<act.20> 夜明け前。 本拠地の城門を出てすぐ側にある木の根元。 蒼で彩られた世界に凛とした空気が満つる。 それに身を浸して、フリックはじっと空を見詰めていた。 そんなフリックの隣にはマイクロトフが。 月が、西の空にもうすぐ消え入りそうになっている。 その月が、まだ空に掛かる前に自分達は城へと戻っていた。だが、一緒に戦場へ赴いていたビクトールとカミューの部隊はまだ戻らない。 布陣的に撤退時には二人の部隊が殿を務めるのは解っていた。 きっと、追い縋る敵を退け、直ぐには帰るに帰れない状況だったのだろう。 いまだ帰らぬ相棒を、フリックは待っている。 いつもなら、こんなところでこんな風にして待ったりしない。 けれど今は、何故かそうせずにはいられなかった。 今回の戦は、云わば負け戦だった。仲間が離反し、窮地に立っての。 勝ち戦での退陣とは訳が違う。殿を務める、という意味が。 つまりは、捨て駒であるとも言えるのだ。 将を逃がすための、意義のある犠牲。 ビクトールが並ならぬ猛者であると知っている。 一緒にいるであろうカミューもまた、強さでは稀を見ない事も。 彼らの強さを信じない訳ではない。 けれど。 どんなに強い者でも。 どんなに必要とされる者であっても。 逝く時は呆気なく逝ってしまうのだ。 自分はそれを知っている。 例えば、あの月を見る度に思い出す女だとか。 「っ!」 「フリック殿…?」 「あ、いや別に…」 うすら寒さを感じたフリックが、身を竦ませマントを掻き合わせたのを見たマイクロトフが心配そうにして覗き込む。それにフリックはなんでもないと頭を振った。 そんなフリックにマイクロトフが優しい声を送る。 「大丈夫です。必ず帰って来ます」 「ああ…そうだな」 見透かされた、と思いながらも。 気遣ってくれたマイクロトフに自分も笑って返す。 そして。 そういえば、と改めて思った。 ここへ来たのは独りきりでだった。 夜半も過ぎた頃、月がまだ明るかった時分。 そこへ、幾許かも過ぎないうちにマイクロトフが現れたのだ。 それから。 こうして二人して、何をするでもなく。 何を話すでもなく。 マイクロトフは何故ここへ来たのだろうか。 自分を探して。 もしくは。 また、彼も相棒の帰りが遅いのを憂いての事だったのか。 あるいは、そのどちらもであるのか。 ふと、そこでフリックは気付いた。 マイクロトフと成り行きであったにしろ、いまだに付き合っている事になっている。 その、マイクロトフの事を。 自分はあまりにも知らないでいたのではないのか、と。 先程よりか、幾らか白んだ薄闇の中。 隣にある顔をまじまじと見る。 その眼差しは固く。 遠くを見据えてまるで何かを探しているかのような。 その視線を追って。 同じ方を見ると、果てしなく続く筈の道が小さな丘で途切れている。 「…遅いよな、あいつら」 「そうですね」 ぽつりと洩らすと、無機質な声が返った。 その声音が辛さを滲んでいるかのように思えて。 「なあ」 「はい」 「この戦争が終ったら、お前はどうするんだ?」 「戦争が…終ったら、ですか?」 「ああ、ここに留まるのか?それとも…」 「そうですね…」 そこまで言って、一旦マイクロトフは言葉を切った。 そして何か思案に暮れた顔をして。 充分に時間を費やしてから続きを発した。 「俺は、マチルダに帰って騎士団を再興させたいと思ってます」 「そうか…じゃあ、カミューと一緒に帰るんだな」 「いえ…そうあればいい、というだけで」 マイクロトフが苦く笑って、そう訂正を入れる。 そんな笑い方をするのは初めて見た、と思って見入ってしまった。 「…俺の希望だけを言わせて貰うのであれば、この戦いで無事に勝利を治めた後、カミューと共にマチルダへ戻り騎士団を復興させるために尽力したい。そして、出来る事ならその時あなたには傍に居て貰いたい。」 「…そう、か」 真面目に、そして自分の気持ちに臆する事無く。 そう告げるマイクロトフに、酷く自分が惨めな気分になった。 「俺も、騎士団の復興の手伝いをすんのか?」 「え?そ、そうですね、そうして貰えれば大変心強いし助けにはなりますが…正直、そこまでは考えてなかったな。ただ、傍に居てくれればそれだけで…」 「そうか………そうだよな」 「何か?」 「い、いやっ、別にっ!」 思わず笑みが零たのに、マイクロトフが少し怪訝な顔をした。 それに慌てて手を振った。 笑ってしまったのは。 想像したからだ。 自分が、あの堅苦しい騎士の服を着ている姿を。 そしてあの規律の厳しい騎士の生活に身を置く姿を。 想像して、なんて似合わないんだと思ったのだ。 想像する。 この戦いが無事に終って。 マイクロトフに付いてマチルダへと行ったとする。 騎士達に戦いなんかを指南したりするのは、楽しくもあるだろう。 けれど。 自分はきっと騎士にはなれない。 根っからの傭兵気質が沁み付いているのだ。 自由で、気侭で、自分の信念だけに生きる。 戒律や理念を貫く騎士とは、ある意味正反対なのだ。 自分は、あんな風には生きられない。 いや、生きたいと思えない。 生きたいと思う生き方。 それは。 どこまでも広がる抜けるような青い空。 彼方へと続く一本道。 吹き抜ける強い風。 そして。 その世界を。 自由に、共に行ける相棒が。 そこまで想像して。 どうしてだか、泣きたくなった。 それをどうにか抑えて、声を絞る。 「なあ、もし俺が…一緒に行けないって言ったら?」 酷い事を言ってる自覚はある。 けれど、そんな自分に。 また、マイクロトフは笑い掛けた。 「そうですね。本当なら攫ってでも連れて行きたいところですが…諦めます。しかしその方が、結果としてはいいのかもしれません」 「え?」 「悲しみを忘れる為に、俺はきっと仕事に打ち込むでしょう。そうすれば騎士団の復興もその分早いでしょうからね」 「……」 思いもよらないマイクロトフの台詞に。 暫し呆気に取られて何も言えないでいた。 もしかして、もしかすると。 この目の前の、真面目一辺倒の朴念仁に思えた男は。 実はそれだけではなく、大変な大物であるのかもしれない。 いや、伊達に騎士団の団長をやっていた訳ではなかったという事か。 「じゃ、じゃあ、カミューも一緒には行けないって言ったらどうなんだ?騎士団の復興は諦めて、お前もカミューと一緒に行くのか?」 「……」 その問いに、マイクロトフの動きが止まる。 けれど。 逡巡した後、はっきりと返事は寄越された。 「いいえ」 その声は力強い。 「カミューに他に為すべき事があるのなら、俺はそれを止める事など出来ません。なので、騎士団復興は一人でする事になるでしょうね」 そして迷いもなかった。 「なら、カミューが自分と一緒に、マチルダ以外のところへ行って欲しいって言ったらどうなんだ?」 「断ります」 「…っ」 「騎士団復興は、俺の使命であり義務だとも思っています。他の事にかまけてなどいられません」 「いいのか、それで?」 「よくはありませんが…互いの道が違ってしまうのなら、それもまた仕方のない事だ」 「でも…お前ら、親友なんだろ?いいのかそれで?離れてしまっても!?」 なぜ、こんなにも焦燥してしまうのか。 フリックは自分でも解らないままにマイクロトフに言い募る。 マイクロトフはといえば、いたって穏やかで冷静だ。 「道が違ってしまったら、親友ではなくなるのですか?」 「え?」 「離れてしまったら、いつもずっと傍に居なければ。親友ではなくなってしまうと?」 「……」 「俺はそうは思わない。例え道が違っても、傍にいる事が出来なくなっても、俺にとってカミューは誰よりも大切な親友にかわりない。」 マイクロトフの声も、言葉も。 強くてまっすぐだ。 その想いのままに。 「例え、そのまま一生会えなくなるのだとしても。カミューが、カミューであり続けるのなら、カミューは俺にとって一生親友であり続けるのだと、そう思う」 「……」 「あなた方は、そうではないのですか?」 「えっ?!」 「あなたとビクトール殿とでは、そうではない?」 「え…」 道が違ってしまっても。 離れてしまっても。 例え一生会えなくなってしまっても。 『でも、そういう事もあるって話だよ』 レオナに言われた言葉が頭を掠める。 現実味をもって。 想像する。 この戦いが無事に終って。 果てしなく続く道の上。 岐路に立つ自分とビクトール。 元気でな。 そう、ビクトールが言う。 例え、この先、一生会えないんだとしても。 お前は俺の相棒だ。 ビクトールが、そう言って笑う。 それに。 自分は。 そうだな、と言って笑うのか? 笑えるのか? 本当にそれでいいんだと? このまま、一生会えなくなってしまっても? 本当にそれで? 「フリック殿!」 「っ!!」 荒げた声がマイクロトフから出て。 フリックは、はっとして体を強張らせた。 その、肩を叩きながらマイクロトフは遠くを指差す。 「あそこに灯りが!ほら、あの辺り!」 「あ…」 確かに、松明らしき灯りが幾つもそこの小高い丘の上で揺れている。 「帰って…来た」 「ええ、間違いないでしょう」 まだ、互いの相棒の無事が確認された訳ではない。 けれど。 ほっとして、緊張の糸が緩むのを感じる。 そうして二人して。 揺れる灯りが近くに来るのをただ黙って見ていたのだった。 |
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