<act.17> やはり早い時間だったため、酒場はまだ閑散としていた。 しかしここも後数時間すれば人でごった返すのだ。 最近、少しずつではあるが、同盟軍への志願兵が増えている。 また、焼き討ちにあった村や町からここへ流れてきた人々も。 そういった輩で、それ程広くはないこの酒場はすぐに人で溢れてしまうのだった。 また、近々改装するという話を耳にした憶えもあった。 「おや、一人かい?一緒に帰ったんだろ?」 いつものテーブル席ではなく、カウンターに腰を下ろしたフリックにレオナが声を掛けた。 それに、少し困ったように眉を顰めて。 フリックは答えて目を落とす。 「ああ…飯食いに行ったよ…」 「……それで、あんたは食べないのかい?」 「何か作って貰えると有難いんだが…」 「まったく…また喧嘩でもしたのかい?」 項垂れるフリックをカウンター越に眺めて、レオナが溜息を吐く。 しかし、その目許は、どこか懐かし気に眇められていた。 「あんた達はほんと、いつまで経っても変わりやしないんだから…」 そう言って、フリックがいつも頼む酒がテーブルに置かれた。 この、本拠地の城に来る前。 ビクトールとフリックとで傭兵砦を仕切っていた。 そこには食堂兼、酒場があって。 レオナはそこを守ってくれていた。 その砦で。 自分とビクトールはよく些細な事で喧嘩した。 その度に。 こんな風にレオナの許へ来ては飲んだくれていたのだった。 フリックは想いを馳せる。 温かい、居心地のいい、処だった。 いつも笑いが絶えなくて。 戦争中、そしてその為の施設であったから、辛い現実に直面する事もあったけれど。 それでも。 それを補って尚。 あの場所は本当に。 愛すべき場所であった。 失くして、尚強く思う。 自分は、あの場所を愛していた。 あの男が。 『我が家』と呼んだ。 あの場所を。 「はいよ。」 「すまないな、レオナ。」 レオナが、簡単な料理をフリックに寄越した。 それにフリックが礼を言って、手を伸ばす。 「ん、美味い。」 から揚げを頬張ったフリックに、小さな笑みが浮かんだ。 それをレオナは見て。 同じように小さく笑った。 けれど。 「でも、これからはあんた達が揃ってんのも、あまり見えなくなるんだろうねえ…」 残念だよ、とレオナが洩らした言葉に、フリックが不思議そうに顔を上げた。 「え?何で…?」 「何でってあんた…」 まったく解らない、と言った顔で尋ねるフリックに、少し呆れてレオナは吸ったタバコの煙を吐き出した。 「だってフリック。あんたマイクロトフと付き合ってるんだろう?」 「べっ…!別に付き合ってなんか…っっ!!」 「でもキスくらいはしてんだろ。」 「なん…っ、何でっ、知っ…?!」 「女の勘てヤツさね。」 「…っ!」 たかがキス、くらいで赤くなってしどろもどろする20代後半男に。 レオナがちょっとうんざりした顔をした。 純情である事がフリックの魅力のひとつではある、とレオナもそう思ってはいる。 けれども、実際、大人の付き合いでキスの一つや二つ、と思わないでもない。 「まあ、マイクロトフの事は置いとくにしてもだね、ここはあの砦と違って人も多いからね。」 なので、蒸気のあがったフリックは捨て置いて話を続ける。 「いくら相棒だからって、ビクトールとばっか連るんでられないだろ。それに…お互いにそれこそ恋人でも出来りゃあ、そっちに出ずっ張りになっちまうだろうしさ。」 「そ、そんなもんか?」 「ま、夜に恋人より相棒といる方がいいなんて変わり者がいれば別だろうけどね。」 「……」 「それに、何時終わるかなんて解りゃしないけどさ…この戦争が終わったってそうだろ?」 「え?」 「あんたがそん時にまだ付き合ってりゃ、マイクロトフと一緒にここに残るか旅に出るかすんだろ?それにビクトールが引っ付いていようなんて思やしないだろうさ。」 思ってもみなかった、未来の話。 それを聞かされてフリックは呆然としていた。 「それにそれこそ、あの熊男にだっていい人が出来てないとも限らないでしょ?あんたがもし旅に出ようと思ってるのに、ビクトールがその人と所帯を持つって言っても一緒に行こうって言うのかい?」 「…それは…」 「先の事は誰にも解りはしないけどね…でも、そういう事もあるって話だよ。」 丁度、そうレオナが言い終わった時に。 どやどやと団体が入ってきた。 門番やその他の見張りやなんかの交代の時間を過ぎたらしい。 そうなると、ここは一気に慌しく、そして賑やかになるのだ。 「すまないね、ちょっとこれから忙しくなるよ…」 「ああ、いや、俺は適当にやってるから…」 そうしてくれると有難いよ、と。 格別の馴染みであるフリックにレオナは笑って応える。 そうして、最後に新しい酒をフリックに手渡してから、新しい客の準備にと背を向けたのだった。 独りになって。 急に。 レオナが言った言葉が現実のものとして頭を掠め始めた。 この、3年間。 自分は、ずっと、ビクトールと一緒だった。 毎日、顔を合わせて。 話して、笑って。 怒鳴り合って、殴り合って。 そして。 夜にはいつも、一緒に酒を。 だから。 これからも、ずっと。 そうなのだと、思っていた。 自分の一番傍には、ビクトールが居る、のだと。 けれど。 レオナが言ったように。 いつか。 互いが、それぞれ違う相手と、酒を飲んでいるのだろうか。 互いが、それぞれ違う相手を、相棒と呼んでいるのだろうか。 この3年で。 背中を預けられるのは、ただこの男だけだと。 背中を守ってやるのは、ただこの男だけだと。 そう、強く思った。 そう、強く信じた。 一生に続く、絆を。 手に、入れたのだと思っていたのに。 なのに、いつかは。 あの男とではない人間と自分は一緒に居て。 あの男は自分ではない人間と一緒に居る。 そんな日が、訪れるというのか。 「…っ!!」 その、光景を思い浮かべて。 フリックの心が酷く痛んだ。 そして。 きっと、そんな風に。 思っているのも自分だけだと思って、更に傷付く。 そう、一生の。 かけがえのない、相棒だと、そう思っていたのに。 最近の、ビクトールの自分を見る目は冷たい。 昔は、そんな事なかった筈だ。 それとも。 剣の腕だけではなくて。 一人の人間として。 向き合い、共に並び立つ。 そんな相棒として選ばれたのだと。 そう、思っていたのは自分だけだったのだろうか。 手元のジョッキを手繰り寄せ、残りを一気に飲み干す。 給士の女の子にお代わりを貰って、また、それも勢い良く飲む。 その、背後から。 どっ、と歓声が沸き上がる。 振り返り見ると、酔って盛り上がった連中が肩を組んで杯を掲げていた。 それを見るフリックに、怖いほどの孤独感が襲う。 首を振って、それを拭い去るかのようにまた、フリックは酒を飲んだ。 そしてそれから、何杯も。 けれども、楽しい気分になるどころか、酔う事も決して叶わなかった。 |
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