<act.19> 「くっそ!やってくれやがったぜ!リドリーの野郎ぉぉぉ〜!!」 「まあ、我々が思っていた以上に種族間の溝は深かった、という事でしょうね…」 ビクトールが地面に転がる石ころを蹴っ飛ばしながら悪態を突く。 それにカミューは些か疲れた声で応えて溜息を吐いた。 ここはラダト郊外。 昨日、ヤマトと共に本拠地に持ち帰った情報を大きくみた軍師の鶴の一声で、今日の朝早くから急遽戦闘に駆り出されたのだ。 つまりはハイランド側が占拠したラダトを取り返すべく戦線を敷いたという事だ。 そして。 結果、敗走の徒となったのである。 原因は味方の裏切りとも取れる行為で。 コボルトを前線に置くその布陣に。その存在を軽く扱われたと、コボルトの長であるリドリーが叛旗を翻したのだ。 戦場からコボルト兵達があっけなく退陣してゆく。 あまりもの戦況の悪化に、同盟軍は撤退を余儀なくされたのだった。 しかし、敵もそう簡単には逃してくれる訳でもなく。 コボルト兵が退いた事で、矢面に立たされたリーダーを無事に逃すべく。当然のように追い討ちを掛けてくる敵兵を迎え討つ者がいる。 そしてビクトールとカミューの隊は、配陣的にその役を担ったのだ。 リーダーであるヤマトの隊が確実に逃げ切れるまで。 次から次と執拗に襲い来る兵士を、洩らす事無く仕留めなくてはならないのだ。気力、体力共に掛かる負担は相当なものである。 コボルト達を撤退させたリドリーに対して。 気持ちが解る部分があるので、本当はそう含むものはない。 ないが、この今の状況に陥った事に対しての恨み言を言いたくなるのは仕方のない事だろう。 リドリー達が居なくなったりしなければ、今頃は酒場で祝杯を上げて盛り上がっていたに違いないのだ。 「あーしかし腹減ったぜ…今回の敵さんのしつこいったらなあ」 「あちらもラダトを押さえて勢いに乗っていたんでしょう。何にしろ抑え切る事が出来てよかったですがね」 もう、辺りはとっぷりと日が暮れている。 煌々と輝く月が、空を刳り抜いたようにある。 本拠地に着く頃には夜が明けているかもしれない。 急拵えした松明の灯りが、肩を落として帰路につく兵士達を赤く照らしていた。その顔はどれも疲れ切っていて。 隣を歩くカミューの顔もまた、普段の精彩さは見当たらなかった。 「何です?」 「あ?いや…色男も台無しだと思ってよ」 視線を感じたカミューが訝しげに視線を寄越してくる。 それに、ビクトールは笑って言った。 すると。 「…あなたは更に男前が上がってますよ」 そう、カミューが皮肉っぽく笑って返してくる。 そうして互いが顔を見詰め合ったあと。 どちらもが笑って、肩を叩き合った。 「…早く、帰りたいですね…」 「ああ…」 疲れて重い足を引き摺って。 空を見上げると目に映り込む美しい月。 その月に。 相棒の姿が被って見える。 ビクトールは、その月をなんとも言えない気持ちで見上げた。 今頃何をしているだろうか。 きっともう本拠地にはとっくに辿り着いているだろう。 いつもなら戦の後は、勝っても負けても二人で酒を。 いや、戦のない時も。 ずっと、二人でいた筈だった。 なのに、いつからだろう。 二人一緒が当たり前だったのに。 それが、今では。 今頃一体何をしているのだろう。 自分の居ない、あの城で。 自分でない誰かと酒でも飲んでいるだろうか。 誰か。 マイクロトフとでも。 そこまで思ったビクトールの拳にぎゅっと力が入る。 目の端に捉えた月は、やはり美しい。 握りこんだ拳をそっと開く。 そして掌を見る。 昨夜、この掌でフリックに触れた。 指で分け入った髪はさらさらと心地よく。 何かを言い掛けてやめた、フリックの困惑した表情。 あの時自分は。 フリックが突き飛ばさなければ。 どうしていただろう。 「心配ですか?」 「っ!」 不意に掛けられた声に振り返ればカミューのしたり顔が。 暗にフリックとマイクロトフの事を告げているのだろう。 「…そりゃあな。リドリーの今後の動きも気になるし…このままラダトを捨て置く訳にもいかねぇしなあ」 「またまた、そんなすっ呆けて」 「何がだ?」 カミューの話題には乗りたくないので、わざと違う答えを寄越す。 それにやれやれといった苦笑が返ってきたが気にしない。 「…あたなはもっと、アレな人かと思ってましたがねえ…」 「んだよ?アレってな」 呆れを含んだ声に片眉を上げて見遣る。 と、肩を竦めたカミューに今度は小さな笑いを投げられた。 「いえ、思っていたよりもずっと純情な方でしたって事で」 「…なんじゃそりゃ」 「言葉通りの意味ですよ」 「ふん…」 「もっと素直になった方がいいと思いますけどねえ」 「……」 「自分に正直にならないと後で後悔しても知りませんよ」 「…っ、てめーはっ!ただ単に俺にフリックをおっ付けて、マイクロトフを取り戻してぇだけだろーが!!」 「ははは、バレてましたか」 「けっ!」 さくっと無視するつもりでいたビクトールであったが。 我慢出来ずについ怒鳴りつけてしまった。しかしそれに返ってきたのはあっけらかんとしたカミューの明るい笑い声で。 気を削がれて前へと目を戻すビクトールに。 今度は、少しばかり潜められたカミューの声が。 「…ですがね、後悔して欲しくないというのも本当なんですよ」 「あぁ?」 その、声音の変わったのにビクトールがカミューを見る。 カミューは立ち止まり今まで来た道を振り返っていた。 真摯な表情で、遠い先を見据えて。 「いつ、何時、自分が…どうなるかなんて解りませんからね。」 「…ああ」 ビクトールもまた、同じ方を向いて肯いた。 きっと二人、見てるものは同じだ。 ラダトの向こう。 まだ、燻る火と血の匂い。 あの戦場になった地では。 野晒しの幾つもの斃れた兵士が。 「てめーこそ、後悔しないようにした方がいいんじゃねぇのか?」 まだ、遠い先を見詰めるカミューにビクトールが告げる。 それに、薄く笑いを浮かべてカミューは。 「…そうですね。マイクロトフがフリックに振られたら、告白でもする事にしますよ。」 言って、ビクトールに向き直り。 「だから、頑張って下さいね」 ウインクを寄越しながら、また歩き出した。 その背に向かって、ビクトールが舌を出す。 「何を頑張れっつーんだよ」 「解ってるくせに」 「解るかっつーの」 追って、ビクトールもまた歩き出す。 立ち止まっていた分さっきよりもずっと部隊の後方となっていた。 それから暫く二人は無言で歩いた。 月はまだ、明るく輝きながら天空にいる。 それを見上げ、ビクトールはそっと溜息を吐き出した。 そうだ。 解らないのだ。 自分がどうしたいのか。 フリックを。 どうしたいのかも。 |
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