<act.26> 城内にある宿屋が、改装が済むまでの仮の部屋となっている。 前もって聞いていた部屋の番号を探し出したフリックは、その扉の前で暫しの間逡巡した。 けれど、深呼吸をしてノックを三度。 「どうぞ」 返事はすぐにあって、フリックはぐっと唇を噛み締めた。 ノブを回すと、マイクロトフの姿が目に入る。 その、マイクロトフの顔がぱっと明るい笑顔になった。 意外にも人懐こい笑顔の、それを見たフリックの決心が揺れる。 だがフリックは、鞄をその場に落とすと足を一歩踏み出した。 マイクロトフは二つあるベッドの片方に腰掛けていた。 あまり広い部屋ではなかったが、ベッドの間には小さなテーブルセットが据えてある。 そこまで来てフリックは。 膝と手をつき、頭を下げた。 つまりそれは、土下座というやつで。 「どっ………どうされたんですか?!フリック殿?!!」 突然そんな真似をしたフリックに。 当然マイクロトフは驚いてベッドから飛び上がって駆け寄った。 「すまないマイクロトフ。お前に謝らなければならない事があるんだ」 「え?!い、いや、ともかく頭を上げて下さい」 「いいや、このまま謝らせてくれ」 「…っ、そんな真似をしてまで、何を誤るというのです?」 マイクロトフもまた、フリックの前に跪いた。 「…俺はお前とは付き合えない」 「…っ」 「本当は、もっと早くに告げるべきだったんだ。本当にすまない」 「……」 「この部屋は一人で使ってくれ。俺はどこか適当なところへ行くから。なんなら、正式に誰かと変わってくれるようにシュウに掛け合う」 静かな部屋に、フリックの淡々とした声だけが響く。 「どんな償いだってする。赦してくれとも言わない。だけどお前とは付き合えないんだ。本当にすまない」 フリックは頭を床に付けたまま、固まったかのように動かなかった。 どのくらい時間が過ぎただろうか。 マイクロトフの掌が、フリックの背にそっと置かれる。 そうして、静かに声を。 「頭を上げて下さい」 そう言われて、フリックは素直に顔をあげる。 するとマイクロトフの辛そうな顔が目に入った。 あの、捨てられそうな仔犬のような。 フリックはぎゅっと心臓を掴まれるような痛みを感じた。 「俺の事は、好きになれませんでしたか?」 「いや…」 マイクロトフが尋ねたのに、フリックは首を振る。 「こんな事を言うのは…だけど、俺はお前の事は好きだったよ」 フリックは真っ直ぐにマイクロトフを見る。 「お前は優しくて、真面目だし正義感も強い。自分の信念を貫く強さも持っているし、実際剣の腕だって相当のもんだ」 そのフリックのお世辞なんかではない、掛け値なしの言葉にマイクロトフが複雑な表情になった。 「見た目だって、背は高ぇし、顔だって男前だ」 「…そうでしょうか?」 「うん。俺は結構好きだな。でも見てくれじゃなくて、お前は中身がずっと男前だと思うぜ」 「……」 「それに、一緒に居るのも楽しかった。お前はすごくいい奴だよ」 「…でも、付き合う事は出来ないと?」 マイクロトフはどこか苦しそうにして、苦く笑って問う。 それにフリックも、小さく笑って答える。 「俺に、好きな奴がいなかったら。多分お前の事、すごく好きになっていただろうし、付き合ってもいたんだと思う」 現に、自分はこうして別れを切り出す事がなかなか出来ないでいた。 マイクロトフに惹かれていたのだろうと思う。 だけど。 「お前の方が顔はいいし、性格もいいし、若いし腹は出てないし将来性もあるし…だけど、でも、俺は…あいつの事が好きなんだ」 自分でも趣味が悪いと思う。 でも。 「あいつは俺のこと他の奴と同じだって、そう言って全然俺の事なんて想ってもねーけど、俺は…それでも一緒に居たいんだ。俺には、あいつでないと…っ」 自分を想ってくれている相手がいるのに。 望みのない相手を想う事は愚かな事だろうか。 そうだとしても。 その人しか欲しくない。 他のものはいらないのだ。 この強情のせいで、誰かを傷付けるのだとしても。 「だから、本当にすまない。お前には酷い事をしたのは解ってる。何度でも謝るつもりだ。すまなかった!」 再度、頭を下げる。 その、フリックに。 マイクロトフが声を掛けた。 「頭を、上げて下さいと言った筈ですが」 「…っ」 言われて、おずおずと顔を上げたフリックに目にマイクロトフが。 捨てられる仔犬のような。 いや、捨てたのだ。 自分が。 「俺は、あなたの強さに憧れました。そして一途で健気な姿に心を打たれた。あなたの力になりたい。何でもしてあげたいと」 「……」 「それは今でも変わらない。あなたがその方を想うように、俺も、俺の事を好きでないのだとしても、あなたを好きである事は変わらないでしょう」 マイクロトフが、造り物ではない笑みをみせる。 「あなたがその方と、ずっと一緒に居たいと言うのであれば、俺はその力になる事を望みます」 フリックの手を取って、そっと握り締める。 「あなたは、あなたの望むままあればいい。それを俺がどう想うのかは、俺の勝手であなたには責任のない事だ。あなたが謝ることはない」 安心させるような口調でそう言って。 マイクロトフは毅然と背を正していた。 「…騎士って、皆そんななのか?」 「は?」 「い、いや…」 落ち着いて、取り乱す事もない。 そんなマイクロトフの姿を見て、改めて自分を恥ずかしく思う。 自分のしている事はまるで子供のようであると。 「マイクロトフ、その…すまない」 「いいえ」 「俺はお前のお陰で色々気付かされたんだ。それにはすごく感謝してる」 「…だとしたら、光栄な限りです」 「本当にそうなんだ、ありがとう。そんで…やっぱりごめん、な」 ゆっくりと立ち上がると、繋がれた手が解けた。 少し、名残惜しそうな顔をマイクロトフはしたけれど。 最後にはどうにか笑顔を見せていた。 放ってあった鞄を拾ってドアを開ける。 そうして振り返らずに閉めて直ぐに歩き出した。 自分の身勝手さを思うと、酷く足が重くなっていった。 |
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