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<act.14>



ナナミが向かった先は、城の屋上だった。
夕暮れの空が朱く、世界を染め上げている。
すこし強い風が吹き荒ぶ中。
ナナミは一番奥の城壁に辿り着くと、そこで遠くを見詰めていた。
「ナナミ…」
後を追ったフリックとマイクロトフもそこまで来て足を留める。
振り返らないままに、ナナミは言葉を漏らした。
「どうして…こんな事になっちゃったのかな…?」
「……」
「……」
ぽつり、と出た声に応える者はいない。
「あのままずっと、三人でいられたら、それでよかったのに…」
キャロには帰れなくても。
三人でなら、きっと何処でだって楽しく生きていられるのに。
「ナナミ、お前の気持も解るけど…でも、ヤマトの気持だって考えてやれよ。」
「……」
「ヤマトだって、ほんとはお前のように辛いと思ってる筈だぜ?」
「…っ!だったら…っ!どうしてあんな事言うの?!」
フリックの諭す言葉にナナミが振り返って叫ぶ。
「…立場ってもんがあるだろ?ヤマトは、お前にとってはただの弟かもしれないけど、もうあいつは立派なこの城の城主なんだ。」

まだ、小さい背中。
少年らしい笑み。
それでも、その手は真の紋章を掲げ、一番の高みに立つ。

「感情を抑える事も、時には必要なんだ。」
そう言って、フリックは嘗ての軍のリーダーを思う。

彼女もまだ、若い、そして優しい女性だった。
けれど。
感情だけに流されず、世間を冴えた瞳で見詰めていた。
あの、強い、意志の光の込もった目で。
ヤマトに、似ていると思ったあの目で。

「でも…だって…っ!」
「それにヤマトも言ってたけど、こんな状況じゃなかったとしても、ジョウイがどこかの令嬢と結婚するって事は大体想像付いてた、だろ?」
「それは…っ!」
「それともナナミ…お前ジョウイの事を?」
「そ、そんなんじゃないもん!!そうじゃない…けど…っ」
冷たい風が吹いて。
ナナミがはっとして身を縮こませた。
そして。
「解ってたの…ヤマトに言われなくったって、いつまでも子供のままで、三人でいられるなんて思ってなんかなかった。」
「うん…」
「でも…でも!!どうしてそれが今なのっ?!!」
ぎゅ、っと拳を握り締めてナナミが、叫ぶ。
「だって、今は敵同士になっちゃってて!その上に皇女様と結婚だなんて?!そしたら、そしたら…」
大きな瞳から、ぽろりと大粒の雫が流れ落つる。
「もう、二度と、ジョウイには会えなくなっちゃう!!!!」
一粒、流れ出た涙は。
後から止め処なく次々にと流れ出た。
「このまま、離れ離れになって、ジョウイの側には皇女様が居て…それでジョウイはその皇女様の事が一番大事になっちゃって…」
涙と同様に、ナナミの心も流れ出る。
「私達の事なんか忘れちゃう…っ!この先何年かして、いつか、何処かで巡り逢えてもっ、きっと私達には気付いてなんかくれなくなっちゃう…っ!!」
わーっと、泣き喚いて、ナナミは顔を覆った。


「私達、ずっと一緒に居たのに…っ…!」




「馬鹿言うなっ!」




そう言って、泣き崩れようとしたナナミの体を、フリックがしっかりと抱き留めた。
「そんな事ある訳ないだろ?!」
小さな、ナナミを抱き締めて、フリックは声を荒げていた。
「俺はっ…お前とヤマトが、どれだけジョウイの事を大事に想っていたか、知っている!そしてジョウイだってそうだったじゃねーか!お前達がお互いに、お互いの事だけを想っていた事もっ…!!」
「フリック、さん…」
「そんな大事な大事な、お前達の事を、どうしてジョウイが忘れるって言うんだよ?!」
「だ…って…」
まだ、泣き声でしゃくり上げるナナミの両肩に手を置いて。
フリックは少し屈んで目を合わせた。
「確かに、今は遠い所にいる。お前達とジョウイとでは、選んだ道が違ったかもしれない。けど、それがお前達の事を嫌いになったからだなんて事は決してないと思う。」
「……」
「もし、この先ずっと会えなくなって、他に、お前達以外の大切な人が出来たとしても。お前達の事は、ずっと心の中では忘れない。」
「ほんとに…?」
「ああ。でもジョウイに取って、一番大事な人はお前達ではなくなってしまうかもな…それでも、お前達だって、大事な人には違いない。だから忘れない。それに比べるべきものでもない。」
「絶対、忘れない?」
「忘れられる筈なんかないだろ。お前達にとって、ジョウイは何だったんだよ?」
「…友達だったし、弟みたいだったし、武術ではライバルだったし…家族みたいだった…」
「お前は家族を忘れるのか?」
「忘れないよ…っ!」
「お前達がどんな風に一緒に過して来たかなんて、俺は知らないし、直接訊いた訳じゃねーからジョウイがどう思ってたかなんてのも知らない。」
「……」
「でも、見てれば解る事もある。ジョウイはお前達の事を本当に大切に想っていた。敵として戦う事になっても、それは変わらないくらい。」
「う…」
「忘れたりなんかしない。例え、もう二度と会えなくなったって…思い出が消えるなんて事は絶対にないんだ。ずっと、大切な想いとして、胸の中に残ってる筈だ!」
「う…わああぁっ!!」
また、泣き出したナナミを、フリックは優しく肩を抱く。
「大丈夫だ。お前達の絆はそんなチンケなもんじゃない。だからこそ、真の紋章だって二つに分かれて宿ったんだろ?…ちゃんとヤマトは解ってる。だから、余計な心配はもうするなよな…」
「…淋しかったの!悲しかったの!もう、二度とジョウイには会えないんじゃないかって…忘れられちゃうんじゃないかって!!そう思ってるのに、あの子は全然平気な顔して…だから、それでもいいのかな?って…私だけがまた『三人一緒にいたい』って思ってるんじゃないのかって…っ!!」
「今も、そう思うのか?」
「思わないよーっ!!」
一気に捲くし立てて、わあわあ泣くナナミに、フリックはちょっと困った顔をした。
けれど。
「まあ、子供は素直じゃないとな…」
「こ…どもっ、じゃないもん…」
「ははは、そうだな。」
泣きながら、それでも反論して下から睨んでくるのに、フリックは笑った。
「もう、大丈夫だよな。」
「うん…」
「だったら、しゃんとしろよ。お前はヤマトの…リーダーの『お姉ちゃん』なんだろ?」

優しい、声だった。
ナナミの見上げたその瞳も、穏やかで優しい色だった。
陽はとっくに沈んで辺りは闇に染まりつつある。
さっきよりも強い冷たい風が吹いた。
けれど。
少しも冷たいとは、ナナミは思えなかった。
だから。

「うん!」
大きく、元気良く返事を。
そして涙を拭いて。
えへへ、と笑う。
「ごめんね、フリックさん。」
「バカ。それは俺にじゃなくて、ヤマトに言う台詞だろ。」
「うん。でもごめんね。」
頭を数回撫でて皮肉く笑うフリックに、やはりナナミは謝った。
その横から。
ずっと、今迄見守っていたマイクロトフが控えめに会話に入って来た。
「そろそろ寒くなって来たんで、中に戻りませんか?」
「?!!!」
すっかり、ナナミの事で頭に血の昇っていたフリックはマイクロトフの存在を失念していたらしい。
驚き、そして今までの事を思って、見られていた羞恥でフリックの顔は少し熱くなった。
それを誤魔化すように。
「そっ!そうだな!!早く戻ろうぜ!!」
慌てて振り返ると屋上を後にする。
その背を追って、二人も歩き始める。
足を進めて、一旦止まったナナミが、マイクロトフに向かって言った。
「マイクロトフさんもごめんね…」
「いや、俺は…何をしたという訳でもないので…」
それに、手を振り、マイクロトフが否定する。
「さあ、我々も早く行きましょう!」
そう言って、先に行くフリックを見詰める。
そして。
夕闇に溶けそうになっている、青い色に。
目を眇めてみせた。





屋上を後にして。
フリックは、階段を降りながら、思っていた。
ナナミに言ったあの台詞は。
自分の、想いそのものだったのでは、と。



もう、二度と逢えなくても。
ずっと、忘れない。
大切な思い出として、胸に。
そうして。
他に誰かもっと大事だと想える人が現れたとしても。
忘れない。
消えない。
大切な思い出は。
温かい、優しい想いは。

オデッサ。

君以外の人を好きになる事は。
ずっと、罪悪だと感じていた。
けれど、違う。
そうだと、気付いた。

君との思い出を胸に。
今、この時、大事だと思える人を大切にしよう。

そう、思えるようになっていたんだ。
いつの間にか。



目の奥に人影が浮かぶ。
それは、亡き彼女ではなく。
彼女が逝った後も、ずっと傍にいた男だ。

温かい、眼差しで、笑う。

もう、ずっと、この瞳に見守られていた事を知っている。
オデッサを失った自分を助け、気遣い、奮い立たせ。
共に有って生きるべく方向をいつも指し示していた。

あの男に告げたかった。

もう、大丈夫だから、と。
もう、解っているから、と。

はやく。



ビクトールに。

はやく、告げたい。





執務室の前にまで戻ってきて。
フリックは逸る心を落ち着かせる。
そうして。
追い付いたナナミに。

「大丈夫だ。」

そう、言って。
扉を開けるように勧めたのだった。



<act.15>に続く 2003.10.12



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