「風来坊、隊長、あんた風来坊のビクトールなんだろ?」 レオナに二杯目の酒を注いで貰っていたら、先日入って来た新参の兵士が肩を叩いて隣に座った。 そういえば、確か自分の二つ名はそんなだった気がする。 そう呼ばれなくなって久しいのですっかり忘れていた。 「あーまあ、そんな風に呼ばれてた頃もあったっけなあ。」 先の戦争が終ってから暫くはその名で呼ばれても返事はしなかったものだった。 自分にとっては出来る事を出来るだけやったつもりだったが、端から見れば結構な功績であったらしく、そうと知れればそれなりの騒動も起きたので出来る限りは伏せるようにしていた。 が、ここでミューズお抱えの傭兵砦を任されるようになってからは、その名も幾らかは役に立つようで。 随分と尾ひれ背びれの付いたその名に惹かれた有能な人員を確保出来る事もあって、己から振れ回る事はないにしろ隠し立てするような事もなくなっていた。 「あんたの噂はよっく聞いてるぜ、この国だけじゃ飽き足らずトランでも大活躍だって話じゃねえか!」 酒が入ってるからだろうか、自分はそう煩く言う方ではない事も相まってか、隣の男は新参者が頭領に対するには適するとはとても言えない勢いで息荒まいては背中をばしばしと叩いた。 「俺はあんたに憧れてここへ来たんだよ!!」 そう言って男が高々と杯を掲げる。 それが空なのを見計らったレオナが新しい酒を出しながら冷やかしを入れて来る。 「それじゃあ、ここへ来てがっかりしたろう?あの風来坊は実はただの怠け者ののんべえだと知ってさ。」 「おいおい…」 「そうそ、俺もがっくりきちまったぜー」 「おまけに怖いカミさんの尻にきっちり敷かれちまってるしよー!」 「あっはっは!」 横から話を聞いていた古参の仲間が首を突っ込んで、レオナや他の者が大笑いをする。 「あんなあ…あれは尻に敷かれてる振りをしてるだけだ。ほんとは亭主関白だからな。」 カミさんに例えられたフリックが、ここから少し離れたところで部下と帳簿を開いて何かやってるのをちゃんと確認してから反論する。 勿論聞こえないように。 「隊長、とか言って手が震えてますぜ?!」 この砦が出来た時からの付き合いの奴が、また横から茶々を入れてくる。 「ほんとだ〜!!」 「んな嘘すぐバレますって!」 下品な笑い声がまた一層大きくなって辺りを包んだ。 新参の奴は、その古参の奴らとなにやら遣り取りした後、ちょっと驚いたような顔をして目を丸くしている。 「余計な事言ってんじゃねえ!」 折角新しく入った奴に威厳が示せてたってのによ。 そう言うとレオナが笑ってとどめをくれる。 「そんなの示せるわけないじゃないさ、はじめから威厳なんてないんだから!」 なんだかんだと冷やかされ本当に隊長の威厳もへったくれもないもんだ、と顔を顰める。 しかし取り合ってくれる手合いもなく。 もっとも自分も真剣に悩んでいる訳ではないので、真面目に相手をされても困るのだが。 そんなこんなで、すっかり馴染んで笑い顔になっていた新参も一緒になって。 飲んで騒いで、大いに楽しい時を過ごした。 幾人か酔い潰れて、そして幾人かは自室や持ち場へと戻りして。 静かになった酒場で、やはり隣には意外に酒に強かったらしい新参の奴が座って居た。 レオナが皿を洗う音と、まだ残っていたフリックが書類に何か書き物をしている音だけが聞こえる。 これが最後だと渡された酒をちびちび飲んでいた男が、問い掛けるでもなくぼそりと洩らした。 「本当は意外だったんだ。風来坊と呼ばれるあんたが、ひとところで留まってるなんてさ。」 ほんのごく一瞬、フリックのペンの音が途切れたのが解った。 そうして、また、何事もなかったかのように固い音が紡ぎ出される。 別に質問された訳ではない。 誰かその答えを聞きたいと言った訳でもない。 けれど、あえてそれを口にした。 「別に、好きであちこち彷徨ってた訳でもねえんだがな…ま、流れ流れてってのは性に合ってる気はすんがな。」 ずっと仇敵を追い、その噂を聞いたなら何処へだって行った。 憎しみ苦しみ荒んだ日々。 だけど、それももう終った。 それに。 「旅をすんのも好きだし、あちこち面白そうな事には首を突っ込みてえしな…でも今はいい。」 まだ、この砦で皆と集って一年そこそこだ。 だけど、ここは、自分に取って今一番大切なところなんだ。 「今は、ここに居てえんだ。」 脳裏に、さまざまと思い出が蘇る。 それらはどれも鮮烈で、痛くて切なくて嬉しくて楽しくて。 そして胸を温かくさせる。 「ああ。正直、ここに来るまではなんでかと思ってたけど…なんとなくあんたの気持ちが解る気がするよ。」 そう言って隣の男はグラスをこつんとぶつけて来た。 それに無言で笑ってみせ、底に僅かに残った酒を互いに飲み干した。 フリックのペンの音は相変わらず滑らかに続いている。 こちらに背中を向けているから、その顔は見えないのだけれど。 柔らかい笑みをたたえている気配がひしと伝わる。 ここに居てえんだ。 一番そう伝えたかったのはお前にだと。 言えはしなかったけれど、きっと伝わったのだと。 その後姿を見て安堵した。 |
砦大好き。
2005.09.02