アカナイヨルノハジマリ。


一人だけ、非常に興味をそそられる人物がいる。
自分の想い人と同じ色を纏う彼。
同じ青。
けれど、明らかに違う青。
美しいと思う人は腐るほど見てきたが、彼はその誰とも違う美しさを持っていた。
衣装や装飾品で飾り立てられたそれは違う、その人自身の持つ輝き。
いや、そうでは無い。
そうゆう人にも出会った事はあるのだから。



―――初めて見た、と思った。

戦場での戦いが熾烈になる程、美しさを増してゆく人間など。
青く眩しく舞うように剣を振るう姿。
翻るマントから垣間見える、凄みさえある整った顔。
『青雷』とは良く言ったものだと、いやに納得させられた。
きっと一度出逢った人間ならば、忘れる事など無いだろう。
その、壮絶なまでの美しさを。


そして、その戦場での勇姿とは裏腹な普段の顔。
それに常につかず離れずで、当たり前のように傍らに立つ男の存在。
興味は果てしなく、尽きる事がなかった。



そんなカミューに、絶好の機会は訪れた。
そして、歯車は動き出す。
それが悲劇を生むのか幸せをもたらすのかは、まだ定まらないままに―――





「よかったら、部屋でお酒でもご一緒しませんか?」
声を掛けられ振り返ったフリックの目に、にこやかに笑うカミューの姿が映っている。
今日はここ同盟軍の砦にやって来ていた、ミューズからの使者が朝早くに出立した。
その帰路の護衛として、いかにもな人選が行われた。
ビクトール・マイクロトフ・ハンフリーである。
そして今彼等は、サウスウィンドウまで付き添いに出掛けていた。
いつもなら特に予定の無い夕食後は、ビクトールやハンフリーと酒場で一杯飲ってる事が多いフリックでる。
が、今日はどちらも居らず・・・
かと言って一人で飲む気にもならず、自室へと帰る所であった。
対してカミューもまた、暇を持て余していた。
常に行動を共にしているマイクロトフが、ビクトール達と一緒にラダトに赴いていたから。
いや、カミューにとっては願っても無い好機だったのである。
邪魔者は一人もいない。
早くても彼等が帰って来るのは、夜半を過ぎるだろう。
まるで仕組まれたかの様な、絶好のシチュエーション。
それを逃すなど、カミューには決して有り得ない事だった。
「いいワインが手に入ったんですよ。」
誰もがつられて笑みを返す様なカミューの優しい微笑み。
それにフリックも、例外無く笑顔で返す。
「いや・・・でも、悪いけど・・・」
けれど、やんわりと断りの返答を出すフリック。
それに構わずに、カミューは言葉を続けた。
「ここに来てまだ間が無いので、色々お聞きしたい事とかあったのですが・・・それに今日はフリックさんもお暇だろうかと思いまして。」
私もなんです。
と、肩を竦めたカミュー。
あまり面識の無い相手とさしで飲むのを躊躇っていたフリックであった。
が、そうゆう事なら、と渋々ながらも承諾した。
「では、私の部屋に行きましょうか・・・」
そう言ってにこりと綺麗な笑みを作ってフリックを促すカミュー。
その裏側にある策略ににも似た想いを、勿論気付きもしないでフリックは。
後戻りの出来ない運命への扉へ続く、暗い廊下をただ勧められるままに歩き出していた。




「で、本当の所、貴方達ってどうなんです?」
いいワイン・・・と、カミューが言ったそれはカナカン産のとびきり極上のもので。
一本でも相当値が張るであろう瓶は、3本も出されていた。
他にも何本か高級そうな酒瓶が並んでいる。
最初こそは気の引けていたフリックであったが、カミューの飲みっぷりにつられる様にしてグラスを空けていく。
それに、とても美味しい。
苦味の中に甘味が程よく溶け合っていて、深いコクと香りが更に飲欲を誘う。
血の様な赤に魅せられる様に、フリックは喉を鳴らして幾度もそれを体に注ぎ込んだ。
酒の席では良く見掛けるフリックは、意外とそう強くは無い。
どちらかというと直ぐ顔に出て、あまり量は飲めない方だった。
けれども、酒の味はとても好きであったし、直ぐ酔いが醒めるとゆう事もあって連日酒場に入り浸っている状態だ。
そして、それに付き合う酒豪の相棒がいつも側にいたから。
しかし今日はどうした事か・・・らしくなく勢いに任せてハイペースで煽っていた。
いや、カミューが巧妙にそうさせているのである。
「あ?貴方達・・・って?誰との事だ?」
既に耳まで赤くなってとろんとした瞳で問い返すフリック。
カミューは目を細めて楽しそうに質問を続けた。
「勿論、貴方と、ビクトールさんの事ですよ。どうなんです?」
「どうって・・・何がだよ?」
今しがたまで、当り障りの無い事を話していたのだ。
急に核心に触れる様な事を言われても、酔いの回ったフリックには直ぐ理解出来ないのが当たり前かも知れない。
いや、核心・・・と言っても、何も無いのであるが。

そう―――何も。

不意にフリックの口元に歪みが生じた。
自嘲的な笑みに見える、それ。
「生憎、あんたが期待してる様な、間柄なんかじゃねぇよ。」
くっくっと喉で笑ってフリックはまたグラスを煽いだ。
「まさか。隠そうったって、そうはいきませんよ?」
「嘘じゃ無いさ。ビクトールにだって、訊いてみろよ。」
カマを掛ける様に問い返すカミューに、投げ遣りな態度でフリックが返す。

まさか。
カミューは俄かには信じられない思いでいた。
いつも、極自然と一緒に存在する二人。
互いを見る、あの穏やかで優しい眼差し。
見るからに想い合ってる様に見える、この二人が。
出来て無い、なんて。

決してそんな素振りは見せなかったが、カミューは内心驚きで一杯になっていた。
この手の類で自分の勘が外れるなど、未だかつて無い事だったから。
「これは、失礼しました。ただ、あまりにもお二人がいつも御一緒だったものですから。」
「別に・・・そーでも無いと思うけどな・・・」
酒のせいか、フリックの態度は幾分横柄なものになりつつあった。
そんなフリックをカミューは冷静に洞察し、分析する。
カミューは恐ろしく酒に強い。
うわばみ、ドコロではなく、彼にとっては酒とは味のある水と同意のものである程に。
「でも・・・」
言い掛けて、カミューは思わし気に沈黙する。
まるで思案しているかの様に、上方を見詰め少し眉などを顰めてみたりして。
「何だよ?言い掛けてやめんなよ。」
「・・・ビクトールさんは貴方の事、お好きなんだと思いますがねぇ。」
「・・・・・・」
カミューのその表情は心配気を模っていたが、心の中には悪戯っぽい笑みが作られている。
その台詞に黙りこくってまじまじとカミューの顔を見詰めていたフリックであったが。
目を逸らし力無くテーブルに視線を落とした。
「・・・それは無い・・・」
ぽつりと洩れた言葉。
「私にはそうとしか見えませんがね。フリックさんが、気付いて無いだけなんじゃ・・・」
「違うんだ・・・あいつが、俺の側にいるのは・・・」
まだ言い募るカミューを遮る様に、フリックが低く声を絞り出す。
テーブルの上でグラスを掴むフリックの手が、微かに震えていた。
その手を取って。
優しく包みながらカミューは先を促した。
「どうしてなんです?」
「・・・罪悪感と、義務感から、なんだ。」
完全に俯いてしまったフリックの表情は見えなかったけれど。
カミューにはまるで見えているかの様で。
「昔に、何かあったんですね?」
「・・・好きな女が居た。」
「ええ。」
「その女が死んだ時、あいつが側に居たらしい。」
「・・・・・・」
「それで、その女に俺の事頼むって、言われたそうだ。」
「ああ、それで・・・」
フリックの声には何の抑揚も無かった。
まるで何処かに感情を置いて来たかの様に。
そしてカミューは、この言葉少ない説明で、ほぼ全てを理解する。
守り切れなかった女の遺言。
それに忠実に従う事で、罪滅ぼしをしているのだと。
そう、フリックは思っているのだろう。

けれど、カミューは思う。
あのビクトールがそんなタマだろうか、と。
人がばたばたと死ぬ時代。
裏切りも生きる為の手段と、当たり前とされるこのご時世に。
逃げ様と思えば容易に出来るであろう環境にいながらも、そうしないのはひとえに・・・


今、此処で。
フリックの誤解を解く事は自分なら容易いだろう。
そうすれば、この二人は・・・
カミューの中の。
悪魔の目蓋がゆっくりと持ち上がる。
まだ、今なら。
今なら、この青い宝石を手に入れる事が出来る。
先に見付けたのは彼でも。
捨ててあるのなら、自分が拾ってもいいだろう?
欲しい。
どうしても、欲しい。
起き上がった悪魔がカミューの内で恫喝する。
そしてカミューは、その声に逆らう事無く身を任すのだった。




「では、貴方は今フリーと云う事ですね?」
「え?ああ、そうなるだろうな。」
カミューにはもう解っている。
フリックもまた、ビクトールの事が好きなのだと。
しかし、それには触れないで。
「だったら今晩、私と寝てみませんか?」
「は?」
突然の思いもよらない申し出に、フリックの動きが一瞬止まる。
握り締めていたフリックの掌を唇に寄せて、カミューはちらりとフリックを覗き見た。
「別にビクトールさんに、操立てをしてる訳でも無いんでしょう?」
言いながら長く伸びた指に軽く口付けた。
慌ててその手を振り払いながら、フリックが少しきつめに反論する。
「だから、あいつとは、そんなんじゃ無いって言ってるだろ?!それに大体、あんたそんな事言ってていいのか?」
「おや?どうしてです?」
楽しそうにカミューは笑ってフリックに詰め寄った。
「どうしてって・・・だって、あんたこそマイクロトフと、その・・・出来て・・・るんだろ?」
しどろもどろになっているフリックの顔が赤いのは、どうやら酔いのせいだけでは無い様だ。
いい歳をした男が、今更この手の話で赤くなるとは・・・
カミューの加虐心に小さく火が灯る。
「よく知ってますね。でも、それが何か?」
にっこり笑って、更にフリックへと近付いてゆく。
けれど、その瞳は笑っていない。
「お、俺に浮気の片棒を担げってのか?」
マイクロトフに刺されるのは嫌だと、フリックがカミューを押し戻す。
それをものともせず、とうとうカミューの手がフリックの頬に添えられた。
「ご心配無く。うまく遣りますから。それに―――」
バレても大丈夫ですから、と付け加えられた言葉にフリックの眉がぴくりと上がった。
それを見逃さなかったカミューが耳元に囁く。
「私は、マイクロトフに死ぬ程、愛されてますからね。」
うっとりと夢見心地になる様な、甘い声で。
「浮気しようと、嫌いになろうと、ね。何があろうと絶対彼は私から離れません。」

だったら尚更、浮気なんかするな。
そう言おうとして、フリックは口を噤む。
何故か、胸の奥の方がざわついていた。
自分には叶う筈の無い幸せを手にしている目の前の彼。
なのに愛されている事に胡座をかいて、好き放題勝手をしているなんて。
何かどす黒い塊の様なものが喉元にせり上がってきた。
嫉みとか、僻みとか呼ばれるそれだろうか?

壊シテシマエバイイ。

何処かで何かが、フリックの内にそれを吹き込んだ。

「なら、いいぜ。でも、あんた相手に俺のブツが役に立つとは思え無いけどな。」
フリックの瞳に不穏な光が煌いた。
上気した頬で、目元を紅くして目を細めて笑う。
その思わず息を呑む程の色香に、ぞくりと身震いをしてカミューは。
頬に触れていた掌を滑らせて、青いバンダナに沿うようにして髪に分け入った。
「そちらもご心配無く。私がする側ですから。」
「ふぅん。ま、どうでも・・・」
最後まで言う前に、カミューの唇がフリックの口を塞いだ。
「大丈夫です。される側のツボは心得てますから、すぐよくなりますよ。」
「じゃ、お手並み拝見だな。」
熱くなる視線を絡みつかせながら、二人は縺れる様にベッドへと倒れ込んでいった。





灯りを消した部屋にぽっかりと切り取られた窓枠から。
痛いかと思わせられるかの様な、青白い月光が床に刺さってもう一つの窓を創る。
シーツの波が青く光って、まるで海に身を浸しているかの様だ。
そこに晒された均整の取れた肌も青く、時折り垣間見える双眼もますます青く。
本当に彼には青が良く似合うと思う。
殊更ゆっくりとフリックの肌に指を這わせながら、カミューはその感覚を噛み締める。
最初は軽く啄ばむだけだった口付け。
けれど今ではもう、口の端からどちらのかともつかない唾液が溢れる程に激しさを増していた。
その液を飲むとワインの味がする様な気がして、二人共夢中で貪り喰らう。
舌が痺れる程吸い上げ、息つく間も与えず口腔を蹂躙して。
フリックが苦しげに呻いて肩を押し戻すのに構わず、カミューは指を胸の突起に絡ませた。
「んっ・・・やめ・・・」
びくりと体を跳ね上げながら、フリックが抗議の声を上げた。
けれども、そこを弄る指は止まるどころか更に執拗に攻めたてる。
「意外と、気持ちのいいものでしょう?」
身を震わせながらその感覚に耐えているフリックに、カミューが悪戯っぽく笑いかけた。
笑いを含んだ声色に、内心憤慨したフリックが冷ややかに返す。
「いつも、こうやって・・・マイクロトフによくしてもらってるのかよ?」
「・・・そうですよ。こんな風に・・・」
フリックの嫌味になどビクともしないでカミューは。
紅い尖りをぺろりと舌で舐め上げた。
「・・・くっ・・・」
「別に貴方とこうする事には、マイクロトフは関係ありませんが・・・」
ワザと乳首に付けたままで喋るカミューの唇が、フリックの腰に甘い痺れを走らせる。
「貴方がそう思うのであれば、貴方も私をビクトールさんだと思ってもいいですよ?」
「なっ!・・・何、馬鹿な、事っ・・・」
硬くなった小さな突起を唇で包み込み、舌先で幾度もノックする。
まだ何か言い掛けたフリックの唇が噛み締められて、その先の言葉を飲み込ませた。
感度の良さに気を良くしたカミューの頭に、意地の悪い考えが浮かぶ。


「フリック・・・」
低い声で。
「フリック、好きだ。」
出来るだけ、あの声に似せて。


「やめろ・・・」
強張った体の上から、呻く様に搾り出された声が洩れる。
「やめてくれ・・・カミュー・・・」
「何故です?好きなのは、本当ですよ?」
勿論、マイクロトフには負けますが。
そう付け加えるカミューに、違うとフリックは首を振る。
「ああ、こんな時に”さん”付けじゃ、味気ないですからね。」
甘い言葉は基本ですからとにっこりと笑って、手を差し伸べる。
「だから、貴方だって、こんなに感じているんでしょう?」
下肢にそそり立つ、欲望の証。
まだ一度も触れていないにも係わらず、熱く息づいている。
やんわりと包んで、そっと上下させながら、フリックの顔を覗き込んでカミューは。
「それとも・・・誰かを、思い出しました?」
さも面白そうに、笑う。
目を細め模られた笑顔は綺麗過ぎて、まるで天使の様だ。
そして、その笑顔で騙す、悪魔の様でもあった。



突き落とされる。

そう思ってフリックは目を伏せた。
カミューを、あの男の代わりになどとは、思え無い。
けれど。
この掌が、唇が、舌が。
あの男のものであったならば。
そう、思ってしまったのは事実で。
そして、知ってしまったのだ。
その妄想に、体が応えて歓喜に震えるのを。
触れて欲しい。
抱いて欲しい。
その、望みを。



他人に触れられる事で、初めて明るみに出された。
自分の内にあった密やかな、けれど狂おしい程の。
切実な願望と身を焦がす欲。

それが暴き出された事に愕然とする、フリック。
そうなる様、導いたカミューは満足そうに頷いて、更に愛撫を加えていった。
下から上へと指をなぞらせて、くびれの部分で軽く爪を立てる。
指先でつま弾く様にそこを何度も引っ掻くと、フリックの口から堪えきれず吐息が零れた。
「はっ・・・あっ、あっ・・・」
今度は軽く握ってくびれだけを摩擦する。
フリックが縋るようにシーツを掴むと、先端に透明な雫が作られた。
更に動きを強くすると、その雫は零れ落ちて。
後から止め処なく溢れては、流れる。
それはより快感を高めようとするかの様に。
カミューの掌に纏わり付いては、動きの滑らかさに拍車を掛けた。
「あっ・・・ふっ、う・・・」
濡れた音が響いて、フリックの耳を擽る。
その音と、自分のものとは思え無い高く上ずった声。
熱に浮かされながらフリックは、どこか遠くの世界の出来事の様だと、ぼんやりと考えていた。
その意識を引き戻すかの様に、カミューが湿った指を、秘所へと宛がう。
「んっ!やっ、いや・・・いや、だ・・・」
「駄目ですよ。ここをよく解しとか無いと、貴方が辛いんですから・・・」
遠慮無く指を差込み、中を弄りながら、カミューはフリックの雄を咥えこんだ。
「やめ・・・っ・・・あっ・・・カミュー、いや・・・」
必死でカミューを引き剥がそうとするフリックの手。
けれどカミューの動きが激しくなる頃には、まるで引き寄せるかの様に添えられていた。
すぐよくなる、と言ったその言葉通り。
フリックはカミューの手で高みへと追い遣られていく。
初めてその身を襲う恐ろしい程の快感に、フリックは正気を保て無くて。
されるが侭に、煽られ、翻弄される。

「そろそろ、いいですね。」
「え?・・・な、に・・・」
2本に増やされていた指が、ずるりと引き出され。
替わりに、カミューの猛りが押し当てられた。
ゆっくり、探る様に。
内を押し広げ、周りを擦って奥へ奥へと突き進む。
フリックは、声も無くただその衝撃に歯を食い縛りただ耐えていた。
それが最奥まで行き付くと、小さな律動が生まれ。
「あっ・・・あっ・・・あっ・・・」
その波に合わせてフリックの口から、甘い声が熱い息と共に洩れる。
「・・・あ・・・いい、すごく・・・きつくて・・・」
眩暈がする程に締め付けられて、カミューもまた吐息を零した。
熱くて蕩けそうなフリックの中を、カミューはひたすら穿ち内壁に擦り付けた。
その度に去来する、激しいまでの快感に我を忘れない様、意識しながら。



上気して汗ばんだ白い肌。
甘く鼻に掛かった、悦びの声。
触れれば過度にさえ思える程、応える体。
嬌淫に咽ぶ、悦楽の表情。
自分に縋りつくすっきりと伸びた腕。


その、何もかもが、想像を遥かに越えている。
そう思ったカミューの胸が高鳴った。
あの戦場で見た、『人ならざるもの』とまで思わせられた程。
青く荘厳と美しかった彼が。
それとは違う美しさを、自分の下で曝け出している。
きっと、この姿を知るものは今の処、自分だけだろう。
独占欲とか、優越感とか。
それらが激しく胸の内を駆け巡る。
欲しい、と思って手に入れた。
けれど、もっと欲しいと、内なる声が言う。
まだ足りない気がして、離したくない、と。


それでも、取り敢えずは手に入れた事でよしとしよう。
悪魔の持ち物と云われる、あのサファイアの様な。
この世に2つと無い、青く美しい宝石の様な、彼を。



溺れるのではないか、と。
一抹の不安を振り払って。
カミューは目の前の海にその身を躍らせた。
青く深い底の見えない、海へ。
その姿を曝け出す月は、益々青く冷たく冴え渡っていた。





目が覚めた。
隣の部屋の扉が閉じる音がして。
マイクロトフが帰って来たらしい。
当然、ビクトールとハンフリーの二人もだろう。
カミューは目を閉じたまま、隣の様子を伺っていた。
案の定起き上がったフリックは、気配を殺して手早く衣服を身に着けている様だった。
そして今にもドアノブに手が届くその時。
「お帰りになるのですか?」
「―――っ?!」
半身を起こし、声を掛けたカミュー。
フリックは驚いて弾ける様に振り返った。
しかし、直ぐに平静に戻って。
そして静かに言った。
「ああ、もう朝が来る。・・・昨夜は少し、飲みすぎた。」
「そうですか。大変楽しかったですよ。また、お付き合い願えますか?」
にこやかにそう告げたカミューと、感情の見えないフリックの目線が絡みついた。
暫し、どちらも身動ぎもせずそうしていたが。
フリックが一言告げると、直ぐに背を向け扉の向こうに消えた。
「また・・・気が向いたら、な・・・」
もうすっかり朝の気配が忍び込む青白い部屋で。
一人取り残されたカミューが、綺麗に笑って呟いた。
「そうで無くてはね。」
その笑顔は、誰も見ていないのが、勿体無く思える程。
禍々しく、美しかった。






「おや、今から夕食ですか?」
その日の夕暮れの時刻。
混雑するレストランの入り口で。
カミューは、ビクトールと連れたったフリックと出会う。
「あ、ビクトール殿、昨日はどうも。よくお休みになられましたか?」
「おお。そっちこそ、寝られたか?」
マイクロトフが話し掛けたのに、軽くビクトールが答える。
「まったく、人使いが荒ぇよな。シュウのヤツ・・・」
「しかし、それだけ大事な方だったのでしょう。」
ぶつぶつ愚痴ったビクトールに、マイクロトフが彼らしく真面目に返した。
「てめぇはただ、一緒に行って、飯食ってただけだろう?どうせ。」
「あぁ?何だって?!人の苦労も知らねぇで・・・」
その遣り取りに横から、悪言と共にフリックが混ざる。
それに心外とばかりに、ビクトールがとって返した。
「いえ、フリック殿。俺もそんな感じでしたから。」
「ふぅん。お前、別に行かなくても良かったんじゃ無いのか?」
「お、何だ?フリック。俺がいなくて、淋しかったかぁ?」
「お前・・・頭腐ってんじゃ無いのか?」
目の前で始まったじゃれ合いに、カミューは何故か苛立っていた。
此処に来てから何度も見慣れている筈なのに。

だから。

「フリックさん、昨夜はお付き合い有難う御座いました。また、是非一緒に飲んで下さいね。」

極一瞬。
フリックの表情が固まった。
「ああ、いや・・・こっちこそあんな高い酒、ご馳走になっちまって・・・」
こう言ったフリックの顔はいつものもので。
懸命に感情を押し殺して、完全に平静を装っていた。
マイクロトフは気付かないだろう。
けれども。
それを見破る人間は必ずいるもので。
自分と・・・彼の傍らに立つ、あの男もそうだろう。
「何だ、カミュー。昨夜はフリック殿とご一緒だったのか?」
「ええ、とても楽しく過ごせましたよ。」
「そうか。じゃあ今度は俺も是非混ぜてくれ。」
勿論。
と、にっこりとカミューは、マイクロトフに微笑んだ。
この鈍感さも愛おしい。
そして妬いたりしないのが、腹立たしい。
「おい、早く行こうぜ。腹減ってるんだ、俺。」
いたたまれなくなったフリックが、ビクトールを促した。
「そうだな。俺も腹減ってんだった。」
「ああ、これは呼び立ててすみませんでした。では。」
「おお、じゃあな。」

別れ際、カミューはビクトールと目が合うと、笑ってみせた。
意味を込めて。
当然、あの男ならその意味に気付くだろう。
そう思って。
背を向けたビクトールからは、何の感情も読み取る事は出来なかったけれど。



二人の気配がまったく消えてしまってから、カミューはとうとう笑いが堪え切れなくなってしまった。
「・・・くっ・・・は、あはははははははは。」
「な、何だ?!一体どうしたんだ?カミュー!」
突然笑い出したカミューに、気色ばんでマイクロトフが心配そうに問い掛けた。
「あ・・・ごめ・・・思い出したら、つい・・・」
「驚かすなよ、カミュー。」

あの時。

自分がフリックと昨夜一緒だと、告げたあの時。
ビクトールの表情が一瞬険しくなったのを、カミューは見逃さなかった。
でも、もう遅い。
ぼやぼやしているから、横から攫われるんだ。
せっかく手に入れた、お気に入りの高価な玩具。
それをそう容易く手放す気は、カミューには更々無かった。
「何か、面白い事でもあったのか?」
「面白い事・・・?」
笑いは収まったものの、まだ可笑しそうにしているカミューを覗き込みながら、マイクロトフが言った。


地位も名誉も権力も。
これから約束されていた輝かしい未来も。
何もかも。
全部捨てて、この愛しい人に付いて来た。
こんな片田舎の明日をも知れない生活で。
少しくらい楽しみがあってもいいではないか。

「それはね・・・これから、起こるんだよ。」
さも楽しそうに。
マイクロトフが見惚れるくらいに美しく。

悪魔の笑みを湛えて、カミューが笑っていた。


アカナイヨルノハジマリ。



                             終わり。2001.06.26.


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え〜と。『イマダアカズノヨル。』では、ビクトールがフリックの事どう思っているかは敢えて触れて無かったのですが、実はカミュ様の読み通り、両思いなんですな〜
このシリーズのフリックは、考え方が兎に角後ろ向きで悲観的(笑)
だから、誰にどう指摘され様とも、ビクトールが自分と共に居るのはオデッサに頼まれたからだと、信じて疑わないんですな。
変なトコロで頑固で偏屈。まったくの困ったさんです(笑)
いや、フリックに限らず、このシリーズの登場人物は皆一癖も二癖もあって、マイナス面が前面に押し出された様な性格です。
嫌だな、こんな人達…



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