悪魔が来たりて笛を吹く。1


同盟軍の本拠地の城の屋上。
ここの城主であるヤマトはそこに居た。空が近くて風が気持ちいい。
ここから見下ろすと城の庭園や中庭が見え、皆が働いたり、寛いだりしているのが手に取る様に見える。顔を上げれば遥か遠くまで広がる平原や、その向こうに控える山々も眺望出来て、まさに絶景であった。
しかしそれらをぼんやりと眺めるヤマトには、いつもの様な元気さは陰を潜めていた。
時折、溜息らしきものも吐いたりして。深刻ではないにしろ、何か悩んでいる風であった。
そのヤマトの後姿に、声が掛かった。
「やあ、こんなトコロで何黄昏てんだ?」
「あっ!セイさん!!遊びに来てたの?!」
振り向いたヤマトの瞳が、ぱあっと明るく輝いた。
『セイ』と呼ばれた赤い服の少年は、髪に撒いたバンダナを風になびかせて微笑んでいた。
「ああ。ちょっと近くに寄ったからさ。」
隣に歩み寄り、ヤマトと同じ様に城壁に凭れると、眼下に広がる壮大な景色を眺めて目を細める。
そんな彼を嬉しそうにヤマトは迎え入れた。
セイ・マクドール。
この少年は、赤月帝国という所で解放運動のリーダーを務めて、現在のトラン共和国を作った人なのだという。
今この城にいる人達の何人かは、昔の仲間とかで彼を知る人もいた。
彼はその戦争で手に入れた真の紋章のせいで、歳を取らないそうだ。
自分と同じ年頃に見えても、中身は少し上らしい。
ヤマトはそんな彼をとても気に入っており、また尊敬もしていた。
同じ様な境遇で、しかも彼はそれを成し遂げたのだから。
勿論、そればかりではなく性格の善し悪しもヤマトのそれと気が合ったからもあるのだが。
「ところで、何か悩みでもあるのか?」
先程のヤマトの様子にセイが少し心配そうに覗き込んだ。セイもまた、ヤマトの事がお気に入りなのである。
「え?ああ・・・実はね―――」
最近、ハイランドは王位継承とか何とかで慌しいらしくて、戦争は膠着状態なのだ。そこで、ここらでひとつ皆の息抜きも兼ねて、何かイベントらしきものを。と考えてはいるのだが、いかんせん予算が捻出出来そうに無い。何か良い案はないのかと、あれこれ悩んでいたところだったのだ。
そこまで黙って頷きながら聞いていたセイが、にんまりと悪戯っぽく笑って言った。
「じゃあさ、こんなのはどう・・・?」
他に誰もいないのに、わざわざ耳元で小さな声でセイはヤマトにある考えを語った。
「いいね、それ!じゃあ、だったら・・・」
ヤマトもまた目を輝かせてセイの話を引き継いだ。そして二人してこそこそと(する必要はないのだが)、『ある計画』を綿密に練り始めた。
端から見れば、少年同士が楽しそうに無邪気にはしゃいでいる様にしか見えない。
しかし、もしこの場に彼等を良く知る人がいたならば、また何か悪巧みをしているのでは?!ときっと不安に思った事は明白である。





その日、ビクトールとフリックはヤマトに呼ばれて彼の自室へと赴いた。
そしてそこで『お願い』をされる。
「ね、お願い!!フリックさん!!!」
両手を前で合わせて頭を下げる小さな城主に、フリックは困った顔をして頭を掻いた。
「お願いされてもなぁ・・・他に頼める奴だっているだろ?」
「駄目です!これはフリックさんでないと、絶対に駄目なんですっ!!!」
「でもなぁ・・・」
『お願い』の内容とは、こうである。
今度この城でイベントをする事となった。そのイベントはずばり『鬼ごっこ』。
ただ、通常とルールは異なり、鬼は参加者全員で、ただひとりの『ターゲット』を捕まえるというものだった。その『ターゲット』を、ヤマトはフリックに指名してきたのだ。
しかしフリックはと言えば、そんな面倒事に巻き込まれるのは嫌だと、中々首を縦に振らない。本人に自覚があるかどうかは兎も角、普段の彼の運の悪さを思えば、それは大変懸命な判断であると言えよう。
けれどヤマトもまた大きな瞳を強く閃かせて、決して後に引こうとしない。
「フリックさんが、一番適任なんですよ。城内では最強の部類に入るし、身のこなしも素早いし!簡単に掴まるようじゃ、ゲームにならないんだから。」
「だったら、別にコイツでもいいだろ?!」
フリックが傍観を決め込んでいたビクトールの腕を引っ張って抗議する。ビクトールもまたフリック同様腕は立つのだ。
「熊じゃ素早さに欠けます!それにあんなドスドス歩いてたら、速攻掴まります!!」
「・・・悪かったな、熊で。」
ヤマトの言い様に、少々傷付いたらしい熊…もといビクトールが、ぼそりと呟いた。
何か他に言い逃れる術はないものかと、焦るフリックを見兼ねて、ビクトールが助け舟を出そうとした、その時。
「もしかして、フリックさん、逃げ切る自信無いんじゃないの?」
「何だと・・・?」
上目遣いに、ヤマトが口の端を上げて言うのに、逸早くフリックが反応した。
その後ろであぁと、ビクトールが溜息を吐く。
もう、勝負の行方は見えた様なものだ。
「戦士の村って、確か相当な田舎〜の方なんですよね?それじゃあ、大勢相手に立ち回る訓練なんて出来なかったでしょうしねぇ〜」
「何言ってんだ!戦争に出たら大勢相手に立ち合ってるだろうがっ?!」
フリックから目を逸らし、腕組しながら一人納得した様に呟くヤマトにフリックが噛み付いている。
「フリックさんはとても勝つ自信が無いから、怖気付いて辞退した・・・っと。」
「誰が怖気付いてるだと?!それに自信が無いなんて一言も言って無いだろっ!!!」
「あんまり無理はしない方がいいですよぉ?」
「無理なんか誰がするかっ!」
ここ最近大分落ち着いて来たとはいえ、根が単純で短気な上負けず嫌いな男フリック。
城内で一二を争う美貌の彼は、そのカッとなり易さも城内では5本の指に入るかも知れない。
精神を静める効果があるという青い色の衣装は全然役に立っていないらしい。
憤慨するフリックを見遣って、ヤマトはにこりと笑い掛けた。
「じゃあ、引き受けて貰えますよね?!」
「お、おう。任せとけ・・・」
ここぞとばかりに詰め寄ったヤマトに、一瞬我に返ってしまったという表情をしたフリックだったが、今更後にも引けずやむなく了承せざるを得なくなってしまった。
がくりと項垂れるフリックに満足そうに微笑むヤマト。
そんな遣り取りを傍で見ていたビクトールが、ガキに上手い事乗せられやがって、と肩を竦めて首を振った。
完全に第三者と化していたビクトールであったが、そんな彼にもヤマトから声が掛かる。
「とゆー事で、ビクトールさんにはフリックさんの補佐役をやって貰いますね。」
「あぁ?!補佐役ぅ?」
「フリックさん一人じゃ流石に大変でしょうから、ビクトールさんには逃げる手助けをして貰うって事で。」
「おいおい、何で俺まで・・・」
「勿論、タダとは言いません。逃げ切った暁には賞品も差し上げますし、引き受けてくれるなら、それだけで酒場のツケはちゃらにしますけど?」
「何?!」
「うおっ、マジか?!」
ちなみに、賞品は『マンガンゼンセキ』です。とヤマトが付け加える。
『マンガンゼンセキ』と言えば、そう滅多に食せる物ではない。何でも材料自体、そう中々揃いはしないのだ。
しかし、それよりも何よりも二人の心を揺さ振ったのは『酒場のツケをちゃら』の方だった。溜まりに溜まって、このままではレオナに立ち入り禁止を喰らい兼ねない位だったのだ。
まさに痛い所を突いて来る。ビクトールとフリックは互いに目配せすると頷き合った。
この辺は流石、腐れ縁と言われるだけあって、目で会話がこなせるらしい。
「仕方ねぇなあ、付き合ってやるか・・・」
口調とは裏腹に、ビクトールは俄然やる気だ。フリックも先程よりかは大分やる気が見える。
「じゃ、本番当日はよろしくお願いしますね。」
「ああ。」
「俺達の勝ちは目に見えてるけどな。」
契約成立とばかりに三人で堅く手を握ると、ビクトールとフリックは後ろ手に手を振りながら部屋を出て行った。
その扉が閉まるのを待って、ヤマトはふぅと肩の力を抜いた。
「上手くいって、よかったぁ〜」
そう、この『ターゲット』はフリックでなければならないのだ。絶対に。
予めセイに二人に頼む段取りを教えて貰っていて正解だった。流石はトランの英雄。人の扱い方を良く心得ている。しっかり見習わなければ。
そんな事を考えていると、ノックの音と共に、元気な声とその主が部屋に駆け入って来た。
「ヤマト〜!出来たよ、こんなもんでいい?!」
手にバインダーを持ったナナミがヤマトの元に駆け寄る。それを受け取って一通り目を通すと、ヤマトはにっこりと目を細めた。
「うん、上出来!」
「そう?ヤマトもそう思う?」
自信作なのよ〜とナナミがにこにこと嬉しそうに一緒になって、そのバインダーを覗き込んだ。
そこには可愛らしい字で書かれた『鬼ごっこ大会開催』の文字。周りには花なんかも描き込まれていて、楽しそうな雰囲気が漂っている。
そして、その下には赤で注意書きが書かれていた。
『ビクトール・フリック両名には秘密厳重の事!』
勿論、ただの鬼ごっこなんかではないのだ。しかも当日までにあの二人に知られると大変マズイ事になる様な。
「楽しみだね。」
「参加者一杯いるといいね。」
「多分、沢山来ると思うよ。」
ヤマトとナナミはもう一度顔を見合わせると、ふふっと笑い合ったのだった。





そして『鬼ごっこ大会』開催当日。
兵舎にある道場に人々が溢れんばかりに集まっていた。急拵えの舞台が作られており、そこにヤマトやナナミ達実行委員が数名並んでいた。勿論、腐れ縁の二人もそこに居る。
「では皆さーん!これからゲームの説明をしまーす!!」
ヤマトがマイクを持って舞台中央に立つと、観衆がおぉと湧き上がった。
ステージの前にはゲームの参加者(つまり鬼)がゆうに二、三百は越えて陣取っている。
集まった鬼の集団を見たフリックが、ヤマトに「凄い数だな」と洩らしたところ「これでも抽選にしたんですよ」と言って驚かせていた。
参加費は決して安くは無いのだが、これだけの人が集まる理由は勿論ある。
だが、まだそれはフリックには知らされていなかった。同じく、ビクトールにも。
「ルールは簡単です。この『青雷のフリック』さんを捕まえればいいだけでーす!」
そうヤマトが言った途端、フリックにスポットライトが当る。
うおぉーー!とまた歓声が上がった。
そのあまりの迫力にちょっと焦ってフリックは後ずさった。
「このフリックさんを捕まえて―――」
皆、そんなに『マンガンゼンセキ』を食いたいものなのか。などと変に感心しながら人だかりを眺めていたフリックの耳に、トンデモナイ言葉が飛び込んで来た。
「キスした人が優勝者ですーーーっ!」
「?!」
「何だとぉ?!」
先程よりも大きな歓声が沸き起こる。その3分の1は女性の黄色い声が混ざっていた。
「何だよそれっ?!聞いてないぞ、俺は!!」
「どういう事だ?!説明しやがれっ!!!」
興奮で荒れ狂う道場を他所に、フリックとビクトールはヤマトに詰め寄った。
何故ビクトールまでもが憤慨しているかは、言うまでも無い。
「だって、逃げ切る自信あるんでしょ?」
「そ、それはそうだが・・・」
「だったら特に問題ないでしょ?」
「そーゆー問題じゃねぇだろ?!」
さらりとかわすヤマトに、まだ納得のいかないビクトールがしつこく食い下がった。するとヤマトは一旦目を閉じると、すぅと開いて上目遣いでぼそりと一言。
「・・・酒場のツケ・・・」
「うぅ・・・」
「・・・・・」
その一言で、もう後戻り出来ないと理解した二人は、半ばヤケになって腹を括った。
そう、掴まらなければいいのだ。
「大丈夫だ。何とかなるだろ・・・多分。」
「そうは言ってもなぁ・・・」
しかしそんな事よりも、フリックの唇を狙って人々が彼を追い回すのが気に入らないのだと、ビクトールは内心ぶつぶつと文句を垂れる。
「あいつら、一人一人ぶちのめして行った方が早いかもなぁ・・・」
「女性はやめとけよ・・・」
物騒な事を言うビクトールの目は本気だ。
この山の様な参加者の大多数はフリックを狙っていると言っても過言ではないのだ。
一部『マンガンゼンセキ』を純粋に求める人達もいる事はいるのだが。
つまり、ビクトールにとって、この集団の殆どが恋敵という事になる。
ビクトールとフリックの仲は周知の事実で、知らない者はいない筈だが、それでも諦め切れない輩がいるのもまた事実で。しかもお零れ(フリックとのキス)が貰えるとあれば、この様だ。
しかも尚悪い事に、フリック自身は、皆は賞品が欲しいのであって、自分の唇が狙われているなどとは夢にも思っていないのだろう。
ビクトールは頭痛がしてくるのを感じていた。
この場で「フリックには手を出すな!」とキスのひとつでもかまして、とっとと逃げる事も出来るのだが、そんな事をした日には落雷だけでは済まないだろうと思うので、仕方なくそれは断念する。
「それから、今日は特別ゲストをお迎えしていまーす!」
真剣に逃げ道や段取りを考え始めたフリックと、苛々と歯軋りするビクトールを置いて、ヤマトは司会進行を続けた。
会場が一瞬暗くなったと思ったら、また直ぐ灯りが点いた。すると舞台の左奥に二人の姿がそこに現れていた。
「トランの英雄セイ・マクドールさんと、グレミオさんですー!」
ヤマトに紹介されるとセイは軽く手を挙げて応えた。グレミオはぺこりと会釈程度に頭を下げる。
また、観客席が揺れ動いた。
「あっ!」
「あいつ等っ?!」
驚くビクトールとフリックは、ナナミに腕を引かれて用意された席に無理矢理座らされた。そして、その隣にセイとグレミオも座らせる。ビクトールは隣に座ったセイを肘で突付いた。
「おい、お前が何か入れ知恵しやがったんだな・・・」
「人聞きの悪い事言わないでくれる?」
セイが、にやりと笑って答えた。
その表情で、やはりと確信を深めるビクトールとフリックである。
「また何か企んでいるんじゃないだろうな?!」
フリックも心配で話に入って来る。何しろ、自分の事だ。
「まさか。そんなに心配しなくても、俺はフリックの味方だよ。」
「ほ、本当だろうな?」
不安そうな目で自分を見詰めてくるフリックに、相変わらず可愛いなぁとか思いながら、セイは目を細めた。
「当然。応援してるから、絶対頑張ってくれよな!」
そう、是が非でも頑張って貰わなくては困るのだ、とは口に出さないで。
満面の笑顔で答えたら、フリックが安堵の溜息を吐いた。やはり、可愛い。
その横で苦虫を噛み砕いた様な顔をしている熊は、見ない振りをしておく。
「じゃあ、参加者の皆さんは赤い腕章はめて下さいねー!」
そう言って一旦言葉を切ったヤマトが、フリックの元へと歩み寄って来た。
「じゃあ、フリックさんビクトールさん、先に逃げて下さいね。この後10分後にドラを鳴らしますので、それが開始の合図ですから。」
他にも簡単にルールを説明して、ヤマトは最後に『是非とも、頑張って下さいね!』と付け加える。その言葉に何か含みがある様な気がしたが、二人は取り敢えず会場を後にした。
その後姿をヤマト・セイ・ナナミの三人が思惑有りげに見送っていたのを、当の本人達は知る由も無かった。

                                    続く。