爽やかな風が頬を撫でる。日差しは暖かくて、空は高く青く澄んでいる。 ここは傭兵隊の砦から少し歩いた所にある、小さな森の中にある少し開けた空間である。 ビクトールご用達で、絶好の仕事のサボリ場となっていた。 そこに寝転がって組んだ腕に頭を乗せて。ビクトールはぼんやりと昨日の出来事を思い出していた。 昨日もこんな風に良く晴れた気持ちのいい日で。 『俺はやっぱり、オデッサの事・・・今でもとても愛してるんだ。』 砦の執務室で。 窓からの光を一身に受けた、きらきらひかる髪で、真っ直ぐな瞳で、そう言われてしまった。 『オデッサの事、忘れろなんて言わねぇよ。それに、忘れちゃいけねぇもんだって、ある筈だろ?』 そう言われて、自分が返した言葉。 勿論、それに嘘は無い。 けれど、だからと言って心の底からそう思っているとも、言い切れない。 フリックの前だから、と格好付けて強がった部分もあった。 オデッサの事を忘れて欲しいなんて思わない。 けれど、本当はオデッサよりも自分の方をより想って欲しい。 頭では理解していても、感情が付いていかない。そういう事もあるのだ。 出来るのなら、一刻も早く。 彼女の事で自分を責めない様に、思い出として笑って話せる様に。 自分の存在が、彼を幸せに出来る様に。 そうなればいいのに、と思う。 「まぁ、でも・・・いい女だったからなぁ・・・オデッサの奴。」 何しろ自分が惚れ込んだ人物なのだ。仇討ちの旅を一旦保留にしてまで、加担してやろうと思ったくらいに。 ふと、ビクトールは思い付いて眉根を寄せた。 もし、オデッサが今でも生きているとしたら。 それでもフリックの事を、好きになっていたのだろうか―――? 何時からフリックの事を好きになったのか、自分では全然解らないのだ。 この想いに気付いたのさえ、つい最近の事なのだから。 『私にもしもの事があったら、その時はフリックを貴方にあげる。』 嘗ての彼女の声が蘇る。 あれは、オデッサ亡き後その遺志を継いで解放軍リーダーとなる少年と共に行動していた時の事。 サラディへ火炎槍の設計図を届に行ったその帰りで、オデッサと二人で飲み交わした時だ。 「私ね、フリックの事すっっっっごく、好きなの!」 たんっ、と小気味良い音を立てて、勢い良く飲み乾したグラスをテーブルに置いてオデッサは言った。その向かいで同じく酒を飲んでいたビクトールが少々呆れた様に声を掛けた。 「おいおい、大分酔って来ちまったか・・・?」 普段彼女からこういう手の話は出ない。年頃の女がその手の話をしない、というのも些か問題かも知れないが。 兎に角、赤い顔をして常ならぬ話題に触れた彼女に、飲み過ぎなのでは?とビクトールは気を遣った。 「うふふ。そうね、ちょっと酔ってるかも。でも、いいじゃない。たまには・・・ね。」 煩いのがいないのだから。そう彼女は笑ってまたグラスに酒を注いだ。 煩いの、とは当然この場にいない彼女の恋人、青雷のフリックの事である。 しかし悪酔いしている風でもなく、意識もしっかりあるらしい。 大事な任務も無事に終わった事もあって、ビクトールはそのまま咎める事はしなかった。 「すっごく、凄く好きなの!死んでも誰かに取られたくないくらい、好きなの。」 オデッサとフリック。 この二人が付き合っているというのを、解放軍内では誰も知らない人がいないくらいの周知の仲であった。 しかしビクトールはいつも、思っていた。 お互い想い合っている事はよく解る。 けれど二人の関係は、恋人同士などという甘い関係には程遠いものではないのか、と。 それはまるで、奔放なお姫様と命を掛けてそれを守る従者の若者、といった風で。 勿論皆の手前、あまりべたべたする事は出来ない事もあったのかもしれないが。 そう言えば。 オデッサと初めて逢ったのも、こんな小さな街の酒場ではなかっただろうか。 始めは、おかしな女だと思った。 一人で酒場に出入りする様には見えないお嬢様風な彼女は、自分の前に席を陣取って当たり前の様に話掛けて来た。 当り障りのない会話を幾つかすると、自分の身の上を語り出した。 自分は今巷で噂の解放軍のリーダーだと言う。 もっと、男勝りな妙齢の女性を想像していたので、その意外さにあっけに取られた。 そして解放軍のリーダーになった経緯を話す彼女を見て、とある事に気付かされた。 瞳が、自分に似ている。その奥底は復讐に燃えて、冥くて深い色をしていた。 だから、という訳ではないが。 仲間になって欲しいと単刀直入に言う彼女の返事に頷いていた。 その後、どうしてか、自分の旅の理由を彼女に話す気になった。幾らか酔っていたせいなのか。話し終えると彼女は、ただ一言こう言った。 『私達、似た者同士かもね。』 他には言葉はなかった。同情も憐れみも。 それが、酷く有り難かったのを、憶えている。 その後、彼女の恋人の話になり、その時初めて歳相応の表情になった。今の自分があるのは彼のお陰なんだと。 『貴方も、そういう人に逢えるといいわね。』 微笑んだ彼女にはもう凄惨な影はどこにも見えなかった。 後日、紹介された彼女の恋人とやらは、これもまた想像したのとは大分違っていた。 どんなスバラシイ男に出逢えるのかと思っていたのが、こんな若造、しかも明らかに仲間になる筈の自分に、敵意を見せて不機嫌を隠そうともしない奴だとは。 まぁ、見た目はそんじょそこらじゃお目に掛かれない様な、綺麗な顔立ちをしているが。 青雷のフリック。 そう呼ばれている彼は、トレードマークさながらの青い衣装そのままに、性格も随分と青かった。 最初はオデッサが一体何処に惚れたのか、疑問に思って仕方なかったが・・・一緒に幾許か過ごすうちに段々と解るようになってきた。 彼は、恐ろしくひたむきで真っ直ぐだった。 世間すれしていない、純粋さを持っていて。 彼のそういう所に、時折、酷く癒されている気にさせられた。 きっと自分と同じ様な傷を負ったオデッサも、同じ気持ちだったに違いない。 しかし、オデッサを守り戦う事に何の躊躇も無い様に思われたフリックも、また悩む事があったらしい。 一度だけ酒での席で愚痴を聞いた事がある。 『オデッサは今でも、死んだ婚約者の事を好きでいるんだ。』 違う、とは言えなかった。 けれど、自分の持てうる全ての言葉でオデッサを弁明した。 本当の所、オデッサの本心なんて解らない。けれど、見ていれば解る事もある。 そして、返した言葉には、自分の気持ちもまた込められていたのかも知れなかった。 『人ってのは変わってくもんだろ。けど、それは悪い事じゃねぇ。変わる前の気持ちだって、無くなるって訳でもねぇ。』 『大事なもんが増えるってだけだ。そん中で今、オデッサにとって一番大事なヤツってのが、お前さんだって事じゃねぇのかよ。』 ネクロードに殺された村の連中、家族、幼馴染の女。 それらが自分にとって、一番大切なものだった。 その、仇を討つことが、自分の一番成すべき事だった。 けれど。時が経つ、という事は無情なもので。 解放軍の人達、オデッサ、そしてフリックも。 自分にとってそれらもまた一番大切なものになりつつある。 仇討ちを忘れた訳ではなく。 ただ、自分にとって今、一番大事なのは――― きっと、オデッサも同じ気持ちなのではないか、と。 同じ気持ちであって欲しい、と。 そう思って告げた、フリックへの言葉。 黙ったまま俯いてしまったフリックに、この言葉の意味がちゃんと伝わったかどうかは解らない。 けれど、今は解らなくともいつか解る時が来ればいいと。 そう思った。 「心配しなくても、向こうもそんくらい好きなんじゃねぇの?」 色々と思い巡らせながらビクトールは、端から見た率直な意見を言わせて貰った。 「でも私、長生き出来ないかもしれない・・・」 「はぁあ?!」 唐突に話題が変わって、ビクトールは素っ頓狂な声を上げた。 「そしたら、フリック、どうするかしら・・・?」 「どうするもこうするも・・・」 酔っ払い相手に何もまともに答える事はないか、とも思ったが。オデッサの様子に何か感じ取ったビクトールは、少し考えてから言った。 「まぁ、あいつの事だから、後を追う様な真似はしねぇとは思うが・・・出家でもしてお前さんに生涯捧ぐんじゃねぇか?」 半分、冗談混じりで答えたつもりだった。しかしオデッサはどう受け止めたのか。 「・・・そんなのは、嫌。フリックには、幸せになって貰いたいの。」 そう言って、オデッサは机に頬杖をついて溜息を吐いた。 「でも、私の可愛いフリックを、他の女に取られるのは、死んでも嫌ぁ〜〜〜っ!」 「・・・女心は複雑だねぇ・・・」 両手で顔を覆って悲壮な声を出すオデッサに、ビクトールはやれやれとグラスを仰いだ。 いつもふわふわとしているが、決して取り乱す事などない解放軍リーダー。こんな彼女を見たら、解放軍の奴等は目を剥いて驚くのかもしれない。 「でも・・・貴方になら、あげてもいいわ・・・」 「は?」 開いた口が直ぐには閉まらなくて、思わずグラスを落としそうにもなる。 何をくれるって・・・? もしかして、フリックとか言うんじゃねぇだろうな・・・ 別にいりません。 と言うより早く、オデッサが自分を見詰めてにこやかに言った。 「私にもしもの事があったら、その時はフリックを貴方にあげる。」 「あげるって・・・んな、モノみたいによ・・・」 予想通りフリックだったか、と少々脱力しながらビクトールはオデッサを見詰め返した。 酔っているからなのか、考えてる事が良く解らない。 「あら、フリックの事、嫌い?」 「いや、別に嫌いとかじゃ・・・って、嫌ってんのは、あっちの方だろ?」 嫌い、かと問われてビクトールは、慌てて言い訳する自分に自分で些か戸惑った。 嫌いなどではない。どちらかというと、あの純朴な青年の事はかなり気に入っているのだ。 しかしフリックの方はというと、けんもほろろな態度で、まるで自分を親の仇の様に扱うのだ。 「ふふ。あぁ見えてもね、フリックは貴方の事、結構好きなのよ?」 「どうだかねぇ・・・」 「それに、私と貴方は似てるんだから、フリックが好きにならない訳ないわ。」 「そんなもんかねぇ?」 「だから、ビクトールだって、フリックの事、好きでしょう?」 「・・・どーゆー理屈なんだ、それは・・・」 自身満々に胸を張るオデッサに、ビクトールは肩を竦めて苦笑した。 可愛らしい、と思う。こんな風に話す彼女を滅多に見る事はないが、オデッサとて年頃の綺麗な娘なのだ。本来なら、恋だのお洒落だのに、きゃあきゃあ言って騒いでいるのが普通なのに。 解放軍のリーダーとして、常に気を張っている彼女は時に、痛々しいとさえ思える事もある。 こんな風にいつも笑っていられる様に、早くなればいいのに。 「・・・それは兎も角、俺なんかより他にもっと適任がいるだろうが。ハンフリーとか、サンチェスとか・・・フリックのお気に入りの奴がよ。」 「あら、駄目よ。ハンフリーはまだ自分の過去を許せてないし、それにサンチェスは・・・」 「・・・・・・?」 途端に瞳に暗い影がよぎった気がして、ビクトールは眉を寄せた。ハンフリーの過去については少しだが話を聞いた事がある。 しかしサンチェスは・・・何か、あるのだろうか?そう思った時。 「兎に角!私は貴方に決めたの!だから貴方がフリックを幸せにしなさいっ!!」 だんっ!とテーブルを叩いた後、ビクトールを指差しながらオデッサはきっぱりと言い放った。あまりの剣幕にオデッサを覗き込んでいたビクトールは、後ろに仰け反ってしまう。 空になったビクトールと自分のグラスに新たに酒を注ぎながら、オデッサはにこりと微笑んだ。カチリと杯を合わせる。 「約束したわよ。ビクトール。」 「まだ俺、返事してねぇんだが・・・」 「何よ?!文句あるわけ?本当は貴方にだって、渡したくなんかないんだからっ!」 それをあげるって言ってるんだから、素直に頂戴しなさいよ!とばかりに上目使いで睨んでいる。妙な迫力があって怖いかもしれない。 「あぁ〜もう、好きにしてくれ・・・」 がっくりと項垂れるビクトールを満足気に眺めると、そのままオデッサはグラスを仰いだ。 そんな様子にビクトールも渋々とグラスを傾けたのだった。 その後、オデッサはフリックと二度と会う事はなかった。 自分が、彼女を水に流した。 冷たく暗い地下の水路に。 涙が出た。 亡くしてはならない人を亡くした。 守り切れなかった自分の不甲斐なさにも、腹が立った。 そして、哀しむフリックの顔が浮かんで、酷く胸を痛くした。 オデッサが死んだ時の事を思い出して、ビクトールは両手で目を覆った。 オデッサはいい友人だった。 フリック程ではないにしろ、彼女の死を悼む気持ちは大きなもので。 自分の目の前で逝かせてしまった事も相まって、今だにこうしてビクトールの目頭を熱くさせる。 フリックはビクトールを責めなかった。 最初に告げた、あの時以外を除いては。 それがビクトールには辛かった。 もっと「お前のせいだ」と詰って怒りや悲しみをぶつけてくれていれば、まだ救われた気になれたかもしれなかったのに。 早く、彼女の事で自分を責めない様に、思い出として笑って話せる様に。 フリックにそうなって欲しい、と思う。 そして自分もまたそうなりたい、と思う。 オデッサとの盟約は他の誰も知らない、二人だけの秘密だ。 フリックだって知りはしない。 あの後直ぐに逝ってしまったオデッサ。 偶然なのか、必然だったのか。 けれど、今になって思えば彼女は何となく勘付いていたのかもしれない。 サンチェスの裏切りも。それによって、自分が命を落とす事も。 そしてそれでも笑って、自分にフリックをあげると言った。 「ほんと、敵わねぇよな・・・」 女として惚れてた訳じゃない。 けれど、きっとオデッサ以上のいい女になど、この先巡り逢えそうにもない気がしている。 そしてそんな彼女が今、恋敵なのだ。 「ま、分があるとすりゃあ、生きて側にいるって事ぐらいかもな・・・」 少し自嘲気味に笑って、ビクトールは独り呟いた。 手を顔から離すと、飛び込む光が嫌になる程眩しい。 『ビクトールだって、フリックの事、好きでしょう?』 いつから、なんて解らない。 オデッサが生きていても好きになったかもしれないし、そうでないかもしれない。 けれど、解放戦争が勝利に終わった後に。フリックに「一緒に行こう」と言ったのは、オデッサとの約束があったからだけではないのだろう。 オデッサの思惑通りに事が進んでいる気がしないでもなくて、少々癪な気分だが、それもまた良しとしよう。 自分は今とても幸せだ。フリックも幸せに違いない。 そう思う事にする。 「それでも、負けねぇよ・・・」 もういない彼女に遅まきながら、戦線布告すると、高く青い空で微笑んでいる姿が目に映った。 柔らかい風がビクトールの脇を吹き抜ける。 ビクトールは、そんな幻に、自分もまた目を細めて笑ったのだった。 |
前回の後書きにあった予告(?)通りに、ビクトールから見たオデッサの事を少々。本編は全然進んでないので、4とつけるにはあまりにも気が引けたので、3.5としました(汗) オデッサも女の人なので、きっと友人に見せる顔と恋人に見せる顔は違っていたんだなぁ、とか思うんですが。フリックから見た彼女は「強く見せてるけど、本当は脆くて守ってあげなくてはならない」みたいな存在(それだけじゃないけど)ですが、ビクトールから見た場合はもっと強かで豪気なカンジでしょうか〜? 勿論、ビクトールの知らないオデッサの顔を、フリックも知ってる筈なんですけども〜 どうもフリックはあまりそういうのに、興味ないとゆーか、気付きそうにない、とゆーか(笑) きっと彼女が死んでから「オデッサはこんな人間なんだ」って事を考え始めたのではないかと。 本編続きは、近いうちに必ず〜(汗)うぅ、すみません・・・ |
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