に方があると思っている。この作品のコスターの死に方は素晴らしい。特に地下鉄の電車が迫るイメージを 挿入してあるので、気が晴れる思いであった。
  ラストのエリザベスとジェシーが手を握り合うシーンは素敵であった。心の病を治すのは、薬でなくやっぱり愛情なんだろうと思わせる。この後の エリザベスはどうなるのだろうか?。
  しばらくは、ネイサン達と暮らすのかなと想像してしまった。エリザベスとジェシーが元気でいる家庭はきっと素晴らしいに違いない。
  この作品、観終わって冷静に思い出すと突っ込みたくなる部分が多々あった。結局、コスターという間抜けな悪人が巻き起こした騒動なんだろうな。 獲物を横取りされて、地下鉄の殺人で捕まってしまっている。
  監視カメラや盗聴装置等のハイテク化はしているが、結局は失敗に終わっているんだから、どうしようもない。いつ監視カメラを設置したのだろう? 。それでも非情な悪人が似合っているショーン・ビーンがやっぱり偉い。



パニック・ルーム   原題:PANIC ROOM

監督:デビッド・フィンチャー
 出演:ジョディ・フォスター(メグ・アルトマン)
     フォレスト・ウィテカー(バーナム)
     ドワイト・ヨーカム(ラウール)
     ジャレッド・レト(ジュニア)
     クリステン・スチュワート(サラ・アルトマン、メグの娘)
     パトリック・ボーショー(スティーブン・アルトマン、メグの元夫)

  何たってジョディ・フォスターの最新作、しかもデビッド・フィンチャー監督のサスペンス・スリラーであるから、期待が大きくなってしまう。 パニック・ルームからの脱出を楽しむ為に観る。
  ストーリーは、マンハッタンの高級住宅を下見するメグとサラ。その住宅には、「パニック・ルーム」という非常時の避難用部屋が設置されていた。 引越した夜、セキュリティ装置を動作させて眠りにつく。
  そんな夜に3人の侵入者が、空家だと思って邸内に入ってくる。狙いは「パニック・ルーム」内にある隠し金庫にある大富豪の遺産であった。 侵入者の存在に気付いたメグは、サラを連れて「パニック・ルーム」に非難してしまう。
  そこの電話はまだ通じない、侵入者は容易に去ろうとはしない。メグたちは完全に「パニック・ルーム」に閉じ込められたのだった。娘サラは病気 で薬が必要になる。
  外に連絡も出来ない。果たして、無事に「パニック・ルーム」から脱出できるのか?。
  ジョディ・フォスターはやっぱり良いなぁと思っていたのだが、その他のキャスト、ストーリーが今一つに思えてしまうのだった。娘サラの クリステン・スチュワートが何だか可愛くない。行動も含めてであるが。
  最初の高級住宅の下見から、何だかゴロゴロやっていて印象が悪いし、娘が居なくても話が出来るんじゃないかと思ってしまう。それはそれで、 内容の浅いストーリーになってしまう危険性があるのだろうけど。
  ただ病気と言う点で辛うじて存在理由がある感じで、もっと何かが欲しい。別れた夫も何だかメグというより、ジョディ・フォスターと似合って なくて、この二人が夫婦だったのという感じで、しっくりこない。
  実は3人の侵入者がメインであるのかもしれないと思う程であった。3者3様で個性的であり、個人的にはバーナム役のフォレスト・ウィテカーが 好きだから役的には良かったと思う。
  ジュニアは、最後まで遺産金額を偽っていてヒンシュク物なのだが、こういう小狡賢い悪人であり、何でも仕切ろうとする。実際は、大富豪の方が 偽っていたのかなとも思える。
  ラウールは急遽助っ人として登場したのだが、実はトンデモナイ悪党であった。非情で殺しも厭わないし、この人物が居なければ違った展開になって いたかもしれない。悪側のパニック実行犯である。
  そんなラウールも手に怪我して泣き叫ぶ姿に気分がスーッとしてしまうのだった。状況の読めないジュニアは火傷してしまうし、メグの方が1枚上手 の様な感じ。大人版ホームアローンか?。
  デビッド・フィンチャーの画像の凝りようは判ったが、今じゃ別の監督もやりそうな感じである。しかも、ストーリーだって衝撃的な感じが低い。 確かに「パニック・ルーム」というアイデアとその駆け引き、攻防にドキドキもしたのだが、何故か凄いという印象が薄い。
  外部に連絡がつかないと進展が無いので、元夫の登場と警官の登場は予想出来た。警官とのやり取りも良かったのだが、どうしてラストに通じて しまうのかが判らなかった。大事な点を見落とした?。
  フォレスト・ウィテカーが好きだから、ハッキリ言って遺産を盗ませたい気になって応援してしまう。ラストは、何故バーナムが警官に囲まれるの だろうか?。こういう場合は、一番の悪党が囲まれて欲しいぞ!。
  さぁて問題は事件の状況をどう説明するのかな。メグとサラとスティーブンの証言しか無い訳で、あれ程の監視カメラがあっても記録されていない訳 だから、バーナムの罪はどこまで証明されるのか。
  結局、また高級住宅を探すことになったメグ達。最後にもう一つ何か欲しかったかな?。それにしても、「パニック・ルーム」なんて物がある事自体 初めて知った訳でアイデアは良かったけど、メインでなくてもという気にもなった。
  実際、「パニック・ルーム」に財産を隠している人は、どうしているんだろうか?。ある意味2重金庫みたいな物、私だったら「パニック・ルーム」 一つで生活出来そうな空間だった。



ミミック2   原題:MIMIC 2

監督:ジーン・デ・セゴンザック
 出演:アリックス・コロムゼイ(レミ・パノス)
     ブルーノ・カンポス(クラスキー、刑事)
     ウィル・エステス(ニッキー、レミの教え子)
     カヴェン・ユージン・ルーカス(サル、レミの教え子)
     ジョン・ポリト(モーリー、校長)
     ブライン・レクナー(ジャイソン)

  前作のミミックに出て来る「ユダの血統」がおぞましく、その続編という事で観に行った。今回は、ミラ・ソルヴィーノの出番が無く残念であった。 でも進化した「ユダの血統」が暴れる。
  ストーリーは、かつて「ユダの血統」事件に遭遇した経験を持つ昆虫学者レミ・パノスは、教師として働いていた。彼女の知り合いトランが無残な 謎の死を遂げる事件が発生する。
  その後も彼女の周りで男たちが無残に殺害されていく。やがてレミは「ユダの血統」が生き延びていた事を知る。「ユダの血統」に追い詰められ ながら、彼女の教え子たちを逃がすため努力するのだった。
  しかし、相手の「ユダの血統」は恐るべき進化を遂げており、その能力がレミを窮地に追い込むのだった。
  登場人物も豪華でもないし宣伝も抑えているし、パンフレットだって400円と安いのだがページ数が少ない代物。うーん、こりゃあんまり期待 しないで観た方が懸命かなと思ってしまった。
  確かに期待しないで肩の力を抜いてこの世界を堪能したので、楽しめたのだった。もうこの人、襲われて死ぬのだろうなと思っていると、予想通り に惨殺されちゃうし、「ユダの血統」も恐いけど笑える。
  昆虫系が苦手だから、それだけでもビビって楽しめた。折角、「ユダの血統」という素材があるのに、描き方が勿体無いというか不可解。そんな 突っ込み無用で観るしかない感じ。
  主人公のレミは男運のないキャラなのだが、アリックス・コロムゼイが妙に似合っているのであった。落書きでカマキリ女として描かれるのも 面白いけど。頼むから食事しながら、ゴキブリの話はしないでくれ!。
  自分の顔のポラ写真を飾って置くのは趣味が悪い。やっぱりどこか変であり、クラスキー刑事じゃなくてもギョッとしてしまう。クラスキー刑事を ブルーノ・カンポスが演じているのだが、中々格好いいぞ!。
  モーリー校長はジョン・ポリトで、最近「バーバー」で観たばかりだが、こんな所でまた会えるとは。髪型に視線が行ってしまうのだった。 失礼!。
  取り合えず、ゴキブリの習性については勉強になったけど、やっぱり昆虫系は嫌だな。明るい中ならまだしも、暗闇では会いたくない代物。 「ユダの血統」も徹底的に暗い所に出没。
  しかも、建物を移動した後がなんともグロなのだが、一種のアートでもある。実物は意外と安っぽく、ガッカリしてしまうのだった。この辺はしょう がない部分だろう。
  全然お色気が無かったのに、後半に無理やりエピソードを押し込めた感じなのだが、ホラー系にはこの展開はアリなんだろう。しかし、最後の部分は 強引な気がする。「ユダの血統」にやられたレミが「ユダの血統」の能力で治癒するというのが凄い。
  殆んど展開が読めて楽しんでいたのだが、ラストの脱出劇は予想していなかった。最後に現れる「ユダの血統」が凄い。そんな人間の習性まで 擬態するのかよ!、ある意味立派。
  最後に一波乱あって終了。「ユダの血統」の能力の進化の行く末が気になる。もうここまで来たら、3でも4でも観てあげるから、どんどん展開 しなさい。毒喰らわば皿までの心境。次の主人公は誰だ!。



スパイダー   原題:ALONG CAME A SPIDER

監督:リー・タマホリ
 出演:モーガン・フリーマン(アレックス・クロス)
     モニカ・ポッター(ジェジー・フラニガン、シークレット・サービス)
     マイケル・ウィンコット(ゲイリー・ソーンジ、誘拐犯)
     ミカ・ブーレム(ミーガン・ローズ、上院議員の娘)
     ペネロープ・アン・ミラー(エリザベス・ローズ、上院議員夫人)
     マイケル・モリアーティ(ハンク・ローズ、上院議員)

  犯罪心理捜査官アレックス・クロスを主人公としたシリーズの第2弾、前作コレクターを観ていたので今回も興味を持って観に行った。こういう役が 似合うモーガン・フリーマンであった。
  ストーリーは、囮捜査の失敗で女性警官を死なせた責任を感じていたアレックス・クロス。そんな彼に挑戦する様な誘拐事件が発生する。ローズ上院 議員の娘ミーガンが白昼学校から誘拐されてしまい、責任を感じる警護担当の女性シークレット・サービスのジェジー。
  ジェジーをパートナーに、アレックスは犯人に立ち向かう。彼は必死のプロファイルを行うが疑問が浮上してくる。何故ミーガンを選んだのか?、 犯人の真の目的は?、事件は思いかけない方向に進展していく。
  冒頭の囮捜査が意外に気に入っている。どちらかというと女性警官が死んだのは、囮捜査の方法が悪かったというより事故と思われる。でも目の前で 死んだらショックも大きいだろうな。
  ミーガン誘拐の犯人がゲイリー・ソーンジと判ってしまうから、犯人が誰かというよりどういう対決、プロファイル能力に焦点が行くのかと思って いたのだが、見事に外れてしまった。
  上院議員の娘だから、誘拐されても不思議が無いと思っていたのだが、別の目的があったのですね。この辺りから物語は横滑りのミス・リードが全開 になってきてワクワクしてしまう。
  上院議員か彼の妻に絡んだ秘密があるのかと思っていたのだが、全然違っていたのだった。でもこの夫人、アレックを侮辱する人物にキッパリと アレックスを擁護してみせるなんて、あの状況で冷静で立派だと思えた。
  侮辱した人物もその後に素直に謝るし、アレックスの周りには悪が居ない感じがしていたのだが…。そういう状況で誘拐犯との頭脳対決に移っていく。 でも、「リンドバーグの息子誘拐事件」に馴染みがないので、説明されて判ったのであった。
  アレックスのプロファイルの進展と共に、誘拐犯ゲイリー・ソーンジの目的も判ってくるのだが、中盤に沸いた疑念があった。明らかに不可解な 行動に思えたのだが、その後の説明で一旦は納得もしたのだが。
  ゲイリー・ソーンジの車での逃走を食い止められなかったジェジーを励ますアレックスは、やっぱりモーガン・フリーマンでなければと思わせる シーンと感じた。
  これほどの的確なプロファイリングを他の人がやると出来すぎに思えるのだが、モーガン・フリーマンが同じ事をしても妙に説得力があったりする のであった。
  でも最後のパスワードについては、出来すぎみたい。うっかり会話中に出た言葉なのだが、しっかり憶えている訳だから凄い。言った本人は、痛恨 の会話になったのかもしれない。
  ゲイリー・ソーンジが「1200万ドルのダイヤ」について知らなかった事で、私も犯人はあいつだ!とピンときたのだが、実際はその上をいく 衝撃の事実があった。
  うーん、そういうカラクリがあった訳ね。でも半分は当っているし、疑念もやっぱりと言う感じであった。それにしても、ミーガンの頭の良さと 行動力は、犯人にとって計算外だったのではないだろうか?。
  ジェジー役のモニカ・ポッターがキュートで感じの良いシークレット・サービスを演じていて、この作品の魅力になっていた。少なくとも私にとって はであるが。作品の要であった。
  作品は、マザーグースの「マフェットお譲ちゃん」の文章を原題としている。マフェットお譲ちゃんが椅子に座って美味しいチーズを食べていたら、 大きいクモが隣に腰掛ける。そのクモが恐くなって逃げ出す。というお話しらしい。
  大きいクモが隣に腰掛けたら、私でも逃げ出すなぁ。でも一番恐いのは、天使の振りして、何時の間にか身近に接近している悪意のある存在だろう。 次回作も期待して待とう。



裸のマハ   原題:VOLAVERUNT

監督:ビガス・ルナ
 出演:アイタナ・サンチェス=ギヨン(カイエターナ、アルバ公爵夫人)
     ペネロペ・クルス(ペピータ・トゥドー、ゴドイの愛人)
     ジョルディ・モリャ(マヌエル・デ・ゴドイ首相)
     ホルヘ・ペルゴリア(フランシスコ・デ・ゴヤ)
     ステファニア・サンドレッリ(王妃マリア・ルイーサ)
     マリア・アロンソ(チンチョン伯爵夫人)
     ゾエ・ベリアトゥア(皇太子フェルナンド)

  裸のマハという絵画とペネロペ・クルスに惹かれて観に行った作品。何でも絵画史上初めて女性の裸体画に陰毛を描いた作品らしい。妙な事に感心 しつつ、当時を舞台にした「裸のマハ」にまつわるミステリーが描かれる。
  ストーリーは、1802年、王妃マリア・ルイーサとアルバ公爵夫人が権力とゴドイ首相に対する愛情をめぐって対立していた。王妃はカルロス 4世に代わって国家の権力を握っており、アルバ公爵夫人は美貌と財力で社交界の華となっている。
  マヌエル・デ・ゴドイはチンチョン伯爵夫人と政略結婚、王妃マリア・ルイーサとアルバ公爵夫人双方と愛人関係、更に若い村娘のペピータ・ トゥドーとも愛人関係となっている。
  宮廷画家ゴヤはアルバ公爵夫人と愛人関係、ゴドイ首相の依頼で「着衣のマハ」「裸のマハ」を描く。ある宴席の翌日、アルバ公爵夫人は急死して しまうが、愛用のグラスには猛毒の「ヴェネローゼノ緑」という染料が残っていた。
  アルバ公爵夫人の死は、自殺なのか毒殺なのか?、その犯人は?。ゴヤは、事の真相を追究するが…。
  「裸のマハ」というタイトル通りにこの絵画がキーにはなっているが、どちらかと言うと火花散る女の闘いがメインみたいで恐い。仮にも王妃に 対して、対抗意識が高いアルバ公爵夫人が同じドレス生地を侍女達に着せるというのも凄い。
  そんな事だから、屋敷が放火されたりするんだろう。放火が王妃の命令と断定されてはいないが。このアルバ公爵夫人をアイタナ・サンチェス= ギヨンが演じていて、美しくも気品がある。
  でも役柄や髪型、振る舞いを見ていて、何故かデビィ夫人を思い出してしまった。誠に失礼な連想なのだが、思ってしまったものはしょうがない。 それにしても、ゴドイとゴヤ双方と愛人関係と言うが凄い。
  この当時は、それが普通なのであろうか?。王妃マリアもゴドイと愛人関係だし、ゴドイを巡っての闘いも壮絶。そこにペピータまで絡んで、 凄い相関図が成り立ってしまっている。
  その中心のゴドイもはっきり言って嫌な感じの男だなぁ。権力欲が強く、セックス・アピールもあるらしいのだが、王妃マリア相手じゃ少し同情 する。殆んど権力の為みたいな感じ。
  「裸のマハ」を描いたゴヤも印象的なのだが、他のキャラに比べてインパクトが弱い。ゴヤの生涯のストーリーでないから仕方無いだろう。 でも、画を描く為に毒性の高いというより毒その物を使って描く訳だから命掛けだ。
  ペピータを一心不乱に描くその姿に、画家の執念と才能を見た感じがする。私的にも、マハのモデルはペピータと思っている。対外的には、アルバ 公爵夫人と言ってもだ。
  アルバ公爵夫人はフランス式を取り入れているので、「裸のマハ」最大の特徴は実際には無かった訳だし。ゴドイがそれを確認してしまうシーンも 官能的でもある。
  アルバ公爵夫人の踊りに対して、ペピータも一緒に躍るシーンは、もはや踊りの対決である。見えない火花がバシバシと散って、剣の舞いの様な 雰囲気もあって見物である。
  しかも、何故かペピータは靴を脱ぎ裸足で踊る。この裸足がとてもセクシーに思えてしまう。もう大好きな場面になってしまった。ゴドイに見出 されたペピータは村娘であり、みんなと裸足になって踊っていた。
  この時の姿がまた素敵なのであった。高貴な装いをしているより、粗末な装いながら自由を持っていたペピータに魅力を感じる。でも、ゴドイの妻 になれると騙されて愛人になってしまうとは、ゴドイ憎しである。
  一瞬、ペピータが「ヴェネローゼノ緑」をアルバ公爵夫人に飲ませたのかと思ってしまった。頬を伝う涙が美しい。結局、犯人はどうなったの だろうか?。物語は犯人の特定は避けている。
  でも強欲な人物がやっぱり怪しい。犯人探しの作品でもない、その点が不満かな。その後、可哀想なチンチョン伯爵夫人は狂死するそうだし、 ペピータはゴドイの財産を持って去ってしまう?らしい。
  でもこの作品の原作には、ペピータとゴドイはチンチョン伯爵夫人の狂死後に結婚したそうである。どちらが本当なのか?。今の時点で私は知らない。 少し興味はあるのだが。
  この当時のスペイン宮廷を始めとする社交界が再現されていて、興味深く観る事が出来た。アルバ公爵夫人に死化粧をするゴヤの気持ちは、一体どん なものであったのだろう。死しても美しいアルバ公爵夫人であった。



バーバー   原題:THE MAN WHO WASN'T THERE

監督:ジョエル・コーエン
 出演:ビリー・ボブ・ソーントン(エド・クレイン)
     フランシス・マクドーマンド(ドリス・クレイン、エドの妻)
     ジェームズ・ガンドルフィーニ(ビッグ・デイブ、ドリスの上司)
     マイケル・バダルコ(フランク、ドリスの兄)
     ジョン・ポリト(クレイトン・トリヴァー、セールスマン)
     トニー・シャルーブ(フレディ・リーデンシュタイナー、弁護士)
     スカーレット・ヨハンソン(バーディ・アバンダス、ピアノの少女)

  コーエン兄弟の最新作、でも、観た事があるのは「ファーゴ」ぐらいだから、ビリー・ボブ・ソーントン目当てと言う感じ。ワザワザ日比谷に行って 観たのだが結構人が多かった。
  ストーリーは、1949年夏、妻の兄が経営する理髪店で働くエドだが、喋り放しのフランクにウンザリしながらも変化の無い平凡な生活を送って いた。エドは妻のドリスが上司のデイブと浮気している事に薄々と気付き始めていたが、別にそんな事で騒ぎ立てる気も無くしていた。
  そんなエドだったが、こんな漠然とした生活の日々からの脱却を図りたいと思っていた。ある日、理髪店に来たセールスマンのクレイトンが話す ドライ・クリーニング事業に興味を持つ。これを機に明るい未来が開けるのではないか?。
  事業の資金1万ドルを調達する為に、デイブを強迫して現金を手にしたエド。ここから彼と周囲の歯車が狂い始めるのだった。エドが迎える人生は、 果たしてどうなるのか?。
  いやぁ、モノクロ作品という影響もあるが、エド役のビリー・ボブ・ソーントンが渋いというか、寡黙な落ち着き払っている姿に唖然としてしまう。 唖然というより少々見直して、痺れてしまった。煙草を咥える姿がきまっている。
  一歩間違えれば、昔のハード・ボイルドのパロディかと見間違う恐れもあったが、ビリー・ボブ・ソーントンが上手く演じきっている。普通の人間 じゃ出来ない様な感情を殺した人生を送っている。こんな男も居ないだろうなぁ。
  実は「メキシカン」で異常に気に入ったジェームズ・ガンドルフィーニが、味のあるドリスの上司として出演していて嬉しい限り。欲を言えばもっと 出番を多くして欲しかった。
  結局、このデイブも妻の資産で小売業を経営しているわけで、浮気が発覚するのを恐れている。しかも隠された秘密もあった訳で、人間臭く可哀想な 男でもある。最後にドンデン返しの仕掛けを作った張本人になる訳だ。
  ドリスの弁護士になったフレディ役のトニー・シャルーブも印象深いキャラであった。彼の展開する論理に乗せられそうになってしまう。実際に言っ ている内容は確かだと思う。彼の言うところのショー・タイムが見られなくて残念。不運な弁護士だけど、嫌な弁護士でもあるかな。
  妻のドリス役をフランシス・マクドーマンドが演じていて、中々素敵だと思っていたら、「ファーゴ」に出演していた女性だったんですね。 なるほどと思ってしまった。
  バーディ役のスカーレット・ヨハンソンもキュートながら小悪魔的で、エドとのやり取りを見ながら「ロリータ」を連想してしまった。それもアリ かもと思ってしまう程のキャラだった。
  ドライ・クリーニング事業の出資者を求めているセールスマンも胡散臭い。でも面白いキャラであったが、疑われて激怒しながらお金を返そうとする 姿に、インチキ臭さが表れている。やっぱりこういう人は信じちゃ駄目だよな。
  退屈な生活からの脱却を考えるのは、人間誰しも思うことだろう。エドがドライ・クリーニング事業に賭けたいと思うのも判るが、手段が余りにも お粗末でバレない筈が無い。
  そういう発想が周りの人々を不幸にして行く。その割りには、感情が表に出てこないのは何故だろう。作品自体が虚無観で満ちている感じであり、 ハード・ボイルドという体裁を取りつつ空虚な人生を表している様に思える。
  少々ユーモアな場面もあるのだが、人生は空虚であるという雰囲気にすっかり毒されて素直に笑えない自分が居た。ドンデン返し?と言うか流れで そうなる感じもあったのだが、救いが少ない感じ。
  結局、幸せになった人なんて居たのだろうか?。弁護料を得た弁護士と銀行が得しただけ?。人は自分に見合った事以外に手を出すと失敗するという 教訓めいてもいるが、人生を賭けたチャレンジもしたいと願うのも人なのであろう。
  バーディのピアノの才能を確信しても、プロから見れば上手いだけの音楽の魂の無い平凡な才能として受け取られる。納得出来ないエドであったが、 ピアノ教師の言っている事の方が正しいと思う。
  最期の時になっても、見守る人々の髪型に目がいってしまうエドは、本人が自覚していなくても立派な理髪師と言うか職業病に陥ってしまっている。 夢を見ただけで波乱の人生を歩んだが、それもエドの人生であり真の人生。
  極端に作中のセリフの少ないエドであるが、そこに語られるセリフが妙に印象的であり、また深い意味がある様にも思えた。どう思い、どう解釈する かは、観ている人がするしかない。
  エドがバーディに、若い君の人生が浪費されるのを見たくないと訴えるが、エド自身が浪費した結果に到達していて悲しい。でも、浪費したくなくて も、浪費してしまうのが普通の人生にも思えるのだが。
  最後の疑問。普通、お客は鏡を向いて座る様に思えるのだが、この作品では鏡を背にしていた様に思えた。クレイトンだけが最期に振り向いていた のだが、昔のアメリカ・スタイルなのか?。それとも、現実とは異なる鏡の世界を映したくなかったのか?。



アザーズ   原題:THE OTHERS

監督:アレハンドロ・アメナーバル
 出演:ニコール・キッドマン(グレース、女主人)
     アラキナ・マン(アン、グレースの娘)
     ジェームズ・ベントレー(ニコラス、グレースの息子)
     クリストファー・エクルストン(チャールズ、グレースの夫)
     フィオヌラ・フラナガン(ミセス・ルイズ、使用人)
     エリック・サイクス(ミスター・タトル、使用人)
     エレーン・キャシディ(リディア、使用人)

  ニコール・キッドマン主演のホラー作品、ホラー系は好きじゃ無いのだが、観てしまったという感じ。予想以上に恐くてドキドキ、最後の謎が解明 されて圧倒されてしまった。
  ストーリーは、1945年の大戦末期、イギリスのジャージー島に住むグレースと息子ニコラスと娘アン。夫は戦争に行ったきり戻って来ない。 突然使用人が消えた為、今はひっそりと3人で暮らしているのだった。
  使用人募集をしていたので、訪ねて来た3人を雇う事にした。グレースはニコラスとアンが日光アレルギーの為に日中でもカーテンを閉めた状態に する必要があると説明する。
  やがて、家の中で他人の話し声が聞こえたり、ピアノが鳴り出すという怪奇現象が起き始める。アンは目撃した人物の絵を描き、目撃した回数を 示すのであった。誰かがこの屋敷にいる!。
  必死で探すグレース、怪しい使用人達の行動。ある朝、ニコラスとアンの悲鳴が響く。使用人達の正体が判明した時、更なる驚愕の真実が明らかに なる…。この屋敷で一体何が起こったのか?。
  はっきり言って恐かったです。急に驚かす場面とじっくりと嫌な予感をさせながら驚かす場面があって、実に見事にストーリーの中に組み込まれて いるのであった。
  驚きからマジで身体がビクッと反応してしまう。照れ隠しで苦笑の声が出てしまうものだが、シーンとして集中している。内心、驚きと参ったと思い ニンマリしていたりする。
  舞台設定と雰囲気と役者が絶妙であるから、こういうホラー作品でも人を圧倒するパワーがあるのだろう。子供達が日光アレルギーで暗闇の中にしか 生活できないというのが、キーになっている。
  ニコラスの顔も良く見ると恐いし、アンも可愛いのだがそれが逆に恐い。グレースをニコール・キッドマンが演じているのだが、時代的な髪型で 美しいが故にかなり恐い。夫もまた妙な雰囲気で恐い。
  アンが描いた絵とその目撃回数にゾッとする。でも誰にも見えない、見えない恐怖。それなのに、音がしたりピアノが鳴ったりと徐々に恐さが増して くる。下手をすれば陳腐になりかねない恐怖を煽る手段なのだが、魅入っているから恐さが増す。
  一人で遊ぶ白いドレスのアンの姿が嫌な予感をさせつつ、グレースは前に回りこんでいく。嫌だ嫌だと思いつつ、目は画面に向けられてしまう。 全く心臓に悪いよ。
  怪しげな行動をする使用人達。秘密の鍵を握っていると思いましたが、全く判らなかった。グレースがショットガンで撃つシーンでも、あれは空砲に すり替わっていたのではと予想したくらいだ。勿論、写真も偽物と思っていました。
  だが、グレースがラストのドアを開けた瞬間、すべてが納得したのであった。全く見事なドンデン返し、やられてしまいました。良く考えると謎が説明 出来るのですが、完全に理解出来ない事もありました。
  子供達が日光アレルギーというのは理解できた。でもそれは何時からの事なのか?。あの瞬間以降の事なのだろうか?。前の使用人が消えたのも、 グレース達の性質として判った。屋敷を出て教会に辿り着けないのも、そういうものなのだろうか?。
  3人の使用人はどうして現れたのだろうか?。自らの意思でグレース達のために現れたのだろうか?。ネタをバラせないが、一度観た後でももう一度 楽しめる作品。
  十字架も聖書の教えも救ってくれない恐さもある。別に化け物が出る訳じゃないからそうなのかもしれない。全ての人の為に、聖書の教えがある。 いや、本当に全ての存在にと言った方が良いのかもしれない。キリスト教徒じゃないから関係ないかな。
  最後のグレースの決意の固さに驚いてしまった。そういう決意をもった人がいるから、方々で色々と噂が立つのであろう。ある意味、決意して窓辺に 立つ姿が一番恐かったりする。
  この様な両者の関係があるなら、劇場の空席にも奴らが居て大受けして観ている可能性もあるわけだ。これを読んでいるあなたの後ろにも、奴らが 居たりするのだ!。キャー、恐いよう。で、私はどっち側の立場に居るのでしょうか?。




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