<act.27> 軽やかなノックの音がして、マイクロトフは顔を上げた。 返事を返そうかと思ったと同時に、その扉が開く。 「やあ、マイクロトフ」 顔を出したのは、親友のカミューである。 洗練された身のこなしで部屋に滑り込んできたカミューは、床に直に座り込んでいたマイクロトフの傍に何も言わずに歩み寄った。 そして。 隠し持っていたワインを恭しく掲げて。 「これは最高級のとても高価なワインでね。私のとっておきなんだけれどね、今とても飲みたい気分なんだ」 そうカミューが告げる。 ワインを見ていたマイクロトフの視線が、目の前の顔へと移った。 「一緒に飲んでくれるかい?」 「……」 返事はなかったが、カミューは気にも止めずに話を続ける。 「実はグラスも持ってきてあるんだ。流石に肴はないけどね」 既に埋めてあったコークスクリューを回して、小気味のいい音を立ててカミューは栓を抜いた。そして2つのグラスにワインを注ぐと、片方をマイクロトフに押し付ける。 「ん〜いい香りだ。お前もそう思うだろう…?って、もう飲んだのか」 同意を求めたカミューが見たものは空のグラスだった。 どうやら、マイクロトフは香りも楽しまずに一気飲みしたらしい。 「カミュー」 「まったく。高い酒なんだからもっと味わって飲んで欲しいものだね」 カミューは小言を言いながらも。空いたグラスにまた瓶を傾ける。 それを受けてか、マイクロトフは今度は直ぐには飲まないでいた。 「カミュー」 「うん、味もとてもいい」 名を、もう一度呼んだマイクロトフには応えず。 カミューはワインを一口飲んで目を閉じた。 少しばかりの沈黙が訪れる。 その、静けさの中。 弱々しい声が響いた。 「カミュー」 「何だい?」 「…俺はさっきフリック殿に振られてしまったんだ」 「…そのようだね」 カミューが肯くと、マイクロトフは自嘲の声を上げた。 「しかし、どこかでこうなる事が解っていたような気がする」 「そうか」 「それに、こうなってよかったのだとも思っている。俺は…随分と間抜けな男なんだろうな、きっと」 「…いいや、お前はいい男だよ」 「そうだろうか」 「そうだとも」 カミューは穏やかに笑ってそう応えた。 満たされたグラスをただ見詰めるだけのマイクロトフの。 その瞳から、一筋の涙が。 「…失恋というものは、こんなにも心が痛いものなのだな」 「……」 それには、カミューは何も応えず。 手を伸ばすとマイクロトフの頭を引いて、自分の肩に押し付けた。 「…っ…」 その肩から、嗚咽が洩れる。 大きな体をして、小さく震えるマイクロトフの。 背を優しく撫でてやる事しか、カミューには出来なかった。 「すまない、もう大丈夫だ」 小一時間は経った頃。 マイクロトフは顔を上げ、申し訳なさそうにそう告げた。 現れた顔は目の周りが赤く染まっていはいたが、それでも笑顔と呼べるべきものだった。 「気は済んだのかい?」 「ああ、お陰でな。だが…また泣きたくなったら、肩を貸してくれるか?」 「いつでも大歓迎さ」 「ははは」 言っている事は多少情けないが、しかしその顔はもうしっかりとしていて。カミューがウインクをして答えたのには、明るく笑っていた。 「でも、そう落ち込むものではないよ」 「ん?」 「お前には、私がいるだろう?」 「え?」 聞き返した、マイクロトフの顎を取って。 カミューはその唇に軽く口吻ける。 離れていく時には、悪戯っぽく唇を甘噛みして。 「…カミュー?」 呆然、としたマイクロトフが疑問の声を上げた。 カミューがくすりと笑う。 「お前は気付かなかっただろうけれどね、私はずっとお前の事が好きだったのだよ」 「……」 「ああ、別に答えなんかはいらないからね。ただ、私の気持ちを知っていて欲しかっただけなんだ」 「……」 まだ、マイクロトフは固まったままで。 カミューの笑みは、困ったもののそれに変わった。 「マイクロトフ…怒ってしまったかい?ずっと親友面してきたのに、実のところはそんな目でお前を見ていたと。もしそうなら…」 「い、いや!違う!!そうではない…っ」 カミューの瞳が切なそうに揺らいだのを見て。 マイクロトフは慌てて首を振った。 「そ、そうではなく…ただ、驚いただけだ。お前の事を、そんな風には考えてみた事などなかったから…それに」 マイクロトフに嫌悪の表情は見て取れない。 ただ、純粋に突然の告白に動揺しているだけで。 それを読み取ったカミューが、内心ほっとして続きを促す。 「それに?」 「お前は男だろう?だから…」 「……」 今度は、カミューが唖然とする番だった。 天然、という言葉が頭を過ぎっては消える。 「おかしな事を言うね、マイクロトフ。フリックも男だろう?」 「え…?あ…ああっ!そっ、それもそうだな…」 言われて、暫し悩んだマイクロトフが、はっとして声を上げる。 そして、まじまじとカミューの顔を見詰めた。 マイクロトフの中で。 今まで築いてきた認識が音を立てて崩れていく。 ずっと共にあり続けた親友が。 恋の相手にも成り得るのだと。 「い、いつからなんだ…」 それは、決して問い掛けではなかった。 ただ、胸の内に浮かんだ疑問が口を吐いただけで。 だがカミューはそれに答えるべく思案する。 「そうだな…気付いたのは2、3年前だけど…」 真面目な顔をして考え込むカミューをマイクロトフが見詰める。 その端整な顔は、見慣れていた筈なのにまるで別の人のようで。 改めて、綺麗なのだと感じた。 そして。 「よくよく考えれば、一目惚れってやつかもしれないな」 そう、笑ったカミューの笑顔は。 今まで見てきたものの中で、一番綺麗なのだと。 そう、マイクロトフは思った。 |
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