大きな手で頭を撫でた


ビクトールには幾つかの癖があって、これもそのひとつだ。
ひとの頭をやたらと撫でる。
今も何が面白いのか俺の頭を、その大きな、分厚い、ゴツゴツした掌でわしわしと掻き回している。
主に子供を相手にする時の仕草だが、やたらめったら酷ければ日に何度でも俺の頭に手を乗せる。
自分が子供のうち、などとは絶対に思いたくはないので、これはビクトールの癖なんだと思う事にした。

はじめのうちはその癖が出る度に注意したり怒ったりもしていたが、一向に治る気配がないので、最近ではもう好きにさせている。
少々煩わしいけれど我慢出来ない程ではないし、何よりそうしてる時のビクトールの顔を見てしまったら何も言えなくなってしまったのだ。
大概は子供に向けるような笑顔で笑っている、けど。
極、たまに、稀に。
何が嬉しいのか、馬鹿みたいに幸せそうな顔をしてるんだ。


大きな手が、頭を撫でている。
ふと、思い出して口に出した。
「なあ、ビクトール。」
「んん?」
「そういえばヤマトとナナミがお前の事、『お父さんみたい』って言ってたぜ?」
「はあ?お父さんん?」
「ああ、お前、そうやってしょっちゅうあいつ等も撫でてるんだろ。」
「まあな。」
「それが『ゲンカクじいちゃんにもよくしてもらった』、『まるでお父さんにしてもらってるみたいだ』ってさ。」
「へえ…」
ビクトールは小さく呟いた後、俺の頭から手を退けた。

『お父さんはねえだろ、せめてお兄さんとかよー』
『よしよし、俺の父親のよーな深ーい愛情をちゃんと感じたか』

てっきり、そんな明るい反応があると思ったのだけれど、違った。
ビクトールは、今まで俺の頭を撫でていた掌をじっと。
神妙な顔をして食い入るようにして見てる。
「どうかしたか?」
「ああ、いや…」
返事は返ったものの、まだその瞳は自分の掌を凝視している。
本当に、どうかしたのだろうか。
そう思いつつも暫く待つと、ビクトールの低い声が出た。
「そういやあ、俺の親父もよく頭を撫でてたよなあ…と思ってよ。」
ビクトールが、自分の家族について語る事はあまりない。
それは昔に住んでいた故郷と一緒に総て失ったから、という理由が少なからずはあるだろう。
「すっかり忘れちまってたけどよ、親父の手はでかくて分厚くてごつごつして…俺のこの手とそっくりだ。」
何回かひっくり返したりして自分の手をしげしげと見詰めてビクトールが言う。
「なんだかヘンな感じだぜ。」
「…何がヘンなんだ?」
そう問うと、はじめて俺の顔を見る。
そして。
はは、と困ってるような顔で笑った。
「故郷の村が失くなってよ…家も人も思い出も、なんもかもが失くなっちまったと思ってたんだがなあ…」
また視線が外れて、どこか遠くを見るような目をする。
「あの村のもんは全部この世から消えちまって、もう受け継がれるものなんて何にもないと思ってたんだけどよ、こんなところにあったなんてよ。」
こんなところ、と言ったビクトールの手に目を移す。
大きくて、分厚くて、ごつごつとして親父さんにそっくりだと言う手。
「親父にして貰ってたように、俺もこの掌で大事な奴の頭を撫でてやってる。だた、たったそれだけの事だけどよ…ちっせぇ事だけどよ、でも、何も残ってなかったと思ってたもんが、ちゃあんとここに残ってんだなあと思うとよ…」
しみじみ、といった調子でビクトールが言った。
「ヘンだよなあ。」
その顔は小さく笑っているけど、俺はもしかして泣いてるのではないかと思ってしまう。
そう思うけれど、自分には気の利いた事など言える筈もなく。
けれど、これだけは、と声を絞り出す。
「ヘンなんかじゃない。当たり前の事だろ。」
声が少し裏返った。
からだろうか、ビクトールは少し目を見張っておかしな顔をする。
「そうか…」
「そうだ。お前は何もかも全て失った訳じゃない。ちゃんと残ってるものだって、たくさん、たくさんある筈なんだ。」
「…そっか。そうだな…」
そう、肯いてビクトールは穏やかな表情になった。
けれど。
すぐにそれが苦笑に取って変わった。
「解った。解ったからよ…」
「?」
「ああ、もう、だからお前がそーゆー顔すんなって。」
と、訳の解らない事を言った後。
また、大きな手で頭を撫でた。



自分では気付かなくてもちゃんと受け継いでるものってあるだろうね。
2006.01.27