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<act.16>



フリックがマイクロトフに連れて来られたのは、先程まで居た城の屋上だった。
すっかり日は暮れてしまい、濃紺の空が広がるばかりだ。
風はさっきよりも酷く。
その冷たさは身を竦ませた。

ぐいぐいと腕を引いて歩くマイクロトフが、突然、立ち止まった。
そして。
振り向いて。
フリックを胸に抱き込んだ。
「お、おいっ?!」
ぎゅうと締め付けられて、フリックが慌てて声を上げる。
この、抱擁の意味が解らない。
「フリック殿、どうか泣いて下さい。」
「はあ?!」
そして、もっと訳の解らない事を言われてフリックは困惑した。
「な、なんで俺が泣かなくちゃならないんだ?」
何とか腕を突っぱねて、マイクロトフの顔を見る。
見上げた顔は、真面目な、そしてどこか鎮痛な面持ちだった。
「先程、貴方がここでナナミ殿に言われた台詞は…あれは、貴方自身の想いなのだと感じました。」
「……」
ただ、真面目一辺倒で、人の細かい機微を悟るのがあまり得意ではないようにマイクロトフは見える。
けれど、それをまるでカバーするかのように、直感でずばりと本音を付くような事を言う。
見抜かれた。
というより、触れられたくなかった、という想いが強く出て。
フリックの眉が顰められる。
「貴方と、かつての恋人だった人との事は噂で聞きました。」
「ああ…」
ここには、元解放軍のメンバーが幾らかまた集っている。
そして、お喋りな相棒も。
マイクロトフがオデッサの事を耳にする機会はあって当たり前なのだ。
そう納得したフリックの表情から、少し険が取れる。
「貴方も同じように大事な人と逢えなくなってしまった。ナナミ殿はまだ会える機会もあるかもしれない。けれど…」
「……」
「俺は、恋人が亡くなってしまって、貴方が泣いたようには思えない。まして誰かにその悲しみを聞いて貰って、慰めて貰うなんて事はなかった筈だ。」
「お前…まるで見てきたみたいに言うな…」


フリックは、小さく笑った。
ほんとうに、見てきたのかと。

いや、涙は流した。
オデッサが死んだと聞いて、涙は流れた。
けれど、その時の自分は、悲しみに浸りきるほど暇ではなかった。
あの時、自分は。
彼女の死を悼み、嘆き悲しむよりも。
彼女の遺志を継ぎ、戦いに明け暮れる方を選んだのだ。
そして。
彼女の死について。
それについて想う事など、誰にも話さなかった。
話してどうしたいとも思わなかったし、慰めて欲しいなどとは露とも思わなかった。


「でも、俺はそうではいけないと思う。貴方は、さっきのナナミ殿のように、一度泣いたほうがいい。」
そう言ったマイクロトフの腕に力が込った。
それにぐっと肩口に押し付けられたフリックが、低く反論する。
「俺とナナミを一緒にすんなよ…俺に、子供みたいに泣けって言うのか?」
「大人でも、辛い時には泣いた方がいいと俺は思う。」
「そんな事…」
「あります!」
強い風がびゅうと吹いた。
ばたばたと耳にマントのなびく音が煩いくらいに響く。


泣く?
俺が、ナナミのように?
大事な人と、もう『逢えない』からと。
悲しいからと。



「違う…」



そうじゃない。
そう、思う。

泣きたいわけではない。
いや、泣くべきことではないのだ。
もう。



「違うんだ。マイクロトフ…」



マイクロトフに抱かれたまま。
フリックが言葉を繰る。
「確かに、ナナミに言った事は俺の想いから来た言葉だった。けど、違うんだ。」
「違う?」
「そうだ、オデッサの事では…もう、泣いたりしたくないんだ…」
マイクロトフと自分との間に手を置いて。
やんわりと押し戻す。
「お前の心遣いは、嬉しい。」
マイクロトフの顔を真っ直ぐとフリックは見る。
そして、笑みを。
「でもな、ほんとうに大丈夫なんだ。もう。」

そう、自分は、もう気付いたのだから。

鮮やかに笑う、その表情を。
闇に包まれつつある世界でほんのりと輝きだした月が、綺麗に浮かび上がらせていた。
何の迷いも、悲しみも、苦しみも、ない。
ただただ真っ直ぐな瞳だ。



「…解りました。」
その、フリックの笑顔に。
マイクロトフは素直に引き下がった。
けれど。
その腕は解かれない。
「…おい?」
それを不審に思ったフリックが覗き込む。
マイクロトフは、少し困ったように笑った後。
真面目な顔になって、また、フリックを抱き締めた。
「すみません、もう少し…俺の為に、こうしていてくれませんか?」
「えっ…?」
「俺は貴方が好きだ。」
「…っ…」
固まったフリックの髪に、愛おしい仕草でマイクロトフが指を差し入れる。
何度も梳いて。
「俺は…貴方の為になら何だってしたい…!何か、力になれる事なら、何でも!!」
強い風が耳元を音を立てて吹き抜けていく。
それに、負けないように。
マイクロトフが、叫ぶ。
「貴方が、愛しくて堪らない!こんなにも!!俺は…っ…俺は…っっ!!!」
後の言葉が続かなくて、ただ、強く抱きしめるばかりのマイクロトフ。
その、体温を受けながら。
フリックは、思う。
誰かを抱き締めた事はあった。
けれど。
こんな風に、誰かに抱き締められる事などは、大人になってからは初めてだと。
まして、自分より大きな体に包まれるようになど。

自分達を、冷たい風が吹き曝している筈なのに。
どうしてか、温かい、と思う。

マイクロトフが、自分を好きだと言う。
どうして、どこが、と不思議で仕方ない。
自分が、それほどまでに好きになって貰えるような人間だとも、思えない。
けど。
こんなにも真剣に、想いを告げられて。
それを信じないほど、自分は廃れた人間ではない。
そして、それを嬉しいとも思わない筈もない。



「その…フリック…キスをしてもいいだろうか?」
少し、体を離して、ひそりと尋ねる。
それに、びくっとフリックの身が竦む。
けれど、その緊張は直ぐに解けた。
「…お前、前はいきなりやったくせに、何で今度は訊いたりするんだよ…?」
ヘンなヤツだ。
と、フリックは呆れつつ、笑う。
「いや…この前のは…別れの挨拶でしたから…!」
逆に問い返されたマイクロトフが焦って応える。
「ふうん?じゃあ、今は…?」
フリックは、ただ、話の流れ上で何気なく訊いただけだった。
しかしそれは、マイクロトフを誘うには充分な言葉で。
「今は、ただ俺がしたいんです…」
そう言った後、唇を寄せる。
途端、後ろに引いて逃れようとするフリックの項に手を充て捕まえた。
柔らかく重なった唇に、くらりとフリックの意識が揺れる。

前にも、一度した。
ならば、二度も三度も同じような気がする。

そう、頭の隅で思ったフリックは身体の力を抜いた。
けれども。
前と同じ、ではなかった。
マイクロトフの舌が、フリックの歯を割った時に、そう思い知らされた。
「んん…!」

同じ、どころか全然違う。
前のように、触れるだけ、ではなくって。
口吻けは与えられている筈なのに、何かを奪われていくかのような。
押し入った舌が、フリックの内をなぞってゆく。
驚き逃げる舌を、体を、マイクロトフは捕らえて更に追い詰めた。
「ん…ん…」
意外、とも言えるマイクロトフの巧みなキスに。
フリックの足がかくりと崩れた。
ずり落ちる体を、鍛え上げられた逞しい腕ががっしりと支えた。
傾いだ首筋から、白い肌が浮き上がっている。
そこにマイクロトフが誘われるように口吻けると、フリックが飛び上がった。
「ちょっ…待てっっ!!やめろ!馬鹿!!!」
萎える足を気力で踏ん張らせて、フリックは力任せに覆い被さる様に自分を支えていた男を突き飛ばした。
そこではじめて、我に返った、という風なマイクロトフがはっとして謝る。
「す、すみません!ついっ…夢中に…」
吸われた首筋に手をあてて、フリックが睨む。
その視線を受けて、申し訳なさそうにマイクロトフが項垂れた。
「次からは気を付けますから…」

次。
次もあるのか。

そうフリックは呟いて身を震わせた。
まだ、首に感触が残っている。
唇にも。



「帰る…」

そう言って、フリックは踵を返そうとして。
また、あの、捨てられる前の仔犬のようなマイクロトフの姿が目に映る。
ここで、このまま捨て置けばいいものを。
それが出来るフリックでもない。
「ああ、もう、気にしてねーから!お前も早く戻れよ、風邪ひくだろ?!」
溜息を吐いた後。
髪を掻き上げながら、フリックが小さく怒鳴る。
声を掛けられたマイクロトフはといえば。
ぱっと明るい表情になって、フリックの元へと小走りに駆け寄ってきた。
それにフリックから苦笑が洩れた。



マイクロトフの送ります、という言葉を丁重にお断りして。
フリックは一人歩いていた。
その、歩調は荒々しく、捷い。

マイクロトフの舌に感じてしまっていた。
その事に。
どうしてか酷く罪悪感を感じる。
そして。
自分で自分の事を赦せなくも、思う。


ふと、見透かすような、黒い瞳が浮かぶ。


あの男には、いつも、解られてしまう。
自分の事など、大して見もしないくせに。
ほんのちょっとした言葉や、動作で。
全部全部見透かされしまうのだ。

さっきの事も、きっと。

自分が、マイクロトフに抱き締められて、キスをした事も。
それに感じて、体が熱くなった事も。
きっと。


それを知って、あの男はどんな顔をするのだろうか。
軽蔑するだろうか。
それとも。
また、自分には関係ない、と言うだろうか。


その、どちらでも辛い気がして。

フリックは唇を噛み締める。



ビクトール達は食事に向かった筈だった。
今なら、まだレストランにいるかもしれない。
けれど。
フリックは其処へは向かわず。
また早い時間で人も少ないだろう、酒場へと足を向けたのだった。



<act.17>に続く 2003.10.27



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