そこが、その場所でなかったなら。 自分にとって、特別な場所。 そうでなければ覗いたりはしなかっただろう。 そして知る事もなかった。 自分を突き落とす、その元凶を。 夜の帳が城を包む。 大きな白く輝く月が世界を照らしている。 音のない深海のような。 そんな世界にひとつの靴音だけが響く。 息を潜めマイクロトフは歩を進める。 兵舎に続く渡り廊下には明かりが灯ってはいなかった。 けれど、幾つかある窓から、月光が煌々と降り注ぎその足元を照らし出していた。 城に帰還してからもう数刻経っている。 軍師の元で報告や作戦の話し合いなどで時間を大分取られてしまったのだ。 一緒に帰った仲間は、もうすでに自室で夢の最中である事だろう。 マイクロトフがカミューと共に同盟軍に来てから2ヶ月程経っていた。 元からの部下を多数引き連れての入軍のためもあってだろうか。 かなりの頻度で任務に命ぜられる。 何かの役に立ちたい。 そう強く思うマイクロトフには願ってもない事ではあるのだが。 体力的には自信がある。 その為に日頃鍛えているのだ。 連日連夜任務に借り出されてでさえも、苦に思わない。 けれど。 精神的に。 は、どうであろう。 愛しい人がいる。 自分の総てを投げ打ってでも。 大事にしたい、人が。 命よりも大事な、カミュー。 彼に逢えない事が。 何よりもどんな事よりも自分に重く圧し掛かる。 この数日はたまたま仕事が立て込んでいた。 顔を見るだけでもいい。 隣の部屋にいるというのに。 それさえも侭ならない事が、酷く疲れを誘発させる。 せめて。 その存在だけでも確かめたいと。 自室に辿り着いて、尚足を繰る。 行過ぎて、愛しい人の部屋の扉に佇んだ。 カミュー。 そっと胸で呟いて扉に掌を添える。 そして。 目を閉じ額をも押し付けた。 「……?」 分厚い、扉の向こうから。 微かに洩れる音。 密やかな声。 そこが、その場所でなかったなら。 そうでなければ覗いたりはしなかっただろう。 気が付けば。 そっと扉を押していた。 微かに、音も立てず。 隙間が作られた。 気が付けば、自分は。 その闇を見据えていた。 何があるのかも深く考えずに。 白い、腕が見えた。 それに続く細い肩も。 淡い栗色の髪が、月光に青白く光る。 ソファに背を預けて、カミューが喉を闇に晒す。 「そう…そこ…」 囁かれる声も闇に溶けそうな。 けれど甘い。 窓を背に受けて伸びる影は長く。 ソファの下の隙間に、もう一人の存在を示す暗がりが。 その、人物に、カミューは愛撫を受けている。 「ん…いい子だ…」 鼻に掛かった、ぞくりとさせる声。 仰け反っていた首が俯いて。 腕が降りると肩が揺れた。 マイクロトフが息を呑む。 それは見えなくとも、カミューの悦楽に彩られたであろう表情を感じたからだ。 「全部、ちゃんと喉の奥まで入れるんだよ。」 低く、甘い声が。 カミューの前に傅く誰か、に。 媚薬のように染み透る。 マイクロトフがカミューに想いを告げて、5年近く。 簡単に体を繋ぐ事は出来た。 けれども。 心を繋ぐ事は簡単ではなかった。 自分を愛している、と言うその口で。 自分意外の人間に簡単に口吻る。 自分を欲しい、と言うその口で。 自分以外の人間と簡単に閨を共にする。 過去に。 それを責めた事があったのかどうかさえも。 定かな記憶はない。 ただ、その度に自分は酷く傷ついた。 そして。 それでも彼を愛する自分に、更に追い討ちを掛けられた。 あの。 甘い体と吐息と蜜の味が。 自分以外の人間に与えられると思うと気が狂う。 けれども。 カミューがそうしたいのであれば。 そう望むのであれば。 そして。 そんな。 奔放で我侭で高慢な。 自分を裏切り続ける。 そんな彼でさえ。 愛しくて堪らないのだ。 自分にとって嫌な行動であっても。 カミューが。 自らの意思で、想いで、欲望で。 カミューであるが故に取る行動。 であるならば。 それさえも認めてはやれないだろうか。 赦してはやれないだろうか。 そう想うのは。 俗に言う、惚れた弱み、というやつだろうか。 そんなふうに。 今迄を過ごしてきたから。 この、今の状況は決してそう驚くものではなかった。 ただ。 その相手を知るまでは。 「さあ、フリック…おいで。」 フリック、と。 そう甘い声が促すと、傾いだ影が上に伸びた。 月明かりを背景にして。 見知った、けれど、見た事もない。 白い顔が闇に浮く。 月光に縁取られた輪郭が微かに揺らめくと。 腕が伸ばされ。 ソファに手を突き、また、緩やかに体が沈んだ。 「う…く…」 フリックの、顔が歪む。 痛みと、快楽とを。 混ぜこぜにしたような。 まず、相手がフリックである事に驚いた。 浮気自体は、今までの経験上、そう驚く事ではない。 フリック、は。 ここへ来てから何かと世話になっている人間である。 同じ兵を動かす立場の者として。 同じ剣を扱う者として。 同じ志を持つ同士として。 その点はカミューも同じな筈で。 カミューは決して浅はかではなく、何事にも慎重を期するほうだ。 勿論、情事を重ねる相手を選ぶ時も同様に。 『フリックとビクトールは出来てるかもしれない』 と。 そう言ったのはカミューではなかったか。 常に共にある二人の。 互いを見る瞳に。 自分もまたそう思ったものだった。 その、フリックを。 下手をすれば要らぬ騒動の元となりかねない相手を。 わざわざ選ぶかミューではないと。 そう思うのに。 何よりフリック自身もまた。 情人を裏切るような真似をする人間などではないと。 そう思っていたのに。 「あっ…ああ…っ!」 けれど。 首を打ち振るい。 矯声を上げ、体を上下する。 カミューのモノを銜え快感に震える痩躯は。 紛れもなく。 フリックなのだ。 そうしてもうひとつ。 驚いた事が。 今まで。 カミューが浮気をして『抱く』のは。 女性に限っての事であった。 だから。 その点に於いては、特に気にするでもなかった。 カミューとて男なのだから。 雄としての欲求もあるのだからと。 そう納得していられたのに。 マイクロトフの胸の奥で。 ざわり。 と、蠢くものが生まれる。 ソファにあった筈の手が。 いつの間にかカミューの首に巻きついている。 しなやかな白い腕。 甘い、感じ入った声。 闇にあって尚、薄青い瞳。 欲望の火を灯す。 それら全て。 もし、カミューが。 『男を抱きたい』 というのであれば。 その相手を自分に、とも思うのだ。 けれども。 自分の無骨な体を思う。 そして、今目に映るフリックの体を。 どちらを抱きたいと思うのか。 それは酷い愚問だ、と。 だけれども。 それが。 フリックを抱くという事の答えではないような気がして。 マイクロトフにじわりと影が忍ぶ。 自分だけが、カミューにとって。 『特別』であるのだと信じて疑わなかった。 自分だけが、カミューの全てを知り得るのだと。 そう思っていたけれど。 同じ男であってフリックは。 自分の知る事のない、カミューの雄の顔を知っているのだ。 自分だけが『特別』でなくなってしまう。 その思いは。 根底から揺るがす様な。 激しい衝撃を持ってマイクロトフを襲った。 じくじくと。 黒い膿が、ゆっくりと胸に広がっていく。 それが。 余りにも痛みを齎すので。 ゆっくりと扉の隙間を塞ぐ。 黒い分厚い扉が視界を遮って。 目の前を闇に染めていく。 同じように。 心をも塗り潰されるかのようで。 マイクロトフはゆっくりと頭を振った。 決めたのだ。 何があっても。 カミューを愛するのだと。 その、全てのものを含めて。 愛するのだと。 カミューがカミューたる所以でもって。 起こす行動は全て認めるのだと。 たとえそれが。 どんな事であったとしても。 この。 胸を食い破るかのような。 嫉妬も怒りも悲しみも。 愛するために。 全部呑み込もう。 そして。 カミューの前では。 何事もなかったのかのように。 笑わなければ。 そっと気配を殺したままその場を離れる。 自室の部屋に入って。 闇の中。 同じ闇色の溜息を。 それは。 驚くほどしずやかに。 夜の闇のしじまに溶けていった。 |
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あーはっはっはっはっは! いえ、笑ってる場合じゃあないですな…マジで。 前作からおよそ約2年くらい経ってるんですが…? 続きを待ってて下さった方、こんなんですみませんです… でも、プロットだけは2年前から出来あがってたんで…(だったら書けよってカンジですかね…) ちなみに解って下さったかとは思いますが、前作と前々作との中間くらいのお話ですー そして次は熊主観のお話です。激しく暗いです(笑) それを含めてあと3話くらいで終わりたいtなーと。 そんな大して泥沼にはならなくって、淡々と終わるってのが目標なんですけれども… 恐ろしくお待たせしてほんとに申し訳ありませんでしたー! もう暫くお付き合いして下さると嬉しいです。 でも相変わらず更新ペースは亀の如くですけれども。すみませんです。 |
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