悪魔が来たりて笛を吹く。2



ルールは、ごく簡単だった。

城から出ない。
誰も殺さない(一々ルールに組み込む必要があるのが恐ろしいが)。
鬼は腕章を無くした時点で権利を失う事。
誰かに見付かってもキス(勿論唇に)されなければOKである事。
鬼・ターゲット共に武器魔法の使用が許可されている事。
夕方の5時にドラが鳴ると、ゲーム終了となる事。

それだけである。実にアバウトだが、武器魔法が使えるのは逃げる二人にとって実に有り難かった。
しかし逃げると言っても、何処へ行けばいいものやら。この城は広い様でも、夕刻まで人目につかないとなれば、そうそう格好の場所があるという訳でもない。しかもそんな所があったとしても、真っ先に調べられるのがおちだ。
取り敢えず二人は、まだ建設途中の建物の中に隠れ潜む事とした。
「おい、そろそろ10分くらい経ったんじゃねぇのか?」
「ああ、そうだな・・・っと?!」
ビクトールが訊いてくるのに、答えようとしたフリックは、殺気を感じてその場を飛び退いた。
「うぉあちゃぁあーーーーーーーーーーっ!!」
元フリックの居た場所に、怪しげな雄たけびを上げながらロンチャンチャンが何処からとも無く現れた。どうやら体勢で察する当り、飛び蹴りをかまして来たらしい。
「あぁ、駄目ですよぅ!師匠〜!」
不意打ちに掛け声を掛けるなんて!と、後ろからワカバも現れた。
そういう問題じゃないのでは、と二人は思ったが逃げる事を優先した。
しかし流石はナントカ流の開祖とその一番弟子。逃げ切る事は出来なかった。仕方なく、手合わせするしかないと踏んだフリックは、ロンチャンチャン相手に間合いを取った。
ビクトールも、ワカバの腕章を取ろうとなんとか隙を伺っている様子だ。

この時点で、フリックはまだこのゲームにおける自分の立場というものを、完全には理解してはいなかった。
勝負は相手を倒す事ではなく、フリックにキスをする事、もしくは鬼の腕章を取る事でつくのである。
その事についてフリックはあまり深くは考えていなかった。

しかし、この一戦で、嫌という程思い知る事となったのだ。
相手が素手なので、フリックもまた剣を抜かずに組み合う事にした。それがそもそもの間違いだった。
互いに襟を取り合って数分、フリックはその異常に始めて気付いた。
攻撃してくるという訳ではなく、不自然な動き(特に頭)をするロンチャンチャン。
そしてあの頭で、あの顔で、にゅうと突き出た唇が顔面に迫り来て、フリックは慌てて上体を逸らして回避した。
「うわっ!うわっ!!うわーーーーっ!!!」
「えぇいっ!ちょこざいなっ!」
ちょこざいな、とか言われても。こんな得体の知れないおっさんに吸い付かれるのは御免だと、フリックは必死になってロンチャンチャンを振り払おうともがいた。が、やはり流石ナントカ流の(以下略)だけあって、そうなかなか組み手を解いてはくれない。焦れば焦るほど、フリックの動きは悪くなり、とうとう足元が縺れて後ろに倒れ込んでしまった。
「もらったぁあ!」
「わーーーーっ!!」
あまりにも不利な体勢に、フリックは半ば諦めつつ両腕でガードしながら覚悟を決めた。しかし、いつまで経っても攻撃(?)される事がなく、不信に思って恐る恐る両手を退けると、そこには首を後ろに仰け反らしたロンチャンチャンの姿があるばかりだった。フリックは体を起こし、その頭から繋がる三つ編みを辿ってみると、それを力任せに引っ張るビクトールと目が合った。どうやら、手に持っているのはワカバの腕章らしい。
「馬鹿ヤロ、しっかりしろ。」
そう言って、ビクトールはロンチャンチャンの腕章を引き千切った。
無念…と項垂れるロンチャンチャンを見遣って、ビクトールはほっと溜息を吐く。ビクトールが手を放すと、師匠〜!とワカバが駆け寄って来た。
彼等は珍しくも純粋に「マンガンゼンセキ」を狙っていたのだろう。
これがフリック狙いの奴なら、腕章取ったくらいでは引き下がる訳がない。
「おい、ぼっとしてないで、さっさとずらかるぞ!」
「あ、ああ・・・」
まだ、地面に腰を付けて呆然としているフリックを引き上げて、ビクトールは先を促した。
一所にいるのは危ない。しかも今ので時間を取ったので、他にも誰か居場所を嗅ぎ付けたかも。
そう思ってビクトールはフリックの手を取り走り出す。その背中に。
「男気攻撃ーーーーーーっ!!」
「どわっ?!」
「うわっ?!」
何やら掛け声と共に、二人に体当たりして来た物体が二つ。
見事に前につんのめって転んだビクトールとフリックがすかさず振り返ると、そこにはアマダとリキマルが桜吹雪を背負って立っていた。
また何とも濃い組み合わせである。
「――――っ!」
「・・・・・・」
先程の一戦で得た教訓を思い起こして、フリックは青ざめた。
彼等もまた、自分に迫って来る筈なのだ。あの、独特の、突き出した唇で。
しかも筋肉質なガタイの男臭い二人が。想像するだけでもはっきり言って怖い。
ぶるぶると震えるフリックを横目で見て、ビクトールも流石に可哀想に、と同情の眼差しを送る。
「おい、だいじょ・・・」
大丈夫か?とビクトールは続けたかったのだが、そのまま開いた口が塞がらなくなった。
フリックが突然立ち上がると、一陣の風が巻き起こった。次の瞬間には、何が起こったのか解らず立ち尽くすアマダとリキマルの腕章が、当り一面散り散りに宙に舞っていたのだった。
「これでよし・・・と。いくぞ、ビクトール。」
「怖ぇえなぁ、おい。」
風と思ったのは、フリックが居合抜きで剣を振り払った風圧であった。
身の危険を察知して、もうすっかり戦闘モードに切り替わったフリックである。
一部始終を見ていたビクトールは、苦笑混じりに正直な感想を洩らして、今度は茫然自失としている目の前の二人に同情を示した。刻まれなかっただけでもマシであるかも知れない。
後はもう振り返りもしないで、さっさと一人歩き出したフリックを追って、ビクトールは慌ててその後を追った。



「埒があかねぇな・・・一旦二手に分かれてみるか。」
ビクトールとフリックの二人は、身を隠しながらも少しずつ場所を移動していた。
あの後、一般兵の軍団の何組かとかち合って、数え切れない程の腕章を奪い取っていた。勿論、この二人に殴り飛ばされて、怪我を負った人数も数え切れないのであるが。
しかしやはりどうしても多勢に無勢である。
ただこのまま宛ても無く逃げ回っているだけでは、どうともならない。
そう思ったビクトールが一計を案じて向かった先は馬厩だった。着くなり藁を掻き集めて、縄で器用に人型を作っていく。
「おい、ちっと借りるぞ。」
「うわっ?!何しやがるっ?!」
ビクトールが、藁人形が出来上がっていく様を見詰めていたフリックのマントを肩当ごと抜き取った。簸ん剥かれたフリックが抗議の声を上げるが、ビクトールは何処吹く風だ。
「大体、こんな派手なもんつけてるから、見付かっちまうんだ。」
「悪かったな!派手で。」
しかしそれを利用しない手はないよな、と笑いながらビクトールはその派手なマントの付いた肩当を藁人形に着せ付ける。そしてそれを肩に担ぎ上げると、フリックに向き直って言った。
「どうだ?こうしてると、お前を担いでる様に見えねぇか?」
「何で、俺がお前に担がれてなきゃならないんだよ。」
「だから、作戦だっつってんだろーが。」
細かい事を一々言うな、とビクトールがフリックの頭を小突いた。そしてそのまま自分が鬼を陽動するからお前はうまい事逃げ回れよ、と言って歩き出す。
「そうそう、そのバンダナも外しとけよ。」
行き掛けてビクトールが振り返って付け加えるのに、フリックが頷いてバンダナを外そうと頭の後ろに手をやった。
その、頭を引き寄せて。ビクトールはフリックの唇に自分のを押し付けた。
「いいか、お前にこーゆー事していいのは、俺だけ、だからな。」
「うるさいっ!・・・解ってるから、とっとと行けっ!!」
真赤になって慌てているフリックに笑って見せて、ビクトールはそのまま背を向け走り出した。
本当は少しフリックを一人にするのは心配だった。
しかしここが戦場なのだと思えば、いつもの事なんだと思い直して足を早める。
兎に角、自分が出来るだけ頑張って人目を惹けば、その分フリックの危険は回避されるのだ。
あの、可愛くて柔らかくて気持ちいい唇を、絶対他の奴にはやるもんかと、ビクトールは決意を新たに城内へと続く扉を開けたのだった。




ビクトールと別れてからのフリックは災難続きだった。
まず、早速ガンテツ(またもや濃いおっさん・・・)に見付かってしまい、散々追い回されて振り切るのに苦労した。
その途中で出くわした兵団は有に5隊はあっただろうか。当然、下っ端兵士等は簡単に突破出来るのだが、数に物を言わせた彼らを相手にするのは、体力を削るので出来るなら避けたい所だった。
しかし出合ったものは仕方無く。
少し疲れが出てきて休憩をしていた所で、最も会いたくなかった相手に見付かってしまった。
「フリックさん、みぃ〜〜〜〜っけ!」
不本意にも聞き慣れてしまった少女の甘い声が耳に入って、びくりとフリックは肩を揺らした。嬉しそうに走り寄るその少女はニナである。その彼女の腕に赤い腕章がはめられている事を見て取ったフリックは、慌てて飛び上がって走り出した。
「あ〜〜〜っ?!何処行くんですかぁ?!」
当然、ニナは追ってくる。普段からニナには追い回されて辟易しているのだ。
フリックは青ざめながら、今出来る限りの全速力で必死に走って逃げた。
しかし『フリックフリーク』を公言しているだけあって、このニナという少女。何処に逃げても確実にフリックの後を嗅ぎ付けて来るのだ。日頃の鍛錬(?)の賜物かも知れない。完全に目の前から姿を消しても無駄だとばかりに、後を追ってくる。しかもそれだけで済んでいればよかったのだが、フリックにとって最悪な事態に陥っていた。
ニナはフリックの後を追う度事に「フリックさぁ〜〜〜ん!!」と大声で触れ回っている。目敏く、彼女を追えばフリックの居場所が解ると感じ取った他の女性参加者が、わらわらとニナの後に続いて一個兵団以上の団体と化しているのだ。そうなると、もうフリックは恐ろしさのあまり、後ろを振り返る事すら出来なかった。
そしてニナに追われている事を意識しすぎていたフリックは、つい自室に逃げ込んでしまう。いつもならここで諦めてくれるのだが―――今日は事情が違っていた。
閉じた扉が大きな音と共に壊れんかの勢いで開けられると、一斉に女性達が室内に雪崩れ込んで来た。あっという間に部屋の奥の窓際に押しやられるフリック。その目には、部屋に入りきらなくて廊下まで続いている黒だかりになった人々が映っている。
「おいっ!ちょっと・・・待てよ、お前等っ・・・」
部屋はとうに飽和状態を越えている様に思われ、色んな意味で危機を感じるフリックである。
そしてそんなフリックを前にして、とうとう始まってしまったのだ。
恐ろしい女同士の戦いが。
「私、私が先よっ!」
「いいえっ!私が・・・っ!」
「ちょっと、抜け駆けしないでよっ?!」
「痛いっ!誰よ?!髪を引っ張るのは?!」
「私、唇でなくてもいいわ!」
「ずるいわっ!だったら私だって・・・っ!」
「フリックさぁーーん!」
「きゃーーーっ!押さないでってば!」
「髪の毛一本でも、欲しいぃ〜〜〜〜っ!」
黄色い声が怒号となって、部屋を揺るがした。
我先にとフリックに伸ばす手を他の誰かが押え付ける。服を破れるほどに掴んだ手。誰かに思い切り押されて歪んだ顔。掻き毟られたのか、赤く筋になった肌。後ろから髪を引っ張られて、後ろに仰け反った女性もいる。
誰か一人くらい死んでもおかしくなさそうだ。
女性があまり得意ではないフリックではなくとも、恐ろしいと思わざるを得ない状況である。戦場で見るそれとは違う戦いであるが、こちらの方が数倍怖い。
こういうのを、地獄絵図というのだろうか・・・とフリックはぼんやりと部屋の中を眺めていた。
しかしその内の一本の腕が伸びて、頬を掠めるとはっとして首を振った。ぼさっとしている場合ではない。早い事ここから去らなければ、命がいくつあっても足りない。
彼女等が争っているうちにと、そっと後ろの窓を開けて、フリックは3階にも係らずそこから飛び降りた。
それに気付いた幾人かが窓に駆け寄って手を伸ばすのが見えて、フリックは改めてぞっとした。
窓の近くに植わっている木の枝に、何とか掴まって体勢を整える。
何本かは折れてしまったが、いた仕方ない。緊急事態なのだ。
その甲斐あって地面には怪我も無く無事に着地出来た。頭や服についた葉や小枝をぱんぱんと叩き落として、フリックは溜息を吐いた。
少し、膝が震えている。
怖かったのは飛び降りた事ではなく、先程の凄まじい光景に他ならなかったのだが。
「フリック殿?大丈夫ですか?」
「―――っ?!だっ、誰だ?!」
不意に声を掛けられて、フリックは飛び上がらんばかりに驚いた。
愛剣を抜き取り、声のした方向に身構える。
「すみません、驚かせましたか?」
そう言いながら、がさがさと茂みから顔を出したのは、日頃から親交のある元青騎士団団長マイクロトフだった。
フリックがほっと息を吐いて、鞘に剣を収める。
「何だ、マイクロトフか。どうしてここに?」
「さっき、あそこから飛び降りるのが目に入りましたので・・・」
あそこ・・・と言って、マイクロトフはフリックの部屋の辺りを見上げながら指差した。
「ああ、大変な目に合っちまったよ・・・」
苦笑交じりにフリックも自分の部屋の窓を見上げる。まだ何か悲鳴の様なものが聞える。
フリックは部屋の惨状を思って、また溜息を吐いた。
誰があの部屋を片付けてくれるのだろう・・・?
「災難でしたね。ところで、フリック殿。」
「・・・何だ?どうした?」
急に表情を強張らせて、マイクロトフはフリックの腕をきつく掴んだ。フリックは痛いと抗議しようとして、もう片方の腕も更に強く掴まれてしまった。驚いて掴まれた腕を見ると、何か赤い物が目に入った。
それは、青い騎士服とは対照的な赤い腕章・・・
「ま、まさかっ・・・?!」
「すみません、フリック殿。」
まさかこんな馬鹿げた余興に堅物のマイクロトフが参加しているとは思ってもみなかったフリックは、愕然としてマイクロトフの顔を見詰めた。
「どうしてもカミューが『マンガンゼンセキ』とやらを、食いたいと言うので。」
「だっ、だからって、こんな事したら、カミューは怒るんじゃないのかっ?!!」
「大丈夫です。カミューの許可はちゃんと取ってありますから。」
「許可って・・・?!」
迫って来るマイクロトフにフリックは焦って後ずさった。しかし両腕をぐいと引き寄せられて、敢え無く動きを封じられる。
ビクトール程ではないとはいえ、マイクロトフもまたガタイは良い方なのだ。細身のフリックよりかは一回りは大きい上に、力も強い。その上キスを迫られるという、普段の彼からはとても想像出来ないこの状況にフリックの頭の中はかなり混乱していた。
「いや、だから・・・ほら、俺にはビクトールがいる訳だし・・・」
ので、訳の解らない事を口走っている。
「後でビクトール殿にも謝っておきます。」
「後じゃ困るっ・・・て、そうじゃなくて!えぇ〜と・・・」
言いながら腕を解こうと肩を捩って逃れ様とするが、全然ビクともしない。そうこうしている内に、マイクロトフの顔が近付いて来る。
こんな時でも真面目な顔のマイクロトフに、さっきのロンチャンチャンとは全然違う。とか思わず考えながら(比べる事自体間違っている様な気がしないでも無いが)、フリックは出来るだけ顔を逸らした。

マイクロトフの顔がぐっと近付いて・・・来たと思ったら、そのまま脇をすり抜けて地面に倒れ込んでしまった。そしてそのマイクロトフの元居た位置には、何時の間にかビクトールが憮然とした顔をして立っていた。
「?!・・・ビ、ビクトールっ?!」
「何やってんだ、お前は〜〜〜?!」
どうやら、マイクロトフはビクトールに後ろから手刀を入れられたらしい。
完全に意識を失っている様子だ。まぁ、放って置いても大丈夫だろう。
それよりも、ビクトールが何やらとても怒っている様に見える。
「何って・・・しょうがないだろ、掴まっちまったんだから。」
「しょうがなくあるかぁ!!もっと抵抗しろよ、お前!!」
「う、うるさいっ・・・!」
抵抗したけど、歯が立たなかった。とは言いたくなかったので、フリックはくるりと背を向けると、突然歩き始めた。
大体、何で自分が悪く無いのにビクトールに言い訳じみた事を言わなくてはいけないのか。
それに、何をそんなにビクトールは怒っているのか。
ビクトールの男心など、露とも理解していないフリックであった。
「それよりお前、俺のマントは何処にやってきたんだ?」
まだ何かぶつぶつ言いいながら後を追って来るビクトールに、思い付いた様にフリックが振り返った。それにビクトールは悪戯っぽく笑って答える。
「お?おぉ、あれならヒックスに被せてやって来たぜ!」
あいつ、お前と同じバンダナしてるからなぁ。と言ってその場面を思い出したのか、ゲタゲタ笑い出した。
「皆あいつをお前と間違えて、追っ掛けて行っちまってよぉ!ヒックスの野郎、必死になって逃げてたなぁ〜」
「・・・・・・」
フリックもその状況を思い描いて、目元を押えた。
可哀想に。気の弱い純朴な少年なのに。
今頃自分が今日体験した様な悲惨な境遇を迎えているのだろうと思うと、同郷のよしみもあって少し憐れに思ってフリックは心が痛んだ。
しかし作戦としてはかなりいい線を行っている。ここはひとつ運が悪かったと思って、諦めて貰おう。
所詮フリックとて人間。
結局我が身可愛さに犠牲者が出る事に目を瞑ったのである。


                                   続く。